影さがし
阿呆か。
阿呆なのだろう。
「この部屋ですけどねぇ」
鍵束を鳴らしながら管理人は部屋の扉を開けた。
「この部屋、事故物件扱いになるんですかねぇ」
困るなぁと頭を撫でる管理人を無視して、女は部屋に入った。少しほこりっぽいが、気になるほどではない。母親が定期的に訪れて掃除していると言っていた。
「困るなぁ、こういう噂って広まるの早いですし、本当に迷惑なんですよ」
貧乏ゆすりをはじめた管理人を女は無視したまま、部屋内を手際よく見回る。
背の低い家具ばかりで、到底男性の影が隠れられるような影はない。
「事故物件にはなりませんよ」
「え、そうなんですか」
「この部屋の住人は死にません」
阿呆すぎるが、見捨てるほどではない。
馬鹿すぎるが、死ぬほどではない。
女は玄関で下駄を履く。
「どうやっても、この部屋にはいないな」
そう言うと管理人を一人残して部屋から出ていった。
「影、あるんですよねぇ」
はぁ、と大きいため息を付きながら、母親はベッドにいる息子を見た。
「影が剥がれた、とか騒ぐんですけど普通に影あるんですよ。でも、話にならなくて」
「そうですか、他に何か」
「救急隊の方が部屋に入ったときにドアを開けたせいで影が逃げたとか…要領を得ないんですよねぇ」
はぁ、と母親はもう一度ため息をついた。
「わかりました」
話を聞く女は片方だけ長い髪を揺らして頷いた。そして話は終わったとばかりに立ち上がる。
「あ、あの!」
母親は慌てて女に言う。
「その、あの…自殺、未遂とかじゃないですよね、ドアにガムテープ貼ってあったとかなんだかおかしかったみたいなんです…」
「違いますよ」
おたくの息子さんは馬鹿なだけです、その言葉を飲み込んで女はそれだけ言った。母親に言っても仕方がない。
「俺がしっかり説明しなかったんです」
「影剥がしは君が教えたのか」
「はい、動画のネタが欲しいって言っていて…でも、ちゃんと伝えなかったから」
明りと灯りの違い。
「違いなどない、明かりは灯りだし、灯りは明かりだ」
少しだけ友人の顔色がよくなる。
阿呆なのは説明しなかったことじゃなく、〘理解できない〙アソビを伝えたこと、そしてそれを行ったことだ。
「影剥がしは誰から聞いたんだ」
「友達ですけど」
その友達も友達から聞いたそうです。
阿呆か、その言葉を噛みつぶしてスーツに下駄を履いた女は友人の前から去った。
「ごきげんよう、限界の阿呆にして、臨界の馬鹿、花飯 獅子座君」
見守る母親がハラハラと音がしそうなくらいハラハラとしていた。ゆっくりと獅子座は目の前の女を見た。
「影を探しに行くぞ、さぁ、ついてくるんだ」
獅子座はゆっくりと立ち上がった。影のない足で。
「君は影剥がしに成功した、つまり影はあのとき、間違いなくこの部屋にいた、隠れる場所を探して」
動画の部屋に戻り、獅子座と女は二人で向かい合う。
「難しい話じゃない、影は隠れたのさ。突然明かりをつけられて驚いただろうが、確かに隠れた」
獅子座はうろんな目をして、女をみる。
「本当は影は一人で見つけなきゃいけない、だけど、君は、阿呆で馬鹿だから私が協力しよう」
仕方がない、例外だ、そう女は繰り返す。
「なぁ、影はどこに隠れたと思う。あぁ
いい、言わなくて。君は阿呆で馬鹿だから、影が逃げたと勘違いしてしまった」
女はいつの間にか手に木の桶を持っていた。
「さぁ、影を見つけてあげよう」
そう言うとビニール手袋をはめた手を獅子座の口に無遠慮に突っ込んだ。
「あの時、明かりをつけられた部屋で影は君の口の中に隠れられる影を見つけた、さぁ、吐き出せ」
おぇぇという獅子座の激しいえづきに反して、桶に出たのは胃液のみである。
しかし、獅子座の目に今までになかった光があった。
「あ、あ、あぁぁ、俺の影!!!」
「さぁ、言うんだ」
「影さん、みーづげだっ!」
涙声で濁るがそう言うと獅子座は目をつぶる。
やっと終わった。ゴム手袋を外して、女は天を仰ぐ。獅子座の足には確かに影が戻っていた。
「ありがとうございました」
何度となく頭を下げ続ける親子に、女は首を振った。
「私こそ、必要なことだとはいえ、獅子座さんにひどい事をいいました、本心ではありません」
事実です。その言葉を隠して女は頭を下げた。
「いいんですよぉ、この子が馬鹿なのは事実ですから」
最後にもぅ一度頭を下げて、女は親子に背を向けて歩き出す。今回は疲れた、規模の割に多くの人に関わった気がする。
「素直な子供で良かった」
自分の世界はそうそう崩れない、自分が絶対であるからだ。自分が信じる限り、自分の世界では何事も起こりえる。素直だから影剥がしが成功したのだろうが。
認識を変えるならば、自分を疑ってもらわねば。
規則を変えるならば、例外の理由を作らねば。
少しばかり足取り軽やかな女の後を、影だけがついていく。




