【コミカライズ】魔力を失った無価値令嬢の二度目の婚約
「レナータ……俺が何を言いたいか分かるだろう?」
不自然に逸らされた視線。レナータは婚約者であるコルネリウスを見つめながら、唇をキュッと引き結ぶ。
「――私では殿下の婚約者にふさわしくない、ということでしょうか?」
「そのとおりだ。今この時をもって、君との婚約は破棄させてもらう」
コルネリウスはため息をつきながら、レナータの方をちらりと見た。
「王太子であるこの俺の婚約者が『ファリート』では話にならない。国民に示しがつかないからな」
「それは……」
レナータはうつむき、必死になって言葉を呑む。
ファリートとは生まれつき魔力がないか、あっても魔法を扱えない人間のことをいう。魔力至上主義のこの国では、ファリートとして生まれてくる人間は全体の一パーセントもおらず、蔑視の対象となっていた。
そんなファリートであるレナータが、どうして王太子の婚約者でいられたのか――レナータはつい先日まで、絶大な魔力を誇る優秀な魔女だった。その実力は一個師団に匹敵するほどと称えられ、聡明で美しいレナータがコルネリウスと結婚することに異を唱えるものはいなかった。
しかし、半年ほど前のある朝のこと、突如レナータの魔力がなくなってしまったのだ。
(どうして? どうして何も感じないの?)
まるで魔力なんてものは最初から存在しなかったかのよう。物を動かしたり変化させることも、水を操ったり火を熾したりすることも、空を飛んだり転移をすることも……それまで当たり前にできていたことが、どう足掻いてもできないのだ。
それでも、最初はレナータを含めたみんなが『すぐにもとに戻るだろう』と考えていた。こんな風に魔力がなくなる例はなかったし、レナータほどの魔女が完全に魔力がなくなるなんてありえないと、心のどこかで思っていた。
けれど、待てど暮せどレナータの魔力は戻ってこない。
レナータはありとあらゆる文献を読み漁り、考えうるすべての手段を試した。魔力の研究を行っているものや珍しい魔法を知っている魔法使いなど、たくさんの人から話を聞いた。それでも、どうしてもダメだった。
そうして、コルネリウスから婚約を破棄されるに至ったのだ。
「全く、これから国民全員の記憶を操作しなければならないなんて……面倒なことだ」
コルネリウスはそう言って、不機嫌そうに頭を掻く。
どうやら王家はレナータと婚約していた事実を完全になかったことにしたいらしい。それほどまでに、この国でファリートであることは恥なのだ。本当ならば、あと半年でふたりは結婚していたというのに。
(どうしてこんなことになってしまったんだろう?)
ついこの間まで、コルネリウスはレナータにとても優しかった。『君は俺の宝だ』と言って憚らなかったし、情熱的な愛の言葉を囁かれてきた。
それなのに、魔力がなくなった途端、こんなにも綺麗に手を返される。
ただそれは、コルネリウスに限った話ではなかった。
魔力を失ったレナータに対して両親は失望をあらわにしたし、親戚や付き合いのあった貴族、使用人たちまでもがレナータを蔑み陰で笑っている。それまではその美しさと優秀さ故、周りから蝶よ花よと持て囃されてきたレナータだけに、あまりの扱いの落差に絶望したものだ。
(私、本当に何もなくなってしまったのね)
魔力も、婚約者も、自尊心も、何ひとつ残っていない。
「話は終わりだ。さっさと帰ってくれ。俺は忙しいんだ」
「……承知しました。殿下、これまでありがとうございました」
そう言って頭を下げたものの、コルネリウスが再びレナータを見ることはなかった。
(これからどうすればいいのかしら?)
コルネリウスから婚約を破棄されたと知れば、家族もいよいよレナータをなきものとして扱うだろう。自分の居場所なんてどこにもありはしない。レナータの瞳に涙がたまる。
「あら、レナータ」
と、部屋を出たところで、レナータは声をかけられた。豊かな黒髪にレナータとよく似た桃色の瞳。ベラティナ・ウェッジフット公爵令嬢――レナータのはとこだ。
「コルネリウス殿下に呼ばれていたの? ……ああ、何も言わないで。わたくしには分かるわ。かわいそうに。ついに婚約を破棄されてしまったのね」
そう言ってベラティナは顔をクシャクシャに歪め、レナータの頭をそっと撫でる。まるで幼子にするように――レナータはほんの少しだけ眉間にシワを寄せた。
「わたくしもね、殿下に呼ばれているの。いったい何の用かしらね? 事前に『君にはまだ婚約者がいないのだろうか?』なんて確認をされたのだけど……聡明と名高いレナータなら分かるかしら?」
ポッと頬を紅く染め、ベラティナがゆっくりと目を細める。
(つまり、殿下は次の婚約者にベラティナを選んだのね)
レナータは何も言わず、ベラティナからそっと顔を背けた。
そもそも、本来ならば由緒正しき公爵家の令嬢であり、魔力や容姿も申し分ないベラティナがコルネリウスの妃に選ばれるはずだった。けれど、分家の生まれながら魔力と技術、美貌の突出しているレナータに白羽の矢が立ち、そのまま婚約が決まってしまったのだ。
ベラティナがそのことを苦々しく思っていたことは誰の目にも明らかで、レナータはしょっちゅう嫌味を言われていた。格下のはずのお前が何故自分を差し置いて、と。
「そうそう。あなたは辺境の地――ロックシュタイン領に送られることが決まったそうよ?」
「え?」
「だって、このまま王都で暮らすなんて無理でしょう? わたくしなら恥ずかしくてとてもじゃないけど耐えられないわ。その点、ロックシュタイン領はファリートばかりだから、レナータも過ごしやすいと思うの」
困惑するレナータをよそに、ベラティナがにこりと微笑む。
ベラティナの言うとおり、ロックシュタイン領はファリートたちが集められて暮らしている。集められて――というより、魔法が使えることが前提の国のため、他の都市では暮らしていけないというのがその理由だ。
「それにね、領主が花嫁を探しているんですって」
「領主って、新しく辺境伯になられたギルベルト様のこと?」
ロックシュタイン領の人間は、ほとんど領地を出ることがないため、レナータも直接顔を合わせたことがない。けれど、彼の地の領主が最近になってかわったこと、弱冠二十四歳であることは知識として知っていた。
「知らないわ。興味がないもの、ファリートばかりの土地なんて。あんなところに嫁ぎたがる貴族の令嬢なんてまずいないから、ちょうどいいでしょう? レナータが家系図から抹消されるのは確定だろうけど、わたくしの血縁者が庶民と結婚するなんて嫌だし、居場所を見つけてあげたんだから感謝してよね」
アハハ、と大きく笑いながら、ベラティナがレナータの顔を覗き込む。腹立たしさをこらえつつ、レナータは「分かりました」と返事をした。
***
それから数日後、レナータは魔法でロックシュタイン領に送り届けられた。見送りをするものは誰もおらず、嫁入り道具もろくに用意されていない。
(こんな結婚――人生に何の意味があるんだろう?)
不要で不快なものとして厄介払いされ、そのくせ自由に生きることは許されない。レナータは情けなくて消えてしまいたい気持ちに駆られた。
「君がレナータ?」
と、背後から声がかけられる。振り返ったその時、レナータは思わず息をのんだ。
(なんて美しい男性なの)
陽の光にきらめく腰まで伸びた銀の髪に、サファイアのように深い紫色をした切れ長の瞳。彫刻のように美しく整った目鼻立ちは一度見たら目が離せないし、スラリと引き締まった長身にこちらの背筋がピンと伸びる。
コルネリウスも彼とよく似た銀の髪で、美しい容姿と称えられていたが、この男性には到底かなわないとレナータは思った。
「はじめまして、レナータと申します」
「やっぱりそうだ。はじめまして、僕はギルベルトだよ」
ギルベルトはそう言って、レナータの手の甲にそっと口付ける。流れるような所作にレナータは思わずドキッとしてしまった。
(このぐらい、コルネリウス様からもしょっちゅうされていたのに)
ギルベルトは茶目っ気たっぷりに微笑むと、レナータの頭をポンポンと撫でる。
「こんなにかわいいお嫁さんが来てくれるなんて……嬉しいな」
「え? それは……本心ですか?」
これまでレナータはたくさんの人に愛されながら育ってきた――いや、愛されていると勘違いしてきた、と言ったほうが正しい。綺麗、美しいといった賛辞を何度も何度も言われたし、素直にそれを受け入れられていた。
けれど、魔力がなくなって以降のレナータは違う。
レナータにはもう、自分を肯定するだけの自信がないのだ。
「もちろん。世界広しと言えども、レナータほどかわいい女性はいないと思うよ」
よしよし、と幼女のように撫でられて、レナータはほんのりと下を向く。少し前までなら馬鹿にされているように感じただろう。けれど今は、不思議と心に染み入る感じがした。
「これからよろしくね」
満面の笑みを浮かべるギルベルトに、レナータも思わず目を細めた。
***
ロックシュタイン領での生活は、レナータの想像より遥かに快適で楽しいものだった。ここでは魔法のかわりに科学や文明が発達しており、はじめて目にするもので溢れている。おまけに、魔法に頼らずともなんでもできるのだと知り、レナータは驚いた。
「ギルベルト様、これはなんですか?」
「これはね……」
レナータが尋ねると、ギルベルトはいつだって嬉しそうに教えてくれた。どんなに忙しくともレナータのことを気にかけてくれたし、快適に暮らせるようにできる限りのことをしてくれる。使用人や領民たちもみな優しく、レナータのことを受け入れてくれた。
(なんだ、魔法なんてなくても生きていけるんじゃない)
魔力を失ったあの日から、自分には何の価値もなくなってしまったと思っていた。存在を恥じ入られ、婚約を破棄されてしまい、生きている意味があるのか悩み、何度も涙を流した。
けれど、そんな必要はなかったとレナータは笑う。
確かに魔力は自分を形作る大事な要素だっただろう。それでも、それだけがレナータの価値ではない。ギルベルトがそう思わせてくれたのだ。
彼はレナータの内面に目を向け、その優しさやひたむきさ、素直さを褒めてくれたし、好きだと言葉にしてくれた。
加えて、彼は決してレナータの事情を尋ねようとはしなかった。絶大な魔力を誇っていたがそれを失って周囲に蔑まれてしまったこと、王太子の婚約者だったこと、婚約破棄をされてしまったこと……ギルベルトがどこまで、何を知っているのかレナータには分からない。
けれど、それでいいと感じた。
過去に何があろうと、ギルベルトならば絶対に受け入れてくれる。短期間でそんな風に確信できるほど、彼はおおらかな優しさに満ちた人だった。
(私もギルベルト様の役に立ちたい)
これまでレナータが培ってきた魔法や妃教育では役に立たないだろう。しかし、ないものは身につければいい。
ふたりは半年間の婚約を経て、正式に結婚することになっている。それまでに何とかしなければ――レナータはすぐに行動を開始した。
「レナータは本当に勉強熱心だね」
感心感心、と笑うギルベルトに、レナータは顔をあげないまま「ありがとうございます」と返事をする。今やレナータは本の虫となっており、暇さえあれば知識を求めて本を読み漁っていた。
ロックシュタイン領に生きる人々が少しでも幸せで豊かな生活を送ってほしい――ファリートとして生きるにあたって必要なもの、求められているものが何なのか、後天的に魔力を失ったレナータでは理解できていないことがたくさんあるだろう。そのギャップを埋めたいとレナータは思う。
「明日は乗馬と剣を習うんだって?」
「はい。この間近くで魔物が出た時、ギルベルト様が討伐に出かけたでしょう? あの時、私には何もできなかったことが歯がゆくて……」
魔法さえあれば、ギルベルトと一緒に行けたのに。間違いなく彼の役に立てたのに――レナータは魔力がなくなったことをこれほどまでに悔しく思ったことはなかった。けれど、魔法は使えずとも、ギルベルトの隣に立つことはできる。「だから、なんとしても乗馬と剣をマスターしたいんです」とレナータは続けた。
「向上心が高いのはいいことだ。だけど……少しは僕のことも構ってほしいな」
上からレナータを覗き込み、ギルベルトが拗ねたように笑う。レナータは思わず目を丸くし、クスリと笑い声を漏らした。
「ねえ、ギルベルト様はお嫁さんを探していたんですよね?」
「ん? ……まあ、そうだね。だけど、どうしてそんなことを尋ねるの?」
後ろからレナータをギュッと抱きしめながら、ギルベルトはそっと首を傾げる。
「いえ、ギルベルト様ならきっと、結婚相手が誰であれ好きになっただろうし、大切にするんだろうなぁって思ったんです。例えばそれが私じゃなくても」
「そんな存在しない女性に嫉妬してしまうほど、レナータは僕のことが好きなの?」
ギルベルトは目を細め、レナータを意地悪く見つめた。返事など分かりきっている――そう言わんばかりの確信に満ちた熱い瞳。レナータは胸がキュッとなる。
「……そうですよ? 本当に大好きなんです」
ギルベルトが微笑む。それからどちらともなくふたりの唇が静かに重なった。
「だから、いつか絶対『私で良かった』って思ってもらえるように頑張りたくて」
「既に思っているけど」
「もっと! 本気でそう思ってもらえるように、頑張りますから」
頬を上気させるレナータを撫でながら、ギルベルトは嬉しそうに笑うのだった。
***
それから半年の月日が過ぎた。
レナータはすっかり魔法のない生活に慣れ、毎日活き活きと暮らしている。何より、あと少しでギルベルトと結婚できると思うと、嬉しくてたまらなかった。
(だけど)
一年前に魔力を失ったこと、それからたった半年の間に婚約を破棄されたことを思うと、成婚までは油断ができない。もちろん、ギルベルトはコルネリウスとは違うけれど……。
とその時、階下で使用人たちがにわかに騒ぎ始めた。
(どうしたのかしら?)
その慌てぶりからして、ただごとではない様子だ。レナータは急いで私室を出た。
「ああ、レナータ様」
使用人頭がレナータに駆け寄り「実は……」と頭を下げる。
「王太子コルネリウス殿下とその婚約者であるベラティナ様がいらっしゃっているのです」
「え?」
レナータがゴクリと息を呑む。それからふたりが案内されたであろう応接室の方をそっと見た。
「なんでも、お忍びで視察にいらっしゃったそうで、レナータ様をお呼びするよう仰せつかっております」
「そう……」
前触れのない訪問。おそらくは礼を払うほどの価値もないと思われているのだろう。ギルベルトは留守にしているし、全てレナータで対処するしかない。
レナータは意を決して応接室へと向かった。
「あら、レナータ。久しぶりね」
部屋に入るとすぐ、ベラティナが声をかけてきた。満面の笑みだが、表情には生気がなく、どこか疲れたように見える。レナータは「ご無沙汰しております」と返事をした。
「驚いたわ。こんなところで半年間も生きてこられたのねぇ」
「こんなところ? おっしゃっている意味が分かりませんわ。ここは王都に引けを取らない素晴らしい街です。そんな風に言われる筋合いはありません」
レナータは眉間にシワを寄せつつ、ベラティナをキッと睨みつける。ベラティナは「まあ!」と声を上げた。
「わたくしに向かってそんな口をきくなんて。ファリートになったあなたには何の価値もないのに! ねえ、殿下?」
「……いや、それは……どうだろう」
コルネリウスは歯切れ悪く返事をした後、ベラティナからそっと顔を背ける。ベラティナは思い切り顔をしかめつつ、首を大きく横に振った。
「ところで、あなたの婚約者はどこにいるの? どんな情けない顔をしているのか拝みに来たの」
「は?」
怒りをあらわにレナータが聞き返すと、ベラティナが嬉しそうに微笑んだ。
「だってそうでしょう? いくら爵位を持っていても、魔法が使えないんだもの。さぞや惨めな生活を送っているに違いないって。そんなの、子供でも分かる簡単な話だわ。一応親族であるあなたが結婚する相手だし、顔ぐらい見ておきたいと思うじゃない?」
「……そうして、自分の方が私より勝っていると確認をしたかった、っていうこと?」
レナータの言葉にベラティナが目を丸くする。どうやら図星らしい。ベラティナはレナータを馬鹿にし、自分の優越感を満たすために、わざわざここに来たのだ。
「私のことはいくら馬鹿にしても構わないわ。だけど、ギルベルト様や領民のことを悪く言わないで! 屋敷や領地の様子を見た? 魔法なんてなくても、みんな幸せに暮らしているわ。あなたの目は節穴なの?」
「なっ……なんですって? わたくしへの無礼は許さないわよ、レナータ!」
ベラティナは顔を真っ赤にし、傍に控えていた護衛騎士たちに目配せをする。
とその時、応接室の扉が開き、ギルベルトが入ってきた。
「無礼なのは果たしてどちらかな?」
「ギルベルト様」
彼はレナータをかばうようにしてベラティナたちの間に立ちはだかる。ベラティナはギルベルトを見るなり、そのあまりの美しさにショックを受けたらしい。目を白黒させ、歯噛みをしている。自分の方がレナータよりも格上だと確認したかったベラティナにとって、これほどの痛手はないはずだ。レナータは小さくため息をついた。
「ベラティナ、これ以上私に関わるのはやめて。私は今幸せなの。あなたと比べて劣っているなんて思わないし、王太子の婚約者の地位に未練なんて一欠片もないわ。これ以上続けても、あなたが惨めになるだけよ」
「分かったようなことを言わないで! わたくしの方があなたより幸せなんだから! 全てにおいて勝っているんだから! 魔力のないレナータなんて、なんの価値もないのよ!」
「魔力のないレナータ、ね」
と、ギルベルトが首を横にひねる。彼はベラティナの側に行き、ふっと口角を上げた。
「そんなもののために自分の体力や気力まで犠牲にして……そうまでして君はレナータに勝ちたかったの?」
「え?」
どういう意味だろう?と思う間もなく、ベラティナの顔が真っ青に変わる。レナータとコルネリウスが思わず顔を見合わせた。
「な……何を仰っているのかわかりません」
「悪魔と契約をしたんだろう? レナータの魔力を奪い取ってほしいと。代償として君は自分の体力と気力を差し出した。何か間違っている部分があるかな?」
言葉では「違う」と言っているが、ベラティナの狼狽えようは誰の目にも明らかだった。
(信じられない)
悪魔との契約はとんでもない禁忌だ。そんなことをしてまで、ベラティナはレナータに勝ちたかったのだろうか? あまりの恐ろしさにレナータの体が震えた。
「媒介しているのは――その首飾りだね」
「や、やめて! 来ないで! わたくしに触らないで!」
ギルベルトはベラティナが止めるのも聞かず、首飾りを彼女から奪い取る。それから首飾りの中央――真っ赤な宝石をトントンと叩いた途端、まばゆい光と黒いモヤが宝石から溢れ出した。
光の粒がまっすぐレナータに向かって集まってくる。対して、黒いモヤはベラティナに容赦なく襲いかかった。
「あ……」
指先からじんわりと体が温まっていく感覚に、レナータは目頭が熱くなる。この一年間失っていたもの――自分の魔力が戻ってきたのだと分かった。
「や……待って! そんな、嫌よ! まだわたくしとの契約は終わっていない!」
ふと見れば、ベラティナが見えない何かと戦っている。体が干からびて肌はしわくちゃになり、まるで老婆のような見た目をしていた。
「ギルベルト様、あれは……」
「おそらく、ベラティナの一生をかけて体力と気力を供給する、という契約だったんだろうね。だけど、僕が契約を一方的に破棄させたから、一括返済を求められたみたいだよ?」
「契約を破棄したって……」
ギルベルトはなんてことのないように言ってのけるが、普通の人間にそんなことは不可能だ。絶大な魔力を誇るレナータですら、悪魔の魔法をどうこうできるとは思えないのに……。
「ギルベルト――いつから魔力が?」
と、口を開いたのはコルネリウスだった。ふたりはもともと知り合いだったのだろうか? レナータは目を丸くした。
「十三の時だったかな」
「……何故報告しなかった?」
「今更だろう? 僕は家系図から抹消されているし、王族に戻るなんて面倒なだけだ」
「え?」
レナータが思わず口を挟む。ギルベルトは小さく微笑むと、レナータをそっと抱き寄せた。
「驚かせてごめん。僕は生物学上、コルネリウスの兄に当たるんだ。だけど、生まれつき魔力がなくて――存在を秘匿された上、先代のロックシュタイン辺境伯に養子に出された」
「そうだったんですか……」
信じられないという気持ちはあるが、不思議と納得できなくはない。髪や瞳の色など、ふたりには共通点がいくつかあったし、ギルベルトから王者の風格を感じていたから。
「レナータ」
と、コルネリウスから名前が呼ばれる。彼はレナータの前に跪き、手を握ってきた。
「俺が何を言いたいか分かるだろう?」
「え?」
何を言われているのか、言いたいのかが全く分からず、レナータは大きく首をひねる。コルネリウスは更に身を乗り出し、レナータをまっすぐ見つめた。
「魔力が戻ってきたんだろう? だったら、君は俺と結婚するべきだ」
コルネリウスはそう言ってちらりとベラティナを見る。ベラティナは小さなうめき声を上げながら床に転がっていた。この様子では、とてもじゃないが王妃は務まらないだろう。代わりの人間が必要だということは理解できる。しかし……
「絶対にお断りです」
満面の笑みでレナータがこたえる。と、コルネリウスは「なっ……」と声を上げ、小さく首を横に振った。
「いや、しかし……君ほど妃にふさわしい女性はいないのだし、俺はもともと君のことを愛していて……」
「殿下が愛していたのは私の魔力でしょう? 私自身を見てくださったことはありませんでしたもの。それに、私はギルベルト様が好きなんです。ずっとお側にいたいと願っています。王都に戻る気はありませんし、殿下と結婚するなんてごめんです」
レナータの言葉に、ギルベルトがクスクスと声を上げて笑う。
「だ、そうだよ?」
ギルベルトがそう言うと、コルネリウスは恥ずかしそうに頬を染め、逃げるようにして部屋を後にするのだった。
***
「レナータ様、どうか! 今日こそご決断を!」
「何度来られても私の結論は変わらないわ」
床にへばりついて頭を下げる男性たちを尻目に、レナータは小さくため息をつく。
ベラティナたちの来訪から数日。王都から毎日、ひっきりなしに王家の使者がやって来ている。
「そこをなんとか! ギルベルト様をご説得いただけませんか?」
「お断りします。ギルベルト様は王家に戻る気はありません」
はじめは『コルネリウスの婚約者に戻るように』と訴えていた使者たちだったが、それが無駄だと分かると、最近では『ギルベルトを連れて王家に戻るように』と主張を変えてきている。当然どちらもお断りなので、レナータにとっては面倒くさいだけだ。
「レナータ」
と、ギルベルトがやってくる。使者たちはギルベルトを見るなり先ほどと同じ話を始めようと口を開いた。しかし、ギルベルトがパチンと指を鳴らした瞬間、その場からいなくなってしまう。
「まったく、こんな日にまでやってくるなんて……無粋だよね」
ギルベルトは困ったように笑いながら、レナータをギュッと抱きしめる。
真っ白なドレスにレースのベール――今日、レナータは正式にギルベルトと結婚するのだ。
「……ねえ、レナータ。僕がどれだけ今日という日を待ちわびていたか分かる?」
ギルベルトはそう言って、レナータの肩口に顔を埋める。
「はじめて君に会った時、僕は少しだけ怖かったんだ。いくら後天的に魔法が使えなくなったからといって、ファリートに対する偏見や蔑視を捨てられる人間がどれだけいるだろう?って。もしかしたら、強く拒絶されるんじゃないかって思っていた。けれど、レナータは僕に対しても、領民たちに対しても、素直で明るく接してくれた。僕はそれがとても嬉しかったんだ」
「ギルベルト様……」
そんな風に思っていてくれたなんて――レナータの瞳に涙がたまった。
「だから、半年前のあの時にはとっくに僕の気持ちは決まっていた。レナータ――ここに来てくれたのが君で良かった。僕は君と心から結婚したいと思っているんだよ」
ギルベルトの言葉に、レナータは満面の笑みを浮かべる。
ふたりはどちらともなく口付けを交わすと、互いを抱きしめ合うのだった。