付け回し修行
昨日、帰りがけに店長から、告げられた。
『木村マネ、伝票はもう完璧だね、僕や大村マネより早いらしいし』
ニヤニヤしている店長が逆に怖い……何を言われるのだろう?
『明日からは、幹部の覚えないといけない、もう1つの仕事の【つけ回し】の練習に入るから、そのつもりでね』
店長は、俺にそれだけを告げると、さっさと帰ってしまった。
明日から、俺が苦しむ事が分かり切ってる、イヤな笑顔だった。
付け回しか……お客さんが、店に来て楽しかったのか、つまらなかったのかを判断する上で、かなり重要度の高い仕事だな。
俺は、俺なりに伝票を付けながら、付け回しを普段している、店長や大村マネが、インカムで話す事に、耳を立てていたのたが、イマイチ何をやってるのか、細かいところまでは、分からなかった。
漠然と、どういった仕事なのか。それは理解している。
お客さんにキャバ嬢を付けて回る仕事。指名が重なっていたら、定期的に指名が重なってる席に、キャバ嬢を移していく仕事。その間にお客さんを1人にしないようにへルプを付ける仕事。
これを例えば、お客さん1人や2人に対して行うのなら、きっと今の俺でも出来るだろう。しかし、全ボックス席全てのお客さんの事を把握しなくてはいけない。どの席のお客さんがフリーで、どのお客さんが誰を指名してて、その指名されてるキャバ嬢は、どこの席に何分座っているか、いつ席を戻すか、それを全てコントロールする必要がある。これ……どのぐらいでマスター出来るんだろうか?
そして向かえた、運命の日……俺はこれから味わうであろう、苦労が目に見えて分かるだけに、少し気落ちしたまま、店に入った。
店に入ると既に店長が、俺がくるのを、てぐすね引いて待っていたようであり、とっても良い笑顔で挨拶をしてきた。
俺も、イマイチ気落ちしたままで挨拶を返すと。
『木村マネ~元気ないね、どうしたの?』
理解しているのに、この人は……
『大丈夫、いきなり、付け回しなんて出来る訳が無いんだから、出来たら、もうある意味、天才だよ』
『あっそうそう、確認するの忘れてたけど、キャバ嬢の顔と名前はちゃんと覚えてるよね?』
「はい、それはもう、レギュラーで店に入るキャバ嬢、準レギュラー、週1バイトまでなら、完璧に覚えました」
『うんうん上等、上等、月に1回とかしか来ないキャバ嬢なんて、僕でも直ぐに名前出てこないんだし、十分だよ』
そう言いながら、店長は、オーダーで作るドリンクを、キッチンからフロアに受け渡す為の、ちょっとしたカウンターの裏から、1枚のホワイトボードと、紙の小箱を取り出して、俺に渡してきた。
「店長……これ何です?」
『それはね……僕が手作りした、名付けて【付け回しマスターボード】だよ、それ使って大村マネも付け回しをマスターしたんだから、効果は保証済み』
ホワイトボードを良く見ると、消えないように油性のマジックで、店と同じ配置、同じ数のボックス席が書いてある。
小箱の中には、真ん中に仕切りがあり、それぞれに、小さなマグネットが大量に入っていた。
『今日から、少しの間、木村マネの仕事は、そのボードが相棒、他の仕事は一切しなくていいから』
そして、店長は、俺を、店の全てが見渡せる、学校にある教壇のような机に付いてる椅子に座らせた。
どうやら、俺は今日から、しばらくはここに座ってボードを相手に、付け回しを覚えるらしい。
『営業中ずっとここに座ってたらいいから、ただし、お客さんが来た時だけ立ってね、後、ボードは見えないように机で隠すようにね、お客さんに見せるような物でも無いから』
「はい、分かりました、分かりましたが……これって?」
そう言って、ボードを見ていると、店長が使い方を教えてくれた。
『この箱の中に入ってる、黄色のマグネットはお客さん、赤いマグネットはキャバ嬢、マグネットには、1から番号が書いてあるから、それじゃ先ずは、マグネットを黄色と赤それぞれの1から20まで出して机に並べて』
俺は店長に言われるままに、マグネットを並べていく。
そこに、丁度、大村マネが通り掛かり。
『おっ懐かしい! 木村マネ、それ見た目アレだけど、本当に使えるから、それ使ったら、木村マネなら、1日で付け回し覚えちゃうかもね』
そう言って笑う。大村マネの太鼓判付きなら、本当に役に立つ物なんだろうな、大村マネもこれで覚えたって、店長も言ってたし。
『そして、もう1つ大事な物を……』
店長がそう言いながら、俺に渡した物は、今日出勤してくるキャバ嬢の名前が書いてある紙と、それぞれのキャバ嬢に、1から20までの番号を振り分けた紙だった。
『今日は、僕が用意したけど、明日からは、木村マネが自分で用意してね』
『エリカ、何番?』
突然聞かれた俺は、紙に書かれたキャバ嬢の名前の一覧を素早く流し読む。
「12番です」
『うん、机に置いたマグネットと、その紙の意味は分かったね』
「はい」
『それじゃ、店が始まるまで30分ぐらいあるから、少し練習しようか、お客さんが店に来ると、スタッフが何をインカムで流してくる?』
「お客さんの人数と指名の有無です」
俺は、店長の質問に答えていく。
『それじゃ、はいインカムが流れました、お客様2名様御来店、指名はエリカとルイ』
『2名様1番テーブルにご案内』
『ほら、木村マネ、黄色の1と2を1番テーブルに置いて』
店長に言われるままに、マグネットを置いた。
『エリカとルイに割り振った番号の赤いマグネットを1番テーブルに』
「はい、置きました」
『お客様1名様御来店、1名様4番テーブルにご案内、指名ルイ』
「1名様……4番に……」
とにかく店長の言われるまま、ひたすら黄色と赤のマグネットをボードの上に置いていく。
『ほら、1番と4番、指名がかぶったよ、どうするの?』
なるほど……これはすごい……俺はこのボードの使い方を理解した。こんなボード作れるなんて、思い付くなんて、店長すげ~。
「はい、1番からルイを抜いて、4番に付け、1番にヘルプを1人入れます」
『そう! そうだよ! 木村マネすごいね、もう使い方、理解してる』
『うちの店は、50分で1セットだよね? だから、お客さん1人に対して、15分、15分、20分と区切り、3人のキャバ嬢を付ける、まぁ忙しいと完璧には無理だけど』
「はい、それじゃ、4番に付けたルイを15分後に、1番に戻し、ヘルプを抜いて、4番にルイのヘルプを付ける……ですね?」
『すごいよ! 完璧! 大村マネ! 大村マネ!』
『うん? どうしたんですか? 店長』
『木村マネ、基本マスターしちゃったよ! ちょっと教えただけで』
『マ……マジっすか? 俺でも3日かかってやっと基本マスターしたのに……』
『試してごらんよ』
そう言うと、大村マネが今度は、私に指示を出して来た。
『お客様3名様御来店、指名はサクラとミキとフリー6番テーブルご案内』
「はい! 3名様、6番に……指名が、サクラとミキ、後はフリーだから空いてるキャバ嬢を付けてっと……」
『お客様2様御来店、指名はサクラとフリー、7番テーブルにご案内』
「2名様7番に、指名がサクラとフリーだから、先ずフリーに1人付けて……ヘルプを連れて6番に行き、サクラとヘルプを入れ替えて、サクラをそのまま7番の指名に付ける……」
『時間経過20分』
「6番のフリーに違うキャバ嬢を……ミキはかぶりがないからそのまま……ヘルプを抜いて、7番のフリーに付け、サクラを抜いて、違うヘルプを付け、サクラを6番に戻す……」
俺は、多分こうだろうなと思って、口に出して動きを言いながら、マグネットを行ったり来たりさせた。
『『…………』』
二人の顔を見上げたが、何も言ってくれない。間違えたのだろうか?
『『て……て……天才だ~~~!!』』
『ちょ……何、何、木村マネ、頭の中どうなってるの?』
『うぎゃ~未経験者に10分で抜かされた~~!』
二人揃って、バカでかい声を出すから、他の男性スタッフやキャバ嬢も集まってきた。
どうしたんですか? 何があったんです? 何? 何?
そう言う、男性スタッフやキャバ嬢に向け、店長と大村マネが、声を揃えて。
『『まったくの未経験の木村マネが10分教えただけで、付け回しをマスターしやがった!!』』
その後、店内は、大騒ぎに。みんなして、本当に? マジで? 等と言い、男性スタッフの1人が、キャバ嬢の1人が、それぞれ俺に指示を出すので、ボードの上で、マグネットを動かす。
その様子を固唾を飲んで見ていた一同は。
天才って本当に居るのね……。キャバの申し子! 変態!
等と好き勝手言われてしまった。
『教える事は、もう何もありません、それじゃ多分、今日の営業から本番でも出来ると思うけど、今日1日は、ボードとマグネットでね』
そう言って店長はどこかに行ってしまった。
『店長が消えちゃったから、アドバイスの続きを俺が……フリーのお客さんには、やる気のあるキャバ嬢、頑張ってるキャバ嬢を、なるべく付けてあげる事、上位のキャバ嬢も、2時間置きぐらいに1回でいいから、フリーのお客さんに付ける事、分かった?』
俺は、大村マネが教えてくれた、アドバイスをブツブツ呟きながら記憶する。
「はい、覚えました」
そう言うと、大村マネは、どこか儚げな表情で。
『勝てる気がしねぇ……』
そう言い残し、店長が消えた方に歩いて行った。
どうやら、俺は、やらかしてしまったようだ……
その日の営業が終わり部屋に帰り、ユキに、付け回しの練習してきたよ。こんなボードがあってさ、と店長の作ったボードとマグネットの説明をしながら、話していると、俺の携帯が鳴った。
出てみると、本部長からで。
『き……木村マネ……店長に聞いたんだけど、本当に、付け回しを、10分で覚えたの?』
そう言うので。
「どうなんでしょうか? 自分では分からないですが、店長と大村マネは、覚えたと言ってました」
『……す……すごいね……』
そして、電話が切れた。
ユキに、その後の顛末を話してやっていると、突然、大笑いされた。その店長とマネージャーの顔が見てみたかったと。
これ、プロットの段階では、物凄く苦労して、覚えさせる予定だったんです。
ですが、いざ書くぞ!となった時に、私ってどのぐらいでマスターしたかな?と思い、記憶をほじくり出して思い出したら、流れを見て脳内で自分で動かしたりしていたら、2日で覚えちゃったんですよ。
だから、苦労した記憶が無くて、どんな苦労をさせようか、悩んだのですが、良い苦労が思い浮かばずに、こうなってしまいました。
因みに、作中に出てくるボードは、中々覚えられない子の為に、私が実際に作り、実際にそのボードで、その子がマスターした物です。