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黒恵の感覚  作者: 焼魚圭
黒恵の感覚編
1/12

生と死

 暗い街、見上げればどこまでも広がる明るい暗闇の空の下で少女は右手に握りしめている黒い缶を口に当てて、コーヒーを流し込む。


――いい景色、この世界の闇の全てがこのくらい明るけりゃ楽に生きてけるってものだってのに


 景色を見渡す少女、白水 黒恵の瞳は左に人の生気を、右に死を湛えていた。死の色、この世の何よりも深い闇の色の瞳で覗き込むベッドタウン特有の明るい闇空の中に過去を視ていた。



 それは六年か七年、細かな時期は追憶の底を超えて忘却の雨露に打たれてかき消されて、古びたセピア色すら見えなくなってしまったものの、衝撃的な出来事は焼き付いて、当時の感覚は忘れようとも振り払おうとも何度でもすぐ傍へと寄って来て、死を与えてもすぐに蘇る。



 運命のねじれは学校での黒恵の言葉によって始められた。


 ――はろー! 家に寄っていいかい?


 ――黒恵来るの?


 質問を質問で返されて、黒恵は更に質問を重ねて返した。


 ――ダメかい?


 ――いいけど?


 明るい返事は少女たちの微笑ましい放課後の始まりの合図。黒恵は訊ねられたことについて言葉を返す。


 ――良いんかい! 良かった


 少女に導かれるままに歩き続ける。淡い光が雨のように降り注ぐ快晴笑顔の爽やか青空の中に溶け込みながら、少女の家へ、柔らかな手を繋いで進んでいた。仄かな柔らかさと生きた感触と伝わる体温、髪から漂う椿の香りに心をときめかせながらスキップしながら案内された家に上がる。


 友だちの家で飲むハーブティーが楽しみで仕方がない。明るい感情が溢れてはみ出て隠すことも出来なくて。少女がお茶を淹れる時も、湯気も仕草も広がる香りも何もかもが黒恵の心に蒸気のような感情を注ぎ込んでいた。


 ――なにこれ、いい香り


 オトナを想わせるような落ち着きを与えるはずの香りは黒恵に対しては異なる感情を抱かせていた。


 黒恵は喜びに満ちていた。


 ――私のはローズヒップ、黒恵のはアールグレイ。香りと味が凄く好きなの


 友だちの感想、意見、それを声にしていただいただけでも嬉しくて。


 少女の言葉を反芻して浸りながらアールグレイの香りに心を打ち、愉しみ続ける。


 少女もまた、ローズヒップの香りに目を閉じて現在進行形で漂う余韻に想いを寄せつつ口を付ける。


 そんな少女に目を向けて、物欲しそうな表情を浮かべていた。


――飲みたいの?


――飲んでいいのかい?


 モチロンのひと言と共に白くて清いティーカップを受け取り、香りを堪能する。少しばかり昇ってやがては消える湯気が香りを運んでいた。跳ねて踊る心情を胸にティーカップに口を付けて薄いピンクのティーを口に含んだ。


 その刹那、黒恵は突如喉を押さえて空っぽの息を吸っては吐いて、目をいっぱいに見開いて床にしゃがみ込んだ。苦しみ唸る黒恵が吐き出す息に黒い靄が混ざり始め、背中からは黒い靄が放出されて翼の姿を取り、左の翼だけが残って右のものは引っ込んで。黒恵の右目から溢れる激しい闇色の靄は嘆きの涙であろうか。


 やがて黒恵の口からこの世に存在することが許されない罪の音を持った声が鳴り響く。


〈我が名は『死』、死そのもの〉


――う……うっ!


 死の声と黒恵の苦しみのあまりに漏らす呻き。ふたつの魂はせめぎ合い、相手をかき消そうとしていた。


――逃げて……いや、逃げるべきは……わた


〈生ける者全てを葬り死後の世に潜みし者の全てを世界の生者へと〉


――やめて! 出てって!!


 声だけで示される死と黒恵の戦いの姿、それは誰にも見えず誰にも分からず。傍で眺める少女は恐怖に打ち震えて動くことすら叶わなくて、引き続き見ていることしか出来ないでいた。


〈さあ殺してくれよう〉


――だ……だめ、ダ……メッ! ダメ!


 悲痛な叫びは部屋中を苦しみ色に染め上げていた。


 そんな中、黒恵の闇に充たされ靄が吹きこぼれ続ける右目に対抗するように左目が神々しく輝き始める。


〈貴様! ただの女ではないな〉


 煌々と輝き続ける神聖なる左目からは温かな生を感じさせた。


――私は魔法使い黒恵! 聖なる生者の黒恵!


 生と死の争い、対を成すふたつのぶつかり合いは幼い少女一人の身体の中で執り行われていた。


〈生者……たかが小娘ひとりに、ただの魔法使いごときにこの闇が祓えるものか〉


――ただの魔法使いじゃない……キミの大切な友だちだい!


 そう叫ぶ黒恵の瞳は少女の方へと向けられていた。


 黒恵は大きく口を開いて上を向いて。


 声にならぬ死の叫びと共に黒い靄は口から放出される。


 宙を漂いうねり、やがては黒恵の右手に向かって集まり固まり身の丈に合わぬ大きな鎌へと姿を変えた。


 それを手にした黒恵が向けた目を覗き込んだ少女は思わず口を塞いでいた。


 左目は元の透き通った灰色と生気を持っていて、なにも問題はなかった。


 一方で右目はただただ暗い深淵のような死の色に堕ちていた。

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