016.山狩り02
──場面は前日のミーティングまで遡る
「エディ、ヴィシー、魔獣を1体捕縛することはできるか?」
カイリから投げられた確認である。
「できる。2対1の場面ができれば難しいことじゃない。どうして?」
ヴィシーからの返答は是。それを踏まえて、その目的をカイリに問い返した。
「大きく2つ、目的がある。1つ目はサフィだ。今回、サフィは魔獣を初めて見ることになる。今は魔獣の気配を知らないから索敵は完全に目視だ。もし捕まえて観察する時間が得られれば、何か有用な感覚がつかめるかもしれない。それに、魔獣がどういったものか口頭で説明はしたが、百聞は一見に如かず、実際に目にすることで、それがどういったものなのか、存在を肌で感じることができる。できるなら戦闘中という特殊な状況下ではなく、落ち着いて観察できる場がいいと考えた。」
「なるほど。嬢ちゃんの感覚の底上げと、魔獣のイメージの落とし込みか。ほかには?」
カイリの挙げた1つ目の理由に、エディが得心いったという風に反応し、次を促した。
「ぼくたちも魔獣の観察ができる点だ。ぼくたち3人は魔獣との戦闘が日常の中に組み込まれている。だからこそ、魔獣を見る目はほかの人のそれより肥えているといってもいい。今回の魔獣が異常発生による特殊個体なら、成獣以外にも何かしらの異変が起きている可能性は捨てきれないんじゃないか?捕獲して観察する時間を設ければ、そういった異常についても何らかの情報を得られる可能性が出てくる。異常がないならないで、それも1つの情報だ。」
「なるほど。確かに一理あるな。だが、戦闘になる度に毎回、というわけにはいかない。時間もかかるし、リスクもゼロじゃないんだ。ヴィシーが可能と判断した場合のみ捕縛する。それでどうだ?」
「それで大丈夫だ。ヴィシー、よろしく頼む」
「任せて──」
方針がまとまり、可能であれば魔獣を捕獲する方向で話が進む。
「──簀巻きにして転がしといてあげる」
「簀巻きはちょっと……全身に糸が絡まってたら、観察どころじゃないと思うんだけど……」
「──善処する」
そんな冗談を織り交ぜつつ、話し合いは次議題に移ったのであった。
林の中、白い塊が1つ転がされていた。白いそれは、よく見ると細い糸でぐるぐる巻きにされており、細長い物体と化している。哮り声を上げようにも、口先も開けないようしっかり拘束されており、くぐもった音が周囲に響くだけだった。
その拘束を施した張本人であるヴィシーは、その白い塊から距離をとり、右の掌を少し上に向けて立っていた。小柄な彼女だが、漂わせている雰囲気は完全に戦い慣れた者のそれである。
「拘束を緩める。破られないとは思うけど、警戒はしておいて」
そう言うと、彼女は白い繭に向けていた掌を後ろに引ききり、そのままの勢いで地面に向かって押し出すように叩きつけた。
ヴィシーが腕を引いたことで魔獣の繭は真上へと飛ぶ。ちょうど滑車の要領で、頭上の木の枝を通した糸が魔獣を宙に浮かせた原因だ。そのまま地面に掌底が当たると同時、白い繭が弾け散った。弾け散った糸は魔獣を中心に放射状に広がりそのまま周囲の木々に絡みつく。そして魔獣を宙へと固定する空間の檻と化した。
「すごい……」
思わずサフィの口から感想が漏れる。魔獣の四肢を始め、主要な関節、首など、体の動きを封じる箇所に絡みついた糸は魔獣の暴れを許さない。それらの糸は周囲の木々へと絡みつき、十全な拘束を果たしていた。
「5分。それ以上は多分枝が持たない。それに周囲の警戒も忘れないで」
ヴィシーが制限時間示す。カイリたちは迅速に、打ち合わせ通り、その役割へと向き合った。
──実力が違う。
それが最初にサフィが抱いた感想だった。エディとヴィシーのコンビネーション、カイリの的確なサポート。そして彼ら三人の視野の広さ。そのどれもが自分には足らないものだということを改めて実感した。戦闘中、サフィは相対する1体に手一杯で残る1体に関しては完全に意識の外だった。カイリのサポートの下でとどめを刺し、自分の中でスイッチを切り替えて初めてそのことに気づいたのだ。
──このままでは駄目だ──
そんな思いがサフィの中で渦巻いていた。
そんな感情を心の中に留め、サフィは魔獣に意識を向ける。黒い体に紅い眼。事前に聞いてはいたが、改めて目にすると本能的な嫌悪感を煽り立てる様相だ。この個体の見た目は狼に近いが、漂う雰囲気に生物らしさは微塵も感じられなかった。
事前の打ち合わせ通り、サフィは魔獣の感覚をつかもうと五感を広げる。漂う空気の感覚を感じ取り、微細な空気の流れを聴く。自然の香りを身体に取り込み、光の揺らぎを観察する。そうして周囲に自分を同調させていると、不意に妙な感覚を覚えた。
「──引っ張られる?」
物理的な力ではない。自分の存在が、わずかながら魔獣の方向に落ち込んでゆくような感覚を覚えたのだ。自分の魂が、すり鉢状の穴にゆっくりと転がり落ちていくかのような感覚。それは今まで経験したことのない、未知の感覚だった。
カイリは魔獣を観察する。青い瞳に移るのは黒い澱みと、それに絡みつく細い光。もがこうとするたび黒い澱みが魔獣を覆うが、それは糸状の光によって散らされ、その膂力を発揮できない状態に留めていた。
「澱みの量も集まり方も、通常の魔物と同じ。外見も同じだし、少なくともこれが変異個体ってことはなさそうか。エディ、どう思う?」
分析をしつつ、エディの見解を尋ねる。
「おいおい、俺に聞くなよ。純正物理の俺に、観察だけで判断しろって?動いてるならまだしも、完全に拘束されてるなら、それをしてる張本人に聞いた方が有意義だぜ。だろ、ヴィシー」
そう苦笑しつつ、ヴィシーに話を投げる。
「当然。今の状況、エディは基本警戒しかすることがない。雑用よろしく」
そう言って、エディの能力を正しく評価する。
「感想としては、個体としては何の変哲もない魔獣。全部これなら楽勝」
そして拘束している魔獣についてもそう評した。
「そろそろ時間。エディ、やって」
その一言ともに、狼の影は左右に生き別れることとなった。
観察の時間を終えて、改めて得られた情報を全員で共有する。拘束したのは通常の魔獣と同じであること。特異な能力の兆候は見られなかったこと。サフィが魔獣の気配の感覚をつかんだことなどだ。特に最後の1つ、魔獣を感知できる可能性があるというのは重要で、本当に魔獣が検知できるのか、またできるのであればどのくらいの範囲なのか、可能な範囲で検証しようという流れになった。




