6. 領主会談
驚きと幸福を同時に受け取って、会談は始まった。
もちろんその変貌に対する戸惑いはあった。正直に言えば、鎧姿でなく、腐臭、死臭の無い、ただの生者にしか見えない女性が、あの命の恩人である、黒き鎧のヴィオラと結び付かなかった。けれども、彼女は信用に足る幾つかの証拠を提示し、私はそれを受け入れた。素晴らしい事だと思った。神は正しき行いをする者を見捨てなかったのだ。人並みの信心を持つ私も、今日だけは神の存在を確かに感じた。それほどに嬉しかったのだ。
同席した妻も同じ思いだ。命の恩人に対し、恐怖や不快感を見せる事を嫌い、その不義理に心を痛めながらも『対面しない』という選択を取り続けていた妻こそが、この度のことを一番喜んでいた。今日という日で、私達は決着を付けることが出来るのだろう……あの忌まわしき過去から。
そして、話題は当然のように、その結果をもたらした要因への興味へと移っていった。
「それで……あの鎧はどうなったのかね? 君を閉じ込めていた呪いの鎧は」
その問いかけに、彼女は奇妙な逡巡を見せた。一地方の子爵ではあるが、貴族という枠組みで生き抜く程度の社交スキルは持っている。何より、ヘルムを脱いだヴィオラは、自身の感情を隠そうという素振りすら無い。迷い、戸惑い。わかっているのに、説明できないものを言葉にするような、そんな奇妙な感情を読み取る事はもはや社交を学びたての子どもでも容易だろう。だからこそ、その理由がわからない。
一瞬の空白の後、ヴィオラは観念したように話し始めた。
「……ドーレス子爵。子爵はモンスターに付いて詳しいですか?」
「そうだな、有名で、大きな被害や災害に繋がるような、そんな厄介なモンスターについては把握しているつもりだが、そういうものでは無いのだろう?」
事は、呪いの鎧の解呪に関わる事だ。そんな事が出来るモンスターがいれば、とっくに情報網に引っかかっている事だろう。
「先日、この街を出た後、森の中でとあるスライムに出会いました」
先日の来訪から随分と早い連絡だとは思っていたが、近郊の森の話だったとは。
「その、正気を疑われるかもしれませんが、結果としてこうして鎧が脱げている事が証拠です。それを踏まえて聞いて下さい……私が出会ったのは、『服だけ溶かすスライム』と、そう名乗りました」
「? すまない。もう一度言ってもらっても?」
「『服だけ』『溶かす』『スライム』です」
一言ずつ区切って、しっかりと伝わるように話すヴィオレ。思わず妻と顔を見合わせるが、妻も同じ様に困惑をしている。スライムは知っている。だが、服だけ溶かすなどといった性質は聞いたことがない。それでも彼女の言う通り、その姿が証拠なのだ。そんなスライムが居る……? あるいは、方法を秘匿するための方便なのかもしれないが。
「そ、そのスライムは、どうしたんだ? ……いや、名乗った? どうやって? 知性があるのか?」
努めて冷静に発言を咀嚼すると、更に疑問が増えていく。そんな自分の疑問に、ヴィオレは回答を返していく。
「スライムは、その……確保しています。とても貴重な方なので。知性があります。とても理性的で、優しく大人しい性格をしています。会話をして、主張したり、頼みをきいてもらえます……その、会いたいですか?」
会いたいか、という事に思わず頷いていた。迂闊な事ではあるが、興味のほうが勝っていた。だが、正直な話、その場で出されるとは思わなかった。頭の上に手をやったかと思えば、差し出された手のひらに乗った、こぶし大の大きさの『ソレ』が、件のスライムなのだろうか。
「彼が『服だけ溶かすスライム』です。彼のお陰で私は救われました」
そう言って、なにかの布切れを与えると、スライムはいとも容易くソレを溶かしていく。なるほど、確かに布を溶かすスライムだ。
「突然出された事には驚いたが……確かにそう、なのだな」
苦笑交じりになんとか返事を絞り出す。勢いはともかく、会いたいと言質はあったのだ。咎めるのは筋違いだろう。
「会話が出来るのかい? どうやって?」
「耳の辺り……この辺りに体を当てると、声が聞こえます。彼は『コツデンドウ』と言ってました」
そう言って、スライムを頭に戻すと、その形が弧を描き、耳の手前辺りで止まる。
「実は、今日時間を取って貰ったのは、彼の希望でもあります。出来れば直接話して貰えればいいのですが、このまま彼の代わりに喋る事もできます」
少しだけ考えて、やはり興味が勝った。対話が出来るのならしてみたい。我が恩人を救ってもらった礼を述べたい。
意を決して、スライムを受け取り、そのまま頭の上に乗せる。頭の上で何かが動く感触がして……
「ハローはろーこんにちわ。はじめまして、ドーレスの領主様?」
「お、おぉ。確かに声がする。はじめまして、君がスライム、でいいのか?」
随分とはっきりとした声が聞こえた。思わず周りを見回すが、他に何かが居るわけでもない。ヴィオラの言う通り、言葉を解するスライムということなのだろうか。
「俺は、服だけ溶かすスライムです。どうもよろしくお願いします」
「あ、あぁ丁寧にどうも。私はドミニク、ドミニク=ドーレスだ。この度は、我が恩人を救ってもらい、感謝している」
「いえ、俺はご飯を食べようとしただけで、偶然の結果です」
姿が見えない相手にやりづらさを感じる。相手の表情が伺えないというのは非常に頼りないものだ。けれども、感触としては悪くない。確かな受け答えには知性が伺える。
「偶然か。それならば、神の思し召しということでもあろう。もちろん、この出会いも」
「そうですね。神様の思し召し。うん、それはとても素敵な考えだと思います」
驚いた。彼は神の存在を理解している。それが、私達の信じる神と同じかどうかはわからないが……。