マタタビが呼ぶ
一点の星も見えない曇天の夜。
鬱になりそうなこの天気は、今の俺にちょうどいい。
夏のくせに吹く風は冷涼で、皮肉めいた昼との気温差に嫌気がさしてくる。暑くて汗だくになるよりかはいいか…。
俺は、宿の玄関口から町へと歩き出す。
何千万という人々が暮らす大都市圏の小さな一角。
大きな塊の中で飽きる、繋がれない個として俺は足を動かす。
歩き慣れぬ道に人影はなく、車一台のエンジンも聞こえてこない。
街灯の寂しげな光が転がってるビール缶に反射した。近くの公園でやってた祭りの客が、路上飲みでもしたのだろう。
これが、あの祭りの後とはな……。
市、県内でも有名な夏祭り。
町中のオッサンオバサンが屋台を開き、若い奴らが知り合いの店を手伝う。
そうして、ココらじゃ一番デカイ祭りはできあがる。
最後に来たのは、いつだったか。
毎年の様に、”二人”並んで焼き鳥片手に屋台を巡ったのは、…いつまでのことだったか…。
俺がビール缶を蹴飛ばすと、4、5メートル転がって力なく止まった。
結構力を入れて蹴ったつもりだったが、ずいぶんと弱くなってしまったな…。
俺はまた、歩き出した。
排水溝のフタの上を歩いていると、闇夜に二つの光が灯った。
なんだ……?
街灯じゃない…。
俺は、その光の正体に興味が湧いた。
防犯ライトか、窓から漏れているだけか。例え、怪異の類でもいい。
一体何が、ここまで”強い”光を放っているのか、それが知りたい。
一歩二歩と歩を進める。
近づくと、光は消えてしまった。
–––いや、違う。……何か、いる。
その何かは、走りだした。
俺は、それを追う。
闇夜にボンヤリと浮かぶ何かのシルエット。
それは、狭い路地を駆け抜け、ゴミ捨て場のカラスを蹴散らし、屋根を越える。
早すぎる。
三次元的すぎる。
少しでも気を抜けば、見失ってしまう。
息はすぐに上がった。いや、持った方か…。
ここ数年、まともに運動していない鈍り切った肉体。
そんな俺が、立体的に動く韋駄天の塊を相手に、走れている。
……走っている。
高揚、興奮、充実感。
いつのまにか俺は、シルエットを追う事を楽しんでいた。
何故…?
…理由なんて気にならない。
今はただ…走りたい。
だが、長くは続かなかった。
足には乳酸が溜まり、酷使した肺は張り裂けそうだ。
あぁ、届かない…。
シルエットは塀の向こうに消えていき、俺はそこで立ち止まった。
いつしか空は、晴れていた。
曇天を押しのけ、月が地上を照らす。…その光は、銀。
…帰ろう。
俺は、来た道を戻るため、振り返る。
道なんて、ろくに憶えてない。…帰れるか?
一歩二歩と弱々しく踏み出した時、俺はそれを見つけた。いや、それに気づいた。
冷たいアスファルトに転がる、一本の枝。
二又に分かれた先に、一輪の小さな花をつけていた。
おもむろに俺は、それを手にする。
拾い上げたそれは、あまりにもか細い。
これは、なんだったか?
どこかで、誰かに。
そう、あいつが好きだった花だ。
これは、マタタビだ。