65.巫女の守り手
※ 暴力表現等がございますのでご注意ください。
文章の終わりにイメージイラストがあります。
絵も微グロ傾向ですので、苦手な方は非表示でご対応ください。
風が吹き荒れ、近付いてくる遠雷と共に、ポツリポツリと雨が降り始める。墨色の重たく暗い空の下、マールス=サリヴァンは一人、丘の頂上にて荒れ狂う海を無表情で眺めていた。
そんな中、波音に混じり、彼の耳朶を打ったのは、湿った大地を踏みしめ止まった複数の足音。背後の来訪者を振り返った彼は、相手を見てニヤリと笑みを浮かべて口を開いた。
「五体満足で、しかも仲間と合流した上でここに辿り着いたか」
彼の視線の先に立つのは、剣を構えたルイスとリック、そして二人の背後に立つリオンの三人だ。リオンとリックが立ち止まる中、ルイスは一歩前に踏み出して言った。
「お前の命令に応じ、指揮を執っていたクライヴという名の将は討った。残りの者達が騎士団に制圧されるのも時間の問題だ」
「ほぅ。ならば、制圧が終わるまで隠れていればよかっただろう」
「軍属とは思えない人間を無闇に死なせたくはない」
彼の言葉に、マールスは嘲るように鼻で笑う。そんな彼に赤く染まった剣先を真っ直ぐ向けて、ルイスは問いかけた。
「念のために聞く。命令を撤回し、投降する意志はあるか?」
「あるように見えるか?」
「……ならば、お前を倒し、この無益な争いを止めるまでだ、緑の殺戮者マールス=サリヴァン」
「オレの名を知っててなお挑む、か」
クツクツと笑う彼に対し、油断なく見据えるルイスの頬を冷や汗が伝う。緊張の色がありありと浮かぶ彼に相対したマールスは、漆黒の刀身でできた直刀を抜いて言った。
「いいだろう。それでこそ殺しがいがあるというものだ」
残忍な笑みを浮かべる彼の言葉に、ルイスの手にも力が籠もる。互いに鋒を向けて相まみえれば、ピリッとした空気がその場を支配していく。少し離れた場所で、祈るようにリオンが両手を握り合わせる中、大きな雷が轟いた瞬間、戦いの幕は切って落とされた。
先手必勝とばかりに攻撃を仕掛けたのは、腰を低く落として突進したルイスの方だ。彼の突きは容易に防がれ、カウンターで直刀の斬撃がルイスの首を狙い繰り出される。それをバックステップで躱した彼は、そのままマールスの右側――眼帯で死角になっている位置に回り込み、剣を振り下ろす。
だが、その剣筋は無駄のない動きによって躱され、そのまま流れるように直刀が彼に向かう。ギリギリのところで凶刃を受け止め、鍔迫り合いを演じる中、マールスは余裕のある笑みを浮かべ、嘲笑うように言った。
「どうした。貴様の剣はこの程度か?」
「くっ……」
徐々に剣を押し戻される中、ルイスは重心をずらし、バックステップで距離を取ろうとする。だが、その動きにマールスは難なくついてきたばかりか、彼の顔面を目がけて、直刀を真っ直ぐ突き出した。
「ルイスっ!」
離れた位置でリックの腕に阻まれたリオンの叫び声が響く。ギリギリ顔を逸らしたルイスの右頬を直刀が掠める中、彼は大きく数歩バックステップで距離を取る。そんな彼に、マールスは落胆した様子で言った。
「月の騎士があの紅の指揮者の息子と聞き、どれほどの者かと思っていたが……。見込み違いだったか」
彼の言葉に、ルイスはぐっと唇を噛み締める。そんな彼にマールスは、無感動に淡々と告げた。
「これならば、貴様の父を相手取る方がよほど楽しめたな」
「……確かに、オレの剣はあの人にまだ及ばない。だがそれでも……」
そう言いながらルイスは、剣を構え直すと、相手を真っ直ぐ見据えて言った。
「お前がリオンを狙う以上、オレはここで負けるわけにはいかない!!」
そうして、雨足が強まる中、雨粒を弾きながら、彼は再度攻撃を仕掛ける。それに対し、マールスは冷酷な笑みと共に応じたのだった。
二人の奏でる剣戟の音が響く中、リオンは祈るようにルイスを見守る。そうして、彼らから目を逸らさず、傍に立つリックのローブの裾を引いて口を開いた。
「ねぇ、リック。こんなに離れてたらいざっていう時、何もできないよ」
「わかってる。だけど、これ以上前に出たら、あの男の間合いに入ることになるから、迂闊に近付く訳にも行かないんだよ」
彼の返事に、彼女は歯痒そうに唇を噛みしめる。押し黙った彼女に対し、彼は振り返ることなく声を押し殺して言った。
「とはいえ、オレが守るのはリオンだけじゃないから。いつでも動ける準備だけはしておいて」
そんな彼の言葉に、リオンは微かに目を瞠り振り返ったものの、すぐさま頷き返し、ルイスへ視線を戻した。
彼女の視線の先にいる彼らは、一進一退の攻防戦を繰り広げている。そんな中、何度めかの鍔ぜり合いの最中、ルイスは問いかけた。
「お前たちは何故この国を、月巫女を狙うんだ。何故奪うことばかりで、歩み寄ろうとしないんだ」
彼の問いに、榛色の瞳が虚を突かれた様子で瞠目する。だが、それはほんの一瞬のことだ。冷え冷えとした光をその目に宿し、男は淡々と言った。
「愚問だな。生きたければ、持っている者から奪う。貴族だろうが、平民だろうが、他国だろうが関係ない。それが私たちの日常だ。歩み寄りなどと言うヤツは、長生きできずにただ死ぬだけだ」
そう言い放ち、彼はルイスの剣を力任せに弾き飛ばすと、流れるように直刀を持ち上げ振り下ろす。無手で体勢を崩し気味だったルイスは、半身を捻りながら左手で腰のダガーを抜き、ギリギリのところで刃を受け止めた。
彼の取った行動に、マールスは僅かに感心したようにニヤリと笑みを浮かべる。それに対し、翠緑玉を苛立たしげに細め、ルイスは言った。
「だが、お前は……お前たちは国のために戦う軍人だろう!?」
「……国のため?」
投げかけられた言葉に、ピクリと眉を動かしたマールスが、次いで浮かべたのは嘲笑だ。
「あんな国に尽くす価値などあるものか」
「なっ……!?」
絶句したルイスのダガーを押し戻しながら、彼は迷いなく告げた。
「オレが戦う理由はただ一つ。私の巫女を脅かす存在を排除する。それだけだ」
「お前の巫女……? 魔の巫女か?」
訝しげに紡がれた言葉に、剣呑な光をその目に宿したマールスが急に腕の力を抜く。それに対し、ルイスが体勢を崩した瞬間、腹部を抉るような鋭い蹴りが彼に襲い掛かる。吹き飛ばされ、泥と化した大地に仰向けに倒れた彼は、すぐさま起き上がろうとした。しかし、喉元へ直刀を突き付けられ、彼はその動きを止めた。
彼の名を呼ぶリオンの声を余所に、マールスは射殺さんばかりに見下ろす。
「口に気をつけるんだな」
空晶石の双眸と声に、今までにない怒りの色が滲む。その変容に息を呑んだルイスに、彼は言った。
「そもそも、魔の巫女はお前の巫女の方だろう。たかが祈りだけで、私たちを死に至らしめる魔性の月巫女」
「それはっ……お前たちがリオンやこの国の人間を殺しにかかってきてるせいだろう!」
「いいや、違うな」
即座に返された否定の言葉に、ルイスの瞳が戸惑い瞬く。それは、離れた場所で聞いているリオンとリックも同じだ。そんな中、マールスは淡々と告げた。
「月巫女の祈りは強力だ。そう、私たちすら先ほどのようにあっけなく殺せる力だ。それほどの力を有しながら、何故私たちの国には祈りを捧げない? 何故私たちの国は豊かにならない? 何故お前の巫女は自由なのに、私の巫女は閉じ込められなければならないんだ!?」
張り上げられたその言葉に滲む怒りと嘆きに、ルイスは眉を顰め、静かに口を開く。
「月巫女だって自由な訳じゃない。第一、この国を何度も襲いながら、自国のために祈れだなんて、無茶苦茶だ」
彼の冷静な言葉に、落ち着きを取り戻したのか。榛色の瞳から怒りの色が失せ、代わりに氷のような冷たさが戻る。真っ直ぐ己を見返す曇りのない翠緑玉を見下ろしながら、マールスは言った。
「だからなんだ。彼女以外、誰がどうなろうが知ったことではない。彼女を守るために必要ならば何でもする。障害となるなら、誰であれ斬る。それが国でも魔の巫女でも。ただ、それだけだ」
淡々と告げられた言葉に、ルイスは唇を噛みしめ、下ろした右手を大地に食い込ませる。そうして、無慈悲な瞳を睨めつけるように見据えて言った。
「リオンは殺らせない。例えそれがお前であっても、だ!」
そう叫ぶと同時に、ルイスは右手で掬い上げた泥水を、そのままの勢いでもって相手の顔面めがけてかける。
追い詰めたことで油断していたマールスは怯み、反射的に目を瞑った。そのほんの僅かな隙をついて立ち上がり、ルイスは自身の剣の元へ素早く駆ける。
「くっ、貴様っ……!!」
泥を拭い、目を開いたマールスの前に立つのは、ダガーを収め、両手で剣を構えたルイスだ。正眼に構える彼に舌打ちをしながら、マールスは再び攻撃へと転じていく。
そうして、不規則な金属音と共に再開された二人の戦いを見つめながら、リオンがポツリと呟いた。
「あの人、どこかルイスに似てる……」
「え……?」
リオンの言葉に、碧眼が瞬き振り返る。そんな彼に、彼女は握り合わせた両手に、僅かに力を込めて続けた。
「剣も雰囲気も全然違うんだけど……。でも、ルイスに似てる気がして、何か胸がざわざわするの」
不安げな面持ちの彼女に対し、リックは眉を顰め、剣を交えている二人を見やる。
何度か打ち合い、互いに距離を置いて間合いを取る中、ルイスは油断なく剣を構えたまま、口を開いた。
「巫女のためだと、お前は言ったな?」
「だったらどうした」
「ならば、お前のいるべき場所はここではなく、巫女の傍じゃないのか?」
彼の言葉に、マールスがピクリと反応する。そんな彼に、ルイスはただただ真っ直ぐ問いかけた。
「それともお前の巫女は、お前が傷付くのを望むような人間なのか?」
「……何も知らない貴様が……」
身体を戦慄かせるマールスの顔が紅潮し、柄を握る手に力が籠もる。
「彼女を愚弄するな!」
そんな怒鳴り声と共に、勢いよく振り下ろされた直刀を、ルイスは両手で構えた剣で受け止める。やや苦しげな表情で受け止めた彼は、それでもなお、問いかけることをやめなかった。
「違うのなら、何故ここにいるんだ?」
「黙れ」
「本当は他にも方法があったんじゃないのか?」
「黙れと言っているだろう!」
怒りと力任せに叩き付けられ、ぶつかった刃が鈍い音を立てる。それを受け止めたルイスは、押し返しながら言った。
「お前は他の可能性を考えることを、ただ諦めただけじゃないのか!?」
そう言って、彼は重くのしかかる直刀を押し戻し、なぎ払う。彼の剣先は僅かに相手の頬を掠め、赤い線を刻む。
身体のダメージとしてはごく僅かでしかない。だが、自身の頬に手を当てたマールスは、手についたそれを見て口角をあげた。
「よほど死に急ぎたいようだな。いいだろう、望みどおり、今すぐ殺してやる……!」
榛色の瞳に憤怒の色を宿し、足を踏み出そうとしたマールスだったが、前触れなくその膝が頽れる。
突如襲った異常に、彼が右膝を見た瞬間、胸と左肩の辺りで鈍い音が響く。そんな彼が目の当たりにしたのは、右膝を含めそれぞれに刺さる、黒い棒手裏剣だった。
それまで斬り結んでいた相手を振り返るも、ルイスもまた戸惑いを露わに目を瞬かせている。そんな中、彼の隣にスッと並び立ったのは、リオンを背後に隠したリックだった。
彼が右手を添えて持ち上げた左の袖口から見え隠れしているのは、プロテクターに固定されている数本の筒。それは、袖箭という名の棒状の矢を飛ばす暗器だった。
力が入らない右足と左腕、そして、リックが構えた黒光りする暗器を見て、マールスは苦々しげに笑って言った。
「麻痺毒、か。騎士は一対一で戦うものだと思っていたが……」
「お生憎。オレは目的のためなら、手段を選ばない主義なんでね。お前の意識がオレたちから外れる瞬間を、ずっと待ってたんだ」
マールスの皮肉染みた言葉に、リックは警戒を解くことなく、軽口で応酬する。そんな彼に、ルイスはやや当惑した様子で言った。
「まさかとは思うが、思ったことをとにかく相手に口に出して戦えって言ったのは……」
「格上相手の隙を突くなら、怒りを誘うのが手っ取り早いからね」
ニッコリと微笑み細められた碧眼に対し、ルイスの口元が僅かに引き攣る。そんな彼らを前に、麻痺毒に冒されたマールスの身体がふらりと傾ぐ。跪く形で倒れ込んだ彼は、右手に握った直刀を地面に突き立て、ままならない身体を支えながら、黒雲を見上げた。
「ここまで、か……。すまない、サラ……」
女性の名を呟くマールスを前に、ルイスは剣を水平に構える。
それを見たリオンが躊躇いがちに、彼へと手を伸ばす。
「ルイス、待っ……」
「これで、終わりだ……!」
だが、彼女の手は届かず、ルイスはぬかるんだ大地を蹴る。そうして、彼の剣がマールスの胸まであと僅かに迫った時だった。
「ルイス、やめろ!」
低く鋭い制止の声が、雨風の音を遮り響く。その声に、半ば条件反射のようにルイスの動きがピタリと止まる。
その声にリックが戸惑いを露わに振り返れば、そこには真紅のローブを纏う一人の男の姿。彼の姿を見た碧眼が大きく見開かれた。
「団長!? それに……」
リックと同様に振り返ったリオンが見たのは、騎士団長グレン。そして、彼の隣に立つ人物を見て、彼女は口を覆った。
「エマ……!!」
「リオン、無事でよか……って、その髪……!?」
リオンが振り返ったことで、フードに隠れていた髪を見て、彼女――エマはギョッとした様子で声を上げる。そんな中、剣を地面に投げ出し、マールスを抑え込んだルイスが言った。
「それは後にしてくれ。どういうことだ、エマ。この男を生かしておくには危険過ぎる」
殺気立っている彼の鋭い問いかけに、僅かにたじろぎながらエマは言った。
「それでも、です」
「……それは、先見としての言葉、なんだな?」
真っ直ぐ向けられた翠緑玉に対し、彼女はこくりと一つ頷いて続ける。
「ヴォラスの巫女の逆鱗に触れれば、この国は滅びます。そして、その逆鱗は恐らく……」
彼女の言葉に、ルイスはマールスを見たあと、リオンを見やる。不安げな瑠璃をしばし見つめ返したあと、不承不承といった様子で長嘆息をついて彼は言った。
「わかった。リック、拘束と死なない程度の応急処置を頼めるか?」
「りょーかい」
「あ、手当てなら私も手伝います!」
素早く動き出したリックとエマに預け、ルイスは剣を鞘に収めてリオンの元へと歩み寄る。あちこち傷と泥にまみれた彼を見て、リオンは涙ぐんで言った。
「無茶ばっかりしないで……。心臓がいくつあっても足りないよ」
「悪い……。あと、申し訳ついでであれだが、解毒剤の瓶をくれるか?」
「うん、今出すね」
そう言って、リオンは滲んだ涙を拭い、鞄を漁り始める。そんな二人の傍に歩み寄ったグレンは、ルイスの怪我に眉を顰めながら問いかけた。
「ルイスよ。西側はほぼテオが制圧したが、こっちはどうなっている?」
「指揮官と思しき人物は、緑の殺戮者を除き一名討ちました。後方支援としてスミス隊が対処に当たっていると聞いていますが、一般人と思しき者が多数ヴォラス兵に混じっているので、現状どうなっているかまでは……」
「そうか。ならオレは一度そちらの戦況を見て来よう」
そうして、グレンが海側の坂道を下ろうとしたそのときだった。彼がハッとした様子で自身の来た道を振り返ると同時に、マールスの応急処置をしていたエマが叫ぶ。
「ルイス様、後ろっ!」
彼女の声に振り返ったルイスが見たのは、金色に輝く瞳。そして、それが意味するところを瞬時に把握した彼は、避けるのではなく、咄嗟にリオンを庇うように抱き締めた。
次いで響くのは、何かが突き刺さる音。既視感のある音と微かな呻き声に、恐る恐る顔をあげた彼女が見たのは、ルイスの左肩から生えたナイフだった。
「ルイスっ!」
「ルイス様っ!」
彼の名を呼んだ巫女たちは焦り戸惑い、騎士たちは警戒して身構える。そんな彼らに対し、ルイスは肩のそれを引き抜く。滴る赤を目にしたリオンが顔色を失う中、ナイフを投げ捨てた彼は、柔らかな口調で言った。
「大丈夫だ……」
泣きそうに揺れる瑠璃に笑いかけて、彼は背後の森を振り返る。
そんな中、木々で覆われた暗がりから姿を見せたのは、雨で濡れた胡桃色の髪の少年――グレッグだった。




