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星渦のエンコーダー《スターメイズ・エンコーダー》  作者: 山森むむむ
1章 ■壊されたヒーロー:ep.001〜030
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ep.37 心乱す波紋との対話 繰り返す自問

 東雲家のフロアで扉が静かに開くと、柳はふと息を吸い込んだ。


 明かりに満ちた廊下が目の前に広がっている。その光景はシンプルでありながらも、どこか近代的な温もりを感じさせる。父母揃って、この国に縁があった。伝統的な建築と近い雰囲気であり、柳もこのスタイルが好きだった。

「ただいま」

 一歩一歩に合わせて、間接照明が静かに柳を迎え入れてくれる。壁沿いには控えめながらもセンスの光るアートワークが配置され、家族の個性と文化的な趣味を反映していた。

 廊下を歩きながら、柳は深く考え込む。あの医師は一体何者だったのか、と。その思索が彼を自室へと導いた。ドアを開けると、部屋が静かに彼を迎える。

 シンプルに整理した部屋は、選び抜いた書籍や学習資料が整然と並べてある。

 机の上にはデバイスが鎮座し、横にはデジタルノートと筆記用具がきちんと待っていた。部屋の片隅にはリラックスするための小さな読書スペースがあり、間接照明の柔らかい光が心地よく照らし出している。

 壁には家族、そして友人たちとの楽しい瞬間が捉えられた写真も飾られている。


 デスクに向かい、手帳型ARデバイスを開く。

 流磨からのメッセージを待つ間、部屋の静けさが心に響いた。この部屋は柳にとって外界からの隔離された唯一無二の場所であり、内省と自己との対話が繰り広げられる舞台だ。しかし、それは自分に対する義務でもある。今は、少し気が重かった。

 デバイスが振動し、流磨からのメッセージが表示される。内容は次のトレーニングセッションの計画についてだ。柳はさらに改善の提案をする。その会話は簡潔でありながらも、双方の深い理解と信頼が感じられるものになった。

「……面白いね、流磨」


 連絡を終えた後柳はゆっくりと立ち上がり、壁にかかる巨大なアートワークへと目を向けた。

 これは自身の心象風景を象徴する自動生成作品であり、波紋や渦をモチーフにした色彩豊かな画である。水の要素が取り入れられているが、内面の複雑さと深遠さを映し出しているらしい。同時に、今も彼が抱える孤独と悲哀を表現しているようだった。ゆっくりと渦を巻き、動く。

 複数の波紋と様々な色彩が混ざり合う、立体的で独特なアート。見つめながらしばしの間、自分自身との葛藤と、流磨や他の仲間たちとの絆の間で揺れる心情に思いを馳せる。


 しかしまたすぐに現実に戻り、目の前の課題への集中を新たにした。



 やがて作業を終えた柳は、風呂へと向かう。

 木の温もりを感じさせる浴室、そこに置かれたシンプルながらも美しい陶器のアクセサリー、そして洗練されたデザインのシャンプー類が、ルーツと現在を繋ぐ。


 浴槽に浸かりながら日々の出来事を心に巡らせる。深い思考に耽るこの時間を、感じる浮力に体を委ねながら心ゆくまで楽しむことにする。嫌なことは考えないでおこう、今は。

「……ふー…………」

 暖かな温度が心を癒やしてくれているのを感じながら、そっと目を閉じた。


 やはり重怠く体は鈍重だ。やっとの思いで髪を乾かした柳は、自室のベッドに沈み込む。ここ最近の疲労は特に堪えていた。常ならば緊張を解き、心を安らぎに塗り替えてくれる入浴の時間だったが、今はその効果を疲労感が更に上回る。

「……駄目だ、疲れた……本当に…………体が重い」

 体が、とは言うが、それは肉体的なものとは別だ。

 繰り返し施された奇妙な『治療』。後を引くのは、自らの根源を揺るがす痛み。それは無意識のうちに余計な葛藤を繰り返し、日常の中に不要なノイズを生じさせていた。


 天井を見つめながら、再びあの医師のことを考えた。

「一体……何をしようとしていたんだろう……」

 発した言葉は宙に浮く。

「なぜ……わざわざ僕を……?」

 心は疑念に満ちていた。あの時の医師の言葉、その目の奥に隠された意図。

 繰り返される忌まわしい記憶。突き刺さる言葉。恐怖。体を襲う衝撃。狡猾な悪意。自己を受け入れる器が砕かれ、感情の行き場を失い、彷徨った日々。

 眠れない夜を何度も過ごした。激痛が体を走り抜け、抵抗が無意味と知る無力感。


 不穏な空気を感じ取っていた。自問自答するが、答えはつかめない。ただ、感じた違和感は消えない。大きな不安となり、それら全てが静かに内側を苛む。

「クリスや……父さん、母さん……ヴィンセントさん……」


 涙を堪えるように、袖を眼前に掲げた。しかし、涙が溢れることはなかった。

「流磨たちだってみんな……みんな心配してくれている……」

 家族や友人の顔を思い浮かべる。しかし、長い1日と深い思索に疲れた彼の意識は次第に薄れていく。深くため息をつき、目を閉じた。眠りにつくその瞬間まで、心の隅には医師への疑問が残り続ける。


「……はあ……」

 まどろみの中へと沈んでいく。外はすっかり暗くなり、マンションの静寂が柳を慰めるように優しく包み込んでいた。

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