君の死に顔を見たい 5
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「本当にもういいんじゃないですか、人生。やり残したことないでしょ」
「いや、ある」
掠れた音を発したのは、筋の浮いたゆいさんの喉だった。
掛川優一、齢百。髪の毛はとっくにお亡くなりになったのだが、本体はしぶとく生き残っていた。
ゆいさんは確かに約束を守った。飽きっぽいゆいさんは新しい事業を立ち上げたり突然転職したりを繰り返した。
一連托生。
私もゆいさんに懸命について行き、そうして食うには困らないまま九十八になった。この分なら「一生」という条件も満たされることだろう。
「なんですか? やり残したことって」
ゆいさんはもう床に臥せったまま起き上がることができない。先は長くないだろう。先が長くないのは年齢的にもお互い様だ。
「悔いがないようにしてね。遺書準備しました? 私はとりあえずお線香買っときましたよ、三億本くらい」
「煙臭そう」
「あんたの死臭よりマシだわ」
ゆいさんは言い返そうとしたが、むせて咳込んだ。骨ばった背中を撫でてあげる。
「やり残したことと言えば……、」
ゆいさんは懸命に口を動かす。背中を撫でながら耳をこらしたが、その先を聞き取ることはできなかった。でも私は何十年も前に続きを聞いていた。
『三十超えたことだし、ゆいさんそろそろもういいんじゃないですか、人生』
『確かにやり残したことと言えば、君の死に顔見るくらい』
もう分かっている。いや、昔から分かっていたのにこの歳になってもなお目を逸らし続けている。お互いにだ。私たちはこれでいいのだと思う。
仲が良かった友人たちももうほとんど旅立った。だが、その内何人の死に立ち会えただろう。
ゼロだ。
だが、それが普通だ。昔どれだけ仲が良かったとしても所詮は他人だ。立ち会うどころか、亡くなったずっと後になって風の噂で知ったというのがほとんどで、時の流れがかつての関係を風化させていたことを改めて突き付けてくる。
よほどの間柄でないと死に顔など見られない。それこそ家族のような――。
「私はやり残したことないかなー。概ね満足」
偽りはない。本当に満足していた。
苗字は変わることなく、山田恵子のままだった。
誰かと一緒に暮らしたこともなければ、もちろん子どももいない。
何も知らない他人からすれば孤独な老婆に映るのかもしれない。
それでも、満足のいく人生だったと胸を張って言えるのは、
「君の死に顔見られるから」
普通とは少し違う形で長い生涯を共に過ごした男は、心底幸せそうに笑っていた。
Fin.




