店長としての心構え
俺にとっても、お店にとっても、あまりにも衝撃的な事件が起きてから、1月程度が経った。店で雇った社員やアルバイトや風俗嬢達に、詳細は語られなかったが、俺の突然の店長への昇進。普段は各店舗を定期的に見て回るだけの本部長。ほぼ本社にしか居ない専務等が、幹部が新人の俺しか居なくなる店舗に、手伝いに来てると言う事から、何があったのかは、うすうすと、みんな気付いてるようだ。表面上は何も言わず、慣れてない店長業務に四苦八苦している俺を助けてくれている。いつまでも甘えていてはダメなんだが、ついついみんなの優しさに甘えてしまう。
今日は、朝に本部長から電話があり、夜の営業からは、本部長が来ると言う事を聞いた。そして、いつまでも本社勤務である、本部長や専務が、俺が任されている店に、掛かりっきりになるのと、他の部分が疎かになりかねない。と言う至極当たり前の理由により、新人を1人連れて来る。と連絡があった。
その時に、本部長から。
『新人は、木村くんよりも年が上だけど、この業界、年齢なんて関係無いから、店長として毅然と接するように』
そう釘を刺されてしまった。確かに俺は、この業界に入り色んな事を経験して、自分の描いていた出世とは違うが、実情、店長と言う店の最高責任者と言う立場に居る。ここで、新人にナメられでもしたら、今まで築き上げてきた、他のスタッフや風俗嬢達への信頼も揺るぎかねない。気合いを入れ直して、頑張らねば。
昼の営業も、いつもと変わらない、特に目立った事の無い営業になった。トラブルなんて無い方がいい。
この系列の店に来れば、この店に来れば、楽しく安全に安心して、遊べる。そうお客さんが思って、この店を選んで来てくれる事が一番なんだから。
夜の営業時間より3時間程早い時間に、本部長が1人の新人を連れて店に来た。
「おはようございます、本部長、早いですね」
『おはようございます、店長、少し新人の事で色々あると思ってね』
連れて来ている新人は、挨拶もせずに、突っ立っている。
この人、自分が新人で、今ここに居るのが自分よりも、上の立場の人だけ。って状況理解してるのかな?
「そちらが、新人の方です? 私、店長の木村です、よろしくお願いしますね」
緊張でもしてるのかな? そう思い、こちらから挨拶をしてみたのだが。
『ども、よろしくお願いします、近藤です』
と、ボソボソと挨拶をしていた。
大丈夫かな? なんか一気に不安になってきた……。
本部長も苦笑いを浮かべてはいたが、特に何か注意をしたり。そう言った事は無かった。
『じゃ、取り合えず店長に付いて、仕事の流れを見て行こうか』
今日は、俺も昼と夜通しで店に詰める事となる、一応は本部長も閉店時間までは、手伝ってくれるそうだ。本部長が居てくれるなら、フォローもしてくれるだろうし、安心出来る。
俺は俺が元の店長に教わった事を、新人に教えて行く。
教えているのだが、どうにもこの人から、やる気とかが感じられない。話も聞いてるのか聞いてないのか、言った事を理解してるのかしてないのか、返事等も無いから、どうにもこうにも俺としても、やりにくい。
夜の営業の店長やマネージャーがやるべき仕事を、新人と一緒にこなしていく。質問等もまったく無いから、俺の方から、これはどんな意味があるのか、どうして必要なのか、気を付けるポイント等は何か。等アドバイスをしていった。
そして、時計の針が、閉店時間の1時間程前に差し掛かった頃に、新人がこの日初めて自分から、俺に質問と言うか、尋ねてきた。
『それで、俺への講習って今日やるんすか?』
え? と一瞬固まってしまった……いや、確かにマネージャーや店長として働くなら、必ず受ける必要がある事なんだが……まるで、それ以外に興味が無い。さっさと受けさせろ。そんな物の言い方に、俺は驚いてしまった。
どうした物か……受ける事は必要なんだが、この人に受けさせていいんだろうか? 何か風俗店で働くと言う事を、少し甘く見ていると言うか、風俗店の従業員と言う物をバカにしていると言うか、受けさせても、ロクな事にはならないような、嫌な予感しかしない。
本部長の顔を伺ってみると、厳しい顔付きをして、黙って俺の方を見ている……
「今日は、少し忙しかったから、風俗嬢達も疲れちゃってると思うから、またヒマだった時にでもね、今日は講習は無しにしようか」
本当は最後に俺の時のように、講習を受けて貰うつもりだった。
だけど、中止にした。
『そっすか、ちっ』
新人は、講習が無い事に不満があるようだ、この人は、ここに何しに来てるんだろう?
その後も釈然としないままに、営業を続け、閉店時間に店を閉め、閉店後の業務を終えて、店に泊まり込んでる社員を除き、一番最後に店を出た。
新人の近藤さんは、自分の車に乗って、店に来ていたそうで、店の前で、解散となり、1人帰って行った。
本部長が、ちょっとご飯でも、と誘って来たので、深夜まで営業している、近くのラーメン屋に寄る事になった。
『どう? 彼』
ラーメンの注文を終らせた後、本部長が聞いてきた。
「そうですね~仕事をしに来てるって感じには見えなかったです、何か意欲も無いし、質問なんかも一切無かったし、あっ講習はやりたそうにしてましたね」
『そうだね、実は彼は、この業界の経験者なんだ、まぁヘルス等と違い、キャバクラで働いてたそうなんだが、辞めたのかクビになったのか知らないけど、うちの会社に来たんだよ』
『そして今日、店に来る前に、彼には木村くんの事を話してあった、まだ業界歴は短いけど、店長に抜擢されて頑張ってる人だって』
俺は、本部長の言う事、言おうとしている事を聞き逃さないようにラーメンをすする箸を休めた。
『彼は駄目だね、きっとうちの系列でも、直ぐにクビになるよ、今日は業界歴の短い店長の部下として、やれるかって言う彼へのテストも兼ねていたんだ』
「そうだったんですね、道理で本部長にしては、何も言わずに見てるだけだなぁとは、思ったんですよ」
『それは、木村くんへのテストも兼ねていたからだよ』
本部長の言葉に俺は驚いた、俺も試されていたんだ。でも、何を?
『木村くんは、事情もあったが、異例な早さで店長になったよね、店長としての素質って言うか、まぁ必要な事が出来るのか? それを見たかったんだ、うちの会社、それなりに人は居る、店長になれずにマネージャーとして頑張ってる木村くんの先輩も沢山居る、店長になりたい店が決まっていて、席が空くのを無理やり座るのを狙っている店長になれないじゃなく、ならないマネージャーも居る、そんな人を店長として店に送り込み、木村くんにはマネージャーのまま、ゆっくりと経験を積んで貰おう、最初、社長も専務も言ってたんだ』
確かに普通に考えたら、俺より先輩は大勢居るのが当たり前だよな……それじゃ何でそうしなかったんだ? 俺は当たり前の疑問が頭に浮かぶ。
『そうしなかった理由は、俺が、木村くんを買ってるから、木村くんなら、きっとこの業界で上手くやっていけるって思ったから、木村くんは、俺と専務が推す期待の新人さんなんだよ』
そう言って笑いかけてくる……俺なんかが?
『木村くんにまだ足らないのは、やっぱり経験と後は、店長として部下をちゃんと叱れるのか? ってところだね、まぁこれは、経験を積めば誰でも出来る事だから、あ~後、彼に講習をさせなかった点は良かったよ、ちゃんと店長として部下の事を判断して、出した答えだったからね』
店長として、責任者として、部下を持つと言う事……
部下を指導すると言う事……部下が間違っていたらちゃんと叱ってやれる事……人を部下として持つと言う事の責任と言う物を、俺なりにもっと考えなきゃダメだな。
『あっ長々とごめんね、ラーメン食べようか、伸びちゃうし』
本部長にそう言われて、慌てて食べたラーメンは、すっかりスープを吸い尽くして、伸びていた……だけど、何だか、伸びてるはずのラーメンが美味かった。