ep.26 空色の涙、砕けるのは電子の夢
朝の光が未来ノ島を優しく包み込む中、学園内の一室に集まった生徒たちの目は、中央に設置された大型モニターへと釘付けになっていた。モニターにはネオトラバースの試合がリアルタイムで映し出されており、今はまさに東雲柳が、電脳世界の舞台で戦っていた。
「いけーっ! 東雲!」
「シノ先輩〜!」
クリスは友人たちと共に見守っていた。
「カレシの活躍、その目に焼きつけな〜!」
「もう! リリアうるさい!」
「クリスちゃん、顔真っ赤……ふふふ」
リリアのからかいに、クリスは怒っているポーズを見せる。鞠也はいつも通り、彼女らの傍で微笑みながら会話に参加していた。クリスタルの目は画面上で動き回る柳の姿に集中している。柳のプレイはいつも通り鮮やかで、クリスは心から彼を応援していた。
しかしクリスがまばたきをした瞬間、柳が画面上で突然バランスを崩した。何が起きたか分からず見ていると、彼が痛みに顔を歪めながら倒れ込む様子が映し出された。その画像が網膜に焼き付くと、心臓が激しく跳ね上がる。
「……え」
周囲のざわめきは一瞬にして遠のき、自身の全存在が画面上の柳に繋がれたかのように感じられた。瞬く間に血の気が引いていき、身体中に強烈な不安と恐怖が広がっていった。
「は……?」
柳の苦痛に歪む顔と悲痛な叫びを、暫くはぐらぐらと足元が揺らぐような感覚で認識していた。
『あっ……い……いた…………痛い……痛い……!!』
やがてその体は力なくフィールド上に横たわる。彼が電脳世界からログアウトしたことが試合判定システムにより告知され、棄権負けが宣告された。
「クリス!」
反射的に立ち上がった。友人たちの声も耳に入らないまま、教室を飛び出して廊下へと駆け出す。
「クリスちゃん!」
鞠也が席を立ったのが視界の端に入っても、それに応じる余裕は微塵もなかった。
電脳体験室へと向かう。
廊下を駆け抜け、階段を踏みしめる足音。肌に触れていないはずのコンクリートが冷たく感じられ、階段を駆け下りるたび鼓動が耳を打つ。思考は完全に柳に集中しており、それ以外は全て背景に消え去っていた。
階段を降り切り、電脳体験室へと続く廊下に差し掛かると、足はさらに速度を増した。廊下の奥に見える扉が、まるで呼び寄せるかのようにその存在を主張している。焦りは限界に達していた。
「柳!」
電脳体験室の扉を勢いよく開けた瞬間、クリスは中へ転がるように駆け込んだ。その瞬間、目の前の光景に彼女の足は更に凍りつく。緊急コマンドによって排出された繭のシートに横たわる柳のそばには、校医が既にかがみ込んでいた。柳の顔色は青ざめ、瞳は隠されており、見ることができない。
校医の手は確かであり、彼の状態を慎重にチェックしている様子が伺えた。
「呼吸と脈拍は……」
教室の一角では、情報学の教師である高崎が腕時計型の通信デバイスで何者かと通話をしている。彼の声は落ち着いているが、その状況の緊迫感は空気を通じて伝わってきた。「救急車を……すぐに……」と教師が声に出しているのが、聞こえた。
クリスはその場に立ち尽くし、目の前の光景に呆然とした。通報を終えて近づいてきた高崎が気遣う声が聞こえる。
「桐崎は確か、東雲と親しかったわね……」
泣いてしまいそうだった。その場に立ったまま、やっとの思いで首を縦に振る。
校内に響く慌ただしい足音、遠くから聞こえる救急車のサイレンの音。これら全てが、心をかき乱してゆく。やがて電脳体験室の扉が再び開き、クラスメイトたちが一斉に押し寄せてきた。
彼らの目に映ったのは、救急車の到着を待つ情報学の教師と、意識を失った柳の姿だった。混乱と狼狽えが一気に部屋を支配する。声もなく柳を指差す者、小さく「どうして…?」とつぶやく者もいた。全てが、信じがたい現実を突きつけられた彼らの動揺を物語っていた。
その時、人混みをかき分けて進み出たリリアがクリスの肩を叩いた。
その触れる手が、どこか現実感なく浮いていた感覚を現実へ引き戻すトリガーとなった。ハッとして顔を上げ、慌てて周りを見渡し始める。生徒たちの目線は柳とクリスを行き来する。
「どうしよう……柳……? ……なに、あれ……」
声は絶望と不安で震えている。
「どう、しよ……」
クリスの瞳からは、涙が止まらない。何度も拭ってみせるが、後から後から増える涙は続き、もう誤魔化すことはできなかった。
「……や、やだ……柳…………そんな……」
後ろから歩み寄った鞠也が、クリスを優しく抱きしめた。救急対応スタッフが雪崩れ込み、柳をストレッチャーに移して連れて行く。
「……嫌だ……!」
続いてリリアも、2人を包むように加わる。親友たちの温もりが、少しだけクリスの心を落ち着かせた。
「クリスちゃん……」
「……ネオトラバースって、アバターで感じた痛みとか怪我、現実には影響ないって……脳は電脳世界で痛いって思うけど、それはあくまで、仮想で……体はただ少しシートの上で震えるように感じるだけだって、言って」
部屋には他のクラスメイトたちのざわめきや不安な声が満ちていく。涙がとめどなく溢れ、クリスの視界を覆い尽くした。
「……なんで? なんで……あんな……柳、真っ青なの……痛かった……?」
彼の横たわっているストレッチャーを視認しようとする。一瞬像を結ぶがすぐに澱んで、目元を拭っても更に、姿は不鮮明となった。
――柳が見えない。
――柳の姿が、見えない。止まって。
――どうか止まって。




