66.相克の騎士
※ 暴力表現等がございますのでご注意ください。
文章の終わりにイメージイラストがあります。
光を失った紫水晶を見つめ、ルイスは赤く滲む肩を押さえながら口を開いた。
「グレッグ……。お前、どうして……」
「どうして、ですか」
彼の問いに、グレッグは無表情でゆらりと歩を進めながら答える。
「私は六年間ずっと、この国の平和のために、月巫女の力が必要不可欠だと聞かされてきました。どんな手段を使っても、彼女をありとあらゆる穢れから守れば、それが叶うと」
そう言って、ルイスの腕の中で戸惑いを露わに見つめるリオンを見返し、彼は続けた。
「人形同然だった頃よりも、感情のある今の方がその力がより強いことも、私は身を以て体感していました。だからこそ、信じられた。自分のすることに意味があると……」
そこまで告げた彼の足がピタリと止まる。眉を寄せ、無言で見つめるルイスに、彼は泣き笑いにも似た歪んだ笑みを浮かべて言った。
「でも、その力も長くてあと三年だなんて……。私のしてきたことは一体何だったんですか?」
「お前、知らなかったのか……?」
驚愕を色濃く浮かべたルイスの問いかけに、グレッグは明確な肯定も否定もせずに続ける。
「義父も死に、その理想も叶わないと知った今、もう私の希望などどこにもない。残されたのはただ一つ、姉さんを助けてくれなかった恨みだけなんですよ」
そんな彼の名を呼ぼうとしたルイスを遮って、リオンが口を開く。
「だったら、ちゃんと私を狙って! あなたが恨んでるのは私で、ルイスじゃないでしょう!?」
彼女の言葉に紫紺の瞳が、呆気に取られた様子で瞬く。次いで、薄ら笑いを浮かべ、彼は言った。
「最初から貴女を狙ってなどいませんよ」
「……え?」
思いがけない返答に、瑠璃色の瞳が困惑げに揺れる。そんな彼女にグレッグは静かに告げた。
「貴女に望むのは死じゃない。かつて僕が味わった痛みを味わってほしいんですよ」
「グレッグが味わった痛みって、まさか……」
「隊長が貴女にとって一番大切な人なのは明白、でしょう?」
そう言って、グレッグは腰から自身の剣を抜き、真っ直ぐルイスへ向ける。だが、その間に立ち塞がったのは、それまでルイスの後ろにいたリオンだ。両手を広げて立つ彼女に、グレッグは呆れ顔を浮かべて問いかけた。
「何のつもりですか?」
「ルイスは殺させない」
「戦う力のない貴女では、盾にすらなり得ません。現に今、私がこうして五体満足で立ってる時点で、未だに敵と見なしていないのでしょう?」
冷笑と共に投げかけられた言葉に、リオンは押し黙り、唇を噛みしめる。ただただ、真っ直ぐ見つめるばかりの彼女に、彼は『やれやれ』とばかりに息をついて言った。
「世間知らずのお人好しも、ここまで行くといっそ清々しいくらいですね。とは言え、彼が貴女と同じ考えとは限りませんが、ね」
「え……?」
その瞬間、戸惑う彼女の肩をやんわり引いて前に出たのは、庇われていたルイスだ。右手に剣を握り構える彼の顔色は、辺りの暗さも相俟ってやや青白い。
「ルイス、だめだよ、その体で……!」
そう言って、リオンは両手で彼の腕を掴む。だがそれに返事をすることなく、彼はリックを振り返り言った。
「リック、リオンを頼む。団長も手出し無用に願います」
「ルイスっ!」
一人で戦おうとする彼の名を強く呼べば、ようやくルイスが彼女を振り返る。彼は、安心させるように笑みを浮かべて言った。
「大丈夫だから、離れて待っててくれ」
そう言って彼は、傍にやってきたリックの方へ、彼女の背を押す。そうして、リックに肩を抱かれ、離れることを促された彼女は、眉を寄せて叫ぶように言った。
「絶対だよ? 絶対だからね!?」
今にも涙が滲みそうな顔で訴える彼女に対し、微笑みと共に、ルイスは一つ頷いて見せたのだった。
そうして、徐々に雨風が勢いを増す中、ルイスは剣を静かに構え、相対するグレッグに問いかけた。
「お前は本当に、リオンのことを恨んでるのか?」
そう問いかけた彼に、グレッグは眉一つ動かさず、無言で突進する。繰り出した剣は難なく防がれるが、それに動じた様子もなく、無機質な紫水晶でルイスを真っ直ぐ見つめ、彼は言った。
「何を言い出すかと思えば……。今、そう言ったばかりじゃないですか。ちゃんと起きてます?」
「……そう、思い込もうとしてないか?」
彼のその言葉に、グレッグは眉を微かに跳ねさせたあと、それを誤魔化すかのように剣を振り下ろす。それを往なしながら、ルイスは続けた。
「あのとき、間に合わなかったのはオレとリックを含む騎士団だ。そして、言うまでもなく諸悪の根元は、お前の村を襲ったモールたちだろ」
真っ直ぐ放たれた言葉に、無感動な瞳に変化はない。むしろ、彼が口にしたことに驚きを露わにしたのは、二人の一挙一動を見守る四人の方だ。そんな中、グレッグは僅かに口角を持ち上げて言った。
「なんだ、ご存知だったんですね」
「モールの罪状を確認した中に、お前の住んでいた村の名前があったし、時期も一致していた。だから、ああも惨い殺し方をしたんだろう? 違うか?」
「そうですよ」
まるで何でもない世間話をするかのように、軽い口調でグレッグは肯定する。眉根を寄せたルイスを見返しながら、彼は剣を繰り出しつつ、淡々とした口調で言った。
「姉さんは自分を無理矢理犯した相手に、命だけはと懇願していたんです。だがヤツはそれでも姉さんを殺した」
そうして、何合目かの打ち合いの末、鍔迫り合いになったところで、彼は愉しげに言った。
「だから、最期にわからせてやったんですよ。無力な人間の絶望というヤツを、ねっ」
力任せにルイスの剣を押し返し、距離を取ったグレッグは、冷笑を浮かべて告げた。
「そう睨まないでくださいよ。どうせ待つのは死刑だけ。そんな人間の処刑を代わりにしただけじゃないです、かっ!」
不意に距離を詰め、彼は剣を振り下ろす。そうして、何度も金属音を響かせながら、彼は言った。
「むしろ、隊長こそ私に感謝してくれてもいいと思うんですよねっ! あれは、隊長にとっても仇だったんですからっ!」
そうして、斬り結ぶ中、ずっと押し黙り、眉を顰めていたルイスが静かに口を開いた。
「そんなこと……できるわけ、ないだろ!」
怒りにも似た苛立ちを露わに、彼はグレッグを剣を押し返して言った。
「昔、お前に『人を守れる強さを身につけろ』とオレは言った。けどそれは復讐のためじゃない。かつてのオレたちのような弱者を守るための強さだ!」
「はっ、綺麗事ですね」
「ああ、綺麗事だよ。結局オレたちの強さは、どうあっても他人を傷付け、殺して守る強さだ。だからこそ、私利私欲で殺したら、あいつらと何も変わらないだろ!」
鼻で笑っていたグレッグは、彼の言葉に眉を寄せ、ギリッと歯を食い縛る。そして、その目に怒りを宿しながら、声を荒げた。
「なら! 教えてくださいよ! 僕はこの怒りを、一体誰に向けたらいいんですか!?」
「グレッグ……」
荒々しい剣筋を的確に捌きながら、ルイスが名を呼べば、苛立たしげにグレッグは言った。
「あんたはいいですよね。団長が居て、リックさんが居て、そして月巫女さまがいる。僕には義父だけだった。でもその義父にとって、僕はただの駒でしかなかった」
言葉が途切れると共に、彼の目から涙が溢れる。大きく見開かれた翠緑玉の双眸を見つめ、彼は叫んだ。
「僕だって、叶うのならあんたのようになりたかった! 光の当たる場所に居たかった!」
そんなグレッグの言葉は、リオンたちにも届いていた。
――こんなの理不尽だし、間違ってるよ。神殿では常にみんな平等だって神官様たちはいつも言ってるのに、肝心なときに限って人を平等に扱わないなんておかしいじゃない。
――階級や身分、その他にもいろいろな面で個人差はあるから、ある程度は仕方ないよ。
ルイスが謹慎処分を受けてすぐの頃、リオンとリックの間で交わされたやりとりが彼女の脳裏を過る。
「私が知らなかっただけで、理不尽なことはこんな身近にもあったんだね」
「リオン……」
悲しげに、しかし目を逸らすことなく見つめる彼女の肩を、リックの手が優しく撫でる。それでも尚、彼らの目の前で剣を交える二人の動きは止まらない。
「でも、僕にはそうなれる道なんて、どこにもなかった」
そんな言葉と共に鍔ぜり合えば、グレッグは眉尻を下げ、泣き笑いのような表情を浮かべて言った。
「だから、せめて大人しく殺されてくださいよ」
「……それがお前の本当の望みか? それで気が済むのか?」
「ええ、済みますよ。これ以上、苛々するものを見なくて済みますから」
ルイスが訝しげに眉を寄せれば、彼は口角をあげて言った。
「だって、そうでしょう? 僕が欲しかったものを全て持っている癖に、まるで自分には何もないように振る舞う。挙げ句には不敬罪で謹慎? 果ては月巫女の誘拐なんて大罪を自ら被る? そんな愚かな真似ばかりするあんたは、僕が憧れた騎士さまなんかじゃない」
キッと睨め付ける紫紺の瞳に対し、翠緑色の瞳が驚き瞠目する。そんな彼に、グレッグは剣を握る手に力を込めた。
「そんなあんたが、僕は大っ嫌いだ!」
あらん限りの憤りと共に、ルイスの剣を押し返し、斜め上に剣を振り払う。それに弾かれた剣が、円を描きながらリックの傍の地面に突き刺さる。
柄に填められたエメラルドを濡らす雨粒が、涙のように伝い落ちていく。それを不安げに見たあと、ルイスに視線を戻した彼女は、目を見開き固まった。
「何のつもりですか?」
そう問いかけたのは、ルイスの喉元に剣先を突きつけて睨むグレッグだ。そんな彼に対し、ルイスは動じた様子もなければ、身構える様子もなく、ただ静かに言った。
「お前こそどうした。オレを殺したいんだろう? 今なら簡単に殺れるぞ?」
「ルイスっ!」
隠し持っているダガーを抜く気配もなければ、防御姿勢を取るでもない彼の名が、リオンの口から悲壮感を伴い紡がれる。そんな彼女を押し留めながらも、柄に手をかけるリックをチラリと見たあと、グレッグは冷淡な表情で言った。
「あんたの大切な巫女さまが呼んでますけど」
「そうだな。それで、お前は何を躊躇ってるんだ?」
「躊躇ってなんか……!」
挑発するようなルイスの言葉に触発された彼は、剣を一度引き、間合いをつめて薙ぎ払う。刃の向かう先にあるのは、ルイスの首だ。予測される未来に、リオンは目をギュッと閉じて、声を張り上げた。
「グレッグ、お願いだから、もうやめて!!」
彼女の叫びに、荒れ狂う雨風以外の音が止む。肉を絶つ音も、倒れる音もしない。その状況にそっと目を開けたリオンが見たのは、ルイスの首のすぐ横で止まっているグレッグの剣だった。
グレッグは微動だにしない相手を睨めつけ、問いかけた。
「なんで、避けないんです?」
「お前こそ、どうして振り切らないんだ?」
「それは……」
問い返したルイスの言葉に、紫紺の瞳が逸らされ、彷徨い揺れる。そんな彼を見つめ、ルイスはそっと口を開いた。
「グレッグ、お前は昔のオレに似てる。もしかしたら、オレもお前と同じだったかもしれない」
彼の言葉に、グレッグが唖然とした様子で、目の前の翠緑玉を振り返る。
「だから、わかる気がするんだ。お前が今一番許せないのはオレでも、ましてやリオンでもない」
――今も許せないのか?
かつて目の前の彼に投げかけた問いが、ルイスの脳裏を過る。
「お前自身、なんだろ?」
彼の言葉に、グレッグの剣がピクリを揺れる。瞳を見開く彼に、ルイスはただただ静かに語りかけた。
「いつかの夜に、オレはお前に騎士になった理由と合わせて聞いたよな。あのときのお前の言葉や返事に、嘘は感じなかった」
そう言って、彼は一歩前に足を踏み出し、自身よりも小柄な彼を真っ直ぐ見据えて言った。
「そんなお前を、オレは殺す気もないし、死なせるつもりもない」
驚き固まったあと、ハッとした様子で我に返ったグレッグは、鼻で笑い、口許をひきつらせて言った。
「意味がわかりません。僕は今あんたを殺そうとしてるんですよ?」
「オレの言うことが違うと言うなら、そのまま剣を振り切ればいい」
迷いなく告げられた言葉に、グレッグは鬼気迫る表情で腕を引き、剣を掲げる。その様を見たリオンが手を伸ばす中、掲げられた剣が主の手からすり抜け、泥濘に落ちる。
落とした剣を拾うでもなく、頭を垂れた彼は顔をくしゃくしゃに歪め、涙ながらに問いかけた。
「なんで、殺してくれないんですか……? 僕は、裏切り者なんですよ?」
「逆に聞く。お前はどうして自分で自分を殺さなかったんだ?」
「それは……」
唇を噛みしめ、押し黙った彼に代わり、ルイスがその答えを口にした。
「お前の姉が、お前に生きることを願ったからじゃないのか?」
その言葉に、俯いていた顔が持ち上げられる。瞠目し、揺れる紫玉を真っ直ぐ見つめ、彼は続けた。
「自分を責める気持ちと、姉の最期の願い。その矛盾の果ての逃げ道が、お前と姉の生死を分けたリオンのせいだと、そう思い込むことだった。……違うか?」
唖然としたグレッグが『何故』と、戸惑いを露わに問えば、ルイスは悲しげに笑って言った。
「言っただろ、お前はオレに似てるって。オレはそれを昔、叔父……いや、義父さんにぶつけて傷付けた」
「……え?」
打ち明けられた内容に、紫紺の瞳が見開かれる。そして、リオンたちの視線もまた、驚き固まる彼の義父――グレンへと向けられた。
そんな中、ルイスの独白は続く。
「だがオレは、忘却水でそれすらも忘れて、のうのうと過ごしてたんだ。思い出したときは、自分に反吐が出そうだった。息子を名乗る資格などないと思ったし、疫病神でしかない自分を殺したいほど憎んだ」
「ルイス……」
名を呼ぶグレンに、微苦笑を返し、彼は真顔でグレッグに語りかけた。
「だから少しならわかるつもりだ。お前だって、本当は気付いてるんだろ……?」
彼の言葉に押し黙った少年は、両手の拳を握りしめて俯く。
「お前がした中には償うべき罪もあるだろう。生きて償えるものではないかもしれない。だが、それを裁くのはオレでも、ましてやお前でもない」
唇を噛みしめる彼の両肩に手を置き、僅かにしゃがんで目線を合わせ、ルイスは言った。
「お前の姉が生かしてくれた命だろ? なら、最後まで足掻け。それが生かしてくれた人に、生かされたオレたちが返せる唯一のことなんじゃないかと、今のオレはそう思ってる」
彼の言葉に顔を上げたグレッグは、二、三度口を開閉させたあと、微かに震える小さな声で問いかけた。
「僕があのときの子供だと伝えていたら……。助けてほしいと言ったら、何か違いましたか……?」
「……オレに何ができたかはわからない。だが、できることを探したと思う」
「助ける、とは断言しない辺りがらしいですね」
グレッグはやや呆れた様子で苦笑いを浮かべ、小さく肩を落としたあと、『ですが』と続けて言った。
「その言葉だけで、僕は十分です」
そう言って、微かに笑みを浮かべると、彼はリオンを振り返り言った。
「月巫女さま。傷付けることばかり言ってすみません。あと、ずっと言いそびれてましたが、六年前、助けてくれてありがとうございました」
憑き物が落ちたように晴れやかな笑みを浮かべる反面、どこか儚げな雰囲気を漂わせる彼に対し、瑠璃色の瞳が見開かれる。そうして、やや顔色を失いながら彼女は叫んだ。
「グレッグ、ダメ、待って!」
それと同時に、不意を突かれて、身体を思い切り押されたルイスは、泥濘んだ地面に尻餅をつく。戸惑いと共に顔をあげた彼が見たのは、彼に背を向けて進むグレッグの姿。その先に道はない。
「グレッグ、そっちは……!」
慌てて立ち上がったルイスの方へ身体ごと振り返り、崖の際に立った彼は穏やかな声で言った。
「最後までどうしようもない部下ですみません。そして、ありがとうございました、ルイス様」
雷鳴が轟く中、涙と共に微笑んだグレッグは、自ら崖の向こうへと上半身を反らし、空中へと体を踊らせたのだった。




