Last.月が見た夢
※ 文章の終わりにイメージイラストがあります。
しばらくの間、互いの体温を確かめるように額を合わせていた二人だったが、ふとリオンが口を開いた。
「ところで、ルイス。聞いてもいい?」
「ん?」
「生死の淵を彷徨って寝たきりだったって言ったけど、その間はどうしてたの……? そもそも、あの嵐の中、どうやって助かったの?」
彼女が口にした疑問は、抱いて当然の疑問だ。それに驚いた様子もなく、彼は言った。
「それについては、オレ一人じゃ説明つけられないから、もう一人交えてな」
彼女が『もう一人?』ときょとんと首を傾げる中、彼は自身も通ってきた獣道の坂に向かって声をかけた。
「リック、いつまでも隠れてるなよ」
彼の呼びかけに対し、瑠璃色の瞳が大きく見開かれる。そして、数拍遅れて死角から姿を現したのは、丘の麓にいた金髪碧眼の騎士――リックだった。彼は肩を竦めて見せながら、呆れ口調で言った。
「感動の再会を邪魔しないために引っ込んでたのに、なんでバラすかな」
「気配も隠さず、途中から覗き見してる時点でいるようなものだろ」
「五年ぶりだっていうのに相変わらずだね、お前」
そう言って、苦笑いを浮かべた彼は、ポニーテールにした長い髪を揺らしながら、リオンを振り返り微笑んだ。
「リオンも久しぶり。元気なのは知ってたけど、こうして会えてホッとしたよ」
「知ってたってどういう……」
戸惑った様子で目を瞬かせる彼女に、彼は人さし指を立てて言った。
「セレーナの気紛れと、あと個人的なツテがあるんだ」
「ツテ……?」
「頑固で意地っ張りな年下の押しかけ護衛、いるでしょ?」
片目をパチンと閉じたリックの言葉に、彼女の目が大きく見開かれる。
「まさか、彼が来たのって、お義父様だけじゃなくて、リックも関わってたの……?」
そんな問いかけを肯定するように笑みを深めたあと、彼は眉尻を下げて言った。
「本当はオレ自身が行ければ行きたかったんだけど、ね」
苦笑いと共に告げたリックの左胸に輝くのは、三日月と交差した二本の剣を模した軍章――騎士団長の証だ。軍章と彼の顔を行き来する彼女に、彼は言った。
「ま、オレのことよりも、今はルイスの話をしよっか」
そう言って彼がルイスを振り返れば、リオンもまた倣うように振り返る。無言で先を促す二人に対し、ルイスは静かに口を開いた。
「オレは五年前のあの時、正直、死を覚悟してた」
彼の出だしの言葉に対し、瑠璃と青碧玉の目に、悲しみ混じりの非難の色が浮かぶ。眦を吊り上げる二人に対し、彼は気まずげに頬を掻きながら続けた。
「泳ぐ体力も残ってなかった上に、あの嵐だったしな。けど幸運にもあの日、船を出してたある男に助けられた」
「あの嵐の中で?」
五年前の荒れ狂う海を思い出した彼女が『信じられない』とばかりに問いかける。そんな彼女の反応に、ルイスは真顔で言った。
「なんでも六年前、翌年の春の嵐の日に、あの海に船を出してくれって頼んだヤツがいて、その言葉に従ったんだそうだ」
そこで一度区切った彼は、リックを真っ直ぐ見つめ、静かに告げる。
「オレを助けてくれたのは、ライル=フローレス。そして、彼に船を出すよう頼んだのはリック、お前だって聞いた」
ルイスの口から飛び出した名前に、再び瑠璃が瞠目する。それに対し、真顔で見つめられているリックは、胸を撫で下ろした様子で言った。
「万一の備えのつもりだったんだけど、ライルさん、覚えててくれたんだね」
元護衛騎士の二人を交互に見やり、彼女は困惑した様子で口を開く。
「ライルって……。お父様、生きてる……の?」
「生きてる。オストとノトスの中間にある海域の小さな無人島に隠れ住んで、日常品を手に入れるため、この辺にはたまに来てたらしい。ただ、この辺りには中央の情報がなかなか届かないから、オレから話を聞くまで神殿で何が起きてるかは全く知らなかったそうだ。そして、彼の医術があったからこそ、オレはこうして何とか生きてる」
不意に判明した実父生存の知らせに、リオンは口を覆い、その目から涙を溢れさせる。そんな彼女の頭をそっと撫でたルイスは、久方ぶりに会った相棒を難しい顔で見つめて言った。
「で。この五年ずっと謎だったのはお前だよ、リック」
「だよねー」
飄々と笑い、軽い調子で返す彼に、ルイスはやや眉間の皺を深めながら問いかけた。
「お前、なんでライルさんに『一年後の嵐の日に船を出してくれ』なんて言ったんだ? いや、そもそも、お前は月神の記憶で何を知っていたんだ?」
彼の問いかけに対し、リオンもまたジッとリックを見つめる。そんな二人に対し、彼は静かに告げた。
「オレが知ってたのは高確率で辿る二人の運命だけだよ」
「運命……?」
戸惑う二人の声がピッタリ重なる。五年ぶりでも息が合っている二人の様子に、微かに笑みを浮かべつつ、彼は続けて言った。
「月神さまが叶えたかったのは、月巫女とその相手に降りかかる悲劇の回避。それは千年以上、何度転生しても変わらない運命で、当代の月巫女はリオン。そして、その相手って言うのがお前だったんだよ、ルイス」
告げられた内容に、唖然とした様子の瑠璃と翠緑玉が交錯する。そして、続きを促すように二対の視線が向けば、再び彼は口を開いた。
「五年前にも言ったように、オレはそれを回避するために用意された駒――異端者だったわけだけど。ただ危険を回避しただけじゃ不十分らしくて、骨が折れたよホント」
そう言ってこれ見よがしに肩を鳴らして見せた彼を見つめ、ルイスは難しい顔で問いかける。
「今の話を聞く限り、月神の目的は叶えられたわけだが。役目を終えたお前はどうなるんだ?」
「オレに与えられた奇跡は、今この瞬間のためだけど、この命自体は別に他の人と何ら変わらないそうだから、オレはオレの思うまま生きてみようかなって思ってるよ」
「そうか……」
あからさまにホッとした様子で息をつくルイスに、リックは微苦笑を浮かべて言った。
「他にもお互い色々積もる話はあるとは思うんだけど、それは追々エマたちも交えてにしない? 二度手間になりそうだしさ」
そう言って、彼がやや強引に話を切り上げれば、帰路につくためにリオンは身支度を始める。そんな中、ルイスとの再会の最中に放り出した彼女のストールが、一際強い潮風に浚われていく。慌てて追いかけていくリオンを見つめつつ、ルイスはリックの隣に移動して静かに言った。
「お前、また肝心なこと隠しただろ」
「……何のこと?」
「惚けるな。繰り返されてきた高確率で辿る運命と言ったが、先見以上の正確さで事が起きる時間や場所まで読める訳ないだろ。それこそ、リオンとオレの間で起きることを見聞きでもしない限りは」
そう言って、やや睨め付けるように真っ直ぐ向けられた翠緑色の眼差しに、リックは小さく肩を竦めながら言った。
「勘の良さも相変わらず、か」
高い木の枝に引っかかり、あと僅かに届かないストールと格闘するリオンを目で追いつつ、彼は言った。
「並行世界って言う、同じ世界だけど道筋の異なる『もしも』の世界っていうのが無数にあるんだけどさ。月神さまはそれを繋げる神様なんだ。ヴォラスの巫女の言葉を借りれば『拒絶による運命の剪定と書換』っていうらしいよ」
「もしもの世界? それにヴォラスの巫女って……」
「彼女に関しては一言で説明できないからあとでね。もしもの世界に関しては、選ばなかった選択をした結果、あったかもしれない可能性の世界、って言えばわかる?」
「……何となくは」
やや頼りなげな様子で頷く彼に、リックは淡々とした調子で続ける。
「巫女たちの祈りによる奇跡は、その並行世界を繋げることで起こるもので。並行世界ですらなし得ないことは、本来叶えることはできない。巫女の祈りが万能じゃないのも、オレの命が奇跡なのも、それに由来するんだ」
「……まさか、その他の並行世界とやらにお前は……」
「月神さまに救われるまでは生まれなかった、絶対に」
彼の言葉に、翠緑玉が見開かれる。唖然とした様子のルイスをチラリと見ながらも、彼はそのまま続けて語った。
「お前と同じ歳っていうのも理由の一つだったけど、それこそがオレの選ばれた理由。二人の運命並に変わらないものを変えてぶつけるっていう、月神さまの賭けだったんだ」
なんてことない世間話のように語る彼に対し、ルイスは眉を寄せる。それに苦笑を返しながらリックが見つめる先には、落ちていた枝でストールの奪還を試みるリオンの姿があった。
「オレを救った時点で、いくつかの並行世界ですでに終わったリオンとお前の悲劇を月神さまは見てた。それが、一部の天上の知識と共にオレに刻まれた月神さまの記憶の正体だよ」
彼の言葉に翠緑玉の双眸が先ほどよりも大きく見開かれ、硬直する。
「オレはその記憶の共通点から、時期や起こることを推測して動いてたんだ。まぁ、オレが介入したことで変わったこともたくさんあったから、なかなか思うようには行かなかったけどね。墓とかもそう」
そう言って、碧眼が視線で指し示したのは、崖際にある石碑だ。
「記憶では、団長がとある理由から作るんだけど、今回はそれがなくてさ。今日この場所へ二人を誘導するために説得して、敢えて作ってもらったんだ」
「……剣は? どうしてここにあるんだ?」
「団長と相談して、オレがリオンに渡したんだ」
その返事に『何故』と言わんばかりにルイスが見つめれば、リックは形だけの墓標を見つめて言った。
「リオンが一人で姿を消して、お前がいなくなってちょうど五年の今日、ここに来るのはほぼ確定事項だったんだけどさ。そのとき必ず持ってたんだよ、お前の剣を」
その意味を図りかねた様子の相棒を振り返り、彼は静かに言った。
「並行世界のリオンは、全員が全員必ずしも自死を選択したわけじゃないんだ」
「……つまり?」
「剣はリオンの命を絶つ可能性があると同時に、リオンが答えを出すまでの間の心の拠り所だった可能性があるってこと。だから、リオンに釘も刺しつつ渡したんだけど、無事でよかったよ、ホント」
彼の言葉にルイスは、枝を手に元気に跳ねているリオンを見つめる。切なげな眼差しを送る彼に、リックは言った。
「終わってしまった世界のことは、月神さまでも変えられない。でも、この世界でオレが生まれて二人の運命が覆った今は、他の並行世界にも同じ可能性が生まれたはずだよ」
笑みを浮かべて告げる彼に、ルイスは眉間の皺を深めながら視線を落とす。納得行かない様子の彼に、リックは小さく息をつくと、その肩を組んで言った。
「このことは本来、神様しか知らない話だから気にするなって言いたいところだけど。どうしても気になるなら、悲劇で終わった並行世界のお前とリオンの分まで、しっかり生きて二人で幸せになりなよ。それが今のお前にできる唯一のことだと思うよ」
「リック……」
「なんてったって、お前のここから先の未来は、月神さまはおろか、太陽神さまですら見通し切れなかった未来なんだから。いろんな神さまや人に助けられてギリギリ拾った命、大事にしてよね?」
「……わかってる」
そう彼が頷いたところで、リオンが二人の元へと戻ってくる。手助けを一切しなかった男二人に対し、ストールを奪還した彼女は口を尖らせて言った。
「もう! 二人とも私より背高いんだから、少しくらい手伝ってくれたっていいと思うんだけど!」
仁王立ちした彼女に睨まれた二人は、目を瞬かせ互いに顔を見合わせる。そうして、苦笑いを浮かべたリックが言った。
「ごめんごめん。ルイスがなかなか放してくれなくってさ」
「現状で捕まえてるのはお前の方だけどな」
組んだ肩をバシバシと掌で叩く相棒に対し、ルイスはすまし顔でその手をパシッとはたき返す。ややぎこちない二人のやりとりに滲む重たい空気に、リオンは小さく息をつく。
それ以上の追求をやめた彼女は、ただの石碑と化した場所に置いた髪飾りを懐にしまうと、剣を抱きかかえてルイスの元に戻る。そうして、そっと差し出した彼女の手から、彼の手へと剣が渡された。
鞘から僅かに刀身を抜いた彼は、新品同然に手入れされたそれを見て言った。
「大事に持っててくれたんだな」
「ルイスがいつも持ってたものだし。それにこの剣は、記憶を呼び覚ましてくれたもので、神殿を出てからずっと支えてくれてたものだもん」
彼女の言葉が意味するところに、ルイスは微かに息を呑む。五年ぶりに手元に戻ってきた愛剣を見つめ、次いで憂いのない笑みを浮かべる彼女を見る。そして、彼は眉尻を下げて『ありがとう』と微笑み、リオンもまた嬉しそうに微笑み返したのだった。
その後、来たとき同様にローブを着込んだ後、彼女は手慣れた様子で長い髪を翠緑色のリボンで結い上げる。そうして、ほぼ支度が整ったところで、はたと気付いた様子で彼女は問いかけた。
「そういえばルイス、エマに起きてた予想外のことって何?」
彼女の問いに、彼は『あー……』と僅かに言い淀み、視線を逸らしながら言った。
「結婚して、身籠ってた」
彼の回答に、瑠璃色の瞳が極限まで見開かれる。次いで、彼女はガシッとルイスの両腕を掴み、前のめり気味に問いかけた。
「誰と!?」
「誰とって……お前、今どこで生活してるんだ?」
「どこって、ここから一番近いミステルの街だけど……」
『それがどうした』と言わんばかりの彼女に、やや呆れ顔を見せながら彼は言った。
「なら、領主の婚姻について何か聞いてないか?」
「元団長さんが去年侯爵家を継いで、それから間もなく結婚されたことくらいなら噂で知って……え?」
目を瞬かせた彼女が行き着いたであろう答えに、彼は微笑みながら頷き返す。それに対し、彼女は思わずといった様子で、口を両手で覆い涙目で呟いた。
「エマの恋、叶ったんだね」
「もうすぐ臨月だそうだ。それに備えて、たまたま実家に里帰りしてたらしい」
「そっか……」
嬉しそうに微笑み、彼女は空に浮かぶ太陽を仰ぎ見る。そして、大きく深呼吸をすると、二人を振り返り、ルイスに右手を差し出して言った。
「それじゃ、今度こそ一緒に帰ろう、ルイス。それで、エマたちにも会いに行こう」
彼女の言葉に一瞬瞠目したものの、目を柔らかく細めて彼も『そうだな』と差し出された手を握り返す。その温もりに、リオンは微苦笑を浮かべて言った。
「なんていうか、これまで見た幸せな夢が続けざまに現実になると、ちょっぴり怖いね。寝て目が覚めたら消え……」
「消えない」
彼女の言葉を皆まで言わせないとばかりに食い気味に遮り、彼はキッパリと言い切る。目を瞬かせる彼女に、ルイスは穏やかな表情で言った。
「オレは消えたりしない。それに今からでも叶えられる夢なら、一つずつ叶えていけばいい。そうして、幸せな夢を現実に変えよう、二人で。二人でも足りないなら、みんなで」
「ルイス……」
「だから、教えてくれないか。オレがいない間、お前が見ていた幸せな夢を、一つずつ」
呆気に取られた様子で彼の言葉を受けた彼女は、やや間を置いてコクコクと頷く。彼女の顔に浮かぶのは、喜びの涙を伴った笑顔。そんな彼女につられるように、彼の顔にも穏やかな笑みが浮かぶ。
楽しげに笑い合う二人を嬉しそうに眺めたあと、『お邪魔虫は退散』とばかりに、リックは一人でさっさと坂道を下り始める。そんな彼に気付いた二人もまた、顔を見合わせたあと小さく笑みを浮かべ、どちらからともなく手を握り合い、足を踏み出す。
しかし、数歩歩いたところで、リオンが急に立ち止まって言った。
「あ、ちょっと待って」
「どうした? 忘れ物か?」
一瞬遅れて立ち止まり、彼女の背後を見回すルイスの左手首を掴み、彼女は悪戯っぽく笑って言った。
「そんなもの、かな」
「どういう……わっ!?」
訝しむルイスの手首をぐいっと引き寄せれば、彼の身体は彼女の方へ前のめりに姿勢を崩す。慌てて片足を踏み出し、体勢を整えようとした彼の頬にもう片方の手を添え、彼女はさらに引き寄せた。
次の瞬間、触れた柔らかな感触に、翠緑玉が大きく見開かれる。海風がふわりと、二人の長い髪を撫でていく。ややあって、少し身体を離した彼女に、ルイスは耳まで真っ赤に染めながら口を開いた。
「おお、おま……!!」
「こうでもしないと、ルイス触れてくれなさそうだったから、つい」
「ついって……」
恥ずかしげに目を細めて黙り込むルイスに対し、彼女は両手を後ろで組み、頬を染めつつ満足げに微笑む。その笑みに見惚れたように固まった彼は、ふいっと視線を逸らしながら言った。
「どこで覚えたんだ、こんなの」
「修道院でお世話になってる人に聞いたり、あとは本で?」
「修道院、ねぇ……」
ぼやくように反芻しつつ、ルイスは彼女の手を差し出す。その手を取りながら、リオンは彼を見上げて言った。
「あ、なんか胡散臭いって顔してる」
「……してない。ただ、オレの思う修道院生活とは違う生活してそうだな、と思っただけだ」
「ルイスは修道院の生活、どんなだと思ってるの?」
「そうだな……」
空白の五年を埋めるように交わされるのは、他愛のない話だ。それと共に、五年間止まっていた二人の時も再び動き出す。
その先に待つのは、神ですら知り得ない新しい二人の未来。今はまだ真っ白だが、そこに待つのは様々な再会と幾ばくかの試練、そして新たな出会いの先にある幸せに満ちた未来だ。
そんなまだ見ぬ未来で二人を待つ人々へ想いを馳せながら、リオンとルイスは再び歩き出したのだった。
Fin
物語はここで完結となりますが、月夢に関する今後の予定等をお伝えするあとがきもありますので、もしよろしければお付き合いくださいませ。
ここでお戻りの方は、最後までこの物語にお付き合いいただき、本当にありがとうございました<(_ _*)>
またどこかでお会いしたときはよろしくお願いいたします(〃'▽'〃)
あ、あと、もしお楽しみいただけたようでしたら、気が向いた際は感想や評価をお願いできたら、創作活動の励みになりますので、ご検討いただけましたら幸いです(´∀`*)




