021.成獣01
森の中から新たに姿を現したのは狼型の成獣。それは魔獣と同様の紅い瞳を持ち合わせ、その巨躯もまた同様の吸い込まれるような黒に覆われていた。異なるのは、脈打つ血管のようなものがその体表に走っている点。命の気配を感じさせない魔獣と違い、異様に生々しさを感じさせるそれは、見た者に生物的な嫌悪感を強烈に催させる。そんな化生が3体、現れた。
「打ち合わせ通りなら、撤退なんだがな……」
「同感。魔獣が予定より多い。背中は見せるのは危険。殲滅が推奨」
エディとヴィシーが状況から最善を探る。成獣3体の相手であれば2人の戦力でとんとんだが、取り巻きに多数の魔獣がいるとなると話が変わる。2人が殿で足止めに回っても、今残っている魔獣をすべてせき止めることは難しいだろう。必然、カイリとサフィの撤退の背を負わせることになる。それは危険と判断した。
「そんな風に思うが、どうだ?」
それを踏まえて、エディはカイリに判断を問うた。
「このまま戦闘を続行する。基本はぼくとサフィ、エディで成獣の相手だ。ヴィシーにはその援護をお願いしたい。取り巻きの魔獣は臨機応変に」
2人の判断をカイリは肯定する。能動的な攻撃力のある3人を、ヴィシーが後ろから援護するといった形だ。何度も魔獣を相手にしたことで、サフィの戦闘技術に磨きがかかってきていることも、カイリのその判断を後押しする。
「さぁ、行こうか」
そんな掛け声とともに、各自は戦闘に向き合った。
森の中の開けた空間で、魔獣たちは獲物を取り囲んでいた。最初は数えるのも嫌になる程いた彼らは、その数にものを言わせて本能のまま、秩序なく獲物を襲撃していた。何体かが獲物に襲い掛かっては散らされ、隙間が空いたことで次の波が獲物へと押し寄せる。獲物の体力には限界があり、数の暴力を以って蹂躙する。そんな統一意思のようなものがあるわけではないが、魔獣の集団としての行動はそれに近いものとなっていた。しかし幾度繰り返せども獲物の動きに陰りが出ることはなく、逆に膨大にも思えた黒の総数は、今や数えるのも「まあ苦ではない《・・・・・・・》」といった程まで減っていた。いつの間にか視認される獲物の数も増えており形勢は逆転、本能のまま飛び込むだけの彼らには、もはや勝算はないように思えた。
そんな中現れたのは彼らの統率者である。彼らが本能の下に目指す先の存在。いわば完成体ともいえるそれらは、本能のまま動く彼らと違い、明朗な思考を以って動く彼らの支配者であった。
成獣が現れてからの魔獣の動きの変化は劇的であった。無造作に襲い掛かってくるだけの襲撃は止み、カイリたちを囲むように円を描いて陣取っている。成獣は円の外周に等間隔に陣取り、カイリたちに視線を浴びせる。
「奴さんら、なかなか動く気配がねぇな」
戦闘を意気込んだものの、襲撃が中断されたことで、一時の静穏と緊張感が場を支配する。そんな空気に水を差すようにエディが言葉を発した。
「かといって、こっちから動くわけにもいかないだろ。数の不利もあるし各個撃破になったら目も当てられない」
「そらそーだ。だが、常に張りつめていたら近く限界が来る。だから嬢ちゃんも、今はあまりつめ過ぎるなよ」
それは回りくどいアドバイスだった。エディのその外見にそぐわない気回しに、──これまでの行軍の中でわかってはいたものの──サフィにあった緊張はわずかに解れたのだった。
そんな緊張の糸が緩まった瞬間を悟ってか、成獣が同時に動く。
直線的に跳びかかってくるわけではない。不規則な、かつ勢いを殺さない軌道で3つの影が中心へと向かって襲い掛かる。カイリとエディはそれぞれ武器を、サフィは拳を以ってそれを迎え撃たんとした。
最初に跳びかかってきたのはエディへと向かっていた個体だ。空中に跳んだそれを、エディは横なぎにしようとするが、その刃が捉えたのは成獣ではなく、その背後から一直線に向かってきていた魔獣であった。エディに跳びかかっていた個体は、背後から猛進してきた魔獣を足場にして空中でさらに跳ねたのだ。そのままその成獣は、自分に背を向けて別の成獣と相対するサフィの背中への着地を試みた。
次に襲いかかるのはサフィに向かってきている成獣。地上を左右に振るように動きながら迫るその姿は、体が大きいとはいえ、サフィの意識を地上に向ける。そのままサフィへと襲い掛かるかと思ったその成獣は、あと一跳び、といった間合いで真横へと跳び退った。
ヴィシーは冷静に糸を引く。サフィの背中と結ばれるその糸は。サフィの背後へと降りゆく爪の軌道からその体を射線外へと、真横にスライドさせる形で導いた。
自分の意思とは異なる体の移動は、サフィにわずかの混乱を与える。しかしすぐに頭を切り替える。先ほどまで自分のいた地点に成獣が降り立ったことを視界の隅で確認し、状況を再認識。サフィ自身も横にスライドしたことにより、真横に跳び退いたはずの成獣を運よく正面に捉えられていた。その距離はサフィの射程圏。力を込めて踏み込み、その拳を奮う。
カイリへ向かう成獣の動きはほかの2体に比べると緩やかだった。意図して落とされたと思われるその速度は、背後に幾体かの魔獣を引き連れていることから、ペースを合わせているものと考えられる。
カイリまであと数歩といったところで周囲の魔獣の速度が上がり、率先して襲い掛かる。その襲撃のタイミングは一定の間隔を保ち、方向についてもカイリの動きを誘導するように変えられていた。それは順当に対応していけば難なくこなせるものだ。左から右、右から左、そしてまた左から右という、体を振ることに慣らすかのような流れは、カイリにそのリズムを刻み込む。そして、そのリズムを破る不意の一撃は上方、カイリの体が右に流れ切ったところで1体の魔獣によってもたらされた。左右に振られるという動きに馴染んでいたカイリは結果、それに対する反応が一拍遅れる。その隙を突くように放たれた一撃は、必然成獣によるものだった。
上方からの襲撃に対して、反応が遅れつつもカイリは短刀を振るう。左右からの襲撃に対して横なぎに振るっていた刃は、瞬間の遅れを伴いながらも即座の判断にて右下から斬り上げるようにして振るわれた。その行動により生まれた死角を突いて、カイリの側面からその成獣は襲い掛かった。
実際のところ、カイリはその成獣の攻撃を捉えることには成功していた。カイリがまき散らした靄、それを突き破るように跳びかかってきた成獣。それを視界の隅に捉えつつも、カイリの刃は上方の魔獣に向かう途中だった。2方向からの同時の襲撃に対し、反応し切り返すことは不可能だった。
再びヴィシーが冷静に糸を引く。カイリの身体へと伸びていたその糸は、その体を強引に2本の射線外へと引きずり出した
「もうちょっと丁寧にやってくれませんかねぇ」
無理な移動で半ば崩れた態勢を、強引に立て直しながらそう溢す。
「わざわざ援護前提で立ち回ってくれた仕返し。甘んじて受ける」
返ってきたのはお小言だった。
3体の成獣がそれぞれ向かってきたとき、カイリに向かう個体のみ複数の魔獣を従えていた。その結果、他の3人へと向かう個体数は必然少なくなり、掛けられる時間も伸びる。カイリは一対多の場面を長時間維持することで、他のメンバー──主にエディとサフィだが──への負担を減らそうと図っていた。その結果、ヴィシーの援護を当てにしていた事は、間違いなくお小言に値するだろう。
しかし、その言葉を補う言葉が続く。
「でも、ご苦労さん。だいぶ楽になったぜ?」
それはカイリの隣で発せられていた。
先ほどまでカイリに迫っていた2つの影。それらはエディの持つ、ひと振りの大剣によってその姿を霧散させていた。




