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星渦のエンコーダー《スターメイズ・エンコーダー》  作者: 山森むむむ
1章 ■壊されたヒーロー:ep.001〜030
34/37

ep.34 暑い日の公園で。柳と流磨のルーティーン

 夏の盛りを思わせる暑い日、公園のベンチに柳はぽやんと座り、静けさに浸っていた。


 周囲は子どもたちの声や噴水の音が響き渡り、喧騒が満ちている。しかし、柳の周りだけが時間が止まったような静寂に包まれていた。木漏れ日の輪郭は鋭く、影が色濃く落ちたその場所で、心の中にあるすべての荷を下ろしているようだ。

 ランニング中、そこに流磨は偶然通りかかった。ベンチに近づいて、大きめの声で声をかける。


「おう! シノ!」

 だが柳から返ってきたのは、太陽の光を避けるように日陰に身を寄せたままの、鈍い反応だけだった。なにか言ったかもしれないが、近くの木にしがみついている虫の声のせいで、何も聞こえない。

 少し、鳴くには気が早くないだろうか。いくら鳴いても、きっと今は相手が見つからないだろう。


 流磨は柳の表情を見て、彼が日常から離れ、完全にリラックスモードに入っていることを悟る。

「おーい、シノ。そんなんじゃこのままここで寝ちまうんじゃないか」

 茶化しながらも、彼のこの穏やかな一面を少し羨ましく思った。

「ねない……」

 柳はゆっくりと返事をする。その声には安堵感が含まれていた。


 流磨はその反応に笑い、足を止めて隣に腰を下ろすことにした。

「なんだよ、こんなところに1人で何してんの?」

 話を振る。柳はただ静かに公園の風景を眺めているだけだった。

 いつも数々のデバイスや書籍に囲まれながら誰かとやりとりをしているような彼だが、今日は目立った荷物も持っている様子がない。

「ただ……ひと息ついてるだけ」

 静かに答える。そして、彼は瞼を閉じた。流磨は、彼が時にはこうして一人の時間を必要としていることを理解した。


 そういえば、いつもきちんと制服を着用し、私服もすっきりとスマートなファッションの彼にしては、今日の装いは随分とラフだ。

 輪郭を縁取る髪が風になびいて揺れるが、次に見たときには、風を意に介さない様子で薄く開けた目を遠くにやっている。

 普段は他人のために尽くす柳にとって、この静かな時間は貴重なリフレッシュの瞬間。必要なのだろう。風を受けてはゆっくりと息を吸い込む。2人は言葉少なに、穏やかな風景を共に楽しんだ。日陰の涼しさは心を和ませ、それぞれの思いを静かに馳せる。


 しばし時間を共有した後流磨は立ち上がり、近くの自動販売機へと足を向けた。冷たいボトルドリンクを持って戻る。柳の方を向きながら、その冷たさを彼の頬に優しく当てて言った。

「おら、買ってきた」

 柳はその突然の冷たさに小さく驚き、目を見開いた。

「……え……と」

 流磨は軽い笑顔で、「やるよ。金はいい」とボトルを差し出した。


「……ありがとう……つめたい」

 柳は感謝の言葉を述べると、彼の手がボトルを受け取り、その冷たさに少し安堵した様子を見せた。光を受ける髪は静寂の中でさえ生き生きと輝くブルーブラウン。そのなめらかさが光を捉えては遊んでいるようだった。


「お前が暑いんじゃない? 熱中症なるぞー」

 心配を込めて言葉をかける。柳は「……そうか……ありがとう」と静かに返答し、キャップを捻り開け、麦茶をゆっくりと喉に流し込んだ。

 流磨はその様子を見守り、小さなケアを受け入れてくれたことに内心で安心しつつ、自分もドリンクを一気に飲みこんだ。


 数回に分けて飲み終えた後、柳は流磨に感謝の意を改めて示す。少し明るくなった様子で二言三言、会話を続けた。流磨は「明日、ジムに一緒に行こうぜ」と提案する。柳は少し考えた後、頷いた。

「あ……そういえば、あれ以来ジム行ってなかったなあ……」



 未来ノ島学園附属の学生用ジム。

 太陽の光が窓から差し込み、静かな時間が流れていた。ここは流磨と柳が日常的に訪れる場所。様々な部活の基礎トレーニングをしようとする生徒、またそうでない生徒もここに集まって自由にトレーニング機器を利用できる。


 この場を前提として、彼らのトレーニングルーティンが確立されていた。しかし、この日はいつもと違った。


 ユエンが偶然を装い、ジムに現れたのだ。彼は流磨と柳に近づき言った。

「おはよう、二人とも。今日は一緒にトレーニングしてもいいかな?」

 流磨は若干の不快感を隠せずにいたが、柳は穏やかに応じ、「いいよ、ユエン」と返した。流磨は柳がいいならと、それ以上ユエンに何かを言及することはやめ、黙って準備を始めた。


 しかし彼らのルーティンは乱れ始める。

 ユエンは自分が知っているいくつかのトレーニング方法を提案し、それが次第に流磨と柳の決められた流れを妨げるようになった。

 ユエンの提案は柳に対する配慮を欠いたものであり、流磨はそのことにイラつきを隠せなかった。

 柳は力の強さに重点を置いた内容を、今は控えている。スピードと反射神経を鍛えるメニューが中心で、身長は高いほうだが未発達の身体は、筋肉がなかなか大きくならなかった。不向きで無茶なメニューは体を壊す。


 流磨はユエンに対し、厳しい眼差しを向けて言い放つ。

「ユエン、俺たちには自分たちのやり方がある。お前の介入は、ルーティンを乱すだけだ」

 ユエンは一瞬戸惑いを見せたが、すぐに笑顔を取り戻し返答する。

「ごめん、悪気はなかったんだ、流磨くん。ただ、一緒に何か新しいことを試したかっただけなんだけど……」

 しかしその言葉は、怒りを鎮めるには至らない。

 彼は柳に向かって、「シノ、俺たちは自分たちのペースでやるべきだ」と言い、柳もそれに同意するように小さくうなずいた。

 ユエンは二人の結束を前にして少しだけ後退した。


 やがて柳に呼び出しのアナウンスがかかり、その場にはユエンと流磨だけが残る。ユエンは黙っている流磨を挑発するように、やや哀れむような口調で言った。

「……シノには君のようなボディガードは必要ないと思うけど。彼は自分の身は自分で守れる。君の存在は、もしかして邪魔なんじゃないかな?」

 その言葉に流磨の表情は一瞬で硬くなり、怒りを込めてユエンに向かって言い放った。

「てめーがこの前みたいな探り入れるからだろうが!」


 ユエンは一瞬たじろぐような仕草を見せたが、すぐに表情を整え冷静を装う。

「ああ、ごめんごめん、流磨くん。落ち着いて」

 しかし流磨の怒りは収まらず、そのままユエンを睨みつけた。

「シノのことは、お前みたいなやつにはわからねぇよ。お前のやり方は、ただの干渉でしかねぇ」

 ユエンは一瞬言葉を失い、二人の間には沈黙が流れた。

 流磨はユエンから視線を外し、コンシェルジュカウンターから帰ってきた柳の方を見る。心の中には、友を守るという強い決意があった。

 一方ユエンは深く考え込むように、一旦はその場を後にした。流磨の心には複雑な感情が渦巻いていたが、今一番の関心事は依然として柳の安全と幸福であった。


 柳は一部始終を遠くから静かに見守っていたようだった。

 流磨の気質は本来激しい。普段はつとめて冷静であろうとしているが、反面一度火がつけばなかなか冷めない。自覚はある。

 柳は人の心を和らげようとしている。それはいつでも、誰に対してもそうである。流磨がユエンに対して抱いた敵意は、柳にとっても心の重荷となっているだろう。

 ユエンに声をかけたあと、柳は流磨に近づき、こちらにも声をかけてきた。

「流磨、ちょっと話せるかな?」

 流磨は重いトレーニング器具を下ろし、体を柳の立つ通路に向ける。

「ああ、悪かったな、シノ。俺、ちょっと……」

「いや、僕が話すべきことがあるんだ。ユエンとのこと、見てたよ」

「……そうか。お前、あいつをまだ信用してんのか?」

 流磨の声は、友への彼なりの心配が滲み出ていた。

「ユエンには、彼なりの事情があるんだと思う。僕たちも…………ええと、もう少し様子を見てみない?」


 柳の言葉に流磨は少し考え込み俯いた。

 直情的な性格と、柳への深い信頼の間で心の葛藤があった。やがて流磨は再び顔を上げる。そして短く返事をしたが、直後に問う。

「……俺が過剰反応したか?」

「流磨、心配かけたね。ごめん。すぐに納得はいかないのはわかってる。まだ距離をとりながらだけど、ユエンとはちゃんと……僕は大丈夫だから」

 流磨は少し沈黙してから返す。

「そうか……」

 心には柳への信頼と、まだ解消されていない不安が混在していた。


 トレーニングを再開した三人の間に、微妙な空気が流れる。流磨は矛を納めたものの、その態度は明らかによそよそしくなってしまい、ユエンへの警戒心を完全には解けない。

 柳とのトレーニングはかつてのようなリズムを取り戻しつつあるが、ユエンの視線だけは冷ややかなものが残っていた。


 ユエンは変わった雰囲気を敏感に察知し、流磨の態度に少なからず戸惑いを隠せないでいる。

 彼はトレーニングに集中しようとするものの、流磨の冷たい視線が時折彼を捉え、心を乱しているようだった。それでも、彼は柳と流磨の間に割って入るようなことはせず、彼らのペースに合わせてトレーニングを続けることに専念する。

「ユエン、次あっちのBブロック。野球部がいなくなって空くから」

「なるほどなー、そういう事情が……ねえ流磨くん」

「あー」

 流磨とユエンの間に数度の短いやり取りはあるが、それは必要最低限のもので、交友と言えるものは皆無だった。


 柳はこの微妙なバランスを保ちながら、二人の間の緊張を和らげようとしていた。時折ユエンに優しい指示を出したり、流磨に対しても普段通りの態度を取り続ける。

 この繊細なバランスの上で、トレーニングは進んでいった。

 流磨の中にはまだ、ユエンへの疑念が残り続けている。友の言葉を信じようとしているものの、まだ心のどこかでユエンを完全には受け入れることができずにいる。

 その葛藤が、心に影を落とし続けていた。

「あー、くそ……」



 夜も更け、ユエンは街の喧騒の中で流磨とのやり取りを反芻していた。彼との間には表面上の礼儀は保たれているものの、流磨からユエンへの心の距離は、一向に縮まらない。


 流磨からの敵意がこの日、ユエンには明確に感じ取れた。柳が宥めてくれたようだが、流磨との会話はずっとビジネスライクで、必要最低限の情報交換だけが行われる。

 決して冷たいわけではないが、彼の目にはどこか計算された距離感が宿っていた。近づきたくはないのだろう。親しい友の判断を尊重しようというつもりではあるらしいが。


「まあいいか……」

 ユエンは小さく呟いた。心境には変化があった。流磨が自分に対して心を開かないことを、もう気にしなくなっていた。


 未来ノ島に来た当初の目的を思い出す。まだ果たされていない。

 清宮流磨との友情――そんなものは最初から期待していなかった。ユエン自身、清宮流磨を友人として引き込むよりも、東雲柳との関係を深め、彼を利用することに集中していた。


「最初からそう決めていたんだから……」


 その独り言は、まだ自らの感情に葛藤を抱えていることを示している。しかし、それ以上にその心は使命感によって突き動かされている。


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