仕事をしていて感じた、時代の変化
武 頼庵(藤谷 K介)様の『24夏のエッセイ祭り企画』参加作品です。
私は高齢者施設、いわゆる老人ホームに勤めています。それなりに長い期間勤めてきて(現在三ヶ所目だけど)、少し思ったことを書いてみようかなと思います。
私が最初に仕事を始めた頃の高齢者と言えば、明治生まれ大正生まれの人たちでした。
老人ホーム入所にあたっては必ず身元保証人が必要になりますが、その保証人のほとんどは長男ばかり。電話をして出るのは、そのお嫁さんばかりでした。たまに長男さんが出ることもありましたが、ものすっげぇ興味なさそうな口調の人ばかりだったのも、なぜか共通してた(笑)。
そして、入所したお年寄りは認知症の方であることが多く、よくあったのが「家に帰る」という帰宅願望による訴えですね。これがひどくなると対応が難しくなってくるんですけど、そうじゃなければ話を聞けば落ち着くことも多い。
ある日、そんな帰宅願望を訴える男性の高齢者さんと話をしていました。その中で、「○○さん(長男さんの名前)に頼まれて」と言ったら、その高齢者さん怒り出しました。「なんで俺があいつの言うことを聞かなきゃならないんだ!」と。
これが女性のお年寄りだと、すんなり納得する人もいましたけど、「ここまで育ててやったのに、恩を仇で返して」等々の話が始まってしまうことも。
家族の名前を出すと余計にこじれることも多くて、あまり名前を出すことはしなくなっていました。
時は流れて、現代。
稀に大正生まれのお年寄りはいるものの、高齢者のほとんどが昭和生まれになりました。
かつて長男ばかりだった身元保証人も、今はバラエティ豊か。むしろ長男が保証人になっているケースがレアな気がします。
そして、「家に帰る」訴えに対しての、家族の名前を出したときの反応も明らかに違いが見えるようになりました。
きちんと納得してくれるんですよね。「あの子が知ってるならいいか」と。人によってはそこで親ばか?を発揮し始めて、「あの子はとってもしっかりしてて。学校もどこそこ行って……」等々。
うん、落ち着いてくれるのはいいし、話も聞いてあげたいけど、ナースコール鳴ってるからゴメン、とその場を離れるんですが。
かつて日本には「家制度」がありました。家の最年長の男性が、家族を養う義務を持つと共に、家族に対して絶対的な権力を持つという制度ですね(ざっくりだけど)。明治時代に制定されて、第二次世界大戦終了後に廃止となった制度。
こうして思い返すと、明治生まれ大正生まれのお年寄りは、まだまだこの制度を引きずっていたんだな、と思います。自分が家長なのになんで息子の言うことを聞く必要があるのか、と。
けれど、昭和生まれともなると、廃止されてから長い時間がたっているからか、影響が少なくなっているように思います。たまに引きずっている高齢者はいますけど(ほぼ男性)、それでも昔ほどではなくて、家族の名前を出しただけで怒る人はいなくなりました。
そして、色んな人とあちこちで同じような会話を繰り返しています。
「俺は今日帰れんのか?」
「○○さんに頼まれてて、今日は泊まりなんですよ」
「○○から頼まれたのか、しょうがないな」
「ねぇ、今日帰りたいんだけど」
「泊まってほしいって、△△さんから話があったんですよ」
「△△は知ってるの? それならいいや」
「(バッグを持って)じゃあ帰る」
「(ちょっと慌てて)泊まって下さい。☆☆さんから連絡があったみたいで」
「☆☆から!? ……(黙ったまま、部屋へ戻りバッグを置く)」
こんなスムーズに終わらないことも多いけれど、今ではガンガン家族の名前を出して、話をするようになりました。
ちょっとこんな、仕事をしていて感じた、時代の変化でした。