7.もう一人の護衛騎士
※ 文章の最後にイメージイラストがあります。
「は? 騎士団の屯所?」
間の抜けたルイスの声が響いたのは、穏やかな秋の陽射しが差し込む神殿二階最奥にあるリオンの私室だ。ベルベットのカーテンに仕切られた寝室と二間続きのそこには、落ち着きのある赤と金を基調とする品の良い調度品が並んでいる。
そんな中、ルイスは窓際に腰かけるリオンをマジマジと見つめた。黒とワインレッドのドレスを纏う彼女は、横に流した三つ編みおさげを揺らしながら真顔でこくりと頷く。
彼女の返事を受けたルイスは、胡乱げに眉根を寄せて口を開いた。
「うんって……、今までお前、屯所になんて来たことなんてなかった、よな?」
「だから行ってみたいの」
迷いなく告げる彼女を片手で制し、こめかみを抑えながらしばし考え込んだルイスは、難しい顔で問いかけた。
「そもそも突然なんでだ?」
「ルイスやリックの過ごす場所を見てみたいなと思って?」
小首を傾げるリオンを返事に、今度こそ困り果てた様子で彼は大きく息を吐いて唸る。
「お前なぁ……。エマがいないときばかり狙って我が侭言うなよ」
「だって、いないときじゃないと怒られるし」
「……なんで止めなかったって、オレにまで説教と苦情が飛び火するんだが?」
ジト目で抗議するように見つめる騎士の言葉に、リオンは慌てたように言った。
「あ、でも今回は大丈夫! たまたまエマは別のお仕事で湯浴みまでいないけど、神官長さまの許可はもらってるし!」
「……はい?」
その返答は予想外だったのか、翠緑玉の双眸がぱちぱちと呆気に取られた様子で瞬く。そんな彼を畳みかけるかのように、彼女は拳を握り絞めながら言った。
「ルイスだけだとダメみたいだけど、リックも一緒なら行ってもいいって!」
「……いや、ちょっと待て。本当に?」
「本当だよ! ただ、騎士さま方の邪魔になってしまうから、話すとしても一言二言に留めるように、って」
言葉の真偽を探るように彼がリオンをじっと見つめていると、コンコンとノックの音が響く。扉向こうの気配を探るや否や、ルイスの顔が微かにげんなりとしたものへと変わる。
「どうぞ」
小さなため息と共に素を引っ込ませ、外向けの顔で入室を促せば、扉からひょっこり顔を覗かせたのは碧いマントを纏った金髪碧眼の騎士だ。ハーフアップにした肩上ボブの癖っ毛を揺らしながら、その騎士は爽やかな笑顔と共に敬礼した。
「こんにちは、月巫女さま。隊長もお疲れ様です。お邪魔してもよろしいですか?」
「あ、こんにちは、リック! どうぞ入って下さい」
「失礼いたします」
そう言って、金髪の騎士――リック=ディオスは室内に足を踏み入れ、扉を閉める。そんな彼の背中に、リオンは楽しげに声をかけた。
「今ちょうど話していたところなんです」
「そうでしたか。それはよかっ……」
振り返りざま紡がれていた言葉が、不自然に途切れる。その理由は、ツカツカと歩み寄ったルイスが、彼の腕をガシッと掴んだためだ。ただならぬ気配にリックが口元を引き攣らせる中、ルイスはリオンに笑顔で振り返った。
「月巫女さま、彼と二人で詰めたいことがあるので、少々お時間頂戴してもよろしいでしょうか?」
「え、ええ、どうぞ」
穏やかな笑みから滲み出る雰囲気に気圧され、リオンもまた笑みを引き攣らせながら了承する。それを受けるや否か、ルイスはリックをずるずる引っ張り部屋の隅に移動すると、怒気の籠もった声で問いかけた。もちろん、音量はルイスとリックにしか聞き取れない程度に抑えて、だ。
「一体何がどうなってる?」
「ちゃんと説明するって! だから、その殺気めいたドス黒いもの部下に向けるのはやめてくれない?」
困ったように苦笑を浮かべ、両手を挙げて制するリックに、ルイスは掴んでいた腕を放す。一つ深呼吸をすれば、彼の怒気はなりを顰めたものの、その目は『早くしろ』と言わんばかりに鋭い。そんな彼に、リックは小さく肩を竦めて見せた。
「どうも何も、月巫女さまが神官長さま方相手に粘り勝ちした結果らしいよ」
「粘り勝ちって……。神官長さま方はなんて?」
「必要以上の接触・会話は避けるように、だってさ」
「……それは何ともありがたい大雑把なご指示で……」
剣呑さを増した翠緑玉に、リックも苦笑を深めるが、その口から否定の言葉は出ない。そんな彼に、ルイスはため息交じりにぼやく。
「面倒な判断と責任その他はこっちに丸投げか」
「街中での要人警護に比べたらまだマシだけどね。騎士団の士気も上がるだろうから、悪いことばかりでもないし」
すまし顔で告げられた指摘に、ルイスの眉が億劫そうに寄せられる。
「必要以上の接触を避けるとか、あいつらに通用すると思うか?」
「……まぁ、どう頑張っても騒ぎになるのは間違いないね」
諦観を滲ませた碧眼が明後日の方向へ逃げていく。その反応に、待ち受けているであろう厄介事に、ルイスは顔を引き攣らせ言い募る。
「そもそもだ。月巫女さまを屯所に案内するとか、飢えた猛獣の中にウサギを投入するのと、あまり変わらない気がするのはオレの気のせいか?」
「……残念ながら気のせいではない、ね。というか、だからこそ、オレたち番犬コンビが総出動なんでしょ」
「番犬って……」
表現が気に入らなかったのか、ルイスはしかめっ面で同僚を睨む。だが、毒気のないリックの笑顔に根負けした彼は、観念した様子で頭を掻いた。
「何にせよ指示が本物なら行くしかないか」
「そもそも、オレ達に選択肢ないし、諦めるしかないって」
「少しの現実逃避くらいはさせてくれ」
そう言って、ルイスはこれ見よがしに長いため息を吐き出す。そうして、肺の空気を吐き出し切った彼は、一転して表情を引き締めた。
「で、案内用の見取り図と各隊の状況は?」
「もちろん持ってきたし、確認済みだよ」
そう言って、リックが懐から取り出し広げたのは、羊皮紙に描かれた屯所の簡易見取り図だ。来客向けのそれを眺めながら、ルイスは思案顔で問いかけた。
「昨日から団長と北部の視察に行ってるのは、確か……ローレンス隊だったよな?」
「そうだよ。ちなみに、今日の神殿警備はオルコット隊とテイラー隊。訓練場待機組はオルセン隊とスミス隊で、非番はネルソン隊」
「よりにもよって、屯所にいるのが戦闘特化ばかりな上に、ネルソン隊が非番なのか?」
「そ。もっと言うと、ネルソン隊長、今日は外出する予定もないみたいだね」
リックから齎された情報に、ルイスは『げっ』と口元を引き攣らせた。
「ネルソン隊長に遭遇したら厄介そうだな……」
「ルイス、それフラグ」
「ふらぐ……? 何だそれ?」
聞き慣れない単語に彼が首を傾げれば、リックは人さし指を立てて返す。
「現実に起こる前触れ、みたいなものを言うらしいよ。今、街の若者の間で流行ってる言葉遊びみたいなものなんだってさ」
「ちょ……お前、やめろよ。現実になったら、ろくなことにならないだろ」
もしもの未来を想像したのか、ギョッとしたルイスは、苦虫を潰したような顔で訴える。だが、リックは意に介することもなく、宙を見上げながら平然と告げた。
「あの人、昔から何だかんだとお前に絡んでくるし、事ある毎に勝負挑んで来るよねぇ。聞いた話によると、最近入った新人の腕がいいらしくて、お前とどっちが強いか、試合をさせたがってるんだってさ」
「……なんて面倒な……」
追加情報に、ルイスは心底げんなりとした様子でこめかみを押さえる。しかし、所詮他人事でしかないリックはどこか愉しげだ。
「ちなみに、次いつ休みが合う日か知りたいみたいで、オレのとこにも良く来てるよ、ネルソン隊長。モテる男は大変だねぇ、クリフェードた~いちょ」
へらっとした笑顔で揶揄う彼を、ルイスはじろりと呆れ混じりに睨めつける。
「面白がるな。というか、そんな背筋が寒くなるような情報はいらん」
「ごめんごめん。でも、情報はどんなものも大事だから、ね?」
そう言って、リックは口元に人さし指を当てて、片目で瞬きして見せる。それに対し、ルイスが口をへの字にすると、彼は笑みを消して言った。
「ちなみに、気付いてないみたいだから言うけど、さっきから地が出すぎ。距離があるって言っても、月巫女さまの部屋だよ、ここ」
「ん? ああ、悪い。――って、お前が面白がっていらない情報ばかり言うからだろ」
「えー? 人が親切心から教えてあげたのに、その言い草は酷くない?」
傷付いたとばかりに眉尻こそ下がるものの、言葉に反して彼の碧眼はとても楽しげだ。それを胡乱げに見つめ返し、ルイスは苦言を呈した。
「なら、もう少し真面目にしろ」
「心外だなぁ。オレはいつだって真面目だよ?」
「どの口が言うんだか……」
ため息交じりに返したあと、差し出された見取り図を受け取ったルイスは、顔を引き締めて踵を返す。窓際のソファーで大人しく待っているリオンの元へ、リックと共に近付くと、彼は膝を折って穏やかに口を開いた。
「月巫女さま、お待たせいたしました。屯所見学についてですが、見たい場所の希望などはございますか?」
その言葉に、キョトンと目を瞬かせるリオンだったが、彼が広げて見せた見取り図に、目をキラキラと輝かせる。そして、彼女が希望した数カ所に印をつけると、それを元に騎士たちは案内ルートを改めて相談し始めたのだった。
***
それから約半刻後のこと。
ルイスは刃を潰した模造剣を片手に、騎士団の屯所にある訓練場のど真ん中に立っていた。彼の目の前には、同じく模造剣を手にした黒茶色の髪をポニーテールにした騎士。彼は自信満々な様子で模造剣をルイスに向け、やや芝居がかった口調で口上を述べた。
「さぁ、勝負といこうではないか、クリフェード隊長!」
そんな彼が纏う菫色のマントの後方には、ずらりと行列を成す騎士たちの姿もある。それを見たルイスは、心底うんざりした様子で呟いた。
「どうしてこうなった……」
「あーあ、見事にフラグ回収しちゃったねぇ。頑張れ、隊長~」
リックがいるのはルイスの遥か後方。互いに少し声を張らないと届かない距離かつ、彼の傍にはリオンがいる。しかしルイスは、自分の微かなぼやきに対し、揶揄い混じりの返事を聞いた気がしたのだった。