ep.22 桜の往復チケット
桜の季節、それは心が浮き立つ時。
「クリス、これやるよ」
リリアが差し出したのは、今年の花見特設会場への入場を許可する電子チケットだった。
このチケットはただの紙切れではない。電子的なギミックが組み込まれており、ARや特別な照明演出が楽しめる最先端の仕掛けが満載されている。会場で展示される内容を部分的に再現するグラフィックモーションが施され、地面上に桜の花びらが舞い散り、人々が笑顔で景色を見上げている。
しばしその動画にクリスタルは魅入られたように釘付けになった。
リリアは熱心に語りかける。
「先週アタシが桜を見に行ったとき、これがあれば柳を誘えると思って、アンタの分も買っておいたんだよ。有料エリアだからゆっくりみられるんだぜ! ARで桜がめっちゃキレーに見えたりして新鮮だったし、夜桜だと照明がすごかった!」
しかし、クリスは首を横に振った。
「リリア、ありがとう。あの、でででも……」
リリアはクリスの手を取り、チケットを握らせた。
「聞きな、クリス。これは柳をデートに誘って、一緒に行くチャンスなんだぜ!」
クリスは顔を真っ赤にして抗議した。
「でも、それは……! 柳とは、ち……近すぎて、こんな……今、でででででデートなんて恥ずかしくて…無理! 無理なのぉ!」
リリアは笑みを浮かべながら断固として言った。
「だからこそ、今がチャンスなんじゃねーか! クリス、あんた何年ヤツのお友達でいつづけるつもりなんだ? 勇気出せって! 絶対成功するから!」
隣に立つ鞠也も、あえて口を出さずに行く末を見守っている。赤い顔を隠しきれず、クリスはチケットを返そうとしてしまった。わかっている。親友の気持ちを無下にはできない。しかし、あまりにも無理、無理なのだ! 何かを言おうと口を開く前に、リリアはチケットを握らせたまま軽やかに部屋を飛び出して行った。
「クリス、勇気出せ!」
クリスは手の中のチケットを見つめた。電子チケットはほのかに光り、勇気を与えているようだった。リリアの願い、そして自分の心の奥底にある願望が、クリスを動かす。
やがて、クリスは決心する───柳をこの特別な花見へ誘い出すことを。
「…………う、ううう……よ、よし……落ち着け、落ち着けぇ……」
◇
遅咲きの桜が学園の周りをピンクに染め上げる季節だ。
クリスは決心を固めていた。柳を花見に誘う。しかしその最初のチャンスである登校で挫け、休憩時間を逃し、昼休みにも失敗してしまった。授業中は論外。
放課後、学園の庭園で柳はいつものように1人、本を読んでいた。簡易電子書籍のページを巡る。感触は機械的だが、物理的に古い書物に触れることが難しい場合、こうしてあえて本の形を模ったアーカイブを使うことが読書に対する柳の姿勢だ。こんなところにも真摯な姿勢。クリスは人知れずときめく。
隅の花壇で園芸部の生徒が、花壇の整備をしている。
クリスは遠くから彼の姿を見つけ、心臓の鼓動を感じながらゆっくりと近づいていった。手には招待状が握られているが、無くしてしまわないかが不安で何度も感触を確かめる。
「や、柳! ……えと、ここにいたんだね」
いつもと変わらないようにと出した声にはわずかな震えが入ってしまったが、心は決意に満ちていた。柳は本から顔を上げ、穏やかな笑顔を向けてくる。
「うん、クリス。なあに?」
「この間、先生が桜のことを教えてくれたでしょ。今年の桜は遅咲きだって……」
柳はうん、と相槌を打つ。クリスは言おうとしている一言にすべてが繋がるよう、懸命に口を動かした。
「……だ、だから、まだきれいに咲いてると思うんだ。このチケット、リリアがこの間見に行ったときに、余計に買ってくれたらしいの。特別なエリアで、これがないと…………入れないって。ARとか、照明とかで、いろんな演出がされてて、えと、あの……すごく楽しかったんだって。写真……その、見せてくれて………………」
「そうなんだ」
柳からの返事は、いつもどおりのものだった。人の気も知らないで、といつもなら怒るところだったが、クリスは緊張のあまり、怒ることさえ忘れていた。
「あの……あ……………………だから……一緒に、お、お花見に行かない?」
言ってしまった。言った瞬間に全てをやりきった感覚で目の前が白み、クリスは浮遊感と共に、果たして今自分は何と言ったのか? と確かめようとした。柳は少し驚いた様子でクリスを見つめ、やがて温かく微笑んでくれた。
「クリス、ありがとう。うん、一緒に行こうね」
二人で学園を出て、いつもの通り共に家路につく。
クリスは目的を果たせた達成感と、当日への期待に胸の高鳴りを抑えきれなかった。春の穏やかな日差しが傾き始め、うつろいを感じさせる中、クリスの足取りは軽やかだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
眩しい日差しが、窓からクリスの部屋に差し込む。
折角誘ったというのに花見の当日に風邪を引いてしまい、計画が水の泡になってしまった。このチケットは当日のみで、今日を逃せば使うことはできない。
心待ちにしていたイベントが楽しめない寂しさと、自分のせいでリリアのチケットも無駄にしてしまった罪悪感が、心を重くしていた。眠りから覚めたばかりでぼんやりとした目を外に向ける。ふわふわと心地よさそうな穏やかで明るい晴天。まさにお花見日和だった。
「クリス、柳くんが来てくれたわよ。お見舞いを渡してって頼まれたわ」
クリスのフロアまでやってきた柳が、寝ている間にクリスの母親にコンタクトをとったらしい。
「…………うぐ……」
「なに、それ? 嬉しいんでしょ?」
「うれしい……」
「もう。しゃっきりしなさいよ、毎日会ってるんだから。中身何かしらね? ママにも見せてよ」
「やだぁ〜」
柳が持ってきてくれたプレゼントを、ベッドの上で膝立ちになりながら受け取った。母はニヤニヤしながらクリスを見ている。しかし抗議の目線を送ると、からかいながら部屋を出ていった。
風を開けるとそれは、特殊なメッセージカードだった。
カードを手に取り開くと、静かに小さな桜の木揺れ、輝く蕾が開花し始める。まるで本物の桜がそこに咲いているかのようで、クリスはベッドの上でふわりとした光に包まれた。
高度なAR技術が組み込まれた、ギミックが楽しめる桜のカードらしい。立ちのぼる枝は風にそよぐように花びらを散らし、エフェクトを伴ったグラフィックを再生しながら、クリスの周りを舞う。
まるで掌を中心とした小さな桜の世界が出現したかのようだった。花びらの一つ一つまでが細やかに再現されている。その質感、色合い、そして光の反射まで、計算され尽くした自然とデフォルメの融合。ぼんやりとしていた意識が一気に晴れ、美しさに息をのんだ。
カードが生み出す桜の世界は時間が経つにつれて変化し、まるで四季を通じて美しさを見せてくれるかのように、満開から散りゆく様子までを軽やかに映し出す。
さらに驚くべきは、カードからは微かな桜の香りまで漂ってくる。
香りは心を穏やかにし、部屋を春の息吹で満たした。病床にいながらも、まるで外に出て本物の桜を見ているかのような感覚に包まれた。
「柳……」
クリスの声は感動で震えた。このカード一枚で孤独な部屋から解放され、春の訪れを心から感じることができたのだ。
小さな桜の根本をふと見れば、彼らしい丁寧な文字がそこに刻まれていることに気づいた。
『クリス、今日は一緒にお花見に行けなくて残念だったけど、これをお花見のかわりにして、早く元気になってほしいな』
もう一度、愛しい人の名を呼ぶ。
このように凝ったカードを、最初から彼が所持していたとは考えにくい。きっと風邪をひいてしまったことを知らせた後、わざわざ街まで出向いて買ったものだろう。彼のマメな性格に、笑顔になる。
「……えへへ」
元気になって外に出て春を楽しみたいという希望が湧いてきた。桜のカードはクリスにとってかけがえのない贈り物となり、心に深く刻まれることとなった。
「あーあ……本当に彼氏なら最高なのに……」




