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星渦のエンコーダー《スターメイズ・エンコーダー》  作者: 山森むむむ
1章 ■壊されたヒーロー:ep.001〜030
23/37

ep.23 “超える力、育む心: 柳東雲、サプリと共に戦う日々”

──数ヶ月前。


 朝の光が部屋を柔らかく照らし出す。

 東雲柳は、新たな1日の始まりに目を覚ました。部屋の窓から差し込む朝日は、青色がかったダークブラウンの髪を煌めかせる。衣擦れの音と共にベッドから静かに起き上がり、キッチンへと足を向ける。その後ろ姿は、まるで新しい挑戦に向かう勇者のように見えるよう、ライティングされている。


『また、新しい1日が始まる。それは、新たな挑戦の始まり』


 キッチンで、自らの毎日を支えるサプリメントの容器を、ひとつ手に取る。水をグラスに満たしサプリメントを1粒口に運ぶその姿は、何事にも動じない決意を感じさせた。


『これが、僕の毎日。一粒が力となり、挑戦を支える』

 島のジムで、彼は激しいトレーニングを開始する。

 各種のウェイトトレーニングから、最新のバーチャルトレーニングシステムを使った練習に至るまで、努力は決して止まない。汗が滴り落ち、心地よい疲労感を伴ってトレーニングエリアを後にすると、シャワーで気分を新たにする。濡れた髪をタオルで丁寧に拭う動作は、爽やかでありながらどこか品性を感じさせた。

 限界を超えるその全てはしかし、彼にとってのただの日常だ。


『限界を超えるための努力。それは、ただの日常』

 そして、試合での勝利シーン。

 ゴールした瞬間、周囲からは歓声が上がる。息を切らしながらも満足げに微笑む彼の姿は、この勝利のためにどれほどの日々を積み重ねてきたかを物語っていた。


『勝利への道は、1日1日の積み重ね』

 日が暮れる頃、彼は再びサプリメントを手にする。

 今日1日の終わりを告げるように、自室のチェアに深く座った。リラックスした表情でサプリメントを飲む姿からは、挑戦と成長の繰り返しの中で見つけた、小さな安らぎの実感が滲む。


『日々を超えて、僕は成長する。すべてはこの瞬間のために』

 最後に、東雲柳はカメラに向かって一歩踏み出す。カメラはその足元を映し、深い靴音が映像に迫力をつけていた。


『挑戦は、終わらない。だから僕は、これからも進み続ける』


“古澤薬品工業”



 柳は今日、未来ノ島を離れ本土へと移動する。本土とは陸続きだが、生活の全ては島内で完結してしまう。そのため、まるで遠い旅をするかのような気持ちになっていた。未来ノ島も東京24区のひとつであるため、名目上は地元なのだが。


 空は朝焼けで染まり、まるで新たな冒険の始まりを告げているかのようだった。

 隣にはマネージャー兼エージェントの藤田と、PR担当の石井が同行していた。

「藤田さん、スケジュール表ありがとうございました」

「いや、仕事だからね。大した手間じゃないから気にしないで。君はしっかりしているし、今日は旅行気分でいけばいいんじゃないかな?」

「そういうわけにはいきませんよ……」

 藤田はスポーツ業界に精通した中年の男性で、いつも落ち着いた佇まい。今日は忙しさに備えて、少し動きやすい格好をしていた。

 石井はメディア対応に長けた若い女性で、常に柳のイメージ管理に気を配っている。

「柳くん、こっち向いてね。後でSNSにアップするから、藤田さんも笑って!」

 石井の仕事も既に始まっている。柳はプロデビューを目前にした取材とCM撮影に引っ張りだこの状態だ。父親のネオトラバースシステム大手企業代表取締役社長という肩書き、母親のアーティストとしてのネームバリュー、そして柳自身、ネオトラバースの世界でプロデビューを切望されていたため、人気は上がっていた。しかし柳自身はあまり目立つことを好んでいるわけではない。

「ええと……こう、でしょうか……?」

「お堅い! 君、まだ若いんだからもっと弾ける若い笑顔見せて!」

「石井くん、彼はそういうキャラじゃないんじゃないか? どちらかというと綺麗系で攻めた方が、らしくなるよ」

「あー、それも楽しそうですね! じゃあちょっと色気出してみようか!」

「初めての子に要求が高すぎる……」

「い……色気……?」

「気にしなくていいから」


 3人は未来ノ島の未来的な交通システムを使って空港へと向かった。乗り換えの瞬間、ドアの外の空気に首を縮める。白い息が柳の口元にふわふわと浮いていた。まだ春は遠い。

 透明なドームを突き抜けるようにして走る無人の輸送車。周りは静かで、しかし車内の喧騒は、柳のこれからのスケジュールで満ち溢れている。カメラマンが追加で乗り込んできて、海と朝日を取り込んだ柳の姿が次々に切り取られてゆく。

「東雲くん、今日の最初の挨拶は古澤薬品工業から始める予定だよ。CEOの古澤さんが楽しみにしてるって」

 藤田が説明する。柳は頷きながらも、心の中では未来ノ島との違い、本土の生活への適応について思いを馳せていた。


 あっという間に空港に到着し、彼らは人々の喧騒に包まれた。

 外の静寂とは打って変わり、人々の声、ひっきりなしに流れるアナウンスとチャイム、そして様々な騒音が一体となった生き生きした空の駅だ。島の中央から伸びる滑走路は未来ノ島区の象徴的な地形として知られ、市町村章の一部にもあしらわれている。

 石井は柳が人混みで圧倒されないようにサッと前に立つと、「大丈夫よ、柳くん。こちらはすべて手配済みだからね」と優しく言葉をかけてくれた。

 本土へのフライトは、快適で静かなものであった。


 高級ホテルに到着すると、柳は窓から見える高層ビルの群れに圧倒され、「こんなに違うんだ……」とつぶやいた。

 何度か東京本土に来たことはある。だがこれだけ高いビルの立ち並ぶ中心地に来たことはなかった。いや、以前に展望台へ登ったことはあったが、その時は考え事をしていて、ビルの景色を目に入れてはいてもあまり感慨が湧かなかった。


 翌日は藤田と石井と共に、最初の挨拶のために古澤薬品工業へ向かった。車窓から見える街の景色は、未来ノ島とは異なる種類の活気に満ちている。



 柳はスポンサー企業の重役たちとの会合の最後に、深く頭を下げた。


「本日はお忙しい中、お時間を割いていただき、誠にありがとうございました。そして、学業を優先させていただけるというご配慮、心から感謝申し上げます」

 彼は一人一人の目を見て、真摯に言葉を続ける。


「バーチャルスポーツと学業、両方に対する私の情熱は変わりません。この機会をいただけたことで、さらに自分自身を成長させていくことができると確信しています」

 会議室には暖かい雰囲気が流れ、重役たちは柳の誠実な態度に感銘を受けた。

 彼らの中には、柳のこれからの活躍に大いに期待している者もいれば、年齢に見合わない落ち着きを高く評価する者もいた。

「私たちも全力でサポートさせていただきますよ」

 1人の重役が微笑みながら言葉を返した。CEOの古澤だ。

 柳は再び頭を下げて感謝を示す。古澤はよしてくれ、と言いながら顔を上げさせ、孫が君と同い年なんだ、とにこやかに話した。

 どうやら、柳のスポンサーになることを決めたことに、孫から評判を聞いたことが関係しているらしい。サインが欲しいとねだられた、と言うので、マネージャーから今日までに書き慣れておいてくれと教えられたデザインのサインを、覚えた通りに書き上げた。


「これからもどうぞ、よろしくお願いいたします」

 会合は和やかな雰囲気の中で終了した。



 古澤薬品工業のCM撮影を終えた柳は、一息つく間もなく次なる取材地へと向かうことになった。足早に喧噪を抜け、一行は雑踏に溶け込んでいく。

「東雲くん、大丈夫? そこの黒い車ね。足元気をつけて!」

 藤田が人混みから庇う中、やっとのことで柳は乗用車に乗り込んだ。自分のペースで動けないことは、意外にストレスが溜まる。

「人に酔ってない? 大丈夫? 人混みに慣れてないと酔うことがあるのよ」

「ああ、大丈夫です。ありがとうございます……島の人混みとはスケールが違いますが、僕は人酔いしないタイプなので」

 石井の気遣いに礼を言いながら、差し出されたドリンクとデバイスを受け取った。


 移動中の車内から見える世界は未来ノ島のそれとは異なり、昭和、平成や令和という、既に古典となった時代の名残を色濃く残す。かと思えば突然に現れる、先進的なランドマークや商業施設。

 行き交う人々の活気に、普段から自分を応援してくれている人間はこの中に存在するのだと思い至り、プロアスリートの責任の重さに軽く唇を引き結んだ。

 日本は島国だ。外国からもたらされた様々な文化や技術をアレンジして成長してきた。そのある意味で大いに真面目、ある意味では極端にいい加減と評される国民性には、柳自身親しみを感じている。柳は日本生まれだが、両親はアメリカに暮らしていた日系アメリカ人だ。ふたつの国の狭間、様々な見識に親しみを持って接することができる自分の立場を思う。この出自は生まれ持ったギフトと思っていた。


 次に到着した会場では、民報、スポーツ新聞や雑誌の取材が交代で行われた。

 柳の言葉1つ1つに取材陣は熱心に耳を傾け、フラッシュは絶え間なく光る。

 どのインタビューも自分の言葉で丁寧に答える。未成年であるため、まだあまり高度な質問もされないだろう。それよりも全てを自己紹介のように明確に、評判に与える影響を常に考えながら、柳は発言する。柳のスポンサー筆頭には、父のヴィジョンデジタルテックスがあるのだ。既に看板を背負って取り組んでいた柳にとって、このような取材・メディア対応は慣れたものだった。




 慣れているとは言え、都会での目まぐるしい取材ラッシュは堪える。日が暮れる頃にようやく全ての取材と撮影が終了し、柳はホテルへと戻った。

 個室に戻ると、その日の疲れがどっと押し寄せてくる。


「……疲れた……」

 しかし、自分が歩んできた道、そしてこれから進む未来に思いを馳せながら、明日への活力を見出そうと思考回路を調整する。

 布団に横たわる前に、未来ノ島にいる家族や友人たちへのメッセージを送ることにした。1日中駆け回っていた気がする。私用のデバイスを確認するのも、島を出てから初めてだった。


 既にメッセージが届いている。両親と流磨、そしてクリスからのものだった。ようやく、心から安堵する。他愛無い日常のメッセージ、親としての小さな心配。柳は、今日のような1日はこの人たちのためにあると思う。

 柳自身の体は、道具でしかない。大切な人の役に立つため、競技を続けるため。そうだ、そのための。

 彼らは、自分のことを大切にしてくれる。それは浅はかな利益のためでも、規則だからでもない。ただ、『愛』があるからだ。その感情を羨ましく思う。


 ――自分はどうだ?


 これは、拘泥だ。純真な彼らのものとは根本から異なる。手の届かない、価値ある愛という宝を守る。それが使命だった。何も知らない頃には理解していた。しかし、もう愛を受け止める器がない。


 東雲柳は優れたコミュニケーション能力と競技の才能、運動にも勉学にも熱心な模範生でありながら、常に嘘をつき続けて生きていた。

 自分を騙し続け、正常な情緒が抜け落ちた容れ物を操る術を身につけていた。数多くのエラーから生成した、記憶にある表情と言葉を再現する。適切な相手に、適切な場合に、適切な言動を繰り返す。

 ただ、それだけの存在だった。

 空っぽの自分に価値がないことは、もうわかっている。心の声が自分自身の人格から出たものなのか、それとも自分を騙そうとする別の自分から出たものなのかが、わからない。

 それでも、生き続けなければならないから生きるのだ。命が消え去れば、どんなに楽になれることだろう。

 しかし、存在してしまっている。関係してしまっている。彼らは心があり、優しい愛が溢れている。まさしくそれは、人間だった。


 ――人間は、近しい人間がいなくなれば悲しむものなのだ。


 大切な人を悲しませるなんて、柳には考えられないことだった。

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