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第二章 カイアスズリア

もう、一気にあげることにしました。


詳しい解説はあとがきにて。

 2、カイアスズリア


「トースヴァイ教会からの推薦状は確かに受け取った」

 机ごしにティーンの前に座る男は、難しい顔をしてそう言った。

 トースヴァイで情報を得た、予言者の屋敷である。司祭エヴァーヌは、予言者に関する情報を提供するどころか、ここへの推薦状も用意してくれたのだ。お陰で、面倒な手続きは抜きで、予言者の護衛団のリーダーに会うことができた。どうやら、教会側としては、『禁忌』に敵対する者への援助は拒まないという姿勢らしい。

 実を言うと、国そのものがそういう姿勢なのだが、それをティーンは知らない。

「推薦状には、この国の特級戦技士と特級呪法士、それにコロネドの特級呪法士と書いてあるが……本当なんだろうな?」

 護衛団のリーダー、ザストゥ・カズラール――年齢は二十代半ばぐらいか。件の予言者の従兄弟に当たるらしい――は、疑わしげな目をティーンに向ける。

「疑うなら調べればいい」

 言い、ティーンは三つの終了証をザストゥに渡す。

 彼は、それを改めてから、推薦状に手を伸ばした。最初の頁を見て、

「……十七歳!?」

 妙な所で声を上げ、ティーンを横目でじろりと睨む。

「何か問題でもあるのか?」

 平然と尋ねるティーンに、彼は、

「カイナと一つしか違わねぇじゃねぇか。おまけに……」

 突然椅子から立ち上がり、ティーンの顎に手をかける。

「こんな女みてぇな面の優男ときてる」

「もう一度訊くが……何か問題でもあるのか?」

「おう! あるとも!」

 飽くまで冷静なティーンの声に、ザストゥは声を荒げて怒鳴ると、ティーンに詰め寄り、

「いいか? 絶対に、カイナに寄るな触るな手を出すな。コナかけようとかしやがったら、ぶっ殺すからな!」

 ……どうやら、ただの従兄弟バカのようである。因に、カイナとは、件の予言者の名前だ。

「生憎だが、そういうことには興味はない。それより話を続けてくれ」

 多少呆れ気味に言うティーンに、ザストゥは、未だ疑わしげな目を向け、

「そう言う奴が一番怪しいんだ。

 ……まあいい。確かに話の途中だったな。

 ………………

 戦技院を三カ月で終了だぁ!?」

 明らかに人間を見る目ではない視線をティーンに送ってから、残りの頁を乱暴にめくり、

「呪法院二カ月……コロラドは三週間だぁ!?

 ……本当に人間か?」

「そのつもりだが」

 もはや慣れた返答を返すティーンに、ザストゥは思い出したような口調で、

「ところで、推薦状に空白がやけに多いが……これは何だ?」

「私の出生に関わることだ。プライバシーと考えて欲しい」

「そうか……分かった。

 ついて来い。お前の実力を見たい。肩書だけでは信用できんからな」

 ザストゥは、ブローチをティーンに返すと、ゆっくりとした動作で部屋を出た。


 ザストゥ・カズラール。二十五歳。地元では名士と言えたカズラール家の長男として生まれる。一歳の時に母親を、二十二歳の時に父親を亡くし、現在残る肉親は、同じく幼いときに両親を失くした従姉妹――カイナ・プレテオルのみ。

 事前に調べておいた彼に関する情報を思い出しながら、ティーンはザストゥの後ろを歩いていた。

 茶色の短めの髪に緑の双眸。体格は、有り体に言えば人並みで、身のこなしも大したことはなさそうである。先程の面談で従兄弟バカと判明したが、それ以外、取り立てて説明するようなこともなさそうな男だ。

「ここだ」

 言ってザストゥが立ち止まったのは、裏庭らしき所である。この屋敷は、森を切り開いて造ったものらしく、敷地の大部分が森で埋め尽くされている。今、二人がやってきた場所も、片側には屋敷の背面があるが、その三十メートル先は森になっている。

 その、屋敷と森との空間に、彼らはいた。

 ざっと見たところ三十人ほどか。それぞれが、程度の差はあるものの何らかの防具を纏い、剣だの斧だの槍だのを手にして――要するに、武装していた。

「……で、私にどうしろと?」

 淡々とした口調で尋ねるティーンに、ザストゥは、さも当たり前といった口調で、

「決まってるだろ。今から、ここにいる連中と手合わせしてもらう」

 言いながら、ザストゥはティーンの姿を見る。厚手のローブに上から羽織ったマント。武器らしきものといえば、腰の剣以外に見当たらない。

「倒せばいいんだな?」

 確認するように呟くティーン。ザストゥは頷いてから、

「ああ、そうだ。

 見たところ、服も動きにくそうだし、大した武器も持っていないようだし、何なら呪法を使ってもかまわ…………」

「これでいいのか?」

 ザストゥの台詞が終わる前に。

 ティーンは、その三十人ばかりの相手をなぎ倒していた。

 素手で。

「………………

 ……いつの間に……」

「さっき、お前が頷いた時から動き出したが?」

 ごく当然のことの様に、さらりと言う。

「…………武器は? 呪法は?」

「使うまでもなかった」

「……………………」

「一つ、聞いていいか?」

 唖然としているザストゥに、淡々とした声でティーンは尋ねる。

「お前……特級戦技士がどういうものか知っているのか?」

「……どういう意味だ?」

 珍しく表情を見せ――呆れたあまり嘆息したのだが――ティーンは言う。

「お前は私の実力が見たいと言った。特級戦技士だということを知った上で、だ。にも拘らず、送り付けて来たのは、そこらの警備員程度――私から言えば素人同然の連中だ。

 私の終了証を偽物と思ったか、或いは特級戦技士のレベルを知らないか――そうでなければお前の行動の説明がつかない」

「…………」

 答えに窮するザストゥに、ティーンは更に、いつもの感情の感じられない声で言う。

「それに、お前に会った時から疑問に思っていたのだが、護衛団のリーダーという割には、さして強そうな気配は感じられない。お前の物腰にも全くそういったものはない。気配を隠しているのなら見事だが……」

「だぁああぁつッ! もういい!」

 嘲りも侮りもない、ただ冷静なティーンの口調が却って気に障ったのか、ザストゥは怒鳴りだす。

「そうだよ! 確かにオレは、戦闘訓練なんかろくに受けてないド素人だよ! はっきり言っちまえばそこに転がってる警備員の方がよっぽどマシだ!

 だけどなぁ! カイナはオレの妹だ! 正確に言えば従姉妹だが、あいつが小さかった頃からずっと一緒だったんだ! 妹も同然だ! それを『禁忌』とかいう奴がいきなり殺すとか言ってきやがった! 許せるか!? 許せん!!

 カイナは絶対にオレが守る!」

 そこまで一気にまくし立てると、暫くぜいぜいと息を切らしていたが、やがて復活し、

「そういう訳で、オレはカイナ護衛団のリーダーになった。文句あるか?」

 事の成り行きを黙って眺めていたティーンに詰め寄る。

「別に文句はないが……」

「ないが、何だ? 言ってみろ」

「敵との交戦状態に入った時、お前に指揮を取られると困る」

 的確な、事実そのままの意見に、ザストゥは一瞬凍りつく。

「分かったよ! そんときゃお前らプロに任せる! それでいいんだろ!」

 もはやヤケになって言うザストゥに、ティーンは更に、

「……で、ここには一体どれぐらいの戦力がいるんだ? ガーネット以外にさして強そうな気配は感じられないが……」

「ガーネットの知り合いか? ……って、ちょっと待て! 何でガーネットがここにいることを知ってやがる?」

「ここに来た時から彼女の気配は感じていた。ついでに、彼女の愛鳥・スペサルタイトの気配もな。

 彼女も、私の気配に気づいている筈だ。そろそろ、彼女の方から接触してくるのではないか?」

 ティーンの言葉が終わって、数秒後。

 ザストゥが忌々しげに首を振った。

「何だ、どうした?

 ……その呼び方はするなと言っただろう!

 ……ああ、分かった。好きにしろ。

 ……ったく……!」

 一人で毒づく。……知らない者から見れば、ただの危ない人間に見えたかもしれないが……今のは、魔力を利用した会話である。ある程度なら離れた相手と会話できる。勿論、術者の能力にも依るが、同じ町程度の距離が限界だ。

「……リュシア教の警告が来て以来、こいつといい、あいつといい、何でこんな奴らばっかり集まって来やがるんだ……」

 おそらく、『こいつ』がティーンで、『あいつ』がガーネットなのだろうとティーンは察したが、敢えて何も言わなかった。

 と、上空で、風を切る音がする。

 オレンジ色の牛ほどの大きさの鳥に、その上に乗った赤い人影――言わずと知れた、スペサルタイトとガーネットである。

「ザトちゃん、お待たせ!」

「だからその呼び方はやめろ! ザトウクジラか! オレは!」

 スペサルタイトごと地上に下り、元気良く言ったガーネットに、ザストゥが怒鳴る。

 が、彼女はザストゥの言葉など意に介した様子もなく、スペサルタイトから降りてティーンに向き合う。

「ティーン、お久しぶり」

「約一カ月ぶりか……相変わらずだな。

 ともあれ、これでまともな話ができそうだな。ここにいる戦力は、お前と私だけか?」

「スペサルタイトも忘れないで。

 ……まぁ、はっきり言っちゃえばそうね。あたしたち以外、ろくな戦力はいないわ。二、三週間後にはリュシア教の部隊が派遣されてくるらしいけど……当てにならないし。

 ……ところで、ティーン」

 腕を組んでティーンの問いに答えていたガーネットは、そこで不意にティーンの手を取り、

「久しぶりに手合わせしない?」

「私は構わないが……」

 ティーンは言い、二人の会話を呆然と眺めていたザストゥに視線を送る。

「ああ、ザトちゃんなら大丈夫」

「何でだ!?」

 きっぱりと断言するガーネットに、ザストゥが抗議の声を上げる。だが、ガーネットは、平然と辺りを見渡し、

「ここらに転がってる警備員、どーせザトちゃんがティーンにけしかけたんでしょ。実力を見たいとか言って。ザトちゃんってば、あたしにも同じよーなことして、同じよーな結果になったじゃない。

 結局、二回とも実力なんて見られなかったんでしょ。幸い、あたしはティーン相手なら本気出せるし……実力が見たいって言うなら、絶好の機会だと思うけど? ザトちゃん」

「ザトちゃんザトちゃん言うなッ!

 ……まぁ、確かにそれもそうだが……」

「なら決まりね。ザトちゃん、行くわよ!」

 言うなり、ガーネットは、ザストゥの襟首を引っつかむとスペサルタイトに乗り、空に舞う。

「ちょっと待て、どこに行くうぅぅ」

 ザストゥの声が遠くなっていくのを聞きながら、

「風よ、運べ」

 ティーンもまた、飛行の呪法で空に舞った。

「はい、ザトちゃんはここね」

 言い、ガーネットがザストゥを降ろしたのは、屋敷の敷地の隅になる、森のど真ん中だった。

「お、おい、何だってこんな所に……」

「あら、決まってるじゃない」

 戸惑いがちに尋ねるザストゥに、ガーネットは、さも楽しげな笑顔を浮かべ、

「広くないと暴れられないもん」

 はっきりと、断言した。

 ザストゥが二人を対戦させたことを後悔したのは、ティーンが巨大なクレーターを森の中に出現させた後だった。それでも、二人の在学中に呪法院が受けた被害に比べれば軽微だったのだが――彼がそれを知る由もないし、知ったとしてもクレーターやら灰になった木やらが元に戻るわけではない。

「あー、すっきりした」

 この(アマ)……ただ暴れたかっただけじゃねぇだろな……。

 気持ち良さそうに伸びをするガーネットを横目に、ザストゥは胸中で呟いた。


 その日の夜――ティーンは、屋敷の正門の前にいた。

 夜間の外部の警備を任されたのである。どうやら、本来この時間に警備に当たる警備員たちは、昼間ティーンが倒してしまったらしい。因に、ガーネットは屋敷の中――特に予言者カイナの警護に当たっている。あの従兄弟バカも、ガーネットが女性であることに安心して任せたらしい。案外、ティーンが屋敷の外の警備を任されたのも、カイナに男を近づけたくないという従兄弟バカの考えがあったのかもしれない。

 ともあれ、ティーンは正門の前に立っていた。呪法で生み出した光に、閉じられた正門が鉄格子のように映し出される。その、正門の鉄柵の間から外を見ながら――ティーンは、ただ立っていた。動かない。微動だにしない。細い紐でまとめた金髪やマントが、風に揺れるだけである。

「……何やってるんだ? あいつは」

 カイナの部屋のテラスから、ザストゥがティーンを見ながら呟く。

「ザトちゃん知らないの? 生体探査の呪法よ」

 同じくカイナの部屋のテラスから顔を出したのは、ガーネット。屋内でもスペサルタイトに乗っている。

「生体探査?」

 おうむ返しに聞くザストゥに、ガーネットは人差し指を一本立て、

「つまり、一定の範囲にどんな生物がどれだけいるかを調べる呪法よ。術者の力量によって補足できる範囲や生物の精度が変わってくるんだけど……」

 と、ちらりとティーンに視線を送る。

「ティーンなら、やろうと思えば蟻の数も分かるんじゃないかな。あたしでもそれぐらいは分かるし。意味ないからしないけど」

「んなもん数えてどうすんだ」

「だから、しないってば。

 今、ティーンは多分……敷地全体を探査範囲に指定して、……そうね……犬か猫より大きな生物の動向を掴んでるんじゃないかしら。野犬の類いが屋敷に近づいて来たら即撃退、怪しい人間が近づいて来たら捕獲、ってとこかな。

 ……あ」

「何だ?」

「五、四、三、……」

 訝しむザストゥを尻目に、ガーネットは秒読みを始める。

「……一、ゼロ!」

 秒読みが終わるとほぼ同時に、やや遠い所から悲鳴が聞こえてくる。

「何なんだ?」

「屋敷に近づいた人間をティーンが捕縛したのよ。屋敷の周りの森を抜けた時点で、下半身を氷づけってとこかな? この反応だと。

 ちなみに、反応からして、捕まったのはただのコソドロ。大した戦闘能力はないわ」

「……そこまで分かるのか?」

「当たり前よ。相手の大体の力量は分かるわ。相手か気配を消していない限りね。知り合いなら、反応を見ただけで誰かまで分かるわよ。

 昼間、あたしがティーンが来たことに気づいたのもそのせい。あたしは、この呪法を屋敷の周辺に範囲指定して使ってるのよ。

 ほら、覚えてる? ザトちゃん」

「その呼び方やめろ」

「昼間、あたしがザトちゃんに話しかけた後、あたしはちゃんと裏庭に行ったでしょ。場所も聞いてなかったのに。あれも、ティーンとザトちゃんの気配を掴んでたからできたことなのよ」

「ザトちゃんと呼ぶなっつっとろうが!」

「照れない照れない」

「照れとらんわぁッつ!!」

 けらけら笑うガーネットに、ザストゥが怒鳴る。と、その叫び声が流石に気になったのか、

「ねぇ、何の騒ぎ?」

 部屋から十五、六の少女が顔を出す。

 栗色の癖のある長い髪に、緑の双眸。無邪気に微笑むその姿には、どこか活発なものが感じられる。

 『禁忌』に処分を宣告された予言者、カイナ・プレテオルである。

 彼女は、その瞳を好奇心に輝かせ、

「何があったの? ねぇねぇ」

 ザストゥとガーネットの二人に問う。

「このおにーさんが、ザトちゃんって呼ぶと怒るのよ」

 ガーネットが、ザストゥを指さし言うと、カイナは大袈裟に驚いて、

「どうして!? お兄ちゃん! 可愛いのに!」

「……カイナ……お前な……」

 ザストゥの腕を掴んで揺するカイナに、ザストゥは苦虫を噛み潰したような表情で、

「大の大人がザトちゃんザトちゃん言われて喜ぶと思うか?」

「思う!」

 きっぱりはっきり断言するカイナに、ザストゥは、ただ頭を抱える。

「あー、分かった分かった。

 分かったからお前は部屋に戻ってろ」

 半分ヤケになりながら、ザストゥはカイナを連れて部屋に戻ろうとする。が、

「待って、お兄ちゃん。あの人、誰?」

 カイナが目ざとく、正門前のティーンを見つける。

「き、今日から入った護衛だ。気にするな。な?」

 明らかに狼狽した声で、ザストゥは注意を逸らそうとするが、そんなものは通用せず、カイナはテラスの柵まで出てしまった。

「もっと近くで見れない? ガーネット」

「見たい? それなら……」

「待たんかっ! ガーネット!」

 カイナに言われ、呪法を使おうとするガーネットに、ザストゥが待ったをかける。

「何よ?」

「見せるな! 命令だ!」

「カイナちゃんの命令が優先」

「わーい、ガーネット、話が分かるぅ」

「正式な依頼主はオレだ!」

 だが、ガーネットは当然のようにザストゥの言葉を無視し、

「光よ、映せ」

 短い詠唱を口にする。

 ガーネットの手元から現れた光の粉は、カイナの目の前で収束し、やがてティーンの後ろ姿に結像した。側では、ザストゥが、再び頭を抱えている。

「ねぇ、顔は見れないの?」

 等身大に映し出されたティーンの後ろ姿にはしゃぎながら、カイナが言う。

「ちょっと待ってね」

 言い、ガーネットは視点をずらす。ゆっくりと、ティーンの映像が回転し始める。

「きゃー! 美形!」

 ティーンの横顔が見え始めた辺りから、カイナが騒ぎ始める。映像が正面を向いた頃には、カイナはただきゃーきゃー騒ぐだけになっていた。

 と、唐突にカイナは騒ぐのをやめると、

「お兄ちゃん、あの人、ここに連れて来て」

 ザストゥの服の裾を引っ張り、言う。

「駄目だ駄目だ!」

 カイナの両肩に手を置くと、ザストゥは叫び始める。

「あんなのはどーせ女ぐせの悪い奴に決まってる! 弄ばれて最後には捨てられるんだぞ!」

「お兄ちゃん、いっつもそう言って男の人と会わせてくれないじゃない! あたしももう十六よ! 恋の一つや二つ、したっていい年頃じゃない!」

 従兄弟にそう言い返すと、カイナはガーネットの方を向き、

「ガーネット、命令! あの人呼んで!」

「こら待て、ガーネット! 絶対呼ぶな!」

 二つの食い違う命令に、ガーネットは腕を組み、

「やっぱりカイナちゃん優先かなー」

 呟く。

 ザストゥが顔をしかめ、カイナが勝利の笑みを浮かべた頃、ガーネットの頭に声が響く。

 見ると、カイナの前に映し出されたティーンの映像も、呪法を発動させていた。

「どしたの? ティーン」

『訊きたいのはこっちだ。一体何をやっているんだ?』

「カイナちゃんが、ティーンの顔を見たいっていうから……つい。

 あ、そーだ、カイナちゃんがね……」

「ちょっと待て! ティーンか!」

 ザストゥが、ガーネットの頭を押さえつけ、

「ティーン! お前はそのままそこにいろ! 命令だぞ!」

 叫んだところで聞こえる筈はないのだが。いや、テラスから正門まで響く大声を出せば話は別か。とにかく、ガーネットは、ザストゥを無視し、

「ティーン、カイナちゃんがね、こっちに来て欲しいって」

『私は一応、カイナ・プレテオルには近づくなと言われているんだがな……』

「んなもん無視無視。ザトちゃん怒っても怖くない。カイナちゃん泣いたら可哀想」

「こら! ガーネット!」

「お兄ちゃん……ホントに泣くわよ」

 慌ててガーネットを止めに入ったザストゥだが、カイナの呟きに硬直する。

「明日から口きかないよ。天国のパパとママに、お兄ちゃんがいじめるって報告するよ」

「ち、ちょっと待て、カイナ」

「恨んでやる呪ってやる。お兄ちゃんがあたしの青春を台なしにするんだ……」

 おろおろし始めるザストゥを見やり、ガーネットは、

「ティーン、ザトちゃんの方も了解したから。早くこっち来てね」

『……分かった。取り敢えずその映像を消してくれ』

 それだけ言うと、声は途切れた。ガーネットは、言われた通りに映像を消す。

「あー、もっと見たかったのに……」

「大丈夫。すぐに実物が来るから」

「本当!?」

 などと会話を交わしているうちに、ティーンがテラスの柵の前まで飛んで来る。

「……で、私に何の用だ?」

「きゃー! 本物ー! クールぅ!」

 あまり感情の感じられないティーンの態度をどう取ったか、カイナが叫ぶ。

「ティーンっていうの? あたしもそう呼んでいいよね? あたしのことはカイナって呼んで!」

 言いながら、ティーンの手を取ると、ぶんぶんと振り回す。

「年いくつ? 彼女いないよね? あたしが先約…………あ」

 不意に、カイナが電流に撃たれたように、動きを止める。

「どうした? カイナ」

「ティーン…………あなたに……運命の転機が……」

 ザストゥの呼びかけが聞こえないかのように、緑の双眸を大きく見開き、カイナは呟く。 ガーネットが、そっとスペサルタイトに目配せしたが、カイナの様子に気を取られているザストゥとティーンは気づかなかった。

「何かが邪魔して……よく聞こえない…………。近い……一週間もない……」

「何だ? これは」

「カイナの予言だ! ……だが、いつもと様子が違う」

 ティーンの問いに、ザストゥが答える。

 ガーネットの背後では、スペサルタイトがカイナに視線を集中させていた。

「……ノイズが……ひどくなる…………。待って……名前が聞こえる…………」

 うずくまり、両手で耳を塞ぐようにして、カイナが続ける。

 スペサルタイトの目が、大きく見開かれる。

「……誰……邪魔してるの…………。

 …………あ……」

 カイナが、耳を塞ぐのをやめ、立ち上がった。ティーンの瞳を見つめながら、

「……聞こえた……。

 …………ドルティオーク……」

 瞬間、ティーンは瞳を金色に染め、ガーネットの背後では、スペサルタイトが顔をしかめていた。


 その日の深夜。彼女らは屋敷の裏庭にいた。予言を終えたカイナは再びティーンを捕まえてはしゃいだ後、はしゃぎ疲れて眠っている。ティーンは、正門の前に戻り、警備を続行している。

「迂闊だった……。嘗めてたわ。あの子の能力……」

 呟いたのは、ガーネット。

「私もよ。まさか、私の妨害を破るなんて……よほどオーグリア神とホズティス神の加護が強いのね……」

 呟き返したのは、ガーネットと瓜二つの女性。ただ、全体の色がオレンジがかっている点のみが異なる。

「こうなったら……リーゼは……」

「いくら止めても無駄ね。突っ走るわよ。きっと」

 ガーネットは、嘆息し、

「仕方ないわ。スペサルタイト、あなたはイリアの所に戻って、指示を仰いで。

 あたしは一応、リーゼの様子を見るわ」

 スペサルタイトと呼ばれた、オレンジがかった女が頷く。

 ガーネットは、スペサルタイトに手をかざすと、

「セミープレシャス プロトタイプ〇三八 コードネーム《スペサルタイト・ガーネット》

 汝の名を以て、汝が地へと、汝を送らん」

 呟くように、詠唱する。

 スペサルタイトの姿が、光の粉となって、消えた。

「あー、頭痛い」

 一人残ったガーネットは、なげやりにそう呟いた。


「何か用か? ザストゥ」

 正門の前に立つティーンは、後ろから近づいて来たザストゥに、振り返りもせずそう言った。

「さっきのカイナの予言で、気になることがあってな」

 言いながら、ザストゥはティーンの横に並ぶ。

「カイナの予言は、いつも明瞭だ。今日みてぇに、何かが邪魔してる、だの、よく聞こえない、だの……そういうことは一切なかった。

 あれは一体何なんだ?」

「私も知らない。ただ、予言の内容はとんでもなかったがな」

「……確か……一週間もねぇって言ってたな。何が起こるんだ?」

「カイナが最後に言った名前、覚えているか?」

 青い双眸をザストゥに向け、ティーンは尋ねる。

「あまり覚えてねぇが……ドル……何とか……」

「ドルティオーク。『禁忌』の名だ」

 ザストゥの目の前で、ティーンの双眸が金色に染まる。

「『禁忌』って……ちょっと待て! リュシア教からの警告じゃ、まだ先……」

 慌てるザストゥに、ティーンは瞳を青に戻し、冷静に、

「近づいて来たからと言って、すぐに攻め込んで来る訳ではないだろう。事前に周囲に潜伏しておいて、時が来れば押し入る……恐らく、そんなところだ。

 カイナが言ったのは、奴らの接近に私が気づき、私の方が奴らの元へ出向く……その暗示だろう。事実、奴の居場所が判明すれば私はそうする」

「……勝てるのか?」

 ザストゥの硬い声に、ティーンは淡々と、

「カイナは、運命の転機だと言った。死相が出ているなどとは言っていない。

 私が勝つか、或いは――」

 ――奴の手に落ちるか、だ。

 ティーンは、最後の言葉は口に出さず、無言で、懐から指輪を取り出した。大きな赤い硝子玉の嵌められたもので、一見して大した価値はなさそうなものである。それを、左手の人差し指に嵌める。

「…………?」

 不意に、ティーンが裏庭の方角へ視線を移す。

「どうした?」

「スペサルタイトの気配が消えた」

「スペサルタイト? ああ、あの鳥か。どっか飛んで行ったんじゃねぇか?」

「気配が離れて行ったのではない。消えたんだ」

 言い、ティーンはまた魔力を操り、

「ガーネット、何があった? スペサルタイトの気配が消えたが」

『急にいなくなっちゃったのよ。さっきまでいたんだけど……』

「前から思っていたんだが……あの鳥は何だ? 戦闘能力がお前並に有りそうだが」

『友達よ。鳥鳥って言わないで。

 ……まぁ、強いのは事実よ。本気で戦ったことないけど。

 それにしても、どこ行っちゃったんだろ……。ティーン、見つけたら教えてね』

 それだけ言って、会話は途絶えた。

 多少腑に落ちないものを感じつつも、ティーンは、

「ところで、率直に訊くが……」

 ザストゥに話しかける。

「カイナはどう言っているんだ? 彼女自身やお前の死期が近いとは言っていないのか?」

「あ? そんなことは一言も言わないが……」

「なら、安心だな。どういう経緯でそうなるかは知らないが……結果的に、『禁忌』はここへは来ない」

「お前が倒してくれるのか?」

「……別の可能性の方が強い」

「別の? 何だ、そりゃ」

「今は言えない」

 素っ気なくそう言うと、ティーンは人差し指の指輪に目を落とす。

 ――絶対に、奴の手にだけは落ちない。

 赤い硝子玉に全てを賭ける思いで、彼は胸中で呟いた。


「あ、おはよ。ティーン」

 翌朝、一応仮眠室から出て来たガーネットは、朝食を食べ終えたところのティーンを見つけ、声をかけた。

 彼に近づきつつ、言葉を続ける。

「どう? あれからスペサ……」

 が、ティーンの姿が詳細に見える所まで近づいて、絶句した。

「どうした?」

「あ、何でもない何でもない」

 顔が引きつりそうになるのを必死で抑えつつ、ガーネットは取り繕う。

「それより、スペサルタイト、見つからない?」

「まだ反応はないな」

「……そう。これから寝るの?」

「ああ。何かあったら起こしてくれ」

「分かったわ。お休み」

 ――……ど、

 去って行くティーンの後ろ姿を見送りつつ、ガーネットは胸中で悲鳴を上げていた。

 ――どこで手に入れたのよ!? あんなモンーー!!


 ――まったく、世話のやける……!

 ティーンと別れて三十分ほど経ってから。

 ガーネットは、仮眠室の方へ向かっていた。ティーンの気配のする部屋の前に立ち止まると、扉をノックし、

「ティーン、起きてる?」

 声をかけてみる。

 返事は、ない。

 ――眠ったかな? でも一応念のため……

 ガーネットは、ノブに手をかけるが、鍵がかかっている。鍵を外すことはできるが、それでは元通りに閉めるのが難しい。――と、なれば――

 ガーネットは、辺りを見渡し、誰の目もないことを確認する。元々、生体探査の呪法で近くにティーン以外の人間がいないことは承知済みだが……念のためである。

 誰もいないことを確認すると、ガーネットは、扉を素通りし、部屋の中に入る。

 別に何ということはない、ただの仮眠室である。ガーネットが昨夜の深夜から今朝まで念のために入っていた部屋と変わりない。ベッドがあり、テーブルがあり、椅子があり、そんな部屋だ。

 ティーンは、椅子の背もたれにマントをかけ、眠っていた。ガーネットは、眠っている彼に近づくと、額の辺りに手をかざし、

「眠りをもたらし、安寧へと導くものよ。暗き闇の中で安息をもたらすものよ……」

 眠りの呪法を、短縮せずに、眠っているティーンに更にかける。

 これで暫くは、よほどのことがない限り目を覚ますまい。

 用を終えたガーネットは、入って来た時と同じように、扉を素通りして出て行った。


 人気のない所――と言えば、彼女が昨夜も利用した裏庭だった。普段なら、警備員が何人かうろついている筈なのだが……昨日ティーンが倒してくれたお陰で誰もいない。

 その裏庭に、彼女――ガーネットは佇んでいた。瞳を閉じ、意識を集中させる。

 ――スペサルタイト

 ――スペサルタイト

 彼女の意識に自分の意識を同調させつつ、呼びかける。

 何度か呼びかけるうちに――

 ――聞こえるわ。ガーネット。

 意識の中に、声が響いてきた。接触に成功したらしい。

 ――イリアは警戒しながら現状を維持するように……

 ――それは後でいいから!

 スペサルタイトの声を遮り、ガーネットは言う。

 ――緊急事態よ。そっちに、ホーセルの粉末とレズラの実はない?

 ――ちょっと、それって……

 ――いいから早く! イリアに聞いて!

 暫し、声が途切れ――やがて再び聞こえてくる。

 ――両方あるって。

 ――じゃあ、それ持って、大至急戻って来て。大至急よ。

 ――何があったの?

 ――何でか知らないけど、リーゼがカイアスズリア持ってるのよ!

 ――分かった。急いで戻るわ。

 深刻な声を最後に、交信は途切れた。

 ガーネットは、嘆息し、

「あー、頭痛い」

 昨夜も言ったその台詞を、また口にした。


「来たわねー」

「来たな」

 カイナの予言から四日。ガーネットとティーンの二人は、顔を合わせるなりそう言った。 カイナの部屋の前である。カイナが懐いてしまったということで、ティーンもカイナの護衛にまわされたのだ。因に、カイナの部屋は二階にあるが、そのすぐ前の廊下がテラス状になっており、吹き抜けの一階のホールが見渡せる。

 二人は、その廊下から、並んで一階を見下ろしながら話していた。

「『禁忌』には、部下がいるみたいね。奴を含んで、あたしでも勝てそうなのが六つ。ティーンなら勝てそうなのが7つ、それから……」

 と、そこまでは世間話のような口調で話していたガーネットは、急に声のトーンを落とし、

「ティーンより明らかに強いのが一つ」

 『明らかに』の部分を強調し、釘を刺すように言う。

「本当に戦う気?」

「そのつもりだ」

 ティーンの言葉に、ガーネットは嘆息する。因に、スペサルタイトはまだ戻って来ていない。

「まぁ、二、三日は様子見ましょ。向こうが動き出さない限り。

 ……ところで……中にセイズの反応が混じってるの、気づいてる?」

「ああ。セイズも奴らの仲間だ。そうでないと知っている筈のないことを知っていた」

「いつから気づいてたの?」

「呪法院にいた時からだ」

「……よく放っておいたわね……」

 感心したように呟くガーネットに、ティーンは淡々と、

「呪法院での課程を全て終えてから、奴のことを聞き出そうと思っていたが……その前にいなくなったからな」

「ま、取り敢えずは現状維持よ。

 どうしようか? ザトちゃんには報告しとく?」

「一応言っておいた方がいいだろう。どうせ、奴の所に出向くときには伝えなければならない」

「そうね……。

 ザトちゃーん!」

 ガーネットは頷くと、カイナの部屋の扉を開き、ザストゥを呼ぶ。

「誰がザトちゃんだ!」

 まだ諦めていないのか、ザストゥは未だに抗議の声を上げながら出て来た。

「で、何の用だ?」

「近くに『禁忌』が来たみたいだから、報告しとこうと思って♪」

 妙に明るい調子でガーネットが言い放った言葉に、彼は暫し硬直した。


「勝てるのか? おい、勝てるんだろうな?」

 翌日の夜。雨音の響く中、揃って出発の準備をするティーンとガーネットに、ザストゥは上擦った声で問いかけていた。

「実を言うとねー」

 ガーネットが、昨夜帰ってきたばかりのスペサルタイトを撫でながら、明るく言う。

「ティーンでも何やっても絶対に勝てそうにないのが、一人ほどいたりするの♪」

「何でそんなに明るく敗北宣言できるんだ? お前は!」

「――敗れるとは限らない」

 ザストゥの裏返った声に、いつになく鋭い声で答えたのは、ティーンだった。

 抜き放った剣に、自分の顔を映しつつ、

「少なくとも、奴の思い通りにさせるつもりはない」

 硬く、宣言するように言う。

「……じゃ、行こうか、ティーン。セイズも近づいて来てるし」

「……ああ」

 屋敷の扉を開けると、昏い空から降りしきる雨粒と、それが地面に触れ潰れる様だけが見えた。


 二人と一羽――ティーンとガーネットとスペサルタイトは、夜の森の中を進んでいた。こちらに向かって来る、セイズの気配を目指して。

 暫く傍観を決め込んだ二人が突然動き出したのは、向こうに動きがあったからだ。向こうから一人――気配からしてセイズに間違いないのだが――が、こちらに向かって動き始めたのである。

 明かりは二つ。共に呪法で生み出したもので、一つは二人の側を漂い、もう一つは数メートル先を先行している。

 雨が木々を叩く音に混じる足音は、一つのみ。ガーネットは、いつもの如くスペサルタイトに乗っていた。どうやらこの鳥、翼が濡れても平気なようである。

 三十分も進むうち――変化が起こった。先行する光が止まったのである。それに照らし出されるのは、一人の男。

 中肉中背、雨に濡れた派手なローブ、雨粒のしたたり落ちる、左耳の大きなピアス。

 間違いなく、二人の呪法院での学友・セイズだった。呪法の明かりに照らし出され、歪んだ笑顔が不気味に浮かぶ。

 雨粒が木々を叩く音だけが、暫く響く。

「…………やれやれ。

 予言者の屋敷の状況を見てくるように言われたんだけどね……」

 先に口を開いたのは、セイズだった。

「お姫様のお越しとあっちゃあ、そっちを優先すべきかな?

 ねぇ、リーゼ?」


「僕じゃ君たちに勝てない。それは充分わかってるよ。

 だから、僕は君たちと戦おうとは思ってない」

 無言の二人に向かって、セイズは一人、言葉を続ける。

「問題は、君たちが僕と戦おうと思ってるかどうかだ。けど……」

 セイズは、ティーンとガーネットを順に指し、

「僕と戦えば、君たちもそれなりに消耗するし、当然呪法の応酬になるから、僕の仲間も不審に思ってやって来る。

 そこで、君たちの選択肢は二つ」

 まず、指を一本立て、セイズは続ける。

「ここで僕を倒し、消耗した上で僕の仲間たちと戦う。これが一つめ」

 次に、指をもう一本立て、

「もう一つは、僕に案内されて僕の仲間たちの所へ行く。これなら、戦力の浪費は無しで僕の仲間たちや……勿論隊長にも会える。

 ……どっちにする?」

 どうやら、『隊長』というのが、彼らの中での『禁忌』の呼び名らしい。

「その三。あんただけ倒してとっとと逃げる」

「……二つ目だ」

 ガーネットの入れた茶々を無視し、ティーンが答える。

「……決まりだね。ついておいで」

 言うと、セイズは二人に背を向け、歩きだした。


 雨は、止みそうになかった。小降りになるでも、勢いを増すでもなく、ただ降り続いている。

 誰も、何も言わない。セイズの後を歩き、森の中を進む。『禁忌』と思しき反応は次第に近づきつつあった。

 そんな時である。

「……もう……やめなよ」

 ぽつりとした呟き――下手をすれば雨音にかき消されていたであろう――に、ティーンとセイズが振り返る。

「だめだよ……そんなの……」

 声の主は、ガーネットだった。スペサルタイトに乗ったまま、俯き、呟いている。

「どうした? ガーネット」

 ティーンが尋ねる。俯いているせいと、呪法の明かりしかないせいで、彼女の顔は口元しか見えなかった。

「やめなよ。仇打ちなんて」

 今度は、はっきりとした声で、彼女は言った。顔の上半分を隠す前髪から、雨粒が落ちる。

「無意味だよ」

 暫し、雨の音だけが響く。三人の間の沈黙を破ったのは、ティーンの一言だった。

「無意味などではない。私は一族の無念を晴らす。

 ……仮令、返り討ちに終わろうと……私は行動する」

「そんなこと、誰も望んじゃいないよ」

 ガーネットの声に、ティーンの声が震え始める。

「私の家族は、私の目の前で皆殺しにされた。村中の、惨たらしく殺された骸も目にした。

 今でも、彼らの無念さが伝わって来る。生き残った私は、彼らの無念を背負っている」

「誰も無念に死んで行ったりしてないよ。みんなの望みは、生き残ったあなたが安らかに過ごすことだけ。

 復讐して欲しいなんて、誰も考えちゃいないよ。

 無念に感じるのは、あなたが怒りを通してしか見ていないからだよ。穏やかな心で見てごらん。死者は、平穏と、残された者の幸福を願ってる」

 ティーンの周りで、雨粒が弾ける。――彼が、大きく腕を振ったのだ。

 金色の瞳で、ガーネットを見据え、

「お前に何が分かる!? ただの噂で滅ぼされた一族が、何故無念に思わない!? お前が何を知っていると言うんだ!!」

「分かるから……知ってるから言うんだよ!」

 言い、ガーネットが顔を上げる。

 二対の金色の双眸が、対峙した。

 ――そう。顔を上げたガーネットの瞳は、金色に輝いていた。

「ガーネット……お前は……」

 戸惑いの色を見せるティーンの目の前で、ガーネットの姿が、スペサルタイト共々、足元から燃え始める。

 その身を炎と変えながら、ガーネットは更に言葉を紡ぐ。

「イリアも言ってたよ。生き残ったあなたには、あなたの幸福があるって」

「待て! ガーネット! お前は巫女頭とどういう……」

 ティーンの言葉が終わる前に。

 彼女の姿は、炎となって消えた。

「…………

 彼女……人間じゃないんだね」

 ティーンの瞳が青に戻った頃、セイズがぽつりと呟いた。


「もうすぐだよ」

 先行するセイズが言ってくる。

 ガーネットとスペサルタイトが消えた後、二人は暫し呆然としていたが、やがてどちらからともなく進み始めた。

 イリア――巫女頭の名が気にならない訳はなかった。しかし、今はあの気配が近くにある。あの、ティーンすら敵いそうにない気配。よく知っている。ドルティオークの気配だ。

 四年半前に彼から全てを奪った張本人。彼を目の前にして、他の疑問に構っている余裕など、ティーンにはなかった。

 セイズに言われるまでもなく、ドルティオークが間近に迫っていることは気配で分かる。ティーンは、黙って左手の人差し指の指輪を外した。

 赤い硝子玉を押すと、それは簡単に外れた。 無言で呪法を発動させ、硝子玉の上部を削り取る。中は、どろりとした赤い液体で満たされていた。それを、飲み下す。独特の強い苦みが、喉に刺さった。

 呪法の気配に気づいたセイズがこちらを振り返ったのは、その時だった。

「……なるほど」

 ティーンの手から、空になった硝子玉――実際は、硝子そのものは無色透明で、あの赤色は液体の色だったらしい――を取ると、しげしげと見つめる。

「ホーセルとレズラは? あるのかい?」

 それを懐にしまいつつ、セイズが尋ねてくる。

「準備していない」

「隊長が泣くよ。

 ……まぁ、もう手遅れだから、何も言わないけど」

 言って、セイズは再び歩きだす。その後を歩くティーン。

 気配は、もうすぐそこだった。


 どうやら廃屋のようだった。塗装の剥げた木の板、打ち付けたれた窓、もはや穴でしかない扉。

 その廃屋の中から、十二人ばかりの気配が感じられる。おそらく、『禁忌』の部下が待機しているのだろう。

 そして、その廃屋の前に、彼は立っていた。 黒い髪を後ろに撫でつけた、三十代後半の、身長の高い男。身に纏う黒い衣服に黒いジャケット、グローブ、ブーツ……一見して丸腰である。

 『禁忌』ことドルティオーク。それが、彼を示す言葉だった。

 呪法の光で辺りを照らし出し、降りしきる雨に濡れながら、彼は立っていた。

「隊長、ただいま戻りました」

 セイズが、森から廃屋へ向かいながら、言う。

「残念ながら、例の予言者の屋敷には向かっておりません」

 命令無視とも取れるセイズの発言に、彼は怒った風もなく、

「事情は分かっている。セイズ、よくやってくれた」

 逆に労いの言葉をかける。

 セイズは、恭しく一礼し、身を横に引く。その後ろから、小柄な人影が現れる。

 細い紐でまとめた長い金髪、厚手のローブに、上から羽織ったマント、そして、金色の双眸。全身から雨粒を落としながら、ゆっくりとドルティオークに近づいて行く。

 そして、彼との間に五歩ほどの距離を残し止まった。

「四年ぶりだな。ドルティオーク」

 感情を押し殺した声で、そう呟く。

 一方、ドルティオークの方はというと、両手を広げ、歩み寄り、その小柄な身体を抱き締め、

「リーゼ。生きていてくれたか」

 囁くように、言う。

 一瞬、二人の間に沈黙が落ちた。だが――

「私に触れるな!!」

 声と共に小柄な人影――ティーンが、剣を抜き放ち、大きく振るう。

 寸前で抱擁を止め、後ろへ下がるドルティオーク。

 ティーンもまた、後ろへ身を引き、

「四年半前に滅ぼされた一族の恨み! 今ここで晴らさせてもらう!」

 剣を構えながら、叫ぶ。

「――絶対に、手を出すな」

 ドルティオークは、傍らに立つセイズと、廃屋を見やり、凍るような声でそう言った。


 焦燥が、ティーンを支配していた。

 武器を取り上げられたわけでもない。致命的な負傷を負わされたわけでもない。力を使い果たしたわけでもない。

 無傷で、余力は充分にある。

 にも拘らず、ティーンは追い詰められていた。

 この決闘は――決闘と呼べるかどうかは疑問だが――ティーンのみが攻めているのである。

 ドルティオークは、何も仕掛けて来ない。

 ただ、ティーンの攻撃を悉く防いでいるのだ。

 呪法は虚しくかき消され、剣は彼にかすりもしない。投げ付けた針やダガーは何本になるかも覚えていないが……全て、的から外れている。もはや、手持ちの針やダガーは三分の一も残っていないだろう。

 相手は丸腰。使う呪法も、ごく短い防御系の詠唱のみ。

 こちらが息を切らしているというのに、相手は平静そのものである。

「大海のかけらよ、大いなる恵みの雨よ、我が声に応え刃と化せ!」

 ティーンの声に応え、超高圧の水の刃が出現する。だが――

「消えよ」

 ドルティオークの一言で、それは消えた。

 短縮詠唱は、一般的に、語数が多いほど強力となる。ティーンの呪法をかき消したのはたった一語――差は歴然だった。

 不意に、ドルティオークが動く。一歩前へ出たのだ。

 反射的に、下がるティーン。が、

「リーゼ。もうよすんだ」

 ドルティオークは、殺意も敵意もなく、なだめるように言っただけだった。

 ――遊ばれている。完全に。

 ティーンは、奥歯を噛み締めた。実力差があるとは思っていたが、これ程までとは――

「もういいだろう。こっちへ来るんだ」

「黙れ!」

 萎えそうになる気力を奮い立たせ、叫ぶと、手にした剣に炎の呪法をかける。

 炎を宿した剣を右手に、ドルティオークに向かって駆けるティーン。

 相手が剣の間合いに入る直前に、左手を振り、袖に隠してあった鎖を伸ばす。

 完全な油断からだろうが――鎖はドルティオークの右手に絡み付いた。

 そのまま、燃える剣を振りかぶる。が、

 ドルティオークは事もなげに、ティーンの手から剣を奪うと、後方へ投げ捨てる。更に、鎖の絡まった右手を引き、ティーンの身体を引き寄せる。

 瞬時に、両手を後ろ手に掴まれた態勢となった。

「リーゼ。もう止めろ。お前では俺には勝てん」

 耳元で聞こえる、優しい声。

「……殺せ!」

 せめてもの抵抗で叫ぶ声。しかし――

「誰が死なせるものか。やっと帰ってきたお前を……」

 返ってきたのは、その言葉と、口づけだった。

 ティーンの手の戒めを解くと、ドルティオークは、ティーンの身体を自分の方へ向ける。

 片手でティーンを抱き寄せ、もう片方の手で、ティーンの頬を撫でる。

「その金色の瞳……初めて出会った時のままだ。……美しい」

 ティーンは、彼の手を振り払おうとするが、彼の力は強すぎた。到底、振り払えない。

 ティーンの身体を、強烈な目眩が襲ったのは、そうしてもがいている最中だった。

 ――時間は、もうないらしい。

「猛き炎よ、全てを灰燼へと化すものよ、我が呼びかけに応えよ……」

 覚悟を決め、詠唱を口にするティーン。

「無駄だ。俺には効かん。分かっただろう」

 ドルティオークに効かないのは承知の上で、ティーンは詠唱を続ける。

「……今こそ一条の光と化し、我が敵を討ち滅ぼせ!」

 虚空に、光が現れた。それは、次第に収束しつつ、ドルティオークへと向かって行く。

「防げ」

 呟くような声。光は、その声を合図にしたかのように、突如進路を変えた。

 急速に加速しつつ、標的へと収束する。

 ――標的――すなわちティーン自身に。

「!!」

 間一髪、ティーンを抱え横へ跳ぶドルティオーク。すぐ側の地面が、オレンジ色に煮沸していた。

「リーゼ! お前は……」

 驚愕を隠し切れず、自分の腕の中のティーンを見るドルティオーク。だが、

「……もう……遅い」

 彼の声に応えたのは、不自然に息の荒い、ティーンの声だった。

「……一族の……無念を…………晴らせなかったのは……心……残りだ……が……」

 ドルティオークは、今更になって気づいていた。自分の腕にかかるティーンの重みが、次第に増していっている。

「私は……お前の……ものに…………なる……気は……ない…………。

 お前の……手に落ち……再び…………凌辱される……くらいなら……」

 言葉半ばに、ティーンは目を閉じた。その身体から、急速に力が抜けて行く。

「リーゼ! リーゼ!!」

 狼狽し、自分の手の中のティーンを揺さぶるドルティオークに、セイズが硝子玉を見せる。

「これは……まさか……」

 セイズの手からそれを取り、絶望的に見つめる。透明な硝子の内側に、赤い液体が微量に付着していた。

「飲んだのか……?」

 ドルティオークの呟きに、セイズは肩をすくめ、

「僕が気づいた時には飲み下してました」

「……何ということを……!」

 もう一度、空になった硝子玉を見る。このような強い赤の毒薬は、一つしかない。

「……カイアスズリア……」

 硝子玉を握り潰し、愕然とその名を口にする。

 極めて強力な毒薬で、独特の赤みと苦みがあるため暗殺には向いていないが、自殺に用いられることは多い。解毒剤はあるにはあるが、カイアスズリア自体が希少性が高い上に、解毒剤の原料の希少性もカイアスズリア並に高いことから、まず手に入らない。解毒剤を作り出すには、ホーセルの粉末とレズラの実という二つの希少性の高い材料を捜しだし、それらを正確に調合しなければならないのだ。しかも、調合した解毒剤は一日と経たずに効果を失う。――つまり、解毒剤を予め作って保管しておくことはできないのだ。

 カイアスズリアならば、服用後五、六時間で死に至る。今から解毒剤を探したのでは到底間に合わない。仮に材料を調達できても、調合する時間が無い。

「リーゼ! リーゼ!!」

 いくら揺さぶろうが、微動だにしない。服用後に激しく動き回り、その上雨で体温を奪われているのだ。このままでは、五時間を待つまでもない。

「リーゼ……馬鹿な……」

 ドルティオークが、死体と化しつつあるその身体を抱き締めたとき、ふと、雨が止んだ。

 不審に思って見上げれば、空には星が瞬いていた。雨雲など元からなかったように。

「この解毒剤(くすり)は水に浸かると効果が薄れるのでな。雨雲には消えてもらった」

 突然の声。振り向けば、そこには、オレンジ色の牛ほどの大きさの鳥を従えた女が立っていた。

 深い赤の髪に、同色の瞳。身に纏うローブもマントも深い赤で、身につけた装身具も赤い石が使われている。

 女も、鳥も、全く雨に濡れておらず、それどころか気配もない。現に、目の前に存在しているというのに、である。

「調合済みだ」

 女は、それだけ言うと、小さなガラスの瓶をドルティオークに投げる。中に入っていたのは、微妙な赤紫の粘り気のある液体。

 迷わず口を開けさせ、その中身を、既に冷たくなった唇の間に流し込む。だが、それがそのまま、口角から流れ出る。飲み込むだけの体力も残っていないらしい。

 ドルティオークは、今度は自分がそれを口に含むと、口移しで飲ませる。完全に飲み込んだらしく、吐き出す気配はない。

「……礼を言う」

 ドルティオークが呟くと、女は、

「その者が死ぬと困るのはこちらも同じだ。人たることを捨てた者よ。

 我々は汝の味方ではない。中立、と考えて欲しい。今回はただ、利害が一致したのみ」

「……名を……聞かせてくれないか?」

 女は、ドルティオークの言葉に嘆息し、

「我々に汝らの言うような名は存在しない。

 ……だが、正式名称は伝えておこう。

 我は、セミ‐プレシャス プロトタイプ〇一三 コードネーム《ガーネット》」

「我は、セミ‐プレシャス プロトタイプ〇三八 コードネーム《スペサルタイト・ガーネット》」

 女に続き、彼女の傍らの鳥が口を開いた。

「では、我々は失礼する。もう留まる用件もなくなった。

 ただ、人たることを捨てた者よ、これだけは覚えておけ。

 我々にとって、その者の死は何をしてでも避けるべきこと。汝がその者を再び死の淵へ追いやるなら、我々は汝の存在を消す」

「言われずとも……二度とこんな目には遭わせん」

「……それでいい」

 ドルティオークの言葉に、そう呟くと、女は傍らの鳥ともども、炎となって消えた。






以前、GAIAさまにこちらを分割投稿した際は、ティーンの正体はお兄ちゃんだと思ったと、思いもしなかったミスリードに遭われたかたがいらっしゃいましたが、皆様はティーンの正体気づいていらっしゃったでしょうか。


まあ、「彼」という呼び方は卑怯だったと思います(;^_^A


この章では自殺未遂が出ましたね。

とことん、副島王姫の頭はダークです。カオスです。


新作に集中したいので、どんどん上げてい行きます。

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