029.幕間01
時は夕暮れまで遡る──
森の中、赤く染まった空の下。荘厳な雰囲気を纏う漆黒の祠の前で目を閉じ、横になっている1つの影があった。吸い込まれるような黒の体表は血管を思わせる筋で覆われ、紅い瞳を持ち、鞭のような尾が3本。そんな体躯のこの成獣は一般には変異個体と呼ばれていた。そんな中でも、この個体は抜きんでて異彩を放っていた。
『あまり命を弄ぶな』
祠の上を訪れた気配に、その瞳を開けて声をかける。サフィに語りかけたときとは違い、怒りを孕んだ平坦な声だ。
『魂を蒐集するあなたに言われても、説得力がないわね』
祠の上に止まった小鳥からは、こちらも抑揚の消えた声が返る。横になっている獣がそう在れと生み出されたのとは違い、その小鳥は人語を解すよう、無理やり生き物としての在り方を捻じ曲げられていた。その存在自体が命への冒涜の証ともいえる。そんな小鳥が発したのは、これまでに無数の命を奪ってきた獣を皮肉る言葉だった。
『お前にそれを揶揄する資格はない』
その言葉を受けて、平坦なままながらも獣の言葉に含まれる怒気が強くなる。
『だとしても、あの子に危害を加えるようなら、今からでもあなたを殺しに行くわ』
獣の言葉の正当性を──かつての自身の至らなさを──認めつつも、小鳥は自身に通うただ一本の芯を曲げることはしない。先ほどの当てこすりも、獣の行動が自らの信念と衝突する部分があったことに起因していた。
『今のところ、その気はないさ。私だって、あれに思うところがないわけじゃない』
懐かしむような雰囲気を纏って、獣が僅かながらの感情を溢す。小鳥の纏っていた怒気はすでに霧散し、平坦な事務口調を取り戻していた。
『で、今回の成果はどうだったの?』
『変異個体を含め、成獣が6体といったところだ。今のところ5体──いや、たった今全部討伐されたな。ここにも誰かが到着するのも時間の問題だろう』
『そう……』
今回引き起こした魔獣の大量発生の顛末について、小鳥が確認をした。今回の大量発生を引き起こした張本人である獣は、どのようにしてか読み取った生の情報を口にする。小鳥はその数の意味するところを察し、そっと瞑目をした。
『で、ノルマは達成できたの?』
しばらくの後、そっと瞼を開いて問いかける。
『ああ。問題なくな。もう少し欲張ってもいいが──そう睨むな。その気はないよ。変異個体まで見せた以上、ここの警戒は強まる。魂を集めるのに、より条件のいい場所はいくらでもあるさ』
一瞬、強い感情がぶつけられたものの、それはすぐに引っ込められた。
『じゃあ、そこでまたそれを使って?』
そう言って、小鳥は獣の下にある2つの水晶玉に視線を移す。
『そうだな。やはり複数あるとやりやすい。魔獣の供給の絶対数が増えれば、成獣になる個体の期待値も上がる』
そう言って、獣は小鳥の視線から隠すように、2つの水晶玉を体の中へと取り込んだ。
『それよりも、他の転生者についてはどうだ?』
閑話休題と、獣が小鳥に問いかける。
『そうね。見た感じ赤はあまりよろしくないわね。かなり若いわ。祭り上げられて調子に乗るようなら、殺した方がいいかも』
『なるほど──同感だ』
それぞれに思うところがある2人は、淡々と判断をする。
『緑はどうだろう。まだちょっと様子見かな。エルフになってるみたいだから、長い目で見れば、できるならわたし側に引き込みたいけど。そっちはどうなの?』
『黄の転生者は問題ない。しばらく見ていたが、のんびり暮らしている。街から出る気配もない。こちらにとって不都合な行動は今のところ見受けられないな』
『あら、珍しい。てっきり転生者は能力に驕って、いろいろとやらかすものだと思ったんだけど。そんなのもいるのね』
『それで黒は当たりだ。ずいぶんと老成した者だった。完全にこちら側だ。今はこの世界のことを勉強してもらっている』
『そう。それはありがたいわね。ただ、私の邪魔になるようなら、あなたもそいつも排除するわよ』
『まあ、そうならないように祈るんだな。歩んでいるのは、そもそもお前とは相容れない道だ。ところで、白の転生者についてまだ聞いていないぞ』
その投げかけを待っていたといわんばかりに、小鳥の声は悪戯が成功した子供のような喜色を帯びる。
『ああ、そうだったわね。なかなか面白いことになったわよ』
『ほう?』
珍しいトーンの変化に、獣の声もそれにつられる。
『白の転生者はね──』
そうして一通りの情報を交換し終わると、森の中には再び静寂が訪れた。先ほどまで茜色だった空も、今は闇が覆い始めている。
『それで?そっちはこれからどうするの?』
『赤の様子でも見に行ってみるさ。最悪を想定するなら、その処理はこちらの役回りだ。そうでなければ──そうだな。しっかり勇者としての役目を果たしてもらうさ』
『──そう。私はやりたいようにやらせてもらうわ』
そう言葉を残し、小鳥は空へと羽ばたいた。
『それはお互い様だ』
そう言いながら、獣は3本の尾で不要となった祠を破壊する。
飛び去る小鳥を見上げると、自らの尾を噛み円環を描く蛇が目に入った。
獣は空高くへと消えるその姿を見届けると、自身もまた夜の闇の中へと融けるように消えていった。
これにて一章完結です。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
次話から第二章が始まります。
引き続き、よろしくお願いします。




