017.山狩り03
眼を閉じて集中をする少女がいた。自分の存在を平らにし、広く感覚を研ぎ澄ます。五感ではない、自分の魂というこの世に非ざるものを薄く、広く延ばしてゆくのだ。
正三角形の中心に据えられたサフィは、そうして自身の存在を世界と同調させていた。各頂点にいる3人は、そんな無防備な彼女の護衛役だ。今は彼女の感覚の確認中。その感覚網に、魔獣がかかったら御の字といったテストだった。
「──見つけた」
少し間をおいて、サフィが目を開ける。
「距離まではまだつかめないけど、それっぽい気配が2か所。ここから北の方と北東のほう。より大きく感じたのは北……だと思う」
「北に行ってみよう」
そうカイリは即断した。
行軍は能力を使ってスピードを上げる。発見したかもしれない魔獣を逃さないためだ。5分ほど駆けるたび、サフィに再度感知をしてもらい進路を修正する。おおよそ20分ほど移動しただろうか。ヴィシーの糸を使った感知にも、捕捉されるものがあった。
「でかい。いたよ。多分熊型が2体」
これをもって、サフィ―の感知はその範囲の広さと、おおよその正確性が確かめられた。経験を積めば対象までの距離や数、種類なども識別できるようになるかもしれない。そういった期待が持てた。
「熊型か。それぞれの組で1体ずつ獲る」
ヴィシーの報告をもとに、簡潔に指示を出す。戦闘準備を整えた後、一気にまだ見ぬ魔獣へと襲撃を試みた。
2本の線が魔獣に向かって伸びる。再現を見るかのように、その上を駆けるのはエディだ。2体いる熊型の魔獣の片割れに対して、迅速な接近を試みる。異なるのは狼型のときとは違い、一撃で仕留めようとしないことだ。両の手にナイフの柄を握り、そこから伸びる刀身は優雅な曲線を描いている。斬るという動作に特化しているそれは、俗に偃月刀とも呼ばれる形状だ。空中を走り抜けるエディはすれ違いざまに魔獣に切りつける。魔獣もその動きに反応するが、体格が大きく動きに狼ほどの瞬発力はないため、その一撃をまともに受けて左腕を失う。獲物との交差を終えたエディは、そのまま糸に大きく体重を乗せて沈み込み、その反動で宙を舞った。その体からは無数の糸が伸び、ヴィシーへと繋がっていた。
斬りつけられた魔獣は、自身に手傷を負わせたそれを排除せんとばかりに向きを変える。自ら空中に跳んで自由を失ったエディに、自力でその魔獣の攻撃を回避する手はない。
黒い右腕が、赤い花を咲かせようと襲い掛かった。
瞬間、ヴィシーが糸を引く。エディから伸びた糸はそれぞれヴィシーの指へと繋がっていた。空中にいるエディはその力を素直に受け入れ、魔獣に向き合うような方向転換を可能とした。そのまま落下の速度を加えつつ、襲い掛かる右腕に刃を奔らせた。
エディが1体目の魔獣に跳びかかった直後、全身に強化を施したカイリもまた、その片割れに向かって跳びだした。底上げした身体能力のためか、サフィほどではないにしろ弾丸のように向かっていく。獲物が接近してくることを察知した魔獣が、腕を振り上げその飛来物を叩き落そうと身構える。自身に振り向けられる黒い腕に対し、カイリはその両掌を当て、腕をばねのようにして上へと跳ねた。頭上にあった太い枝を超えるように、放物線を描きながらカイリは宙を舞う。その掌からは無数の糸が伸び、魔獣の腕へと繋がっていた。
糸を絡められた魔獣は、右腕を真上に向ける形で拘束された。その束縛を解こうともがくが、精霊で象られた糸はその力を柔軟に受け止める。傍から見れば魔獣は棒立ちに近い状態だ。そんな隙を逃すはずもなく、先ほどより威力のある砲弾が熊型の魔獣を吹き飛ばした。
サフィの突撃で魔獣が吹き飛ぶとほぼ同時。切り刻まれて満身創痍になっていたもう一体の魔獣は、シミターから切り替えられたエディの大剣によって叩き切られていた。
エディの能力によって変化した刀身は仮初の質量を得る。ナイフの立ち回りで──ナイフの初速を利用して──振るわれた大質量は、表面の硬さを手数によって削られた魔獣に対して致命の一撃となった。
「そんなこともできたのね」
ヴィシーの能力を発動していたことについて、カイリの両掌に浮かぶ蜘蛛の巣を象った模様を見ながらサフィが言及する。
「ああ。まねられる能力は選ぶけど、ヴィシーみたいな、物を象った紋様なら、その能力を借りられるみたいなんだ。」
戦闘前、その準備としてカイリは能力を発動させたヴィシーと掌を合わせていた。その場面を思い出す。
「能力を発動すると、精霊が紋様の形に融け合うっていう話はこの前したよね。誰かが能力を発動して精霊を紋章の形にした後、それを受け取って自分の身体とかに宿すことで、その能力が少しの間だけ使えるようになるんだ。ほかにも受け取るためには物理的な接触が必要だったり、その瞬間に能力を解除してもらわなきゃいけないとか、いくつか条件があるから使える場面は限られるけどね」
そう話しているうちに、カイリの手に浮かぶ青い蜘蛛の巣は霧散していった。
2度の戦闘を経て、このパーティーでの戦闘スタイルはあらかた決まった。まず、サフィがおおよその魔獣の位置を探知する。サフィの探知に引っかかる距離まで近づいたら戦闘準備をし、完了し次第突撃といった形だ。ヴィシーの御前立ての上でエディが切り込み、かき乱したところでサフィとカイリが突撃。それをフォローするようにヴィシーが遊撃といった手はずだ。
「嬢ちゃん、次はどっちだ?」
「北東に……1キロくらい」
回数をこなすにつれ、サフィも距離感をつかんでいく。また過度に集中を要するものの、その索敵範囲は異様に広いことが判明していた。魂が引き寄せられるような──滑り落ちていくような──という捉え処のない感覚は、それを捉える本人にしか分からないものであり、間違いなく無二の──第零種認定にふさわしい──ものであるとこの場に居合わせる3人は考えていた。
そうして探知から撃破を繰り返すことさらに数度。一行は改めて魔獣の多さを痛感していた。
ほかの組合員と遭遇することも幾度かあり、その都度情報の交換を行ったが、彼らも相次いで魔獣と遭遇しているとのことだった。常設の討伐依頼ではありえない忙しさに、誰もかれもが普段以上に気をもんでいる様子だった。
カイリたち一行は、連戦からくる疲労の蓄積を懸念して休息は多めにとっていた。いざというときに疲れから判断が遅れ、危険に身を晒すのは問題外である。特にFランクながらも索敵の要であり、過度な集中を要するサフィの疲労はほか3人の比ではなく、彼女の回復は最重要課題であった。
森に入って6時間以上が経過しただろうか。すでに日は頭上を過ぎ、生い茂る枝葉の合間から緑を縫うように光の筋が差し込んでいる。カイリたちはサフィを除く3人で見張りを交代しながら、昼食の携帯食料の消費を完了しつつあった。
「サフィ、そろそろ行けそう?」
全体の様子を見ながらカイリが確認する。
「うん、大丈夫。おかげさまで十分休ませてもらったわ」
「無理はしないようにね。じゃあ、また探知をお願い」
そう言って次の標的の捜索を委ねた。
サフィは再び自分の感覚を薄く延ばしてゆく。自分の魂が吸い寄せられる先を探して、薄く──広く──
そして、不意に怖気を感じた。
「何か……ある……」
サフィの言葉に他の3人の注意が集まる。
「ここから500メートルくらい東に、何かがある」




