老婆とハナ
「死ぬど!」
突然、背後から大きな乾いたしゃがれ声がした。ハナはエンジ色のジャージの裾をまくった素足の右足を川に突っ込んだままゆっくり振り返った。
「川の神さ、怒らせたら死ぬど。」
それは、長い杖を突き、石ころだらけの川原をゆっくりとこちらに向かってくる、くすんだ色のぼろきれを纏った白髪の老婆だった。
周りの山々が深い緑から一斉に紅や黄に色づき、澄みきった川の水は冷たさを増し、晩秋の北の地では、長い冬に備え、産卵のためにそじょうしてくる鮭を求めて漁が始まおうとしていた。
都会からコロナ禍を避けて移住して来たハナ一家にとっては初めての鮭漁であり、家族総出でその準備をしていた。中学生のハナには、手伝える仕事も無く、一人で川の様子を見にきた。
「鮭が跳ねた!」
川ではすでに、多くの鮭が白波を立てながら必死に上流へと進んでいく。
「これだけいたら、一匹ぐらい・・・」
その光景を川岸から見た彼女には、簡単に手づかみできそうに思えた。
「おめえ、土地のもんじゃねえな。」
老婆は、ハナの格好をしげしげと眺めた。
「ここの魚、取っちゃだめなんですか?だとしたらごめんなさい。」
ハナは水から出ると、勢いよく頭を下げた。そのたびに後ろで縛ったポニーテールが彼女の脳天をペシペシと叩く。
「でも、死ぬは大げさです。」
「魚は誰のものでもねえ。」
老婆は近くにあった流木に腰掛けると、強い口調で反論してきたハナに、静かに答えた。
「土地に土地のシキタリがある。それさえ守れば構わねえ。」