59.巫女の覚悟
※ 文章の終わりにイメージイラストが入ります。
翌日の午後のこと。まだ日も高く、暖かな空気とは裏腹に、秘密基地の空気は冷たく張り詰めていた。
緊張した面持ちで黙り込む中、口を開いたのはルイスだ。
「作戦決行は二日後、か……」
考え込むように呟いた彼の目が、手元の羊皮紙からリックへと向けられる。そうして、互いに頷きあった後、翠緑色の視線は隣に座るリオンへ移る。
じっと彼女を見つめれば、彼は徐にその口を開いた。
「お前はじい様のとこに……」
「まさか今更、私に『隠れてろ』とか言わないよね?」
続いたであろう言葉が、リオンの口から紡がれる。そのことに、翠緑玉は瞠目し、青碧玉は呆気に取られた様子で瞬く。
そんな騎士たちの反応に対し、彼女の目尻が僅かにつり上がる。
睨むように見上げる彼女に、いち早く我に返ったルイスは、呆れを滲ませて言った。
「いや、お前な。行き先は確実に戦場になる場所だぞ、連れて行けるわけないだろ」
「でも、私がいなかったらすぐ気付くよ?」
「最初は人形を使うつもりだったが、リックにお前のローブを被せれば囮に問題ない」
彼の言葉に対し、リオンがもう一人の騎士を見やる。険しい表情の彼女に、リックは困ったように苦笑いを浮かべるばかりで、否定はない。
そんな彼のやんわりとした肯定に、リオンは再度ルイスを見つめて問いかけた。
「もし身代わりだとバレたら? 私を探しに来るかもしれないよね?」
「じい様のとこなら、じい様の護衛をしてる影もいる」
「使用人の方々は? 戦えるの?」
重ねられた問いかけに、『それは……』と彼は口を濁す。返らぬ返事の意味する答えに対し、彼女は両手を握りしめて言った。
「それじゃ、私が神殿を出た意味がなくなっちゃうじゃない」
真っ直ぐ見つめる彼女の言葉に、ルイスは視線を逸らす。僅かに俯き揺れ動くその双眸は、彼の迷いを如実に物語っていた。
沈思黙考する彼に対し、リオンとリックもまた、各々考えを巡らせる。そうした中、ストーブ内で燃える薪の崩れる音が沈黙を破れば、リオンは彼の左手を両手で握った。
「戦えない私が足手まといなのはわかってる。だけど、私も一緒に連れてって」
「リオン……」
「もしルイスたちのいないところで捕まって、人質にされたりするよりはいいと思うの」
彼女の言葉に、ルイスの眉間に皺がよる。そんな彼に、リオンは懇願するように言った。
「お願い、ルイスの傍にいさせて」
二人が無言かつ目線で攻防戦を繰り広げる中、小さくため息をついたのはリックだった。
「リオンの言うことにも一理あるね」
「リック……」
『余計なことを言うな』とばかりにじろりと睨むルイスに、彼は真顔で言った。
「オレは侯爵家の護衛や警備の腕は知らない。わかるのは、リオンの言う『万が一』があったら、それは十中八九、リオンの命に直結するってことだけ」
「侯爵家の護衛に不安があるなら、リックが護衛として残って、当初の予定通りオレが一人で……」
「それは却下」
遮るように切り捨てられたことに、ルイスはやや苛立たしげに眉を潜める。そんな彼に、リックは小さく肩を竦め、嘆息して言った。
「オレはリオンとお前を守るためにいるんだよ。それなのに、お前一人で行かせられるわけないでしょ。団長も間に合うかわからない現状じゃ尚更」
「……つまり、お前はリオンを連れていく方がいいと判断するんだな?」
「そっちの方がまだ策は立てやすいね、オレとしては」
普段の飄々とした空気は微塵もなく、ただただ真っ直ぐ見つめてくる碧眼に、ルイスは苦い顔で閉口する。そうして、しばし考え込んだ後、彼は深々とため息をつくと、一言『わかった』と告げた。
不承不承といった様子がありありと窺える返事だったが、リオンはホッとした様子で微笑む。そんな彼女を一瞥して笑みを浮かべたあと、リックはすぐさま真顔に戻して、ルイスに言った。
「リオン自身が囮続行なら、オレはヴォラスの背後を行く方がいいよね」
「だな。背中は任せた」
「了解。あとは……」
そこで言葉を切ったリックとルイス、二人の騎士の視線がリオンに向く。真顔で見つめてくる彼らに、彼女はただただ困惑した様子で、目を瞬かせたのだった。
それから半刻。鏡を置いた木箱を前に、折りたたみ椅子に腰かけたリオンは、借りてきた猫のようにやや緊張した様子で座っていた。
彼女の歪んだシニヨンを見て、リックは小さくため息をつく。彼女の後ろに立つルイスを呆れ顔で見つめ、彼は言った。
「オレ、当日の朝、居ないんだから、しっかり覚えてよ」
「もっと簡単なのはないのか?」
「これでも簡単なのを選んでるんだけどね」
ムッとした様子で返すルイスに、彼は小さく肩を落とす。相棒の反応に、ルイスはバツが悪そうに唸りつつ、彼女の髪を解いて梳かす。そんな中、リオンが無言で立ち上がり、薪ストーブの傍に向かう。
突然の行動に、騎士二人が目を瞠る中、彼女が手にしたのは食材横にあったナイフ。鞘から抜いたナイフに清めの水をかけた彼女が、左手で掴んだのは自身の長い髪だ。彼女の行動に、それまで訝しげに見つめていた男二人の顔が引きつり、徐々に青ざめていく。
「お、おい、リオン。お前、それで何をする気だ……?」
「ちょっと冷静になって、そのナイフ置こう。ね?」
抜き身の刃物を持った彼女に対し、騎士たちは宥めるように声をかける。そんな彼らを振り返り、彼女はにっこり微笑んで言った。
「大丈夫、私はちゃんと冷静だよ」
そう言って、彼女は髪を纏めて持った左手を持ち上げ、右手に持ったナイフを首の後ろに持っていく。
「ば、やめ……!」
慌てて彼女の手を掴もうと動いたルイスの制止も虚しく、彼女の右手は後ろへ躊躇なく振り切られた。
寸断された髪が、彼女の首筋にはらりとかかる。そんな彼女の目の前には、唖然とした様子で目を見開いて固まる騎士達の姿があった。しんと静まり返る中、リオンは至って明るい口調で言った。
「長い髪が掴まれたりすると危険なら、切っちゃえば早いでしょ?」
何てことない様子で首を傾げて笑う彼女に、ルイスとリックは頭を抱え、天を仰いだのだった。
それからややあって、彼女の唐突な断髪ショックから立ち直ったルイスは、雑に刈り取られた彼女の髪を、ナイフで切りそろえながら言った。
「全く……。エマが見たら卒倒するぞ、これ」
「大丈夫だよ。昔だってこのくらいの長さだった頃はあるもん」
「いやいや、リオン。そういう問題じゃないからね?」
眉を顰めて手を左右に振るリックに、リオンは不思議そうな顔を浮かべるばかりだ。そんな彼女に、ルイスはナイフを慎重に動かしながら言った。
「長くて綺麗だったのに、勿体ないだろ」
「そうそう……って、お前からそういう言葉が出てくるとか、明日雨でも降るんじゃ……」
半眼でそう言ったリックを、翠緑色の双眸がギロリと睨む。苦笑いを浮かべた相棒が口を噤めば、ルイスは肩よりも短くなった髪を見つめて言った。
「女性にとって髪が大事なものだってことくらいは、オレだって知ってる。それなのに、本当によかったのか?」
鏡に映るのは、当の本人よりも痛ましげな顔を浮かべるルイスの顔。そんな彼に、彼女はそっと目を伏せて静かに言った。
「いいの。髪はまた伸ばせばいいもん」
「そうは言うが……。大事にしてたんじゃないのか?」
「だからこそ、だよ。これ、邪気祓いの一つでもあるの」
「邪気祓い?」
異口同音で繰り返された言葉に対し、そっと目を開けた彼女は、切り取った髪を見ながら言った。
「長い髪には霊力が宿るって言われてるの。それはいいのも悪いのも関係なくて、今は悪いものを寄せやすい気がしたから、断ち切った方がいいかなって。切った髪を混ぜて組紐を編めば、それは破邪の守りにもなるし」
そこまで告げて、彼女は鏡越しに二人の騎士を見つめて言った。
「だから、大丈夫だよ」
そんな彼女の言葉に、騎士二人はチラリと互いを見やる。そして、互いに小さくため息をつくと、諦めた様子で笑みを浮かべた。
ようやく笑みの戻った二人に対し、彼女は鏡越しに見える短く整えられた自身の髪を寂しげに見つめる。気持ちを振り払うように目を閉じ、彼女が握りしめたのは、首から下げたペンダント。そんな彼女にルイスは何気なく問いかけた。
「お前、いつもそれ身に付けてるよな。神具だからか?」
彼の問いかけに、自身の手の中のそれを見つめ、彼女は言った。
「つい数日前までは、そう思ってたよ」
「数日前、まで?」
訝しげな翠緑玉と瑠璃の視線が、鏡越しに交わる。鏡の端に映る碧眼も『どういう意味か』と言わんばかりだ。そんな二人を振り返り、彼女は静かに告げた。
「私が生まれたときから持ってたものなんだって」
「生まれたときからって、誰から聞いたんだ……?」
「ライル=フローレス」
リオンの口から出てきた名前に、問いかけたルイスが唖然として固まる。そんな彼の隣では、リックもまた驚きを露に言った。
「リオン、ライルさんのこと思い出したの!?」
「少しだけ、ね。途中の街で、私の生まれ故郷に住んでたカーティスさんっていう人から、私の両親の話を聞いたんだけど、たぶんきっかけはそれだと思う」
彼女の返答に言葉を失うリックに、ルイスは問いかけた。
「お前が前に言ってた予想って『ライル=フローレスがリオンの肉親かもしれない』ってことか?」
彼の問いに、リックはハッとした様子で頷いて返す。
「リオンそっくりの青い目だったし。それに何より、リオンに接するときのそれが、他人に対するものと少し違ったからね」
「外に行きたかった理由を話したときの反応を考えると、たぶんリックの予想であってるんじゃないかなって思う」
「外に行きたかった理由……?」
彼女の言葉を反芻したのはルイスだ。問うように見つめる彼を見上げ、リオンは言った。
「私、漠然と、外がどんなところなのか見てみたいって思ってた。だけど一番はね、両親のお墓参りのために外に行きたかったの」
「あー……、そういえばそんなこと言ってたね」
記憶を辿るように呟くリックの言葉に、ルイスは眉を寄せる。しばし考え込んだ後、彼は瑠璃色の双眸を見つめ問いかけた。
「なんでそう思ってたんだ?」
「記憶を失う以前は、両親を早くに亡くして、孤児院に預けられてたって聞いてたから」
カーティスの話と食い違う内容に、彼の目が微かに瞠目する。そんな彼に微苦笑を返し、彼女は続けた。
「だから、いつか両親に会いにお墓参りに行きたいんだって言ったら、彼、すごく泣きそうな顔してた」
そう言ってリオンは、悲しげに目を伏せ、瑠璃がはめ込まれた三日月を模した神具を見つめる。それをそっと握りしめ、彼女はポツリと言った。
「私の都合のいい解釈かもしれない。夢を記憶と勘違いしてるのかもしれない。まだ思い出せてない誘拐の件も、自分の意志だったって思いたいだけかもしれない。だけど、それでも私は……」
不安げに俯く彼女の頭を、ポンポンと撫でる手があった。彼女がハッとした様子で顔をあげれば、そこには微笑みかけるルイスの姿。彼女の目に自身の姿を確認した彼は、静かに告げた。
「支えるから、お前はお前の信じる道を行け」
それに同意するように、彼の背後でリックも頷く。そんな騎士達にリオンはしばし呆気に取られたあと、くしゃりと顔を歪める。今にも泣き出しそうな彼女を抱き寄せ、微かに震える小さな肩を撫でながら、ルイスはそっと問いかけた。
「どんな人だったんだ?」
「……口数は少ないけど、あったかい人。少し赤みがかった茶色の長い髪を緩く結んでて、私と同じ色の目が笑うとすごく優しいの。ルイスとリックとも仲良かったみたいだったよ」
彼女の言葉に『そうか』と呟いた彼は、そっと背後を振り返る。そんな彼の意図を察したのだろう、リックは頷いて言った。
「オレが覚えてるライルさんの人物像も同じ。それは夢でも幻でもない、リオンの確かな記憶だよ」
彼の言葉をきっかけに、彼女の目から雫がこぼれ落ちる。堰を切ったように泣き出したリオンを、ルイスはただただそっと抱きしめ、短くなってしまった青藍色の髪を撫でて言った。
「もう一度、会えるといいな」
そう言った彼にしがみつき、彼女は嗚咽混じりに『うん』と小さく頷き返したのだった。
***
その夜、三人のいる場所から、南西にやや離れた森の中。木々に紛れるように張られたの天幕に駆け寄る一人の男がいた。
入り口付近の篝火の傍に立つ紺色の軽装姿の男に、彼は息を切らした様子で言った。
「サリヴァン少佐に、急ぎご報告したいことが……!」
「入れ」
焦った様子で口を開いた男に返事をしたのは、見張りの男ではなく、天幕の中から冷たく響いたテノールの声だった。その声に、男は僅かに目を瞬かせたものの、見張りの男に促されれば、複十字と蛇が描かれた天幕の入り口を捲り、中へと足を踏み入れた。
そこには、布を敷いただけの地面にあぐらをかいて座る八人の男の姿。ローブ姿の者を除いた、七人の男達が身に纏うのは紺色の軍服だ。その中には、以前、リオンとルイスについて街で聞き込みをしていた、クライヴとシルヴェスターの姿もある。
そう、そこは、リオンたちを追うヴォラスの本陣だった。
座した男たちが醸し出す雰囲気は重く、場は威圧感に満ち満ちている。その空気に足を踏み入れた男がゴクリと唾を飲み込んで見つめたのは、一番奥に座る毛皮のマントを纏った眼帯の男だ。深緑の髪をポニーテールに結んだ彼は、緊張した面持ちで立つ男に問いかけた。
「何があった?」
淡々としたテノールの声と、目深に被った軍帽の下から覗く冷たい榛色の左目に、男は背筋を伸ばし、敬礼をしながら言った。
「サリヴァン少佐、報告いたします! 北方に別働隊と思われる騎士団と思われる集団を確認いたしました! 全体数の確認は取れておりませんが、最低でも一小隊規模に及ぶと推測されます!」
男の報告に対し、サリヴァンと呼ばれた男の眉が微かに動く。彼のほか、その場にいる男達もまた、もたらされた情報に面食らった様子で、互いに傍に座る者と目線を交わす。僅かに騒つく中、サリヴァンは鞘に収めた直刀で、ガンと地面を鳴らす。その音に辺りがシンと静まり返れば、彼は報告にやってきた男を見据え、口を開いた。
「報告ご苦労。引き続き警戒を怠るな。そう皆に伝えろ」
「サー、イエッサー!」
そう言って、やってきた男が伝令と共に天幕を出て行けば、彼は輪からやや離れた位置に座るローブの男を振り返る。白のグローブを填めた手で軍帽を軽く持ち上げながら、彼は薄笑いを浮かべて問いかけた。
「もしや、この私を填められましたかな、アルバート殿?」
「マールス殿でも冗談を言うことがあるのだな」
彼、マールス=サリヴァンの言葉に、ため息交じりに返事をしたのは嗄れた声。フードを下ろせば、藍鼠色の目を苛立たしげに細めた男――アルバート=ロウの姿があった。向けられた複数の猜疑の視線に対し、彼は物怖じすることなく告げた。
「残念ながら私ではない。策略だと言うのならば、それは護衛騎士と騎士団長だろう。あの二人は公でこそ伏せているが、義理の親子であることは調べがついている」
「なるほど。ここはヤヌス侯爵領。大罪人を追うと見せかけて、その実、我々を自身たちの土地勘がある有利な場所へと誘い込もうとしている可能性もある、と」
マールスの言葉に、他の男達が気色ばんだ様子で口々に喋り始める。罵詈雑言が飛び交う中、アルバートは片眼鏡を押し上げながら、憎々しげに呟いた。
「くそっ、忌々しい。あの若造が護衛になってから散々だ」
彼の洩らした呟きに対し、マールスは表情を変えることなく言った。
「紅の指揮者、グレン=ヤヌスならば我々も存じていますが、その護衛騎士の名は?」
「ルイス=クリフェード=ヤヌス。本人はルイス=クリフェードと名乗っているがな」
「月巫女の護衛騎士、ルイス=クリフェード……」
アルバートが告げた名を繰り返せば、彼は口角を上げて言った。
「オレと同じ、巫女を守る者、か……。逢うのが実に楽しみだ」
喧々囂々とした議論が交わされる中、マールスは酷く冷たい残忍な笑みを浮かべる。横に流した長い前髪の隙間から覗くそれを目の当たりにしたアルバートは、無意識のうちにぶるりと身体を震わせたのだった。
こちらはベアごん様(@beargon227)に描いていただいたマールス=サリヴァンのイメージイラストです。
 




