公開実験 前編
早春の晴れやかな空の下、一部を解放された王宮前広場には、処狭しと人々が押し寄せている。
王太子殿下の立太子より十周年を記念する式典は、まず王宮前広場に集う王都の民の一般参賀より始まる。
王宮の西宮、その外に開かれたバルコニーの上に王族や主だった貴族たちが集い、広場にいる民へと手を振って笑顔を向ける。
王宮はおろか、貴族階級の暮らす区画にも、仕事などの用が無ければ、まず入ることは無い庶民にとっては、広場とは言え、王族の暮らす区画へと足を入れ、直接、王族を目にする機会など、こうした式典でも無ければ、そうあるものではない。
ましてや、将来を嘱望される次期国王、王太子殿下の立太子十周年の記念とあらば、民たちの盛り上がりは凄まじいものである。
この一般参賀のあと、夜会として王宮のホールにてパーティーが開かれ、目録と共に献上品などが発表される予定だが、本来ならば、顔を見せて簡単な挨拶と演説で終わるだろう一般参賀は、後々の世に語り継がれる事となる。伝説的な出来事となる。
時は遡り、式典より数ヶ月前のこと、マイネルの実験小屋には、何故か王太子殿下以下三名の男性とメルパーニャが訪れていた。
無論のこと、外には護衛がずらりと並んでいる。
小屋に入ってから、アカデミー学長はずっと楽しそうに模型を見てはあれこれと独り言を繰り出していた。
「マイネルよ、これが実験機なのか」
そんな学長をよそに殿下はマイネルへと尋ねる。
「はい、猛禽の翼と名付けております」
「良い名だな。ふむ、マイネルよ、本番ではこれの片翼に王家の紋章を描いてくれぬか、勿論のこと、父上の許可は戴いている」
殿下の提案にマイネルは驚く。
「王家の紋章を入れて宜しいのですかっ」
「と言うかな。此方で全て阻んではおるが、本格的にそなたの邪魔をしようとしている者がおるんだ。王家に気に入られているのが気に食わんとな。短慮と言うか、そんな者に手を出せば、王家に冷遇されるとわかるだろうに、所詮は平民出の木工職人風情と侮っておるようで。
王国の臣がこのような愚か者とは思いたく無いのだがな。何にせよ、対策を打っておくべきであろう。当日は私の演説にて紹介し飛んで貰うゆえ、そこに王家の紋章まであっては、流石に手出しは出来んよ」
「お気遣いありがとうございます」
マイネルが感謝していると、枢機卿もまた声をかける。
「反対の翼には是非とも神聖教会の紋章を入れましょう」
「おう、それは素晴らしいな」
これに学長も乗る。
「では、尾翼にはアカデミーの紋章ですな」
随分とゴテゴテした見た目になるなとマイネルは思っていたが、それ以上にそんな大層な物に乗ることになるのかと、焦っていた。
そのあとも打ち合わせは続く、着地に関してや、万が一の事故のため、ルート上に魔法師が配備され、緩衝用の物理障壁を張ることで着地のさいの衝撃を緩和することや、風を操る魔法師などで、着地を緩やかに出来ないかなど、検討とともに後日実験をする事が決まる。
「マイネル殿、アカデミーとしてマイネル殿が作られた浮遊魔法の物体への付与の術式、あれを本番の機体にかけることをお勧めしますぞ」
話の中、学長より提案されたのは機体に魔石を埋め込み、それを動力源として浮遊魔法を付与させることであった。
マイネルは悩む、それでは魔法無しで飛んだとは言えないのでは無いかと。しかし、殿下がこれに賛同した。
「マイネル、そなたの作りし物は今までには無いものだ。庶民の魔力量で僅かに漏れでる魔力を動力源とした魔法付与付きのペンダントヘッド、僅かに体温調節する程度とは言え、庶民が魔法を自動で行使出来るアクセサリーを持つなどあり得なかったことだ。そして、浮遊魔法を付与してより安全に飛べるなら、この機体は魔法師で無くとも空を飛べる証明になる。
それは何よりもそなたの願いだったんでは無いか」
殿下の言葉にマイネルはこみ上げる想いに涙を堪える。あーそうだと、自分の人生は間違いなく、その為にあったのだと。
メルパーニャはそんなマイネルの肩を優しく抱いて、殿下に一礼して語りかける。
「良かったですね、マイニー。皆が成功を祈っていますよ。大丈夫です。きっとうまく行きます」
マイネルはなんとしてもこの恩義に報いると熱意に燃えるのであった。
それから半月ほどして、メルパーニャとマイネルの二人は実験小屋の外にいた。
着地を予定する地点には殿下たちが万が一の事故が無いようにと、魔法師を待機させ、本番同様に衝撃を緩和し、安定した着地が出来るかの検証も行う予定だ。
そう、ついに有人飛行を試すのである。
「メル、行って来るよ」
マイネルは緊張と期待がない交ぜになった、ワクワクとした気持ちでメルパーニャに言う。
「絶対に成功すると信じてますよ。人形を使った実験も安定してましたからね」
メルパーニャはそう言ってマイネルの額に口付けした。
「おまじないです」
真っ赤になったマイネルだが、間をおいてから、ありがとうっ、そう上擦った声で言ってから、機体へと手をかけた。
メルパーニャが殿下たちへと合図をおくり、マイネルが山の稜線より張り出した場所から飛び立って行く。
飛んでる、誰とも無しに呟かれ、やがて歓声のように飛んでるっ、飛んでるっ、と口にし合う。
「マイニーっ! 飛んでるっ! 飛んでるよーっ! 」
マイネルもまた、全身に受ける風、流れる景色、自分が今、長年の夢を叶えて鳥になったことに、言い知れぬ想いを溢れさせていた。
とは言え、まだ安全に着地させねばならない。旋回機能としての尾翼の舵も多少は試してみないと、そう冷静に考えようとするが、その流れる世界の速さに風の冷たさに、一瞬全てを忘れ、没頭するのだった。
そうした、打ち合わせと検証実験を重ねた結果、当日については問題なく成功させることが出来ると言える状態となっている。
時は戻ると、王太子殿下と太子妃殿下がバルコニーへと現れる。王宮前広場の熱気はさらに高まった。
王太子殿下の立太子十周年の挨拶と、民に向けた演説が始まる。
マイネルは飛び立つためにと作られた特設の塔の上、殿下の合図を待つのだった。
式典の為に仕立てられた太子の礼服に身を包んだ王太子殿下は佇むだけで威圧を感じる程の美丈夫ぶりを遺憾なく発揮して、貴公子の微笑みにも、獰猛な猛獣の威嚇にも重ね見えるのは、王子にも関わらず魔獣狩の異名を持つ殿下ならではであろう。
「栄光のグライム王国王家、その王統を引き継ぎ、王太子として立てられてより、十年の時が経とうとしている。
この、十年を無事に送る事が出来、陛下を支え、この国の為にと邁進してまいったが、今日のこの日を迎えられた事を、心より嬉しく思う。
これからも、陛下を支え、この国をよりよくしていく事を誓おう。それは祝福のために此処に集った者、その者の愛しき者、護るべき者、父母に妻に夫、友人に子供に孫。そうした、この国に生きる、より小さき者の一人に至るまで、全てに誓おう」
広場に集う民たちが歓声を上げて、殿下を祝福する。万来の民衆の鳴り止むことが無いかのような拍手と喝采は王家の、そして王太子殿下の人気を物語っていた。
軽く手を上げて、民衆に静まるようにと手振りで示した殿下に、広場には暫しの静寂が訪れる。
「ありがとうっ! 本日は我が友人が、私の祝賀の為に、素晴らしい贈り物を用意してくれたのだ。空を行くのは鳥と魔法師だけ、そんな常識を打ち破り、新たな技術をもたらした天才の偉業を、私と、そして、此処にいる者たちは目撃出来るのだっ! 」
殿下の言う事が今一分からなかった者が多かったが、それでも、あーあの鳥狂いかと、得心する者もいた。それでも、平民出で、魔法師としては殆ど無能に近いと言われるマイネルが、一体何をするのかと疑問であったし、大半の者は、そもそも意味が良く分かっていなかった。
次の瞬間までは。
王太子殿下の、空を見よっ、の号令に空を見上げた観衆は目撃した。
一人の男が太陽を背負い、王家の紋章と、神聖教会の紋章を拡げた見たことも無い物を使い、悠々と王宮の上空を飛んで、自分たちの頭上を越え、王宮の防壁を越えて貴族街の方面、恐らくは中央広場方向へと飛んで行くのを。
実際の所、有事の際でも無ければ、飛行魔法師が空を飛ぶことは余りなく、精々が練習や習得のためであり、それも王都ではあまり行われない。
結局のところ、貴族たちにとっては処罰されることは無かったとは言え、「王族の頭上を飛んだ」出来事は危機意識を持つに十分であり、だからこそ、万が一王族の頭上を飛んでしまうやも知れぬ王都やその近くで「平時」に飛行する事は忌避されていたのだ。
だからこそ、マイネルの行いは実のところ、かなり危うかったとも言える。とは言え、殿下に事前に許可を得ていた事が貴族たちに内々に流布された為に、多くの家は問題視する事を辞めた。「本人から事前に許可を得ている」のであれば、王国法に則った行為であり、違法性は問えない上に、王太子の意に反することになるからだ。それでも、一部の家はマイネルを「不敬」であると更に悪意を募らせたのではあるが。
そして、庶民に至っては、マイネルのように地方で魔法師が飛んだ所を見たことがある者で無ければ、王都で魔法師が飛ぶ姿を見る機会がほぼ無いために、話に聞いたことはあっても見たことはないのだ。
であるからして、王宮前広場に集った民衆は一様に困惑していた。マイネルを知る者はあいつすげぇなと感心したが、そうでない者は、凄いとは思うがどう反応したものか分からない。
そんな中にあって、声が上がる。
「王家の紋章が空を駆って行く。なんと目出度いことかっ! 」
誰とも知れないがそんな声が聞こえて来ると、あちこちに同様の煽りが上がる。
「おーっ、確かに目出度いっ! 透かしのように日の光に照らされた王家の紋章のなんと美しかったことかっ! 王家万歳っ! 王太子殿下万歳っ! 」
「確かにそうだっ! 王国万歳っ! 」
こうした声に、民衆は確かに目出度い、素晴らしいと、次々と歓声を上げて行く。実を言えば、殿下の仕込みの者が初めではある。そして、計画を知って、それでも不敬だなんだと野次ろうと画策した者を排除していたりもする。因みに真下から見ると尾翼に描いたアカデミーの紋章はあまり、というかほぼ見えないため、工作に加えないことを学長自ら提案している。
それで良いのかと申し訳なさそうに聞いた殿下に、アカデミーの紋章まで出して騒いでは、あまりにも不自然で工作がバレてしまうと、王家と教会だから良いのだと笑っていたりする。
盛り上がる王宮前広場であるマイネルを知る老人の一言が更にその場を盛り上げた。
「マイネルは立派じゃな。鳥になりたい言うとったが、それでも、あんな高い所を、儂では怖くて無理じゃ、王太子殿下への忠義に、神への深い信仰心があればこそじゃ、天晴れマイネルっ! 」
これを近くで聞いた者は、確かにそうだと納得する。はたして天晴れマイネルの合唱が起これば、俺も怖くて無理だ。いや、私は飛んでみたいと、侃々諤々と人々は大声で盛り上がり続ける。
王太子殿下はその様子に満足していた。
その中、予定通りに中央広場へと降り立ったマイネルは、騎士の操る馬にて、王宮の広場を周り込む形で西宮へと戻って来ていた。
安全の為につけられた、浮遊魔法を付与された防具を外され、式典のために仕立てられた豪奢な礼服へと着替えさせられる。そうして、メルパーニャと再会したマイネルは、外の熱狂が聞こえて来ることも合わせて興奮していた。
「メルっ、凄かったよ。あんな高さを飛んだんだ。王宮の前にいる人たちの上を鳥のようにっ! 浮遊魔法のお陰もあって、あんな長い距離をっ! 」
「かっこ良かったわ、マイニー。でも、本当に無事で良かった」
美しいドレスに彼女を引き立てる装飾品に包まれたメルパーニャは心底嬉しいと言わんばかりに笑顔でマイネルの手を取って、その胸に額を埋めた。
そこに学長が声をかける。
「ご両人、もうそろそろ出番ですぞ、宜しくお願いしますぞ」
顔を見合せて、学長に向き直った二人は共に笑顔で頷いて見せた。