「ニヒト」と「カヒト」
翌朝、ハナは老婆に言われたものを持って、再び昨日の川原を訪れた。
「薪と火種とクルミ。」
老婆は、ハナが持って来たものを一つ一つ確認した。
「おめえ、そんなに死にたあか。」
茶色い麻の袋に入ったクルミを見た老婆は、それをハナの胸元につき返した。
この地には二種類のクルミがある。一つは、食用でハナの家にも植えてある「カヒト」と呼ばれるものだ。そして、もうひとつは山に自生している「ニヒト」と呼ばれるもので、こちらはツーンと鼻をつく独特の臭いがあり、渋みも強いので食用には適さない。
川の神への捧げ物と思ったハナは、特に上質な「カヒト」を選んできた。しかし、すぐに山に行って「ニヒト」を取って来るように老婆に言われた。
今の時期の山は冬眠の準備で猪や熊など獣たちが日中でも動いている。
「ここの連中は川の神様のおかげで昼間は人を襲わない。安心して行って来い。」
老婆にせかされ、ハナはしぶしぶクルミを探しに行った。山道に入ると、そこかしこの木に熊がつけたと思われる爪あとがある。老婆は人を襲わないといったが、にわかには信じ難い。
彼女は道すがらに落ちている「ニヒト」の実を拾い始めた。すると、細くて白いものが点々と落ちているのが目に留まった。
「魚の骨だ。烏の仕業だろうか?」
空を見上げても、烏どころか鳥の姿もない。
戻ったハナは、老婆が優雅に焚き火にあたっている姿に憤慨した。
「何、遊んでるんですか。」
「そろそろ帰ってくるころじゃと思うて、火を起こしておいた。さ、クルミを一つくべろ。」
今度はクルミを焼いて食べる気なのか。そう思うと無性に腹が立ったが、年寄り相手に喧嘩もできない。
「はい。」
ハナはまるで蛇の舌のようにチロチロと赤い炎を覗かせる火に中へと、拾ってきた胡桃を一つだけ投げ入れた。
しばらくすると
「パチン。」
と音がし、あたりには白い煙と少々すえた臭いが漂った。周囲の木々がゆれ、川上でバシャバシャという水しぶきの音がした。音に驚いた鳥たちが逃げたのだろう。
「続けて入れろ。」
老婆にせかされるままにハナはクルミを火にくべた。そのたびに、クルミはバチンと音を立て白煙が上がる。
5回ほど繰り返したろうか。あたりは静まりかえり、鮭の跳ねる音と水の流れる音だけが響く。
「もうういいじゃろう。」
老婆はやっとハナが川に入るのを許した。川には石の段があり、それが自然の堰になっている。魚たちはその下のよどみでしばらく休んだ後、勢いよく石段を飛び越える。
「取るのは一匹だけじゃ。まあ、取れればじゃが。」
普段ならケチだと思うところだが、神聖な大自然の中での老人の言葉には、得体の知れぬ説得力がある。