閑話。部長の休日(前編)
6号店のオープンに向けて、必要となる、打ち合わせの仕事が、明日入っていたのだが、急に先方から都合が付かなくなったので、明後日以降で、調節をお願いしたい。そう連絡が来たのは、ほんの10分ほど前。
予定を立てていたので、困ったのだが、まぁ向こうも急な事なのは承知で、誠意を持って謝罪して来た以上は、あまり強気にもなれない。関係が悪くなっては、仕事自体がやりにくくなるだけだ。
明日は、休みになった。と言う事実を受け止めて、ユキでも誘って遊びにでも出掛けようと思う。俺は、6号店を出す市に借りたマンションの部屋に家具や家電の納品を、見届ける為に、現地に行っている、ユキへと電話を掛けてみた。
「あっユキ、明日、予定がキャンセルになって1日空いたから、どっか遊びにでも行かない?」
そう、誘ってみたのたが、ユキとしては、明日は俺は1日、打ち合わせをする予定でいると思っていたので、ルイと2人で、出掛ける予定だったと。そう言ってきた。
女の子同士で、遊びに行くのも、仲を深める事に役に立つだろう。そう思った俺は、ユキにルイと遊びに行っておいで。そう伝えた。
さて……明日は、ゆっくりと過ごす事は決まったが、只今の時間は、まだ日が暮れ始めた、午後の6時過ぎ。
このまま、向こうに戻って休む。って手もあるが、久し振りに、こっちで過ごしてみよう。そう決めた。
どこに行こうか……
本社にでも? いやいや、本社は無いな、明日1日オフだなんて聞いたら、本部長か社長に絶対に連れ回される。
近藤の居る1号店に? 行ってもいいが、気を使わせたり、仕事の邪魔したりしそうだな……
意外と俺は、仕事ばっかりで、いざと言うときに、遊びに行くアテも無い男だったらしい……
「あっそうだ! アソコにでも行ってみるか」
1つ行き先に見当を付けた俺は、その店の近くにある、コインパーキングまで、車を走らせ始めた。
目的の店の前まで移動してきた俺は、店には入らずに、店の外観を眺め。
「懐かしいな、変わってない」
そう一言、声に出してから、その店の扉を潜る。今、俺は昔、俺がマネージャーとして働いていた、キャバクラに来ている。
まだ、この店には、アカネを始め、知っているキャバ嬢が多少は在籍したままな事から、久し振りに顔を見せに来た訳だ。
俺にキャバクラのノウハウを教えてくれた、店長も大村マネージャーも、もうこの店には居ない。店長は、エリアマネージャーとして出世を果たし、大村マネージャーも店長として、こことは別のキャバクラに異動をしている。
『いらっしゃいませ、お客様、本日は、お1人様で御来店でしょうか?』
店の中に入ると、入り口に待機していた、店員にそう声を掛けられた。少し前までは、お客さんを迎える側だった俺は、何か少し、迎えられる側に居ると言う事に、気恥ずかしさを感じながら、1人だと伝え、指名は無い事も伝える。
懐かしさを味わいながら、店内を見渡し、店員の案内に従い、席に座った。まだ、開店して間もない時間たからか、他のお客さんの視線に晒されない奥まった席に案内される。
「6番テーブルだなここ」
知っていて当然の事なのだが、何故かそんなどうでもいいような事を、心の中で呟いた。
別の店員が、オシボリを持ってやって来た、彼は俺がマネージャーとして働いて頃も店に居た知り合いの店員だった。
オシボリを受け取りながら。
「久し振り、元気だった? ちょっと時間出来たから、遊びに来てみたよ、あっ内緒でね、アカネとか驚かせたいから」
そう伝えると、笑いながら、了承してくれた。
まだ成功もしていないのだが、どこかイタズラが成功した後のような気持ちになり、2人で少し笑い合っていた。
『お客様、お飲み物は、何になさいますか?』
彼が仕事モードで聞いてきたので、テーブルに予め置いてある、焼酎の緑色したガラスボトルに指を置き。
「これで、後、ピッチャー緑茶も」
そう言いながら、2~3度ガラス瓶を指で叩いた。
『畏まりました、ピッチャー緑茶の方もすぐに、お持ち致します』
そう告げた後に彼は、テーブルから離れて行く。今頃は、インカムを使い、俺のオーダーが通っており、キッチンでは、ピッチャーに緑茶を入れ終わっているだろう。
その後ほんの少しの時間で、テーブルの上には、俺のオーダー通りの物が揃い、後は、付け回しにより、キャバ嬢がやって来るだけの状態になる。
店の通路を、こちらに向かって歩いてくる、男性スタッフ1人とキャバ嬢が1人。付け回しをしているスタッフ。幹部なのだが、俺は見た事がない顔だった。あの子かな? キャバ嬢の方に注目すると、こちらも知らない顔したキャバ嬢だった。
この店も、同じように、時間が流れているだな……
『ご紹介します、ミルクさんです』
付け回しによる、キャバ嬢の紹介の後、キャバ嬢が俺の横に座る。座ってこちらを向いたタイミングで、俺はタバコを1本とライターを取り、タバコを口に咥わえた。キャバ嬢が持っていたライターで、俺のタバコに火を点けてくれようとしたのだが。
「あっごめんね、いいよ自分で点けるから」
そう言って、断った。これは別に何かキャバ嬢に対して意図があった訳でも無く、昔から人にタバコの火を点けて貰うのが、苦手なのだ。火がこちらに迫ってくるのが、何故か怖いと感じてしまう。
その後俺の飲む、焼酎の緑茶割りを作ってくれた事に軽くお礼を言って、彼女にも何か飲むように勧めた。
彼女は、嬉しそうに、近くの店員を呼び、ソフトドリンクを頼んでいた。
他愛も無いような話をして、楽しんでいた。
彼女は聞くところによると、キャバクラで働き始めて、まだ2週間ほどしか経っていない新人キャバ嬢らしい。確かに、色々と俺の目から見たら、至らない点も見られるが、まぁその内覚えるであろう程度のアラだった。
この時までは。
彼女が席に座り、そろそろ15分ぐらいになろうかと言う時に、彼女から突然、こんな事を言われた。
『お客さん、お客さん、私の事を場内指名してくれない?』
露骨に聞いてくる子だな。そう思ったが、まぁ特に何か言う訳でも無く、普通に対応する事にした。
「ごめんね、久し振りにこのお店に来たから、どんな子が入ってるのか知りたいから、もう少しフリーでいようかと思うんだ」
本来は、指名するしないの決定権は、お客さんにある為、こんな優しい断り方をする必要も無いのだが、そこは男女の違いはあれ、同じ業界、しかも元を辿れば同じ会社で働く仲間でもある。
俺は、角が立たないように、やんわりと断った。
『そっか、お客さんお金持ってないか、ケチなんだね』
最初、彼女が何を言ったのか、理解出来なかった。え? お客さんに対して、この子は今、貧乏人。ケチ。って言ったんだよな?
この店が他の会社の店なら、そんな事を言われたら、この場ですぐブチギレる自信がある……
俺は、あまりの物言いに、唖然としてしまった。
その後の彼女の態度は一転して、グラスが空になっているのに、飲み物を作る訳でも無く、灰皿に吸い殻が1本入っているのに、灰皿を交換するでも無く、グラスが汗をかいていても、拭き取る訳でも無く、不機嫌そう顔で、ただ横に座っているだけだ。
何故、たかが場内指名を断った程度の事で、ここまで態度が豹変するのか、逆に俺は興味を持ってしまったぐらいだ。
気まずいと言うか……気まずくさせられたと言うか……そんな時間が続き、そろそろ付け回しが違うキャバ嬢を連れて来る頃だろうと思い、俺も黙ったまま、その時間が来るのを待っていた。
しかし……入店してから、30分が過ぎても、次のキャバ嬢が来ない……何かおかしい。この店、どうなったんだ?
そこに、飲み物を聞いてきた、先程の店員が通り掛かったので、目を合わせた後に、顔をトイレがある方に振る。
そして、トイレに行くフリをして、彼の元へと行く。
彼の腕を掴み、トイレのドアを開けて、中に引っ張りこんだ。
「おい! これどうなってんだ? あの席に座っている女、俺が場内を断った途端に不機嫌になって、まったく仕事しなくなったぞ! 後、もう30分は経つが、次のキャバ嬢は、いつ来るんだよ?」
俺が一気に彼に捲し立てると、彼はこう言ってきた。
彼はアルバイトなので、詳しい内情とか知らないらしいが、ここ最近入って来たキャバ嬢達の素行が悪く、お客さんからも、クレームが出始めている事。
俺が居た頃のキャバ嬢達が少しずつ、店を辞めて他の店に流れているであろう事。
そして、彼自身も今の店の雰囲気が嫌になり、今週一杯でバイトを辞めようとしている事。これらを話してくれた。
「アカネとエリカってまだ店に居るんだよな? 今日はもう店に来てるか?」
彼にそう訪ねると、既に来ているとの返事だった。
「おい、アカネとエリカ、6番テーブル場内だ、インカムで流せ」
彼がインカムで、俺からの指示を流したのを確認してから、トイレを出て席へと戻った。案の定、オシボリを用意してある訳でも無く変わらず不機嫌そうに座っているだけの、女に腹が立ってきた。
「おい、仕事する気無いなら、どっか行ってろや」
この女が居ると邪魔になる為に、この席からどかす事を言う。
女は、文句言われた事に、余計不機嫌になったが、何も言わずに席から離れていった。
その後、付け回しが、アカネとエリカを連れ、席へとやって来た。2人は俺の顔を見た途端に、笑顔を見せてくれたが、その笑顔は【久し振りに会えた、遊びに来てくれた】そんな笑顔では無く、どこかこれで【救われる】そんな笑顔をしていた。




