6.隠し事
※ 文章の最後にイメージイラストがあります。
――神殿の外の世界ってどんなところ?
そんなリオンの言葉に、ルイスはしばし言葉を失い、硬直していた。だが、ハッとした様子を見せると、扉を隔ててすぐ傍にいるであろう彼女に聞こえないよう、彼は静かに深呼吸をする。そして、彼は努めて平静を装いながら口を開いた。
「突然どうしたんだ?」
声音に滲んだ微かな動揺の色に気付く様子もなく、リオンは普段と変わらない調子で返す。
「別に深い意味はないよ。いつか外の世界を見てみたいなって思ってるけど、今はまだ無理でしょ? だから代わりに、ルイスから見た外の世界について、聞いてみたいなって思っただけ。人によって見え方違うかもしれないし、ルイスも神殿の外の世界を見たことあるんだよね?」
「それは、まぁ……。オレに限らず、神殿にいる人間はみんな外から来てるしな」
普段の調子で、ルイスは当たり障りのない答えを返す。しかし、淡々とした声音とは裏腹に、バクバクと五月蠅いほどの鼓動が彼の耳朶を打つ。そんな彼の緊張を知る由もないリオンは、扉の方へ楽しげに振り返る。
「ね、どんなとこだった?」
「どんなとこって……」
重ねられた問いに、ルイスは今度こそ言葉を濁す。言葉を詰まらせた彼の脳裏を過るのは、昼間に交わした騎士団長のグレンとの会話と制約の文言だ。まとまりのない思考がぐるぐると渦巻く中、彼は視線を彷徨わせた。
「お前、オレがお前の護衛を任されて以来、昼夜問わずに数日毎に一度程度しか休んでないのを忘れてないか?」
「でもその日はお休みでしょ?」
「休みと言っても、体力回復に、普段あまりできない模擬訓練と報告、それに武器の手入れをしたらすぐ終わりだから、街に行く暇なんてないんだが」
指折り数える彼の返事は、嘘偽りのない事実だ。しかし、その本質は話題逸らしにあるため、質問に対する答えとしては不誠実そのものだった。
そんな回答にリオンが納得するはずもなく、やや不満げな声音が問いかける。
「外に帰りたいって思うことはないの?」
「特にないな。外で帰りを待っている家族もいないし、必要なものは支給されるから、別にわざわざ行く理由もないしな」
「……ごめんなさい」
「ん? 何のこと……」
突然の謝罪に首を傾げたルイスだったが、『あ』と何かに気付くと苦笑を浮かべた。
「悪い、誤解させる言い方だったな。別に家族がいない訳じゃない。わざわざ外に行かなくても会えるし、様子もわかるだけだから、気にするな」
「え、神殿内にいるってこと? それとも、神殿に出入りしてる誰か? 私の知ってる人?」
神妙な調子から打って変わり、興味津々と言わんばかりの彼女の口調に、彼はすまし顔で言った。
「それに関する回答は拒否させてくれ。露見するといろいろ面倒だし」
「私、口は固いよ?」
「ダメだ。口の固さを疑う気はないが、お前、案外顔に出るから変に勘ぐられる可能性が高い」
「……ということは、私が会える人か見かけることができる人なんだね?」
確信を持った問いに、ルイスはハッとして押し黙る。微妙な沈黙の後、彼は明後日の方を見てポツリと返した。
「……回答は拒否の方向で」
「ふーん。そっかそっか~」
『失敗した』と言わんばかりに、ルイスは苦い顔で額を押さえる。そんな彼の脳裏を過るリオンの顔は、悪戯っ子のようなにんまりとした笑顔だ。事実、扉の反対側にいる彼女の顔に浮かぶのは、正しくそれだった。
鼻歌交じりの彼女に、ルイスは小さく息を吐いて釘を刺す。
「探すなよ?」
「どの人がルイスの家族かなぁって想像するのは、私の自由だよね?」
探す気満々だとわかる返事に、ルイスはジト目で顔を引き攣らせる。
「お前、公務のときとこういう舌戦だけは、無駄に頭回るよな」
「……それ、褒めてる?」
「さあ? もしかしたら褒めてるかもな?」
「あ、絶対褒めてないでしょー!」
憤慨している彼女の声に、ルイスは思わずと言った様子で小さく噴き出し笑う。ガチガチだった身体から緊張が取れたことに、彼はホッと胸を撫で下ろす。しかし、それもつかの間。小さな息をついて、リオンが再び口を開いた。
「まぁ、ルイスにとって嫌な話をさせたわけじゃないならよかったよ。じゃあ、話戻すけど、たまに休みの日以外でもリックと交代してるときあるよね?
「あー……。それはまぁ、オレだって食事とか湯浴みとかその他諸々は必要だからな。一緒には無理なものだし、そのときばかりは離れざるを得ないから、仕方ないだろ」
再び戻った話の流れに緊張で顔を強張らせたルイスの脳裏を、金髪碧眼の騎士の顔が過る。そんな彼の思考を遮るかのようにリオンは言った。
「食事も湯浴みも私と一緒にしたらいいじゃない。その方がエマも楽しいと思うし」
「お、おまっ……!! 食事はともかく、湯浴みするのに男の、しかも成人してるオレが一緒になんて無理に決まってるだろ!?」
思いがけない言葉に、ルイスは思わず振り返り、顔を真っ赤に染めて語気を荒げる。ハッとして口を手で塞いだ彼の脳裏を一瞬、湯浴衣姿のリオンが過る。うっかり想像してしまった姿に、彼は慌てて振り払うように首を左右に振った。
しかし、彼女から返ってきた言葉に、彼は今度こそ動揺をそのままに言葉を失うことになった。
「なんで?」
心底不思議そうな声音で問いかけるリオンの言葉によって――。
目を見開いて絶句したルイスだったが、不安げな声で名を呼ばれて我に返ると、微かに震える声で問いかけた。
「なんでって……。お前、どうして湯浴みのときや着替えのときは、エマだけが付き添ってると思っているんだ?」
「え、神官長さま達がそうしなさいって言ってたから」
「その、理由は?」
得体の知れない何かに、僅かに震える腕を反対の腕で押さえながら、ルイスは問いを重ねる。そんな彼に、リオンはしばし考え込む気配を漂わせた後、なんてことない様子で言った。
「聞いたことはあったけど、それがエマの……ううん、月巫女付き侍女の役目だから、だったかな」
「それ以外は?」
「それ以外って、他にも何か理由あるの?」
「い、いや……」
歯切れの悪い返事をする騎士は茫然として色を失う。不思議そうなリオンとは対照的に、彼は震える両手を握り締め、小さく呟いた。
「『騎士は月巫女を穢れから守るもの。騎士は月巫女のためにあれ。闇を切り裂くは騎士。穢れるもまた騎士。月巫女は穢れなきまま』か……」
「ルイス……? どうかした?」
扉を隔てたリオンに彼の言葉は届かない。心配そうに声をかけてくる彼女に、ルイスは口に無理矢理笑みを貼り付けた。
「いや、何でもない。明日も早いんだろ? これ以上遅くまで起きてるとエマに怒られるし、この話の続きはまたにして、そろそろ寝とけ」
一方的に告げられた終了の合図に、不満そうな声が扉越しに響く。しかし、ため息一つと共に告げられたのは、不満を訴える言葉ではなく、どこか不安げな問いかけだった。
「ルイスはずっとそこにいるよね?」
「もちろん、当たり前だ。オレの任務はリオンの護衛だからな」
「そう、だよね……。うん。じゃあ、今日はもう寝るね、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ。良い夢を……」
そうして彼女の気配がドアから離れると、ルイスは浮かべていた笑みを消し、廊下の窓から見える半月を見上げた。
顔を顰めた彼の脳裏を過るのは、過去の記憶。先ほどの言葉を、彼自身が別の場所で告げたときの記憶だった。
護衛の役目をリック――もう一人の騎士と共に任された際、彼はリオンと初対面となる任命式を前に、ある儀式に臨んでいた。それは聖典と呼ばれるものに倣い、神官長を始めとする高位の神官たちの前で、月神に月巫女への忠誠を誓う儀式だ。
ルイスが口にした言葉は、当時、副神官長の言葉を復唱する形で、リックと共に彼が口にした宣誓の一部。それを彼は『月巫女の命を狙う者、力の悪用を目論む者、それらの魔手から無傷で守れ』と言う意味で解釈していた。他者の血に塗れるのも、盾となり血を流すのも自身であれ。そう、心に刻むための言葉だろう、と。
しかし、昼間の話と合わせた現状から、彼の中で言葉の意味が僅かに形を変えて行く。まるでそれは、裏表を間違えて綺麗に填まらなかったパズルのピースが、ピタリと填まっていくかのようだ。
「外界に関する情報を月巫女の前で交わすことは禁じる、か……。よく考えてみれば、どれもこれも胡散臭い制約ばかりじゃないか……」
徐々に辿り着きつつある結論に、彼は扉の反対側の石柱を、感情任せに殴りつける。しかし、彼の拳を傷つけた精巧な彫りのある柱は、欠けることもなくそびえ立つ。それはまるで、一介の騎士である彼には何をも揺るがすことはできないと、暗示しているかのようだった。
それに対し、彼はぎりっと唇を噛みしめた。
「オレは一体何からどう守ったらいいんだよ。くそったれ……」
ポツリと零れ落ちたのは彼の戸惑いと憤り。それは誰の耳に届くことなく、夜の闇へと消えていったのだった。
***
「今思えばだけど、外のことを聞いたときのルイス、いつもと違ってたよね。いろいろ知った今だからそう思うだけかもしれないけど……。ホント、あの頃の私は何も知らなかったんだなって、今更ながらに痛感してるよ」
ふとリオンが見上げた青い空を、二羽の白い鳥が水平線の先を目指して飛んでいく。寄り添いながら飛んでいく鳥たちを、瑠璃の双眸が眩しそうに見つめる。
「何も知らなかった。それでも、あのときのルイスはどこか遠くに感じて、少しだけ不安だったよ。馬鹿みたいなことを聞くくらいには」
そう言って、くるりと身体ごと振り返れば、目の前の石碑を指で軽くつつきながら、ジト目で彼女は続けた。
「ルイス、あのとき私の不安とか、全っ然気付いてなかったよね? 声に『何、当然のことを聞いてるんだ、こいつ』感がものすごくあったの覚えてるし。まぁ、だからこそ、不安に思うのもバカバカしくなって落ち着いたっていうのもあるけど。何となく釈然としないものがあったんだからね」
口を尖らせながらそう言った彼女は、ふっと切なげに笑う。
「でも、あのときはそれでよかったのかもしれないね」
指でつついていた石碑を、そっと愛おしむように撫でる。
「あの頃の私には、ルイスが居るのは当たり前で、ルイスの隣が一番落ち着く居場所だった。それがなんて言う感情かなんて知らなかったけど、きっとあの頃にはもう、私にとって特別な人になってたんだと思う。そう考えたら、あの後の自分の行動にも納得がいくしね」
腕の中にある一振りの剣を見つめた彼女は、何か思い出したようにくすりと小さく笑う。
「ねぇ、ルイスは覚えてる? ルイスとリック、私の三人で騎士団の屯所に行ったときのこと――」
そうして、リオンは再び五年前の記憶へと思いを馳せたのだった。