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035. 純白の猫02

勇者。それはこの世界では、かつて世界を救うために現れたとされる6人のことだ。世界が危機に瀕した際に現れたその6人についての記録は定まっておらず、内容には広くばらつきがあった。口伝として伝わるもの、創作物として伝わるもの、物語として語られたもの。形式は様々だが、しかしどれも物語の始まりには共通点があった。それは「各国に1人ずつ強大な力を秘めた勇者が招かれ、人々を救済する」というものだ。その先は語り部ごとに多様性を帯び、世代を経て伝えられる(ごと)に、その枝葉(えだは)は増えていった。ある物語では勇者は無事に世界を救い英雄となった。別の物語では勇者は国を(おこ)して一国の主となり、またある物語では世界を滅ぼす一因となった。いずれの物語も勇者という存在を主軸としており、この世界で育ったものであれば一度は耳にしたことがある単語だ。


「勇者──」

その単語をカイリは反芻(はんすう)する。カイリもこの世界で生まれた者の一人であり、架空のものとしてその存在を認識していた。しかし目の前に現れたハクと名乗った猫の言葉は、カイリの中におけるその言葉の存在に大きな変化をもたらした。勇者という言葉を引き金に思い起こされる複数のできごと。それら1つ1つの項目を頭の中でつなぎ合わせることは、カイリにとっていとも容易であった。

「その反応は、思い当たる節があるようだな」

驚愕なのか衝撃なのか、カイリのその一瞬の間からそれを読み取ったハクは言葉を続ける。

「さっきまでの言葉で察してるとは思うが、そこのサフィは、お前たち(・・・・)が『勇者』として語り継いでいるのと同格の存在だよ。まあ、勇者って呼び名については、かつての勇者様(・・・)が自分でそう名乗ったのか、(まわ)りからそう持ち上げられたのかは知らないがな」

カイリはそれを聞いて、疑いを持ちながらも、どこか得心(とくしん)いったような顔へと変化している。一方、この世界に伝わる話に(うと)いサフィは少し置いてけぼりを喰らっている様子だった。

「それにしてもだ。サフィがその勇者だという証明にはならないんじゃないか?確かに、それを否定しできない場面はいくつかあったが、それは勇者であることを決定づける要因じゃないともいえる」

とは、(いま)だ自分の中にある現実と空想の線引きに、落としどころが付けられていないカイリの反論だ。

「どう考えようともそれは勝手だよ、カイリ。お前がどんな認識をしようとも、現実は変わらない。俺の言葉を受け入れるも(こば)むも自由だ。ただ、俺が今話しているのは、俺が真実だと認めていることだ」

その言葉に、カイリは黙り込む。代わりに口を開いたのはサフィだった。

「それじゃあ聞かせて。あなたはさっき、私と同じ存在だと言ったけれど、それは本当なの?」

その質問にも、ハクは(とどこお)りなく答える。

「ああ、間違いないよ。俺もおまえと同格の存在だ。サフィがここ、青の街(ラズリー)呼ばれた(・・・・)勇者だとするなら、俺は白の街(デイモッド)に呼ばれた勇者だ。こんななりにはなっちゃいるが、中身(・・)はちゃんと人間だよ」

そう言いながら、ハクは頭を上向(うわむ)けその後脚で()いた。

「ま、勇者なんてそんな大層なもんを名乗るつもりは毛頭ないけどな」

などと(のたま)っているのは性格なのだろう。


その言葉の衝撃と(なご)やかな行動のギャップにより、場を支配したのは一時(いっとき)の沈黙だった。毛を掻く音が部屋の中にいる者の耳に残る。

「行動はまるっきり猫なんだね……」

そんなサフィの言葉に、ハクはあきらめたような声を上げる。

「言ってくれるな。どうしても外見(そとみ)に引きずられるんだよ、これが。ヒトだっていうのが信じられないっていうなら確認するか?ちゃんと紋様だってあるぜ?ほら」

そう言って、ハクは机の上で四肢を投げ出して仰向けになる。無意識なのか、尻尾がゆらゆらと動いているあたり、傍目(はため)にはどう見ても服従のポーズだ。声で察することはできたのだが、くっついている鈴カステラ(・・・・・)を見る限り、やはりオスで間違いないだろう。

「真っ白な毛並みで、なにも分からないんだけど……?」

カイリの眼に入ってきたのは純白の腹。ふさふさとしたきれいな純白の毛並みは、そこに不純物となる他の色が混ざることを許容していなかった。

白の街(デイモッド)出身なら、紋様も白だろ?やたらきれいな毛並みに紛れてわからないぞ?」

そう言いながら、欲望に耐え切れなかったカイリはその腹に手をかけた。

「ちょ、やめっ、ああっ──」

心地よさそうな声が部屋の中に響いた。


お前ら(・・・)……目的を見失っていたろ……?」

そんなハクの言葉を浴びるのは椅子に背筋をピンと伸ばして座るカイリとサフィだ。欲望に耐え切れずハクの腹を撫で回すこと10分ほど。ハクが猫の外見をしたヒト(・・・・・・・・・)だと自身で言ったことで、2人の遠慮はなくなっていた。そのしっとり滑らかな毛並みを存分に堪能した2人は現在、快楽漬けから解放されたハクに説教を喰らっている最中だった。ハクが少々お(かんむり)なのは言うまでもない。

「ほら、これでハクが無害だってわかったことだし、それを確認するための行動ということでいいじゃない」

「俺には全然無害じゃなかったんだが?それにサフィ、お前、遠慮なく触ってきたな?」

やはりあられもない姿を晒す羽目になったことを根に持っているのか、サフィのはぐらかしは真正面からの反撃にあった。

「いや、それは、ねぇ。ふかふかもふもふで触り心地がすごくいいって聞いてたし、向こうの猫は去勢(・・)されてることも多かったから……この機会を逃すまいと──」

などと、今更になって恥じらい(・・・・)を見せながら言葉にするあたり、すでにハクを人として認識しているのだろう。

──人であればそもそもそれ(・・)に触っていない、という点は今は忘れておくことにする。

「あーもう、まあいい。話を戻すぞ」

そうしてハクは横道にそれ過ぎた話を強引に軌道修正した。


はじめての艶めかしい声が男の声って……

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