57.月神の分霊と騎士の約束
※ 文章の終わりにイメージイラストがあります。
リオンとルイスが、リックと再会したその日の夜。膨らんでいく月と星々が照らす暗い森の中、彼らは街道から見えにくい場所にある洞窟にいた。
「ヴォラスが動きを止めて二日、か……。何なんだ一体」
そうボヤいたのは、赤毛をオールバックにした騎士――アイザック=スミスだった。苛立たしげにこめかみを押さえる彼の口から、ため息がこぼれ落ちる。
そこへ外から戻ってきた一人の騎士が、彼に駆け寄った。
「隊長」
「なんだ、ついに動いたか?」
「本隊は動いていません。ですが、少しだけ人の動きが……」
彼の報告に、アイザックの目がピリッとした緊張の色を帯びる。それに対し、報告にやってきた騎士は、心許なげに口を開いた。
「他人の空似かもしれません。オレの見間違いの可能性も……」
「構わない、言ってみろ」
彼の言葉を受けた騎士が、躊躇いがちにある名を口にする。それを聞くや、アイザックは山吹色の瞳を大きく見開き、言葉を失ったのだった。
***
一方その頃、灯を落とした秘密基地では、剣を抱え床に座るルイスが物思いに耽っていた。彼のすぐ後ろのカウチでは、横になったリオンが寝息を立てている。
――オレは一度宿に戻って、定時連絡の報告してくるね。
約半月ぶりに再会した彼の副官が、そう言い残してツリーハウスを後にしたのは夕方のこと。今いるのは二人だけだ。
「エマ……」
友の名を呼ぶ彼女の声に、ルイスが振り返るも瑠璃色の瞳は閉じたままだ。起きる気配のない彼女に、彼は眉尻を下げて、その頭を撫でながら昼間の記憶へと意識を向けた。
***
三人が一通り互いの状況について語り終え、誰からともなく押し黙ったときのこと。ふとルイスは、リックを見て問いかけた。
「そういえば、お前の話、今ならゆっくり聞かせてくれるのか?」
「オレの話?」
何の話か検討がつかないのか、碧眼がパチパチと瞬く。そんな彼に、ルイスが補足するように言った。
「お前がオレのために月神に生かされたって話だ」
「あ」
彼の言葉に、リックだけではなく、隣で聞いていたリオンも同時に声をあげる。やや困り顔で頭を掻きつつ、視線を逸らしながらリックは言った。
「全部終わってからのつもり、だったんだけど……」
そう言って、そろりと彼がルイスを伺えば、睨めつけるような翠緑玉の双眸とかち合う。不満がありありと伺えるその表情に、彼は苦笑いを浮かべたあと、小さく息をついて続けた。
「仕方ないなぁ。気になって剣が鈍っても困るし、今話しても大丈夫そうなことは話すよ」
リオンとルイスが、真剣な顔で彼を見つめれば、リックは困ったように笑って言った。
「とはいえ、認識としては、月神さまが二人のために用意した助っ人の駒、とでも思ってくれれば問題ないんだけどね」
「駒って……」
「モノみたいに言うな」
彼の言葉に、リオンは眉をひそめ、ルイスは憤りを滲ませる。そんな二人の反応、特にルイスの反応に、彼は苦笑を浮かべて言った。
「お前、ホントそういうとこ変わらないよね。まぁ、だからこそオレも頑張ろうって思えたんだけど」
「……え?」
「二人を助けたいと思うのは、役目以前にオレの意志ってこと」
訝しげに首を傾げるルイスの隣で、リオンもまた不思議そうに首を傾げる。同じ方向に首を傾げる二人の様子に、彼はクスッと笑ったあと、視線を下げて語り始めた。
「正直に言えば、最初の頃は納得なんかしてなかったよ。お前ときたら、お互い初対面だっていうのに、話は全然聞いてくれないし、おまけに無視するし?」
肩を小さく竦めて見せる彼の言葉に、リオンはじと目で隣を見上げる。
「ルイス……」
「し、仕方ないだろ。リックと出会った頃は、誰かと深く関わり合う気がなかったんだ」
責めるような視線に、ルイスは逃げるように視線を明後日の方向へ向ける。決まり悪そうな彼に対し、彼女は小さく息をつき、リックは苦笑を深めて言った。
「騎士見習い時代、お前と喧嘩して飛び出したオレが、神殿の森で迷子になったときのこと覚えてる?」
「……所々なら」
「あのとき、『好きに生きればいい、月神だろうが、誰が何と言おうがお前の人生だろ』って言ったんだよ、お前」
彼の言葉に、翠緑色の瞳が驚き見開かれる。目を瞬かせたルイスは、怪訝そうな顔で言った。
「そんなこと言ったか?」
「言った。そして、それがあのときのオレにとっては、何よりの救いだったんだ」
即座に返ってきた肯定と、続いた言葉にルイスは息を呑む。そんな彼に、リックは手元のカップの中で揺れる自身の顔を見つめ、静かに続けた。
「本来、ディオス家の長男は死産になるはずでさ。でも、月神さまが二人を手助けする役としてオレを選んで、魂を分け与えてくれたからこうして生きてる」
言葉を失ったルイスの隣で、リオンもまた息を呑む。そんな二人に、彼はいつもと変わらぬ笑みを浮かべ、明るい調子で言った。
「まぁ、だから、オレの命は最初からオレのためのものじゃないんだよね。とは言っても、オレ自身は普通の人と何ら変わりないから、昔は『なんでオレなんだ』って思ってたよ」
眉根を寄せて唇を真一文字に結んだルイスを見て、彼はへらっと苦笑を浮かべて言った。
「そんな中だったから、かな。オレはお前に言われて初めて、オレ自身の人生も考えていいのかなって思えたんだ。他の誰でもないお前の言葉だったからこそ、ね」
そう言ってリックはにっこり微笑んだ。碧眼に憂いの色はなく、常と変わらない彼に、ルイスは視線を彷徨わせる。難しい顔で考え込んだ彼に、困り顔で頬を掻いた後、リックはリオンを振り返り言った。
「月神さまに命を助けられて、その力の恩恵に預かってる点で言えば、ある意味リオンとは兄妹みたいなものかもね」
「え、私……?」
虚を突かれた様子で彼女が声をあげる一方で、ルイスもまた二人の会話に耳を傾ける。
「月巫女に限らず先見の巫女も、だけど。それぞれの神様に死の淵から救い上げられたときに、副産物としてその力を得るんだってさ」
至極真面目に告げられた言葉に、ルイスは驚き固まるリオンを見やる。不安げな瑠璃の瞳と目があい、二人揃って困惑した様子でリックに視線を戻せば、彼は続けて語った。
「まぁ、本来その恩恵に預かれるのは、胎内に命を宿せる女子だけ。本当なら男は無理らしいから、オレはいろんな意味で異例で、神様からしても奇跡らしいけどね」
「じゃあ、お前もリオンと同じ力があるのか?」
ルイスの言葉に、リオンは弾かれたように彼を見たあと、リックをマジマジと見つめる。やや期待の色を滲ませた彼女の視線を受けた彼は、首を左右に振って言った。
「残念ながら、オレに祈りの力はないよ。オレが受けた恩恵は、月神さまの持つ記憶と知識の一部の共有だけ」
「月神の記憶と知識の一部……。まさか、お前が前に言ってた忘却水の効かない体質って……」
彼の言葉に思案顔を見せたルイスが、ハッとした様子でリックを見つめる。それに対し彼は、困ったように笑みを浮かべて言った。
「大人ですら知らないようなことを、物心つかない子どもがずーっと繰り返し言い続けてたら怖くもなるよね。それが実の親子でも、さ」
「リック……」
彼の名を呼んだものの、かける言葉に迷うように、ルイスの視線が彷徨い落ちる。そんな彼に『平気だ』と言わんばかりに微笑んで、リックは言った。
「とまぁ、オレが今話せるのはこれくらい、かな」
話は終わりを告げられれば、ルイスは思案顔でカップの中身を煽ろうとした。しかし、空のそれが彼の喉を潤すことはなく、バツが悪い様子で彼は立ち上がり、薪ストーブへと近付いていく。ギシギシと音を立ててルイスが移動する一方で、黙って考え込んでいたリオンが、顔を上げて口を開いた。
「一つだけ聞いてもいい?」
「答えられそうなことに限るけど、何?」
僅かに首を傾げたリックを、彼女は真っ直ぐ見つめて問いかけた。
「リックといると祈り場にいるときのような感じがするのは、月神さまの魂を、月魄を持ってるから。……で、あってる?」
「あー……それは、たぶんそうだろうね」
二人のやりとりに対し、ルイスは僅かに意識を向けつつ、薪ストーブにかけていた小鍋の中身をカップへ注ぐ。それを感じ取りつつ、リックは苦笑しながら続けた。
「月神さまの分霊が宿ってるようなもんだからねぇ、オレ。今だから言えるけど、前にリオンがオレに対して『畏れ多く感じる』って言ったときは、正直かなりドキッとしたんだよ」
「そうだったの?」
肯定するように頷く彼に、彼女は『そっか』と呟くと、微笑んで口を開いた。
「話してくれてありがとう。えっと……」
不自然に途切れた言葉にリックは首を傾げ、ルイスはカップに口をつけながら、視線だけで振り返る。そんな中、彼女はやや気恥ずかしげに上目遣いで言った。
「お兄様?」
その単語に、ぶっと噴き出す音と咳き込む声が響く。言われた当人は、驚きを露わに碧眼を瞬かせている。『何を言い出すんだお前は』と言わんばかりの翠緑玉の双眸も向けられれば、リオンは慌てた様子で言った。
「そ、その……兄妹みたいなものなら、お兄様って呼んだ方がいいのかなって、思ったんだけど」
「オレとしては、お兄様よりもお兄ちゃんの方がうれし……あいたっ」
照れくさそうにしつつも、満更でもない表情を浮かべたリックの脳天に、手刀が容赦なく落ちる。痛みに唸る彼に、ルイスは不機嫌を隠そうともせず、目を据わらせて言った。
「調子に乗るんじゃない」
「えー……ケチ」
不満げに口を尖らせるリックの言葉を余所に、ルイスはリオンを振り返って言った。
「リオンがそう呼びたいならともかく。そうじゃないなら、リックが調子に乗ってつけあがるだけだからやめとけ」
「扱いがいつにも増してひどっ!」
「なんせ、オレはケチだからな」
わざとらしい泣き真似を見せるリックに、彼は口角をあげて言われた言葉をそのまま返す。そんな日頃と大差ない軽口の応酬を始めた二人に、最初こそ呆気に取られたリオンだったが、その顔に微かな笑みが浮かぶ。そうして、重苦しかった空気はほんの少しだけ、明るさを取り戻したのだった。
***
ルイスが回想を終えたのとほぼ同時に、ツリーハウスの扉が三回ノックされる。外にいる気配を探れば、彼は小さく息をつき、腰をあげて扉へと向かう。彼が無言で扉を開ければ、そこには昼間と同じ格好をしたリックがいた。
当たり前のようにその場に佇む彼を中に招き入れながら、ルイスは渋面を作って言った。
「朝になってからでもよかったんだぞ?」
「なーに言ってんの。どうせお前のことだから、神殿出てからろくに寝てないんでしょ。あ、それとも二人きりでいたか……あた」
真顔から一転、ニヤリと笑みを浮かべるリックの頭を、ルイスの手の甲が軽く叩く。揶揄する彼に、ルイスは呆れ顔を浮かべて言った。
「この非常時に何を言ってるんだ、馬鹿」
「お前の緊張をほぐすための冗談だよ、冗談」
悪びれた様子もなく、小さく肩を竦めて見せながら軽い調子で返すリックに、胡乱な翠緑色の瞳が向けられる。『はあ?』と言わんばかりの彼に、リックは真剣な表情で言った。
「作戦上、一番負担がかかってるのはお前だし。肝心なときにヘマされても困るから、最終局面前にしっかり休んでもらわないとね。というわけで、夜の番はオレに任せて、お前は寝た寝た」
そう言って、彼はグイグイとルイスの背中を押して、彼をハンモックの方へと追いやる。後ろ髪を引かれるように振り返る彼に、『さっさと寝ろ』と言わんばかりにリックは手を振る。そんな彼の様子に、ルイスは小さく息をつくと、諦めた様子でハンモックに横になった。
そうして、一度は素直に目を閉じた彼だったが、不意に目を開けると、天井を見つめたまま口を開いた。
「なぁ、リック」
「ん?」
「お前、エマと団長のことで黙ってること、まだあるだろ」
ほぼ確信を持って告げられた言葉に、碧眼が微かに見開かれる。だがそれは、ほんの一瞬で、彼はへらりと笑みを浮かべて口を開いた。
「何のこと……」
「団長を説得する必要があるような何かがあったんだろ?」
内容をさらに特定した上で告げられた言葉に、リックの笑みが固まる。そして、眉根を寄せて、頭を掻きながら彼は言った。
「お前って、ホンット、他人のことになるとやたらと察しがいいよね」
やや恨み節が篭もった台詞を吐いたものの、静かに向けられた視線に、彼は大きく息をつく。チラリと背後のリオンを振り返り、彼女がよく寝入っているのを確認すれば、そっとルイス脇に移動する。そうして、彼は昼間伏せていた、エマが残した手紙の話を語ったのだった。
それを聞き終えたルイスは、しばし考え込んだ後、リックを見上げて問いかけた。
「お前はどう見てるんだ?」
「……攫ったのが誰か次第、かな。もしも攫ったのがヴォラスなら、かなり厳しいと思う。良くて五分五分、かな」
彼の告げた言葉に、ルイスの眉間に皺が刻まれる。そんなルイスに、リックは目を伏せて静かに言った。
「こればかりは団長の足の速さと、エマ自身の運に賭ける以外どうしようもないし。だからこそ、オレはリオンに祈っててほしいと思ったんだ」
「月巫女の祈り、か」
「そ。オレに祈りの力があったら、話さずに済んだんだけどね」
そう言って苦笑を浮かべるリックを、ルイスの拳が軽く小突く。励ますようなそれに、彼は『大丈夫』と言いたげに笑みを深めた。
それからしばし互いに押し黙ったあと、ルイスは徐に口を開いた。
「リック、一つ頼まれてくれないか?」
「……ろくなもんじゃない気がするけど、何?」
訝しげな表情を浮かべつつも、聞く姿勢を見せるリックに対し、彼は眠るリオンを見つめて言った。
「万が一、オレの身に何かあって、リオンが本来の力を行使しようとしたそのときは、止めてやってくれ」
その言葉に碧眼が瞠目する。次いで、眦をつり上げてリックは言った。
「お断りだよ、そんな憎まれ役。オレはリオンにとっていいお兄ちゃんでいたいし」
「リック」
大仰な仕草で肩を竦めて見せる彼の名を、ルイスが真剣な声音で呼ぶ。それに対し、リックはやや怒りを露わに言った。
「止めたいなら自分で止めなよ」
「それはわかってる。だから、あくまでも万が一の話だ」
交錯した翠緑玉と青碧玉が無言の攻防戦を広げる。しばしそうした後、小さく息をついて口を開いたのはリックだった。
「まぁ、お前が足掻いて足掻いて、それでも止められなかったら、そのときは頼まれてあげるよ」
不本意だとばかりに告げる彼に、ルイスは『ありがとな』とホッとした様子で笑みを浮かべる。
「それと……」
「何、まだあるの?」
呆れの色が濃く滲んだ声音に、ルイスは気まずげな様子で、身体ごと横に向く。そして、リックに背中を向けたまま、ポツリと言った。
「悪かった。もっと早くちゃんと話聞けなくて」
彼が告げた小さな謝罪に、リックはその目をキョトンとした様子で瞬かせる。そして、ややあって、内容の理解が追いつけば、彼は頬を掻きながら言った。
「そんな改まんなくていいよ。ただでさえ後ろ向き思考しがちなお前が、さらに陰鬱としなくて済んでよかったし」
「……前言撤回するぞ」
返ってきた言葉に、ルイスはムッとした様子で振り返る。そんな彼に、リックは笑みを浮かべて言った。
「正直、何も知らないお前だったからこそ、あれから今までが楽しかったんだと思うんだよね。それを手放しがたくて、話さなくてもどうにかできるならって、引き延ばしたのはオレの弱さだし。だからそんな気にしないでよ」
困りぎみに笑う彼に、ルイスはしばし押し黙ったあと、真顔で言った。
「なら、これだけは言っておく。役目だからとか言って、オレの身代わりになるようなことしたら、絶対許さないからな」
彼の言葉に、リックは呆気に取られた様子で瞠目したあと、口角をあげて言った。
「当たり前。ていうか、その言葉そっくりそのままお前に返しておくよ」
勝ち気な笑みと返しにルイスの口も僅かに笑みを浮かべる。そうして、今度こそルイスは寝に入り、再会の夜は更けていったのだった。




