マイネルの嫁取り 中編
時は少しばかり遡る。
マイネルとその父親がいるのは待ち受け茶屋と呼ばれる場所、その奥座敷にある水落しである。
奥待との逢瀬は予約をせねばならない。ハルパを予約すると、客は待ち受け茶屋のマヌマーでハルパを待つ事になる。
マヌマーは世俗の垢を水に流し、夢の夜へと誘われるための境界である。そのためにきらびやかな装飾の為された座敷には、様々な珍しい調度品が悪趣味にならぬよう、計算されて配置してあり、意趣を凝らした料理や美酒、太鼓持ちたちが持ち前の芸で盛り上げて、遣り手婆がお客を褒めたりくさしたり、いい加減で上機嫌にしてくれる。
中にはマヌマーでそのまま一夜を明かしたなんて粗忽者がいたというが、大枚を叩いて前座の座敷で本丸に行かずに帰ったと笑い話になってはいるが、実際に来た者は「あー確かに分からなくもない」となるのだから、凄いものだ。
ビルパニ最大の大見世である龍涎亭の一番人気、看板娘の筆頭ハルパ、メルパーニャはキセルを燻らしながら、甲斐甲斐しく髪を結い、出立の準備をしてくれる、お付きの禿に微笑みかける。
「姐様、準備が整っておりんす。何時でも出れるでありんす」
一番上のペネーシャ、メルパーニャがハルパに格上げされた六年前に齢九つでこの見世へと来て、そのまま見習いとして付き人になったマニエが誇らし気に笑っている。
「マニエももう十五、来年には新造ね。私の自慢のマニエ、貴女にならこの桜香の間も任せられる。早くハルパになるのよ」
柔らかい笑みを浮かべ指先で頬を撫で、メルパーニャは目の前の少女へと語り掛けた。
マニエと呼ばれた少女は、意味を理解できずに呆気にとられたように口を開けていたが、整理が追い付いくと涙を堪えて下を向き捲し立てた。
「……わっちはっ、まだ、姐様に遠く及ばないでありんす。姐様だけじゃなく、皆、わっちより凄いでありんす。わっちなんかに託しても埃を被るだけでありんす。楼主様も……認めない……でおりんす……」
格子戸の影が檻のようにマニエに被さると、下を向き震える少女の姿は痛ましくも可愛いものだとメルパーニャは思っていたが、正さねばならないことはある。
「先ずは上を向きなさい。マニエ、いいこと、私だって、ニューバになって端として働いた十六の頃は何も出来なかったの。でもね、それでも頑張って、此処まで来れた。いい、マニエ、貴女は私が育てた可愛い妹よ。このドラドアーディナにあって、ハルパの奥座敷の主となるのは並大抵では無いわ。それでも、貴女なら、必ず辿り着いて、このフラレオウ・テネの主人になると信じてるの」
顔を上げたマニエの両手を優しく取り、メルパーニャは目を見つめて願いを託す。
「はわゎゎわぅっ ……わっ、わかったであり……ありりんすっ! 」
恥ずかしさに慌てる妹分が可愛いくて、少しだけ声を出して笑ったメルパーニャは、お願い、ねっ! と小首を傾げて見せる。
「さぁ、未来の旦那様をあまり待たせてはいけませんね。行きましょうか」
メルパーニャはもう少しすればお別れになる自分の城に悔いることは無いわと爽快な顔で立ち去るのだった。
ビルパニは絢爛豪華な建物が軒を連ねて、様々な様式の建物の並ぶ中、様々な国の料理やら酒やらを出す店が処狭しとひしめき合う、見世物小屋の前で大道芸人が芸を披露しては客をひく、混沌として、それでいて華やかな夢の世界。ビルパニは諸外国にも名を知られる娯楽の坩堝である。
そんなビルパニで是非とも見るべきだと言われるものが、待ち受け茶屋で待つ客の元へとハルパとその一向が通りを練り歩いてはその威風と色香を振り撒く「奥待道中」である。
お稚児や禿が花を撒いては道を作ると、太鼓持ちたちが踊り謳って沸き立てる。弦物や打物を鳴らす新造衆が色気たっぷりに音色を奏でて道行く男衆に目線を飛ばしては透かしていく。
そしてハルパだ。まるで女王のような威厳と、魔性の悪魔のような妖艶さ。熟練の女の魅せる色で視線だけで見るものを落とし、時折、無垢な少女のような柔らかい笑みで虜にしていく。
ゆっくりとゆったりと進むハルパの行列は幻想の世界へと迷いこんだ流浪の民を魂まで昇華させるのだ。
道脇の男がふと溢す。
「あー、一度でいいから、俺もハルパを抱いてみてぇ」
脇に立つ仲間の男がくさす。
「お前じゃ役者が大不足だ。川縁娼婦で我慢しとけ」
そうして喧嘩が始まるのも、よくあるビルパニの一場面。ここは喧騒と欲望が渦巻く、色の街なのだ。
メルパーニャは振り撒かれる花弁の中を優雅に歩いていく。もうすぐ、目的の茶屋につく。
「待っていておくなんし、旦那様」
方々から身請けを打診される人気のハルパ、メルパーニャが、マイネルとの見合いをし、確実に嫁ぐようにと言伝てられてはいるのには当然に様々な事情がある。ただメルパーニャ自身、マイネルを旦那とするのは楽しみであった。
だからこそ、メルパーニャは郭言葉を暫くは封印して、なるたけ庶民的な口調を心がけて、このところ過ごしていたが、だからこそ、敢えて郭言葉な一人言を呟くのだった。
メルパーニャとマイネルの婚姻を画策していたのは、実の処は王家である。というよりは現王太子夫妻であった。
マイネルが王家御用達になったのも、この夫妻のためだったりするのだが。新進気鋭の工芸師がいると聞き及んだ王太子殿下がお忍びでマイネルの作品を見に街へと下り、あまりの素晴らしさに一目惚れ、さらに当時はまだ婚約者だった王太子妃殿下や、父王陛下夫妻、中のよい弟妹たちや、友人にと、お土産と「この素晴らしい工芸師を知って欲しい」「この工芸師は王候諸氏の中では私が最初に見いだした」という、どこか布教と自慢の混じった思いで作品を買い漁ったのだ。
その後、陛下にもその技量とセンスを認められ、「巨匠」の称号も授かる訳だが、実はマイネルの工芸品を王妃殿下も王太子妃殿下もいたく気にいり、このことで、マイネルの作品を女性に贈ることが、上流階級の間でブームになっていることも影響している。
そんな訳で、王太子殿下はマイネルを気にかけているが、王太子殿下自身も非凡な人物である。
マイネルとは友人のような関係を築いている殿下だが、マイネルの夢については当初、「天才と何とかは紙一重というやつか」と面白がっていた。なので、情報収集や反対に偽情報の流布などのため、方々に忍ばせている手の者に、それとなく監視させ、情報を上げさせていたのは、単に「あのバカがやらかして大事な手でも痛めたら、すぐに王城で治療をさせるように」という遠回しな配慮のためだった。
しかし、すぐにも上がって来る情報に頭を抱えることになる。
最初は魔法を付与したペンダントヘッドの件であった。庶民にとっては魔法は無縁と言って差し支えないもののため、ほんの少し首元が涼しくなったり、温かいだけの魔法が付与された商品は、便利だけれども、そんなに凄いものだとは思われてはいなかった。
純粋にデザインの良さと利便性で売れたのだが、王太子殿下からすれば、とんでもないことであった。
魔学アカデミーの研究者たちは庶民の作ったものと軽んじているために、これの凄さや発展性に思いが向いていないが、そもそも付与術は強化や守護といった決まった魔法で身体能力を一時的に高めることにしか使われていなかった。
物質への付与、それもある一定までの加温や冷却など、どれ程に高度なことか。魔力が足りず、飛行魔法師になれなかったと語っていたが、本当に魔力だけなのだと王太子殿下は痛感する。
もし、並みの魔法師程度の魔力でもあれば、恐らくは比肩する者なき大魔法師になったであろう素質の塊なのだと考えて、早々に王家と紐付きにしたことは正解だったと安堵した王太子殿下は、ふと疑問を持つ。
やれることの限られるであろう魔力で何故に付与術だったのか。マイネルの鳥狂いは良く知っている。ならば、これもその関連だろうと考えて。
「まさか、浮遊魔法を付与しようと考えてるのか」
そんなバカなと思うものの、否定するより、肯定する材料の方が遥かに多いことに頭を抱える。
暫くすれば、マイネルがかなり本格的に飛行のための道具を産み出しつつあることが伝わってくる。
人脈が広く、とても目立つ男だ。貴族連中もそうしたことには気付き出しているが、愚かと云うか良かったと云うか、「魔法で飛べばよいものを」とバカにしている者が大半、興味を持つ者も娯楽程度の関心しか無いようだが、魔学アカデミーは少し危機感を持ち始めたようだと、報告を確認する。
マイネルが作る飛行機や気球は間違いなく、物流や戦争を塗り替える。膨大な魔力と素質があるものしか使えなかった飛行魔法は、それだけで有用だったが、その数が圧倒的に少ない上に安定しないため、活用は限定されていた。
マイネルが作った技術で多くの魔力を持たない者が飛行するようになれば、浮遊魔法と組み合わせて大量の物資を運べるようになれば、もし、浮遊魔法を付与出来るならば、陸路における運搬でも、重量の軽減が出来るやもしれない。
これほどの事を男爵位を持ったといえ、ほぼ一庶民に等しいままのマイネルが行うことは危険だと王太子殿下は危惧した。政治的な判断や上流階級との駆け引きなど、マイネルに期待してはいけない。早急に補佐出来るものを近くに侍らせ、王家主導でマイネルの成果を大々的に発表して牽制し、保護する必要がある。
そうして、選ばれたのが、王家公認の娼館であるビルパニの大見世ドラドアーディナの当代きってのハルパ、メルパーニャであったわけだ。
そうと知らない親子は、あまりの歓待にびくびくしながら、ただ待ちくたびれているのであった。
次話でお見合いが終わる予定ですm(_ _)m