30. すくい
とある、一人のサキュバスが生まれ、そして捨てられた。
生きる術は本能に刻まれ、自身と同じ様な存在を見様見真似し繰り返す事で、サキュバス族として成長していく。それは、特別な事ではなく、他のサキュバス族も同様であった。
それは、奇妙な社会だった。
知り合いはいてもルーツが無い。
自身と同じ様に、いつの間にか増えている誰かに、気が向いた時だけ声を掛ける。自分より長く生きる者も、誰もがそう生きていた。
他者との情欲を生きる糧にする生物は、けれども種族として何よりも孤立していた。
疑問にも思わなかったその理由を知ったのは、彼女が恋をした時だ。
身分は良くなかったが、見目のいい男だった。
肌を重ねる相手を選ぶ事は無かったが、同じ相手を選ぶことは殆ど無かった。そんな指向に反して幾度と重ねた逢瀬の後で、その執着を恋と呼ぶ事を知った。
なんとなく、浮かれた感情に戸惑いながら、初めて想いに振り回される事も楽しんで振る舞う彼女に、周囲の同族は冷ややかだった。
距離を置かれた事にも気づかず、それすら幸いと紡ぐ日々。
そして生まれた2人の世界の果てに、サキュバス族の業があった。
サキュバス族は、相手の精を吸い尽くして子を為す。
その事実を彼女が知った時、幸せな時間が終わった。
サキュバス族がその特性に反し、繁栄しえない理由がそこにあった。
誰かが愛する者を犠牲にして生まれてきたことを知り、愛する者を犠牲にして子を産み落とす。
その想いが鮮烈だからこそ、その手で殺した相手の面影を見出す子を抱きしめられる者はいなかった。
ただ一度、愛を知って、終わる。
そうして築かれたのが、誰かの子どもをそれとなく庇護する、負い目を抱いた感情が成す薄い共同社会だった。
そうして、愛を受け継がず生きる種族の内で、誰かが想った。
『この想いを諦める事が出来れば、愛を失わずにいられるのではないか』
生きることと情欲が結びついた種族がそうすることは、容易ではなかった。
満たされる事無い餓えは更なる感情の激発を呼び、本能が愛を尽くす事を求め続けた。
あるいは、彼女が初めてではなかったのかもしれない。けれども誰もが為せなかったその終わりに辿り着いた時。
彼女は生まれてきた子に愛を与えられる唯一の、総てのサキュバスの女王となった。
だから、サキュバス族を代表して神に問う権利が二ーフェアにはあった。
自分達はなぜ、こう産まれたのかと。その愛が絶望を代価にしなければならないものなのかと。
それは全ての愛されなかった子達の糾弾だった。
突然の事に、誰もが戸惑い動けなかった中、神が動いた。
手を広げ、その腕の中に二ーフェアを抱く。それだけで二ーフェアの激情が解け、昇華される。
抗いえない幸福。受けてきた痛みも、悩みも全てはこの手に抱かれる為の禊だったと理解させられた。
無情な許しがそこにあった。
自分を捨てた顔も知らぬ母の事も。誰かの為に想いを諦めた事も。彼女の愛を礎に建つ国も。
神の手に抱かれる事と引き換えに、全てを許してしまう。
それ以外を押し流して、生まれ落ちた意味が満たされていく。
彼女の意味と引き換えの、確かな慈悲がそこにあった。
そう、他の誰がどう思おうとも、その御手に抱かれる事が、全ての命のとって救いだったから。
「あのさ、俺もお世話になってる人だからさ、だからどうにかならないかな。神様」
そこに口を挟んだのは、どうしようもないほどの悪党だけだった。