第一章 平凡の中の非凡
コピペするために読み返していて……やっぱりR15かなぁと思ったり。
この章は比較的穏やかですが。
次の章から色々と混沌としてきます。(;^_^A
1、平凡の中の非凡
白く塗られた円形の壁と、青いドーム状の屋根とで出来上がったその建物は、頂上に王国の旗をなびかせて、厳粛に静まりかえっていた。
だが、その厳粛な雰囲気は、中から響いた祝いの、そして席の終わりを告げるファンファーレと共に、消えた。ややあって、間隔をおいて幾つも並んだ扉が開き、中から人があふれ出て来る。晴れやかな笑顔を浮かべた人々は皆、同じブローチを誇らしげに身につけていた。
青いクリスタルの中に、このセルドキア王国の紋章が彫り込まれたブローチである。この王国の王立アカデミーを卒業した証だ。
だが、喜びに浸る人々に混じって、一人、何の感慨も表に出していない者がいた。女のように長い金髪を細い紐で束ね、整った顔立ちをしているが、その顔にはやはり喜びの色はない。厚い生地のローブをきっちりと着込み、上からマントを羽織ったその姿にも、やはり同じブローチはあるのだが。
彼の青い瞳は、互いの卒業を祝いあう者たちの姿など入っていないように、虚空を物憂げに眺めていた。
「おい、ティーン!」
背後からかけられた声に、彼はゆっくりと振り返る。馴染みの深い声ではあったが、彼は振り向き、声の主を確認してから口を開いた。
「……ウォルト」
やはりどこか物憂げな調子で、駆け寄って来た友人の名を口にする。
黒い髪を短く刈り上げた、やや痩せ気味の男で、ティーンの頭一つ分は背が高い。……もっとも、これはウォルトが長身というのではなく、単にティーンが小柄というだけのことであるが。
「どうしたんだよ? シケた面しやがって」
ティーンと同じくブローチを身につけた彼は、ティーンの首に腕を回しながら尋ねてくる。
「別にどうもしない。ただ喜ぶだけの要素がないだけだ」
首に回された腕を振り払う様子もなく、彼は淡々と答える。
「お前な……そんな人生見放したような事ばっかり言ってるから、彼女の一人もできないんだそ。顔はいいのによ」
「そんなもの、欲しくもない」
と、今度はウォルトの腕を首から外し、スタスタと歩き出す。
「……それで人生楽しいか?」
慌ててウォルトも歩き出し、尋ねるが、答えはない。彼は、溜め息混じりにこの友人の横顔を眺めた。
金髪碧眼。背は低いものの、一見美女と見間違えそうなほどの整った顔立ちをしている。成績も優秀で、実を言えば、アカデミーに入ったのはウォルトよりも三年も後だ。確か、まだ十七歳の筈である。
確実に、良い噂が流れている筈なのだが、ウォルトは彼が女性と親しくしているところなど見た事がなかった。それどころか、よくよく考えれば、自分以外に親しくしている友人も思い当たらない。
それは彼の、妙に人生を突き放したような態度のせいだと、ウォルトは思う。友好関係の広い彼だが、ティーンのこの態度に馴染むのには流石に時間がかかった。それに、ここ数年の付き合いで分かったことだが、彼の瞳は、時折、暗いものを内から発するのだ。この暗い光のせいで、ウォルトは何度も、彼の素性を訊きそびれている。何年も付き合っていながら、未だに彼の出身さえ聞き出せないのだ。無論、その暗い瞳の理由も。
「お、そうそう、礼を言っておくぜ」
「……何の話だ?」
唐突なウォルトの言葉に、ティーンは歩きながらも、訝しげに尋ねた。
「呪法院への特待が出たんだよ。第二級でだぜ。お前が勉強見てくれたお陰だよ」
その言葉に、ティーンはふと立ち止まる。今まで歩いていた勢いで彼を追い越してしまったウォルトは、振り向いて彼に近づこうとするが、その時には既にティーンは再び歩きだしていた。
「呪法院へ行くのか」
「あ、ああ」
てっきり冷たくあしらわれるものとばかり思っていたウォルトは、友人の意外な反応に戸惑う。
「奇遇だな。私もだ」
「やっぱりお前も特待出てたのか?」
ウォルトの問いかけに、ティーンは軽く頷くと、
「ああ。呪法院と戦技院、両方な」
「……両方か……。流石だな。
で、何級なんだ? 第一級か?」
「いや……いずれも特級だ」
「特級ぅつ!?」
平然とした友の言葉に、ウォルトは思わず大声を上げていた。
「お前……特級呪法士になって、その上特級戦技士になるのか?」
「まぁな。先に戦技院に行って、呪法院は後のつもりだが」
「軍の特殊部隊にでも入るつもりか?」
「そういうわけでもないんだが……」
「しかしお前……アカデミー卒業に呪法院と戦技院の特級特待……これだけ揃って、一体何が『喜ぶだけの要素がない』なんだ? 俺なんか、第二級の特待決まった時点で、宴会開いてたぞ」
確かに、このアカデミーの卒業生であっても、呪法院や戦技院の特待が得られることは滅多にない。せいぜい、ほんの一握りの者たちが、どちらかの特待をどうにか得る程度である。それも、ほとんどが第四級程度で、第二級・第一級、ましてや特級などは何年、十何年に一人といったところだ。実際、ウォルトなどは第二級の特待が決まった時点で、周囲からかなりの驚愕を向けられたのだから。
ウォルトの言葉に、ティーンは暫し黙り込み、
「……ああ、最初の話か」
合点がいったように頷いた。
「率直に言えば、だ」
そう口を開くティーンの瞳に、あの闇があることにウォルトは気づいていた。だが、ここは話の続きを待つ。
「ここの卒業も、呪法院や戦技院に入ることも、私の目標ではないということだ。確かに目標に近づくための手段ではあるのだが……私の真意とはほど遠い」
「目標? 真意?」
「……………………
そうだな……お前には話しておくか」
首を傾げる友人に顔を向け、彼は非常に珍しい表情を見せた。
――微かに、笑って見せたのだ。
「金色の魔眼」
アカデミーの敷地の隅にある、小さな崖の上に腰を下ろし、ティーンはそう呟いた。辺りに人の気配は無い。隣に座る友人に顔を向け、尋ねる。
「……知っているか?」
ウォルトは、暫し視線を宙に漂わせてから、
「……ああ、思い出した」
ティーンの方を向くと、彼の目に視線を止め、続ける。穏やかな笑顔を浮かべているものの、彼の青い瞳には、暗いものが宿っていた。
「確か、四年ぐらい前にあの男に滅ぼされた村の話だろ? なんでも、村人全員が、神経が高ぶると目が金色になったって言う……。
噂じゃあ、その目を見ると呪われるって話だったが……」
「飽くまで噂だった」
ティーンは瞳を閉じ、俯きながら、呟くように言った。
「一部では、魔眼には呪殺効果があるとも言われていた。だが、それもただの流言……。実際には、ただ虹彩の色が変わるだけで、何の力も無かった……」
俯いているので、その表情はよく見えない。しかし、僅かに覗く彼の口は、唇を噛み締めていたし、握り締めた彼の拳は震えていた。
「……だが……四年二カ月前……奴は来た。 そして、殆ど無力に近い村人を惨殺したんだ。一族は皆、滅ぼされた……」
そう言って、不意にティーンは顔を上げた。ゆっくりと、その双眸を開く。
――彼の目は、金色を呈していた。
「お前……その目……」
「――そう。私はその一族の……レクタ族の生き残りだ。
奴を、絶対に許さない。この手で一族の仇を取る……!」
そこまで言うと、ティーンは再び瞳を閉じ、軽く嘆息する。次に目を開けた時には、彼の瞳は青に戻っていた。また、穏やかな笑みを浮かべると、
「……そういうことだ。私は仇を取るための力が欲しい。戦技院や呪法院へ行くのは、そのためだ」
言って、身体を後ろに倒し、寝転がる。
確かに、戦技士や呪法士になれば、同盟各国で様々な優遇を受けることができる。警察以上の逮捕権も得られるし、凶悪な犯罪者なら、発見次第殺害しても問題ない筈だ。
「……オレには想像もつかないような世界だな……」
暫くしてから、ウォルトがぽつりと呟いた言葉に、ティーンは小さな笑い声を洩らす。 「どうした?」
「いや……」
問われ、答える彼の顔は、こころなしか、普段よりも晴れやかに見えた。
「このことを人に話したのは初めてなんだ。……スッキリしたよ」
「……そうか……」
空を眺めるティーンの目には、空の青と、流れ行く雲が映っていた。
「ティーン・フレイマ、十七歳、ホサイド領出身。王立アカデミーを主席で卒業。所要年数三年半。特級戦技士、及び特級呪法士の特待取得……」
ティーンの目の前に座る初老の婦人は、そこまで資料を読み上げると机に戻した。机を挟んで真向かいに立つ彼に視線を移し、
「非常に優秀と言えるわね」
無表情な彼の反応を窺うように言った。
「………………」
「……これが、第二級以下の特待なら、何の問題もなく戦技院や呪法院へ行ってもらうのだけれど」
謙遜も自負も全く見えない、殆ど無反応と言えるティーンの態度を気にした様子も無く、彼女は再び口を開いた。
机に両肘をつき、組み合わせた左右の手の上に顎を乗せ、彼の青い瞳を真っ向から見つめる。
「第一級以上となると、それなりの志望理由が必要となるわ。無目的に強大な力を持ってもらっては困るから」
ティーンが呼び出されて訪れたのは、戦技院・呪法院の両院を統括する、セレネミア・ハウライド院長の執務室である。部屋自体は殺風景なものだが、机の隅に置かれた花瓶や、風に舞うレースのカーテン、壁に飾られた絵画などが、彼女の性格を物語っていた。彼女も若い頃は特級戦技士及び特級呪法士の資格を持ち、軍で「戦乙女」と呼ばれながら活躍していたと言うが……一線を退いた今では、こうして後進の指導に当たっている。
「勿論、志望動機はプライバシーとして絶対に公開しないから。
話してもらえる?」
「はい、ハウライド院長」
穏やかな彼女の声に、ティーンは頷き、
「私の目的は、リュシアの禁忌への復習です」
はっきりとした口調で、答えた。
「リュシアの禁忌。……悪名高いわ」
世界最大の宗教とも言えるリュシア教――そこから、一人の暴走者が出たのは、六年前のことと言われている。リュシアの教義を掲げ、それに反するものを悉く惨殺してきた。その活動範囲は、リュシアの権力外に及び、リュシアの教えなど知られてもいない地域でも、それに反するものを殲滅してきた。
無論、リュシア教もこれを黙認した訳はなく、暴走直後に当時六つあった聖騎隊――リュシアの武力部隊である――のうち第三聖騎隊・第五聖騎隊の両部隊を合同で送りだし、討伐に当たったのであるが……両部隊とも全滅した。教団側は最後の手段として、当時最強と言われていた第一聖騎隊、及び《リュシアの雷》と呼ばれていた教団の特殊部隊を送り出したのだが、これも壊滅。以後、教団にはもう打つ手は無く、傍観せざるを得ない状況になっている。
「彼に何か恨みでも?」
机の引き出しを開け、何かのファイルを取り出しながら、ハウライドはのんびりとした声で尋ねてくる。
「一族を滅ぼされました」
ティーンの声を聞きながら、ハウライドはファイルを開き、
「リュシアの禁忌に壊滅させられた部族は多いけど……」
と、そこでファイルからティーンの顔に視線を移し、続ける。
「あ、言わなくていいわ。レクタ族ね。……もう目の色が変わってるわよ。
確か……魔眼の一族ね」
「はい、しかし……」
「わかってるわ。魔眼はデマでしょ。第一、本当にそんな力があるのなら、むざむざ惨殺なんてされなかったわよ」
「……はい」
と、そこでハウライドは手にしたファイルをぱたりと閉じ、
「分かりました。その動機で、戦技院及び呪法院への入院を許可します。
……頑張ってね」
「ありがとうございます。……では、失礼致します」
ハウライドに一礼し、ティーンは執務室を去る。
――ティーン・フレイマを戦技院及び呪法院に入れる。これについては、彼女の決定ではなかった。リュシアの禁忌を持て余す国が、それに敵対するものに援助を惜しむなと圧力をかけてきているのである。無論、彼の動機も知っていた。
彼が出て行った扉を見つめながら、ハウライドはぽつりと呟いた。
「復讐は辛いわよ……。耐えられればいいけれど……」
無論、その呟きは誰の耳にも入らぬまま、カーテンを揺らす風に溶けて消えた。
戦技院と呪法院。共に、同盟各国にある王立、または国立の機関で、戦技士や呪法士の養成を行っている。そのレベルは各国様々だが、一つだけ共通していることがある。普通に入るならば、貴族か大商人の家柄でないと不可能だということである。戦技院・呪法院共に定められた学費は途方もなく高額で、庶民の出の者には到底払えないのだ。しかも、高額な学費を納めて入った富裕層の人間も、大抵は挫折する。国によってその程度は様々だが、押しなべて教育のレベルが高すぎるのである。普通なら数カ月、忍耐の強い者なら数年留まり、何の資格も得ることなく退学するか、どうにか最下級の第五位の資格を取って去って行くかである。
つまり、結論を言えば、戦技院・呪法院は学費を納めて入ってくる者たちのための機関ではないのだ。両院が教育の対象として定めているのは、特待を取得してやって来る者たちである。特待は、戦技院・呪法院のそれぞれの審査会で有望と――つまり、厳しい教育に耐えられると判断された者にのみ与えられるもので、これを得られれば、学費や寮費が一切免除され、かなり多めの生活費も支給される。両院は、このルートで入ってくる者たちのためのものなのである。
生徒の数が少数なこともあり、平均して二人に一人の教官がつき、個人のレベルに合わせた教育が徹底して行われる。生徒がどのくらいの期間で院を去るかは、目指す階級や個人の能力により様々だが、最低でも一、二年は留まるのが普通である。
広大な敷地の中に、やや大きめの建物が二つ、ぽつりぽつりと存在していた。正門は遠く離れており、正門からどちらかの建物に歩いて行こうとすると、三十分ほどかかる。そのためか、正門から二つの建物へ行く道と、二つの建物を結ぶ道とは、車道として整備されていた。
そんな二つの建物のうちの一つ――白い石を積み重ねられてできたもので、半分は寮としてできており、もう半分に講堂だの訓練場だの教室だのといったものが集中している、呪法院と呼ばれるその建物に、彼らはいた。
一人は、短く刈り上げた黒い髪と茶色の瞳の、やや痩せ気味の男。二十歳前後だろうか。少々ヨレたシャツに紺色のズボンといった軽装である。
二人目は、まだどうにか少女と呼べるかといった年頃の女。赤い髪に赤い瞳。身を包むローブとマントも深い赤で、同じく深い赤の宝石の使われたピアス、ペンダント、指輪、バングル等を身につけている。一見して赤づくめの女である。一体どこに生息する生物なのか、牛ほどの大きさの鳥の上に座っている。
三人目は、中肉中背、顔全体が笑ったようなつくりの男。こちらはマントはつけておらず、派手な色使いのローブを纏っている。左耳だけにつけた大きなピアスが印象的だ。
他にも、あと五人ほど、この場にいた。これが、呪法院に現在所属する全てのメンバーである。ちょうど休憩時間なので、彼らはこの呪法院の屋外の、テーブルや椅子が設けられた休憩所に集まっていたのだった。
と、椅子に腰掛け紅茶を飲んでいた黒髪の軽装の男――ウォルトである――が、視界の隅に車の姿を捉える。この辺りまで車道は続いていないが、辺りは草原である。車で入ろうと思えば入って来れるだろう。自動車は、一部の富裕層にしか浸透していないが、戦技院・呪法院の者となれば話は別だ。
車は、少し奥まった所まで進み、森との境界線の前に止まった。この草原は森に囲まれるような形になっているのである。車からは、見覚えのある人間が三人ほど降りてくる。
「戦技院の奴らじゃねぇか……」
ウォルトが呟く。この呪法院へ来て三カ月になるが、その間、何らかの理由で戦技院のメンバーと顔を合わせることも何度かあった。彼らは、その内の三人である。これで、戦技院の全メンバーの三分の一になるか。
「おい! お前ら、どーしたんだ?」
ウォルトが声をかけると、三人はこちらに歩み寄りながら、
「暇なんでな。見物にきたんだ」
「暇?」
「休講なんだよ」
「休講って……お前ら全員か? 何でまた」
問われ、三人は互いに顔を見合わせ、
「ま、じきに分かるよ」
思わせ振りな事を言い、空いている椅子に座る。
「…………?」
ウォルトが眉をひそめていると、また、車の近づいてくる音がする。見やると、二台の車がこちらに向かって来ていた。
車二台は、彼らの前までやって来て、前後に並んで停まる。前の車から降りてきたのは、穏やかな笑顔を浮かべた、初老の婦人であった。
「ハウライド院長!」
呪法院のメンバーの一人が声を上げる。彼女は、戦技院・呪法院の両方から離れた、院長専用の小さな別館に閉じこもっていることが多く、そこから滅多に出て来ないのだ。
「あ、いいのよ。緊張しないで」
慌てて席を立とうとした面々に、おっとりとした口調で言うと、呪法院のメンバーの顔を一通り見てから、
「今日は、みんなの学友が一人増えるから、紹介に来たの」
ハウライドのその言葉が終わらないうちに、後ろの車から一人の人物が降りてくる。
男にしては小柄な体格。女のように長い金髪を細い紐でまとめている。厚手のローブをきっちりと着込み、上からマントを羽織ったその姿は――
「ティーン!」
三カ月前に戦技院に入ったばかりの筈の、ティーン・フレイマだった。
ウォルトが視線でハウライドに問うと、彼女は穏やかに頷いて、
「そうよ。彼が、今日から呪法院に入ることになった人よ。仲良くしてね」
知り合いの子供に別の子供を紹介するような口調で言う。
「ティーン・フレイマだ。宜しく頼む」
院長の横に来ると、ティーンは愛想のかけらもない口調で自己紹介をする。
「ティーン! お前、戦技院はどうした?」
裏返った声で尋ねるウォルトに、ティーンは、落ち着いた仕草で懐からセルドキア王国の紋章の入った、赤を基調としたブローチを取り出し、
「昨日、終わった」
それだけ言う。
確かに、彼が手にしているのは、戦技院での過程を終了した者に与えられる終了証だ。
「お、終わったって……特級まで行ったのか?」
「行っちまったんだよ」
ウォルトの問いに答えたのは、ティーンではなく、見物に来ていた戦技院のメンバーである。
「昨日ね、特級の最終試験とか言って、院長以外の教官が全員でティーンにかかっていったんだけど……」
「あっさり、全員のされちまってな」
「おかげで、教官はみんな病院送り。
……で、こっちは休講で暇を持て余してるってわけよ」
口々に説明する戦技院の三人の声を聞いているのかいないのか、ウォルトはただ、あんぐりと口を開けていた。
「…………し、信じらんねー……。こっちなんか、ようやく第四級だってのによ」
「かなり優秀じゃないか」
「お前に言われても実感わかん!」
冷静なティーンの声に、ウォルトが叫び返す。
「……ったく、化け物か。お前は……」
なおもウォルトがぶつぶつと言っている側で、ハウライドが口を開く。
「ところで、ティーンの実力を測る上で参考にしたいから、ここにいる誰かと模擬戦をやって欲しいんだけれど……いいかしら?」
誰も反対はしない。ハウライドは頷き、ティーンの方を向くと、
「じゃあ、好きな相手を指名して頂戴」
「戦技士としての技術は使ってよろしいのですか?」
「勿論、いいわよ」
ハウライドの言葉を受けて、ティーンは呪法院の面々を見渡すと、
「では、そこの赤い髪の方。お手合わせ願います」
「え? あたし?」
鳥に乗った赤ずくめの女が、自分を指さして聞き返す。
「おい! ティーン! そいつだけはやめとけ!」
慌てて叫んだのは、ウォルト。
「そいつは一級だし、何より手加減って言葉を知らねぇ! ただの呪法おたくだぞ!」
「失礼ねー。手加減ぐらいできるわよ。……もっとも……」
赤い髪の女は、横目でちらりとティーンを見やり、不敵な笑みを浮かべる。
「彼に関しては、あまりその必要はなさそうだけど」
「じゃあ、模擬戦はガーネットとティーンね。向こうの方でやってくれる?」
ハウライドが草原の奥の方を指さし、二人はそちらに向かう。
ガーネットと呼ばれた女は、鳥から下りると、ティーンの前に右手を差し出し、
「自己紹介しとくわね、フレイマ。ガーネットよ。……コードネームだけど。
この子はスペサルタイト」
最後に、ついさっきまで乗っていたオレンジを帯びた赤色の巨大な鳥を紹介する。
「……ティーン・フレイマだ。ティーンでいい」
二人は握手をすると、間隔をおいて向かい合う。
「……では……始め!」
ハウライドの声を合図に、二人は動き出した。
最初に動いたのは、ティーンだった。
大きく横に飛ぶと同時に、懐から取り出した針を数本、ガーネットに向かって投げる。
後ろに身を引き、それらを躱すガーネット。
「炎の守護者よ!」
ガーネットの声と共に、炎が螺旋を描いてティーンに襲いかかる。
「……だからやめとけって言ったのによ……」
見物しながら呻いたのはウォルトだ。
今、ガーネットが使ったのは、呪文の短縮詠唱というもので、よほど高位の呪法士でないと使えない。短縮詠唱は、呪文の一部だけで呪法を発動させるもので、無論、発動までの時間は驚異的に短縮されるが、その反面、効果が限定されてきたり、呪法の威力が弱まったりする。慣れていない者が行うと、期待していた効果とは全く逆の作用を及ぼしたりもする。
もっとも、短縮詠唱に長けた者なら、無言で呪法を発動させることもできるが。
だが、ガーネットは短縮詠唱には充分に精通していた。どのタイミングで呪文のどこを詠唱すれば何が起こるか、極めて正確に予想出来るのである。呪法院に来たばかりのティーンは、彼女に比べれば殆ど素人の筈。特級戦技士の技術があると言えど、分が悪すぎる。
だが――
「壁となりて護れ!」
同じ短縮詠唱でガーネットの呪法を防いだのは、ティーンだった。間を置かず、
「雷光よ、撃て!」
雷光を放つと同時に、自らも剣を抜いて斬りかかる。
「くっ!」
大きく身を引いてそれらを躱すガーネット。が、次の瞬間には彼女の腕に鎖が絡み付いていた。
鎖は――ティーンのローブの袖口から伸びている。 「……本気……出すわよ」
「そうしてくれ」
「金剛の刃よ!」
鎖の戒めを解くと同時に、側までやってきていた鳥――スペサルタイトに乗る。
スペサルタイトの背でこちらを見下ろすガーネットを見上げ、ティーンは次の術を放つ。
「我が名により汝を呼ばん!」
ティーンの真横の空間が歪み、大型犬ほどの大きさの翼竜が現れる。
「行け!」
ティーンの声に応じ、翼竜が舞い上がる。それとほぼ時を同じくして、上から氷の槍が降ってくる。
「炎よ、壁となれ!」
蒸気となって消える槍。上からは、翼竜の断末魔が聞こえた。
「……どーなってんだ……こりゃ……」
地上と空中で対峙する二人を眺めながら、ウォルトはぼそりと呟いた。
一体どこで身につけたのか、ティーンは短縮詠唱を完璧に使いこなしている。それどころか、呪法院のメンバーで最強と言えるガーネットと互角に渡り合っているのだ。
「彼、かなりやるみたいだね」
ウォルトの隣で呟いたのは、左耳にピアスをつけた、派手なローブの男。
「僕じゃ勝てないだろうなぁ……」
話している間にも、二人の間で行使される呪法は、次第にエスカレートしていっている。ついに、呪法院の建物まで揺らす爆音が響き渡り、草原を囲んでいた森の一部が消滅する。「……なんか……避難した方がよくねーか?」
「僕もそう思うけど……院長、止めないんですか?」
ピアスの男に問われ、ハウライドは呑気な口調で、
「このまま続けてもらうわ。みんなは建物の中で待ってて頂戴」
二人から目を離さずに、言う。
結局、ハウライドを残した全員が、呪法院の建物に避難した。
ぱらぱらと、天井から埃と砂が落ちてくる。爆音と振動は、ここにも充分すぎるほど響いていた。
呪法院のミーティングルームである。この建物も、決して脆い造りではないはずなのだが……もう何度目か数えるのにも飽きるほど、爆音に揺らされていた。
と、部屋の扉が開く。建物の入り口に近い方ではなく、建物の奥につながる方の扉である。
「お前ら、この騒ぎは何なんだ?」
部屋に入ってくるなり、尋ねてきたのはこの呪法院の教官の一人である。
「……戦技院からも何人か来てるみたいだし……」
「ガーネットが暴れてます」
また振動が響く中、呪法院のメンバーの一人が簡潔に答える。
「ガーネットが? 何でだ? スペサルタイトに落書きでもしたのか?」
「まさか」
左耳にピアスの男が答える。
「ただちょっと、院長の指示で、模擬戦をやってるだけですよ。……ティーン・フレイマと」
男が答える間にも、二回ほど地震のような振動があった。
「ティーン・フレイマ? あの戦技院の化け物か?」
「戦技院は昨日終わって、今日から呪法院ですよ」
戦技院のメンバーの一人が言う。
「…………で、ガーネットとまともに渡り合ってるのか?」
「少なくとも、ガーネットは本気出すって言ってましたけどね」
ウォルトが答えると、教官はよろめき、
「……何てことだ……ガーネット一人でも手に負えんと言うのに……」
呟く。
と、爆音が収まった。
静寂が、部屋に落ちる。
「……終わった……のかな?」
「……そうかもな。
外に出て見るか」
一同は立ち上がり、外へ繋がる扉を開いた。
荒涼とした風が吹く。
かつては、そこは緑あふれる草原と、生命あふれる森であった筈だ。風が吹けば木々が揺れ、草が揺れ――多くの生きとし生けるものが、そこで安寧を得ていた筈だ。
平和な――そう、平和な森と草原だった。
しかし今は、そこには何もない。ただ、いくつものクレーターが重なり合い、地面に爪痕を残すのみである。
「………………」
誰も、何も言わない。ただ一様に、顔を引きつらせてはいるが。
「あらあら、今、呼びに行こうと思ってたのに」
目の前の荒れ地など意に介さないようなのんびりした声で話しかけてきたのは、ハウライドである。
「二人ともなかなかのものよ。見せてあげたかったわ」
彼女の背後には全壊した椅子やテーブルの破片が散らばっていた。よく見れば、呪法院の建物の壁にも、焦げ跡だの亀裂だのが無数に入っている。
ハウライドが視線を注ぐその先を見れば――事の元凶、ガーネットとティーンが、一際大きなクレーターの上で爽やかに握手などしているところだった。
「おい! ティーン! この有り様は何なんだ!?」
「なかなか手応えのある模擬戦だったが?」
ウォルトの怒鳴り声に、涼しい顔で答えるティーン。
「そうそう。それに、周囲に被害が及ばないように、ちゃんと配慮しといたわよ」
「どこがだ!」
上機嫌に言うガーネットに、ウォルトが怒鳴り返すが、彼女がそれを気に留めた様子はない。
「……ハウライド院長」
呪法院の教官が、ハウライドの隣に来て話しかける。
「ティーン・フレイマの指導は、誰にやらせる御積もりですか?」
何となく、声が引きつっていたりもする。
「さぁ……誰に頼もうかしらねぇ……」
呑気に呟くハウライド。
「……院長」
「あら、何?」
「あの二人がいなくなるまででいいですから、教官の数を増やして下さい……」
呪法院の教官は、涙声でそう訴えた。
結局、ティーンの指導には、ハウライド自らが当たることで話はついた。
その日の夕刻。ティーンは、大きな荷物を抱えて呪法院の寮の廊下を歩いていた。渡された鍵の部屋番号からすれば、この辺りの筈なのだが……。
廊下の片側には窓が、もう片方の側には扉が並んでいた。どの階も同じ造りらしい。窓からは、夕刻の茜色の光が差し込んでいた。
と、前方に人影が見える。中肉中背、派手なローブ、左耳の大きなピアス、顔全体が笑ったような造り。昼間、顔を合わせた呪法院のメンバーである。腕を組み、窓に背を預けている。
「ここだよ。君の部屋」
ティーンが近づくと、彼は、目の前の扉を指さして言った。
「そうか。ありがとう」
言い、扉に鍵を差し込むティーンに、彼は後ろから話しかける。
「自己紹介がまだだったね。僕はセイズって言うんだ。よろしく」
「セイズだな。私のことは、ティーンと呼んでくれ」
肩越しに言ったティーンに、セイズは、元から笑っているような顔に更に笑みを浮かべ、「一つ訊いていいかな?」
尋ねてくる。
「何だ?」
ティーンが身体ごとセイズの方に向き直ると、彼は満足したように、
「君、ここに何しに来たの?」
「決まっている。呪法士の資格を取りに来たんだ」
「前に、別の国の呪法院にいたりしたんじゃないの?」
「そのような事実はない」
「ふ~ん……」
ティーンの答えに、セイズは少し首を傾げ、
「じゃあ、一体どこで覚えてきたのさ? 短縮詠唱とか。ガーネットともいい勝負してたし。彼女、僕らの中じゃ最強なんだよ。強すぎて教官が頭かかえてる」
「短縮詠唱は以前文献で読んだ。他の呪法も、文献の知識を元に我流で完成させた。誰かに師事したことはない」
「我流……ね。大した才能だね。僕の知っている人の中じゃ、二番目ぐらいかな」
「話はそれだけか? 悪いが、これから荷物の整理で忙しく……」
「あ、もう一つだけ」
ティーンの言葉を遮り、セイズは指を一本立てた。
「君は、どうして呪法士の資格が欲しいんだい?」
「……悪いが、それを話す相手は慎重に選ぶことにしている」
「そっか。残念。でも、僕の動機は聞いておくれよ。
僕は、お姫様を探してるんだ」
「お姫様?」
「そう。実は僕、ある組織に所属しててね。そこの隊長が、そのお姫様に心底惚れてるんだ。ところが、お姫様は行方不明。僕は、彼女を探すように命令されてるの」
と、彼はそこで言葉を切り、ティーンの茜色に染まった青い瞳を見据える。
「君、知らない?」
「特徴を言ってくれないと答えようがないが」
「あははは。それもそうだね。
実は……僕も知らないんだ。会ったこともない。
でも、金髪に緑の瞳って聞いたけど。
あ、それからもう一つ」
言いながら、セイズはまた指を一本立てる。
「何だ?」
「名前は、リーゼ。
聞いたことない?」
「……ないな」
ティーンは、自室の扉を開き、閉めた。
廊下では、セイズが、笑みを浮かべたまま佇んでいた。
結局、ティーンは二カ月で呪法院の全過程を終了した。
「卒業おめでとう。はい、これが呪法院の終了証よ」
「お世話になりました」
ハウライドにセルドキアの紋章の入った、紫のブローチを手渡され、ティーンは頭を下げた。もっとも、彼にはハウライドが今まで見てきた生徒のような、喜びに溢れかえる様子は微塵もないが。
戦技院に入る前にティーンが呼び出された、ハウライドの執務室である。相変わらず、机の上には季節の花が飾ってある。
「それと……」
ハウライドは机の引き出しを開き、一枚の封筒を取り出す。
「頼まれてた、コロネド王国呪法院への推薦状よ。向こうも特級特待で迎えてくれるそうよ」
「ありがとうございます」
コロネド王国の呪法院は世界でもトップクラスと評判が高い。因に、戦技院でトップクラスと言われているのは、実はティーンが三カ月で終了した、このセルドキアの戦技院だったりするのだが。
「あ、待って、ティーン」
挨拶を終えて退出しようとするティーンをハウライドは呼び止めて、
「……元気でね」
それだけ言った。
「……はい。院長も、お元気で」
部屋の扉が閉まる。
一人残ったハウライドは、何げなく花瓶の花を眺めながら、呟いた。
「寂しくなるわね……」
ガーネットがここを去ったのは、五日前のことである。何でも、急用ができたと言っていたが……コードネームを使っていた程である。ここに来ていたのも、誰かの命令だったのだろう。
セイズも、去った。彼の場合は、きっぱりと、命令が下りてここにいられなくなったと言っていたが。
そして今日。ティーン・フレイマが去った。ハウライドは、久々に自ら指導に当たったこの生徒を、それ以上のものに考えかけていたのだが。ただの生徒ではなく――そう、まるで孫のように。
ハウライドは、机の上にあったティーン・フレイマに関するファイルを一通り眺め――引き出しの一番奥にしまい込んだ。
宵の口。自室でテキストと向かい合い、眉間にしわを寄せていたウォルトは、ふと、ノックの音に顔を上げた。
もう三、四週間前になるか――ガーネット、セイズ、ティーンの三人がいなくなってからは、残された呪法院の五人の生徒にとっては悪夢のような日々が続いていた。ティーンについては、指導に当たっていたのがハウライドだったため、いなくなっても寂しくなったという以外、特に変化はなかったのだが――問題はセイズ、そして何よりガーネットである。
セイズはただの優秀な生徒だったが、ガーネットは優秀すぎる生徒だった。何故彼女が第一級で留まっていたのか、不思議なぐらいである。ともあれ、今までは教官たちはこの二人の指導に集中せざるを得なかったのだ。セイズの才能をどう伸ばすか、ガーネットの暴走をどう抑えるか。
だが、二人はもういない。こうなってしまえば、今まで、ともすればおろそかになっていた、他の生徒への指導を徹底するのが普通だろう。現実に、そうなった。
つまるところ、残った生徒に向けられる教官の目が、今までの数倍になってしまったのである。講義は増える、実技は増える、課題は増える、補講は増える、それらの中での教官の目は厳しくなる……。教官たちにしてみれば、今までおろそかにしていたことへの詫びも含んだ結果なのだろうが……とにかくスケジュールが厳しすぎた。特にウォルトは、ティーンの助けがあって第二級の特待を得られたのだ。ティーンがいない状態では、まさにお手上げの事態である。
「……まさか教官がここまで補講に来たんじゃねぇだろうな……」
呟き、ウォルトは戸口へ向かった。扉を開けた、その向こうにいたのは――
「ティーン!?」
小柄な身体を包む厚手のローブとマント。女のように長い髪を束ねる細い紐。そして、青の双眸。間違いなく、三週間前にコロネドの呪法院に向かった筈の、ティーン・フレイマその人だった。
「久しぶりだな」
「お前、コロネドに行ったんじゃ……」
ウォルトの呟きに、彼は無言で、ブローチを出す。コロネドの紋章の刻まれた、紫のブローチ。
「……お前……本当に人間か?」
「そのつもりだが」
「院長には会って来たのか?」
「ああ。さっき挨拶してきたところだ」
「……で、どうだった? コロネドは」
ティーンを部屋に入れながら、ウォルトが尋ねると、彼は首を横に振って、
「噂は当てにならなかった。ガーネットの方がよほど手応えあった」
淡々とした口調で言う。
と、ティーンは、ついさっきまでウォルトが向き合っていたテキストに目を止める。アンダーラインがあらぬところに引いてあったり、何度もペンの先を叩きつけた跡があったりする。
「……つまっているのか?」
「ああ。もう何が何だかさっぱりだ。頭痛いぜ」
ティーンは、側にあったペンを取ると、テキストに何か書き込みをする。
「おおっ! なるほど、そーゆーことか」
合点がいったように書き込みを覗き込むウォルトに、ティーンは更に、
「紙はあるか?」
「ああ、その辺にあるの、適当に使ってくれ」
机の隅の紙の束から二、三枚取り出すと、それに何やら書き始める。しばらくして書き終えると、
「それだけは優先して覚えておいた方がいい。応用が利くからな」
「ありがてぇ。他の連中にも配ってやろ。
……ところでお前、これからどうするんだ?」
「トースヴァイに行ってリュシアの禁忌に関する情報を集めて……後は、奴に狙われそうな人物の護衛について、奴が現れるのを待つ」
「そうか……生き延びろよ」
「そのつもりだ」
ウォルトの言葉に、珍しく微笑みを浮かべ――ティーンは去って行った。
トースヴァイ――セルドキア王国のリュシア教の聖地である。本来の聖地は他国にあるのだが、リュシア教はこの国にも深く根を下ろしており、いわば聖地の支部という形でこの聖都市が築かれた。
そのトースヴァイの中心部、この王国最大のリュシア教神殿に、ティーンは居た。何のことはない、ただの待合室である。ここへ来るなり、受付に三つの終了証を呈示し、リュシアの禁忌について話を聞きたいと告げてから――ここで一時間ほど待たされている。……無理もないことだ。事前に何の通達もなく突然訪れたのであるし、『禁忌』に触れられて喜ぶ筈はない。
部屋にいるのは彼一人である。悪い部屋ではないらしい。手入れが行き届いているらしく、床に敷かれた絨毯には埃一つ見当たらない。壁には古びた大時計と、聖書の一部を描いたのであろう宗教画が飾られていた。座っているソファにもほどよい弾力性があり、目の前のテーブルも割と高級なもののようだ。
もう三十分ほどが過ぎ――
「大変お待たせ致しました」
老いた司祭が、従者らしき若い神官二名を連れて、この待合室の扉を開けた。
「司祭のエヴァーヌと申します」
「セルドキア王国特級戦技士・呪法士、コロネド王国特級呪法士、ティーン・フレイマです」
ティーンが立ち上がって挨拶を返すと、老司祭――エヴァーヌは二人の神官に目配せをする。神官たちは、一礼すると去って行った。
若い二人が立ち去って行くのを確認すると、エヴァーヌは、待合室の扉を閉め、
「そのままお掛け下さい」
言い、自分もテーブルを挟んで向かい側に座った。
「『禁忌』に関する情報をお求めと伺いましたが」
「はい。突然で申し訳ありませんが」
「失礼ですが……何故、『禁忌』に興味をお持ちなのか……お聞かせ願えませんか?」
エヴァーヌの言葉に、ティーンは一呼吸の間を置いて、
「私は、四年半前、奴に滅ぼされたレクタ族の生き残りです」
それだけ、言う。
「特級戦技士に、特級呪法士でしたね……」
エヴァーヌは、確認するように呟くと、席を立った。
「こちらにお越し下さい。詳しい話をお聞かせしましょう」
「『禁忌』については、本当に申し訳なく思っております。しかし、第一聖騎隊や《リュシアの雷》が敗れた以上、我々には奴らを止める力はないのです。……情けないことですが」
神殿の奥に続く通路を歩きながら、エヴァーヌは同じ言葉を繰り返す。
「今、確かなのは、今の奴に勝る戦力は、我々にはないということです」
……しかし――」
エヴァーヌは、ゆっくりとティーンを振り返り、言葉を続けた。
「奴の意図は察しがつきます」
「意図? 何です? それは」
一瞬だけ青い瞳を金色に変え――ティーンは尋ねた。エヴァーヌは、自嘲気味に、
「我々を嘲笑っているのですよ。恨みでもかったのでしょうね」
言うと、再び視線を前に戻した。
「奴の暴走以来、『禁忌』と我々リュシア教は断交状態にある……そう思われますか?」
「違うのですか?」
前を歩くエヴァーヌの背中に問いかけると、彼はゆっくりと首を横に振り、
「確かに、我々の呼びかけには奴は応じません。ですが、奴は、一方的にこちらにメッセージを送り付けてくるのですよ」
と、エヴァーヌは足を止めた。もう、かなり奥へと来たのだろうか。通路は狭くなっており、辺りには人の気配が全くない。
「こちらでお待ち下さい。資料をお持ちいたします」
エヴァーヌは、そう言って、ティーンを書斎らしき部屋に案内し、去って行った。
今は使われていない書斎のようである。壁紙の色も、床の絨毯の色もくすんでいる。古ぼけた棚や引き出しに全て鍵が取り付けられているところを見ると、おそらくは以前、ここは機密情報を扱う場であったのであろうが。
「お待たせしました」
何冊かのファイルを持って、エヴァーヌは戻って来た。
「まず、これをご覧下さい」
エヴァーヌが手渡してきたのは、一枚の封筒だ。宛て先は、この神殿の司祭長となっているが、差出人の名はない。一応視線で尋ねてから、ティーンは封筒を開いた。中に入っていたのは、一枚の便箋だった。
瞬間、ティーンの双眸が金色に染まる。
『親愛なるトースヴァイ司祭長へ。
ホサイド領のレクタ族は、呪殺能力をも持つ魔眼を持つと耳にしました。危険につき処分致します』
「……………………
……ドルティオーク……!!」
便箋を握り潰し、呪詛のように、憎悪と憤怒のこもった声でその名を口にする。肩が、拳が、怒りのあまり震え、噛み締めた唇は白くなる。
「……奴の名も御存じでしたか。
やはり貴方は、四年前にレタックの神殿で保護された子供ですね?」
エヴァーヌが呟くように言う。ドルティオークとは、件の『禁忌』の名である。その名を知る者はごく少数であるが。
「知っていたのですか!? 奴が我々の村に押し入ることを!」
エヴァーヌの問いに答えることなく、目を金色に染めたまま問い詰めるティーンの声に、彼は気を悪くした様子もなく頷き、
「いつもそうです。奴は殺戮を行うおよそ三カ月前に、そのことを予告してくるのですよ。……止められるものなら止めてみろ……そう言うように。
我々としても、出来る限りのことはしてきました。殺戮の対象となっている方々に警告を送ったり、こちらから戦力を送り込んだり……。
しかし、結果として全て無駄に終わりました。どこに逃がそうと、どんな戦力を差し向けようと、奴は予告を実現するのです」
「……では、我々の村の時も……」
「勿論、警告はお送りしました。こちらからの戦力の派遣は、巫女頭のイリアという方に断られましたが」
「巫女頭が……?」
ティーンは、青に戻りかけていた瞳を再び金色に染め、呟く。
「……我々レクタ族にとって、奴らの襲撃はまさに突然の事でした」
金色の瞳のまま、落ち着いた口調でティーンは言う。
「当時、私はまだ十三の子供でしたが……襲撃の直前まで、大人たちにも変わった素振りは見られませんでした」
「警告が届いていなかったというわけですか?」
意外そうに訊いてくるエヴァーヌに、ティーンは頷き、
「もしかして……警告は、村にではなく巫女頭に送られたのではないですか?」
エヴァーヌは、ファイルを開き、ページを何枚かめくると、
「記録にはそうあります。実質的な村の統治者だという理由で」
「だとしたら……」
ティーンは、ためらいがちに次の言葉を口にした。
「巫女頭が、警告を握り潰したことになる……。
何故、そんな真似を……」
瞳を青に戻し、考え込むティーンに、エヴァーヌは暫く待ってから一枚の封筒を手渡した。
「……これは?」
「二カ月前に送られてきたものです。
このところ急成長している予言者を処分すると」
『禁忌』は、リュシアの教義に反するものや異教を目標として殺戮を行うことが多い。レクタ族のように、特殊能力を理由に殲滅された者たちもいるが……大部分は、些細なことでもリュシアの教えに反する勢力である。
確かに、リュシア教では予言の類いは禁じていた。未来は神のみが知るという教義故である。
「……よろしければ、その予言者についての情報を教えていただけませんか? 護衛につき、奴らを迎え撃ちたいのですが」
予想していたその言葉に、エヴァーヌは頷いた。
――どういうことだ?
予言者の情報を得て、トースヴァイの神殿を後にしながら、ティーンは考え込んでいた。
何故、巫女頭は警告を握り潰したのか。
いや、それ以前に、何故巫女頭が『禁忌』に敗れたのか。
巫女たちもそうだが、特に巫女頭は強大な力を持っていた筈である。巫女たちは、今のティーンと互角かそれ以上。巫女頭に関しては、もっと上の力を持っていた筈だ。一族の村にいたとき、村の大人たちの話を聞いていたが、数百年前に溯って、巫女頭の力の強大さが噂されていた。
代替わりで力が失われたのではない。巫女頭は、代替わりなどしていないのだから。
そう。巫女頭は過去も未来もただ一人。悠久の時を生きてきた存在なのだ。
その巫女頭が敗れたとなれば、ティーンに『禁忌』を破る力はない。しかし、それでも今以上の力をつけることはできなかった。今のままで、『禁忌』に立ち向かうしかない。
――おそらく、彼にはもう、残された時間はないのだから。