67.約束と想いの果て
※ 残酷表現等がございますのでご注意ください。
文章の終わりにイメージイラストがあります。
絵も微グロ傾向になっていますので、苦手な方は非表示でご対応ください。
――ありがとうございました、ルイス様。
彼の言葉と行動に、マールスを除いた全員が言葉を失う中、ルイスの手が間一髪のところで彼の腕を掴む。一気に左腕と肩にかかった負荷にグレッグが呻く中、どうにか掴めたそれに、ルイスの口から大きな安堵の息が漏れる。肺の空気を吐き出し切った彼は、眉尻をつり上げて腹の底から怒鳴った。
「この……バカっ! 何もしないうちから諦めるな!」
だが、その言葉にグレッグは顔を上げることなく、眼下に広がる漆黒の海を見つめ、静かに言った。
「これでも護衛騎士の一人です。自分の罪状と重さくらい、裁きを待たなくてもわかります。だから、手を放してください。この期に及んで、僕を助ける理由なんて……」
「お前死なせたくないから助ける! それ以外、助けるのに何が必要だって言うんだ!?」
遮るように断言された言葉に、漸く紫水晶の双眸がルイスへと向けられる。驚き言葉を失った少年に、彼は眉根を寄せて言った。
「お前、リオンと約束したんだろ? 一緒に桜を見るって。お前が交わした約束は、他の誰も叶えられないんだ。自分で交わした約束の責任はお前が最後まで持て」
「……今更、自分と花見などしたがるわけが……」
ふっと諦めを滲ませた笑みを浮かべる彼に、ルイスは眉間の皺を深めながら声を張り上げた。
「リオンがなんで、お前の異変に気付いて止めたと思ってるんだ! お前自身が言ったことだろ。この後に及んで、自分を敵と認識してない、世間知らずのお人好しだって!」
かけられた言葉と内容に、グレッグは目を見開いて固まる。そんな彼に、ルイスは真剣な表情で静かに語りかけた。
「そもそもお前が毒で倒れた時点で、リオンはお前に恨まれてるかもしれないことを知ってたんだよ」
「……え?」
「それでもなお、お前を助けようとした。目が覚めるまで毎日祈ってたんだ。その気持ちに何一つ答えもせずに死に逃げるなんて、オレは許さない。許さないからな!」
言い聞かせるように繰り返された言葉に、グレッグの瞳から涙が溢れ、頬を伝う。そして、唇を震わせながら、彼は涙声で言った。
「どこまでお人好しなんですか……。バカじゃないですか?」
「その言葉を伝える相手はオレじゃないだろ?」
彼の言葉に対し、揺れ惑う紫玉を彩る諦めの中に、生気を帯びた光が僅かに灯る。それを見逃さなかった彼は、ここぞとばかりに叫ぶ。
「わかったら四の五の言わずに、反対の手も伸ばせ!」
「一番の怪我人が威張らない」
ペシッとルイスの頭を軽く叩きながら、彼の隣に姿を見せたのはリックだ。彼もまた、グレッグに手を伸ばして語りかける。
「グレッグ。お前に気付けなかったのは、オレの落ち度でもある。だからさ、ダメかもしれないけど、オレたちにも挽回の機会くれないかな?」
「リック様……」
向けられた穏やかな笑みに、グレッグはくしゃくしゃに顔を歪めた。迷子の子供のように、彷徨い揺れる彼の目を見つめ、リックはしっかりと頷く。
それに対し、恐る恐るグレッグの右腕が持ち上げられる。伸びきる前に一瞬戻りかけたその手を、僅かに身を乗り出したリックの手が離すまいとばかりに掴む。
ルイスの支えを頼りに、リックは体勢を整え、互いに顔を見合わせた二人は頷きあい、後輩の手を握った腕に力を込めて言った。
「いくぞ」
「せぇーのっ!」
そんな掛け声と共に、彼らは反動をつけながら、グレッグの身体をどうにかこうにか引き上げる。崖っぷちから小柄な身体を引き剥がせば、二人は脱力した様子で座り込んで深々と息を吐き出す。
ややあって、身体を起こしたグレッグが彼らを呆然と見つめる中、ぜえぜえと息を荒げながら眉をつり上げ、リックは言った。
「全く、二人とも、無茶し過ぎっ! 次やったら、承知しないからね!?」
「悪い……」
「グレッグも! ちゃんと聞いてる!?」
怒り混じりに問われたグレッグは、リックの様子に目を瞬かせたあと、苦笑いを浮かべて言った。
「聞いてます。すみませんでした、リック様」
彼の殊勝な返事に碧眼が瞬く。気まずさこそあれど、儚さや諦観の色が消えつつある表情に、リックはふっと柔らかく微笑んで言った。
「ならいいんだ。間に合ってよかったよ」
そう言って軽く笑い合いながら、リックは先に立ち上がる。差し出された手を取り、ルイスが立ち上がれば、次いでリックの手は座り込んだままのグレッグへと伸ばされた。
そんな三人の様子にリオンは、ホッとした様子で息をつく。そして、ルイスに渡しそびれていた解毒剤の瓶を手に、彼女がグレンと共に駆け寄ろうとしたそのときだった。
「え……」
成り行きを見守っていた琥珀が金色に輝き、驚きと共に見開かれる。そして、その目が振り返った先には、縄から抜け出し立ち上がったマールスの姿。三本の筒が連なったものをリオンの背に向けて構え、彼は長い指を引き金にかける。その姿に、エマの顔からザァッと血の気が引いていく。
「やめッ……!」
彼女が叫んだその瞬間、駆け寄るリオンを振り返ったルイスの目が見開かれる。それに対し、マールスはニヤリと笑みを浮かべ、躊躇うことなく人差し指を引いた。
落雷のようにつんざく音が辺りに木霊せば、その音に全員の動きが止まる。だが、彼らの時が止まったのはほんの一瞬だ。
リオンの左頬を固いものが掠め、その肌と髪の一部を裂いて飛んで行く。それから一拍遅れ、彼女の目の前で、ルイスの左脇腹と右太ももから、何かが貫通したように赤い花びらが舞い散る。
痛みに呻く声に、リックとグレッグが振り返る中、ルイスの体がふらりと後ろに傾いでいく。倒れまいとたたらを踏んだ足が向かう先、そこに待つのは虚空だ。
「ルイスっ!」
その様子に気付いたリックとグレンが、同時に彼の名を呼ぶ。そして、リックが慌てて手を伸ばす一方で、グレンは素早く転身しマールスに突進した。
素早く肉薄するや否や、グレンは動きの鈍い相手の鳩尾と顎に拳を叩き込む。流れるような動作でマールスの体を大地に縫い付け、その腕を捻り挙げた瞬間、手に走った痛みにグレンが僅かに顔を顰める。
次いで、捻り上げられたマールスの手からすり抜け落ちたのは、筒状の武器――三眼銃だ。焦げ臭い独特の匂いと共に立ち上る硝煙と、見慣れない形の凶器を、グレンは訝しげに見つめる。そんな彼の耳朶を打ったのは、愉しげなマールスの声だった。
「月巫女は殺し損ねたが、試作品にしては上々と言ったところか」
拘束されているにも拘わらず、唖然と立ち尽くすリオンの背中を見て、彼は満足げに口角を上げる。その様に、グレンは怒りを露わに眦をつり上げた。
「貴様っ!」
「残念だったな、指揮者。この戦いは月巫女の弱点を葬ったオレの勝ち、だ……」
薄ら笑いを浮かべたまま意識を失ったマールスを、憤怒に彩られた真紅の瞳が射殺さんばかりに見つめる。その後、押さえ付ける手は緩めずに、崖先にいるリックを振り返り、声を張り上げ呼びかけた。
「ルイスは!? 無事か!?」
「何とか……!」
余裕はないものの、無事を知らせる返事に対し、グレンの口から僅かに安堵の息が漏れる。
しかし、そんな彼を余所に、リックの口から彼らしくない切迫した怒声が上がる。
「お前、剣を放置するとか格好つけすぎ! 肝心なときに防御できないとか、バカじゃないの!?」
「悪い……。実は毒と出血で、だいぶ前から手の感覚があまりなくてな」
「そんな泣き言今いらない! さっきまでの気合いと火事場の馬鹿力を出せ、バカ!」
漏れ聞こえる二人の会話が示すのは、依然として、最悪の状況に変わりないという現実だ。それを把握したグレンは、傍で力なく座り込んでいるエマを振り返った。
「エマ嬢、危険を承知で頼む! 来た道を戻って、誰か騎士を呼んできてくれ!」
強い口調だったものの、耳に入っていないのか、彼女は顔面蒼白な様子でリックの背中を見つめ、身体を震わせるばかりで動かない。琥珀を染める絶望の色に気付いた彼は、腹の底から声をあげた。
「エマ!!」
怒声に似た呼び声に、彼女の肩がビクッと跳ね上がり、ぎこちない動きで彼を振り返る。今にも泣きそうな顔を浮かべる彼女に、グレンは言った。
「まだ終わってない! 未来を諦めるな!」
「……っはい!」
グレンの叱責に、ハッとした様子を見せたエマは、唇を噛み締めて立ち上がる。そして、助けを求めるために、彼女は足を凭れさせつつも、一人駆け出した。
その背中を申し訳なさげに見送った後、グレンはリックの様子を気にかけつつ、マールスの再拘束にかかる。意識がないことを確認した上で、そっと手を外せば、そこにあったのは紺色の軍服の袖を突き破り生えた刃。グレンの掌を傷付け、赤く染まったそれこそが、リックが念入りに施した拘束を抜け出し、現状を作り出した元凶だった。
隠し武器を見つめたグレンの口から、らしかぬ悪態が洩れる。プロテクターごとそれを外し、再度縄で相手の手足を結んだところで、彼の上半身がフラリと揺れる。寸でのところで地に手をつき、倒れることを防いだ彼は、忌々しげに呟いた。
「隠し武器にも毒を仕込んでいるとは、念の入ったことだ」
額に脂汗を浮かべ、荒い呼吸を繰り返しながら、彼はマールスの懐を弄る。程なくして、彼が見つけたのは、ヴォラス語で『解毒』と女性の字で綴られたラベルの小瓶。それを疑わしげに見つめたものの、彼は一度深呼吸をすると、腹を決めた様子で中身を一気に煽ったのだった。
その一方、リックの元へ駆け寄ろうとしたのはグレッグだ。しかし、彼は立ち上がろうとしたところで、脱臼した両肩の痛みに蹲る。その痛みを押して立とうとする彼の横を、青藍色の髪がすり抜け駆けていく。リックの隣に顔を出した人の姿に、ルイスはぎょっとした様子で目を剥いた。
「リオン!? 危ないからお前は団長の傍に……」
「いや!」
そう言って、前のめりで身を乗り出したリオンもまた、ルイスの手を掴む。
「お前まで落ち……」
「落ちない! 私も、ルイスも落ちない! 一緒に帰るんだから!」
「リオン……」
涙と共に投げかけられた強い言葉に、彼の目が見開かれる。そして、そんな彼女の言葉に背中を押されたように、リックが叫ぶ。
「ルイス、そっちの腕も伸ばせ!」
必死に繋ぎ止めようとしている二人の言葉に、ルイスの反対の腕が微かに動くものの、半分も上がらないうちに落ちる。そして、リオンとリックが掴む腕もまた、雨に濡れて滑り、徐々に下へ下へと下がって行く。
「ルイス、お願い、頑張って……! 死なないって、生きるって、私と約束、したでしょ!」
「悪い……」
「謝るくらいなら、ちゃんと私の手握って! みんなで帰ろうよ!」
必死に叱咤する彼女の声が、唸る風に紛れて彼の耳朶を打つ。だが、彼の手は動けど、そこに握り返すだけの力は籠らない。そして、その手がリオンの手をすり抜け、リックの手でギリギリ止まる。
そんな緊迫した中、彼は二人に力なく微笑みかけて言った。
「リック、リオンを頼む」
「諦めるな、バカ!」
「リオン、お前は生きて……」
言葉の途中で、リックがかろうじて掴んでいた手がすり抜けていく。リオンとリックの後ろに駆けつけ覗き込んだグレンの目の前で、彼は最後の言葉を紡いだ。
「幸せに……」
「ルイスっ」
リックの手を離れ、宙に放り出されていく彼の名を呼ぶも、彼女の手がその身体に触れることは叶わない。そうして、重力に逆らうことなく落下していったルイスは、轟々と荒れ狂う波間に飲み込まれ消えていった。
みながみな息を飲み、唖然と言葉を失う中、最初に言葉と時を取り戻したのは、泣きじゃくるリオンだった。
「やだ、ルイスっ! ルイスっ!」
今にも落ちそうな彼女を羽交い締めにして止めたのは、彼女のすぐ横にいたリックだ。
「それ以上、身を乗り出したらリオンまで……!」
「放してっ! ルイスが、ルイスがあそこにいるのっ!」
ぼうっと白銀の光を纏い始めた彼女に、リックは切羽詰まった様子で叫ぶように声をあげた。
「ダメだ、リオン! その力は……!」
「ルイスを助けるの! 邪魔しないで!」
ルイスを傷付けなかった光が、リックを拒絶するように迸る。その痛みに、彼の拘束が僅かに弛んだ瞬間、彼女の体は光に包まれたままふわりと宙に浮く。
それに気付いたリックは、迸る光に皮膚を焼かれながらも、彼女を背後から抱き締め、引き寄せながら叫んだ。
「それはリオンの命を削るものだから使っちゃダメだ! そんなこと、ルイスは望んでない!」
「そんなの関係な……」
リオンの声が不自然に途切れると共に、光もまた唐突に霧散する。自身に起きた変化に戸惑った様子で、彼女は背後を振り返った。その先にいたのは、彼女を抱きしめるリック、そして、空になった細い注射器を手にしたグレンだった。
彼の背後には、力なく膝から崩れ落ち唖然としているエマとグレッグもいる。そして、エマが連れてきたのであろう銀髪の騎士――テオが、グレンの代わりに敵将を押さえ込む姿があった。
フラリと傾くリオンの身体をリックが受け止める中、彼女は力なく問いかけた。
「何を、したの……?」
「先見を聞いて、念のため準備しておいた鎮静剤です」
「どう、して……」
体に注入されたそれに、リオンの意識が徐々に遠のいていく。リックの腕の中で、眠りに落ちようとしている彼女に対し、傍に膝をついたグレンは、唇を噛みしめながら言った。
「申し訳ありません、月巫女さま。私もルイスを助けたい気持ちは同じです。だがアイツが傷を負ってでも守ろうとしたのは、貴女の全てです。貴女の命そのものです」
――オレだってお前に生きててほしい。何があったとしても、生きることを諦めてほしくないんだ。
感情を押さえ込んで紡がれた言葉と共に、リオンの脳裏を過ったもの。それは、明け方に告げられたルイスの願いだった。そんな彼女に、グレンは泣きそうな顔で続ける。
「貴女がその力を使ってしまえば、アイツの努力が無駄になってしまいます。ですから、どうかお願いします。アイツを想ってくださるのなら、アイツの……息子の願いを聞き届けてやってはいただけませんか?」
――だから、約束してほしい。もしも万一があったとしても、感情のまま本来の力を使ったり、投げ出したりしないと。
懇願する彼の姿にルイスの姿を重ね、リオンは涙を流しながら、薄れゆく意識を手放したのだった。
 




