4.存在
――お前は何を悩んでここに来たんだ?
何気ないルイスの問いかけに、しばし二人の間に沈黙の帳が下りる。問いかけた彼の視線が、たき火から隣に座る主へと向く。
目を見開き固まっていたリオンは、向けられた彼の視線にハッとした様子を見せたあと、苦笑いを浮かべながら首を傾げた。
「えっと……、私そんなこと言った?」
「いや、言ってない。さっきの話や行動から何となく、だ」
「そっか……」
心なしか視線を落とす彼女の様子に、ルイスは気まずそうに視線を明後日の方向へと向けながら言った。
「あー……少し気になっただけで、他意はないし、言いたくなければ深くは追求しない。言って楽になることもあるだろうが、そうじゃないこともあるだろうしな」
彼の言葉に対し、顔をあげた彼女の瞳が呆気に取られたように、ルイスの横顔をマジマジと見つめる。やや後悔の滲む顔で頭を掻く様子を見たリオンは、しばし逡巡したあと、彼の軍服の袖を掴んで口を開いた。
「ものすごく他愛ないことなのかもしれないけど、笑わないで聞いてくれる……?」
恐る恐る請われたことに、ルイスは目を瞬かせ振り替える。不安げに揺れる瑠璃色の瞳と目が合えば、彼は真剣な顔でしっかりと頷き返した。
そんな彼の返事に、リオンは空に浮かぶ満月を見上げてポツリとこぼした。
「時々、『月巫女』って何なんだろうって思うことがあるの」
「月巫女は何か、か……。さっき話に出た満月の夜に強い祈りの力を持って生まれてきた、月神の寵愛を受けた巫女、と聞いてるが……。その他に何かあるのか?」
彼の問いかけに対し、リオンは悲しげに微苦笑を浮かべる。それを見たルイスの顔に、『しまった』と言わんばかりの後悔が浮かぶ。シンと静まり返る中、身体を強張らせた彼の頬を冷や汗が伝う。口を開こうとするものの、彼女を指し示すものを他に知らない彼の口から、他の言葉が出ることはなかった。
時間にすれば一分にも満たない沈黙だが、ルイスにとっては少々長く感じる間を置いて、彼女はそっと口を開いた。
「実感は正直あまりないけど、たぶんそうなんだと思う。だけどそうしたら、月巫女っていう立場を除いた私って一体何なんだろうって思うの。神殿の敷地内から出ることさえ許されない私は何なんだろうって……」
そう言って、視線を落とす彼女の言葉を受けたルイスは、しばし『うーん』と唸りながら考え込んだ後、真顔で言った。
「リオンはリオンじゃないか、とオレは思う」
「え……?」
言われた意味がわからなかったのか、彼の言葉にリオンは瞳を瞬かせながら顔を上げる。そんな彼女に対し、ルイスは顎に手を当てて続けて言った。
「思うに、お前の脱走癖や好奇心旺盛なとこ含めたお転婆根性は、月巫女だろうがなんだろうが、さほど大差なさそうな気がするんだよな」
「お転婆根性って……」
瞠目していたリオンだったが、彼の言葉を反芻するように呟くと、『失礼な』とばかりに眉を顰める。だが、その不満げな視線を受けた彼は、呆れ顔を浮かべて返す。
「今日みたいに二階の窓からカーテン使って脱走するわ。時には普段着とは言え、ドレスで木登りしようと試みたりするわ」
指折り一つずつ列挙される過去の行動に、彼女の肩がギクリと跳ねる。それを知ってか知らでか、彼は淡々とした口調で思い出したように言った。
「そうそう、一番驚いたのは剣を教えろって言ったことか? あれにはエマもかなり目を剥いてたな」
そこで区切った彼は、リオンに対し微笑みかけながら問いかけた。
「で、ここで質問だ。典型的なご令嬢であればやることじゃないこれらは『お転婆』と言わずになんて言うんだ?」
「そ、それは……」
「ああ、ちなみに言い訳に意味はないからな? 噂に聞いてたやんごとない清楚な月巫女様のイメージは、この一月の間にオレの中ではとっくに崩壊した後だ」
ルイスの容赦ない言葉に、彼女はぐっと言葉を詰まらせる。渋面をコロコロと百面相させながら思考に耽る彼女に対し、彼は呆れ顔を一転、ニヤリと笑いながら言った。
「だから、月巫女という立場を除いたお前が何かって言われれば、オレの答えは『とんでもないお転婆娘』だ。そして、それがオレの今知るリオンっていう人間の印象だ」
ごく自然に投げかけられた答えに、瑠璃色の瞳が大きく見開かれる。だが、次の瞬間には、ハッとした様子を見せたあと、頬を染めながらプイっと不機嫌顔を背け、ボソッと呟いた。
「とんでもない、は余計だと思う」
「はいはい。じゃあ、お転婆娘な」
「むー……」
リオンが赤ら顔で不満げに唸りつつ、振り返り様に睨み付ければ、彼女のふくれっ面に堪えきれなかったのか、ルイスは肩を震わせながらくつくつと笑う。じと目で口を尖らせた彼女の無言の視線に気付いた彼は、さすがにまずいと感じたらしい。サッと笑うのをやめ、口を手で隠して視線を逸らす。
そろ~りと伺うように振り返れば、眦を釣り上げた瑠璃と再度視線がぶつかる。無言で怒りを訴えてくるそれに、時間を追うに従い、徐々にルイスの顔色が青ざめていく。そして、彼が耐えかねて口を開こうとしたところで、それを制するようにリオンはポツリと言った。
「ありがと」
言葉と一致しない不満げな彼女の言動に、彼の翠緑玉が戸惑った様子で瞬く。そんな彼に、彼女は大きく深呼吸をして言った。
「お転婆は納得いかないけど。でも、ルイスのおかげで、少しだけスッキリした気がする」
そう言って、リオンはふわりと微笑んだ。それを見た彼は、安堵したように腹の底から大きく息を吐くと、頭を掻きながら眉尻を下げて言った。
「そりゃ、どういたしまして。というか、お前、オレが焦ってるのをわかっててからかったな……?」
「これくらいの仕返しはしたっていいじゃない」
「名前呼ぶのも、言葉を崩せって言われたのもさっきの今なんだぞ? さすがに心臓に悪い仕返しは勘弁してくれ……」
小さく舌を出しながらくすくす笑う彼女に、ルイスの肩ががっくりと落ちる。彼の様子に、一瞬だけ呆気に取られたリオンだったが、小さく噴き出すと、より一層楽しげに笑みを深めた。そうして楽しげに笑う彼女を恨めしげに見たあと、ルイスもまた苦笑を浮かべたのだった。
それからややあって、リオンの服も乾いた頃。薪を動かしながら、ルイスは思い出したように問いかけた。
「そういえば、もう一つ気になってたことがあるんだが、聞いてもいいか?」
「何?」
「さっき歌ってた詩、何て言うんだ? 今まで聞いた祈りの詩のどれとも違う気がしたんだが……」
彼の問いに、リオンは小首を傾げて目を瞬かせる。そうして、彼の言わんとすることを思い出すように宙を見つめたあと、彼の言わんとするものに思い至ったらしい。『ああ』と合点の言った様子を見せたあと、あっけらかんとした表情で言った。
「あれは私が勝手に作った詩だから、名前なんてないよ?」
「自分で……?」
「うん」
迷いなく返る問いかけに、ルイスは呆気に取られた様子で押し黙ったあと、視線を逸らしながら呟いた。
「そうか、だから……」
「え?」
「……いや、何でもない」
苦笑いで誤魔化ながら取り繕った彼は、言いかけた言葉を心の中で続けた。
――だからあんなに綺麗なのに、哀しく感じる歌だったんだな……。
訝しげに見つめる彼女を真っ直ぐ見つめ、彼は静かに問いかけた。
「なぁ、もう一度、歌って聞かせてくれないか?」
「え……?」
「さっきの歌、中途半端にしか聴けなかったから、全部聴いてみたいんだ」
そんな彼の言葉に、最初こそ驚きを示したリオンだったが、二つ返事で了承すると、スッと湖の方を向いて立ち上がる。そうして、彼に背を向けると、彼女は満月に捧げるように、静かに歌いだした。
「夜空の月に祈る夜明けを
静かに待っているの
来るとも来ぬともわからぬ夜明けを
ただ待つことしかできなくて
誰かが教えてくれた
夜空の向こうにあるのは光だと
誰かが教えてくれた
夜空の向こうにあるのは闇だと
真実と偽りの大地
どれが真実で偽りなのかわからなくて
ただ夢見ることしかできなくて
翼があったら飛んでいくのに
まだ見ぬ夜明けを求めて
この空の向こうにある何かを求めて
今はまだ翼はないけれど
いつか見つかると信じて探し続けよう――……」
リオンの歌声が止むと、再び辺りを静寂が覆う。歌い終えても拍手はない。しかし、それに文句を言うこともなく、リオンは微動だにせず月を見上げる。そして、そんな彼女の背中を、ルイスはただただ静かに見守っていた。
「もう戻らないとね」
そう言って、リオンが月巫女に戻る合図を投げかけてくるまで、歌に込められた彼女の願いを心に刻み込みながら……。
その後、神殿に戻った先でリオンとルイスを待ち構えていたのは、ずっと二人の帰りを待っていたエマだ。彼女はウェーブがかった黒髪を揺らめかせ、怒りを露わに仁王立ちで二人を出迎えた。
怒気とは裏腹に、琥珀色の瞳をにっこり細めた彼女の様子に、リオンの顔からザァッと音がしそうな勢いで血の気が失せていく。そんな恐々とした様子のリオンと共に聞かされるであろう苦言と説教に対し、ルイスは密かに小さく息をついたのだった。
***
石碑に背を預けて座り込んだ彼女は、晴れ渡る空を見上げて言った。
「あの日、初めて名前で呼んでくれたよね。どんなにお願いしても誰も名前を呼んではくれなかったから、私、半ば諦めかけてたんだよ。気付いてた?」
そう問いかけるも、今この場所に答える声はなく、ただ返ってくるのは静寂と波の音のみ。それでも彼女は、語りかけるように続ける。
「私を『月巫女』じゃなくて、ただの『リオン』として認めてくれたのも、扱ってくれたのも、ルイスが初めてだった……。あのとき、ありのままの私を初めて見つけてもらえた気がして、本当に、本当にとても嬉しかったの……」
そんなリオンの言葉は、波の音に紛れてかき消されたのだった……。




