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026.サフィ・ブルームテール03

それ(・・)を理解した瞬間、サフィは走るペースを落とした。

両足に力を込めて屈み、両手を地に着ける。その姿勢は()しくも、先ほどまでカイリを苦しめていた姿勢によく似ていた。異なるのはその姿勢をとっているのが少女であることと、その右腕の表面に清らかな水を(たた)えていることだ。

その視界には、今まさに仲間へと向かいつつある凶刃(きょうじん)が映っている。彼女は両足に溜め込んだエネルギーを、その体躯(たいく)に秘められたばねを利用して解放した。


右手を覆う水に、サフィは心地よさを感じていた。穏やかに()ぐ水面はサフィの焦りを散らし、そのひんやりとした感触は(たけ)った心を(しず)める。現在進行で仲間に迫りゆく危機も、今の自分にはそれを退(しりぞ)くに十全な力がある。そんな風に、冷静に状況を把握することが叶っていた。

──どこからともなく湧いてきた全能感を伴いながら。


サフィはカイリへと向かう凶刃へと最速で踊りかかる。今まさにカイリを(しい)せんとする腕と交差する瞬間、サフィはその右腕で撫でるように払った。その(まと)う水は、薄氷(はくひょう)を想起させる刃となってその腕を切断した。

着地して一拍。背中から声が聞こえたことで、サフィはカイリが窮地を脱したことを把握する。

その声に(こた)えるために、サフィは立ち上がって振り返った。


「待たせてごめんなさい。ここからは、私がやるわ」


サフィは改めて変異個体へと向き直る。右の前脚(ぜんきゃく)を関節から失った化生(けしょう)はその尾を用いることで、その巨体を絶妙なバランスで支えていた。サフィは再び四肢を地に着けて、疾駆(しっく)のための構えをとる。サフィが飛び出すと同時、向かう先の口腔からは黒い奔流(ほんりゅう)がそれを迎えるように噴出した。

サフィは右腕で自分の正面を、奔流との間に壁を作るかのように払う。その軌跡には透き通った水のヴェールがひらめきながら現れた。太陽に照らし出されてきらきらと輝くそれは、緊迫した戦場に瞬間的な清涼感すらもたらしている。黒い奔流はそのヴェールに衝突すると共に、(またた)く間に霧散する。続々と流れ()でるその奔流を、サフィは遡上(そじょう)していく。

その根源にたどり着くころには、絶え間なく湧き続けていたその黒は枯れ切っていた。サフィは自身の勢いを殺すことなく、ガラスでできた剣のごとく澄み切った右腕《刃》を化生に向かって、内側から開くようにして()いだ。


その禍々(まがまが)しい巨体に一閃が走った。黒で覆われたその体躯(たいく)は、何の抵抗もなくサフィの刃を受け入れる。そして、その紙のように薄く、ガラスのようになめらかな刃が、滑るようにしての体の間を滑っていった。

サフィが変異個体の体を通り過ぎ、左手、両足の三点を用いて停止した後には、上下に両断され、(もや)へと(かえ)りゆく物体が残されていた。


態勢を整え、サフィは次の標的へと向き直る。

大型の変異個体から生み落とされた、それと瓜二つの姿を持つ謎の存在。サフィへと語りかけ傍観(ぼうかん)を決めこんでいたそれはしかし、いつの間にか忽然(こつぜん)と姿を消していた。

サフィが気配を探ろうと周囲へ意識を広げるも、一帯にその存在はおろか、魔獣の気配すら感じることはできなかった。

カイリがこちらを見ていることに気づき、サフィは能力を解除する。腕に纏った水がその存在を霧散させると、辺りには静けさが帰ってきた。カイリに駆け寄ろうとした瞬間、サフィに急激な眠気が襲い掛かった。その魔の手に抗えず、音のない世界でサフィは意識を手放した。


カイリはその光景をすべて目撃していた。カイリを含め、エディ、ヴィシーの攻撃を簡単に弾いたその身体を、いとも容易(たやす)く両断したサフィの姿を。

その腕は周囲を照らし出す優しい光を宿しており、カイリにしか視る(・・)ことのできないその光景は、唯一の観客の心を捉えて離さなかった。

変異個体を(もや)へと還したサフィは、そのまま振り返ってしばしの間視線を巡らせた。そして少しすると警戒を()き、その右腕に(まと)った光も散っていった。激戦の末、疲労困憊、満身創痍であったカイリもまたそこで意識を失い、大地がその身体を抱きとめた。


静寂を取り戻した森の中の開けた空間に、音もなく羽ばたく小さな影があった。命の本来在るべきカタチを喪失(そうしつ)したそれは、正しく生き物と表現してよいか危うい存在だ。その在り方を──その中身を──誰かに知られれば、化け物との(そし)りは免れないだろう。

ことの一部始終を木の上から眺めていたのはインコを思わせる風体の小鳥。それは己の求める最良の結果を実現するために行動を起こす。その向かう先には、横たわる4つの人影があった。

変異個体により意識を刈り取られた者。

出血により意識を失った者。

戦いの果てに意識を手放した者。

そして、彼女が意識を奪った者。

戦いに巻き込まれた果てに、ただの残骸となった祠をとまり木として、それは羽を閉じる。

『……』

無言で4つの人影を見渡したそれは、まず糸で覆われた小柄な女の体へと飛び移った。軽いステップで体の上へと移動したそれは、くちばしで糸をついばみ始める。傷口を覆う糸を取り除くと、今度はその上に座る。しばらくしてその行動に満足すると、次は大柄な男へと飛び移った。横たわる男の手をつついて向きを調整すると、今度はその手の甲の上に座り込む。そしてまた、その行動にも満足すると、再び祠の残骸の上へと飛び移った。

『なんだ。こっちは存外軽傷じゃない』

メリハリの効いた声がする。残る二人をしばらくの間見つめると、その鳥は何処(どこ)かへと飛び去って行った。


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