52.騎士の過去
※ 文章の最後にイメージイラストがあります。
グレンが再び神殿へと馬を駆る頃。リオンとルイスは、なだらかな山の中腹の洞窟にいた。
草木で狭い入口は隠れ、星明かりはほとんど届かない。そんな中、ランプの明かりの元、荷物を漁るルイスの横で、リオンは洞窟内をぐるりと見回しながら言った。
「ルイス、本当にいろんなとこ知ってるんだね。最初に寝泊まりしたとこもだけど、知らないと見落としそうなのに……」
「ん? ああ、今まで泊まった場所の大半は以前、野盗の根城だった場所だからな」
「えっ!?」
事も無げに告げられた内容に、瑠璃色の瞳がぎょっとした様子で見開かれる。そんな彼女に、火打石を取り出しながら続けた。
「安心しろ。そいつらは騎士団が殲滅ないし、捕縛した」
「そ、そっか……」
ホッと息をつく彼女を横目に、組んであった薪の中から干し草を取り出し、火を点けようとしたときだった。彼は手を止め、思い出したように振り返り問いかけた。
「そういえば、この洞窟、もう少し奥に行くと温泉が湧いてたはずだが、どうする?」
「えっ、湯浴みできるの!?」
「何年も前の話だから、まだ残ってたらの話だが……。とりあえず、確認してみるか」
目をキラキラと輝かせたリオンを見ると、彼は苦笑しながら火打石を懐にしまい、ランプを手に立ち上がった。
いくつも枝分かれした道に印をつけながら進んだ先に、二人が見つけたのは小さな天然の温泉。天井の裂け目が外に通じているのか、湯気が充満することもなく立ち上る。小さな小川となり来た道とは別の道を辿るそれを見て、リオンは期待の眼差しでルイスを見上げた。
それを受けた彼は、岩壁の突出した部分をロープで結び、自身のローブをかけて簡易の間仕切りを拵える。ところどころ隙間が空いているそれをじっと見つめ、リオンは背を向けている彼に言った。
「こっち見ないでね?」
「わかってる」
「絶対だからね!」
「オレはオレでやることがあるし、安心してさっさと入れ」
何度も念押す彼女に、彼はため息混じりに返す。それに対し、口を開きかけたものの、彼女は大人しく衣服へと手をかけたのだった。
焚き火と鉄鍋で湯を沸かすルイスの耳に、火のはぜる音に混じり、布ずれの音と水音が響く。その音に彼は、やや緊張した面持ちで頬を赤く染めた。
赤みが耳に向かって広がると共に、そわそわと落ち着きをなくす彼の目が、チラリとローブと地面の隙間へと向きかける。その瞬間、『ねぇ、ルイス』と呼びかける声が、彼の耳朶を打つ。彼女の声にハッとした様子で、彼は慌てて視線を戻した。
「な、なんだ?」
「ルイスはいつから騎士団にいるの?」
彼の動揺に気付いた様子もなく問う彼女に、ルイスは胸を撫で下ろして言った。
「十だな。正確には十になる年の春に、騎士見習いとして入団した」
「そうなんだ」
静かに返された返事の後、僅かに沈黙が下りる。雫が水面を揺らす音がそれを破れば、彼女は再度彼の名を呼んだ。
「ねぇ、ルイス」
「ん?」
「今ルイスの家族のこと聞いたら、今度は教えてくれる……?」
恐る恐る問われた内容に、目を瞬かせた彼の目が、無意識に背後を振り返りかける。しかし、途中で気付いた彼は、顔を戻して問い返した。
「お前、まだ気にしてたのか?」
「それは気になるよ! す、好きな人のことだし……。それに、私のお父様とお母様の話聞いたら、余計に気になったっていうか……」
もじもじとした彼女の手が微かに水音を立てる。そんな彼女の様子に、彼は赤ら顔をかきながら、小さく息をついて言った。
「まぁ、オレばっかり知ってるのも公平じゃないか……」
「えっ!?」
彼のその返事は予想外だったのか、バシャッと彼女の動揺をそのまま表す音が響く。そんな彼女に、彼は静かに言った。
「ただ、オレのそれはお前が思うような楽しい話じゃない。それでも構わないか?」
真剣みを帯びた声に、瑠璃色の瞳が瞬く。だが、戸惑いの色を帯びたのは一瞬のことで、彼女は迷いなく告げた。
「いいよ。私はルイスのことが知りたいの」
――私はルイスの話が聞きたい。知りたいの。
リオンの言葉に重なるように、彼女に似た声と台詞が彼の脳裏を掠める。それに訝しげに額を抑えた彼を、不安げな声が呼ぶ。その声に、彼は頭を振って言った。
「わかった。ただし、逆上せても困るから、上がって髪を乾かしながらな」
それから程なくして、着替えた彼女は焚き火を横目に座る。そんな彼女を背後から囲うように座ったルイスは、濡れた彼女の髪にタオルをそっと押し当てながら、静かに口を開いた。
「オレの父は、現ヤヌス侯爵領の南端に位置する土地を治める辺境伯だったんだ」
「えっ!? でも、彼は、彼の家は……」
「なんだ、知ってるのか?」
驚きを露に振り返る彼女に、翠緑色の瞳が瞠目する。そんな彼に、リオンはバツが悪そうに視線を落として言った。
「十五年前にクリフェード辺境伯と奥方様は賊に襲われて、そのまま月神さまの元へ召されたって……。他に直系の親族もいなくて、クリフェード家は断絶。それで隣を治めていたヤヌス侯爵……団長さんのお父様が、その土地の管理を請け負ったはず、だよね?」
「記録上では、な」
彼の言葉に、眉をハの字にさせた彼女は、今にも泣き出しそうな顔でルイスを見上げる。そんな彼女を真っ直ぐ見つめ、彼は告げた。
「事件の関係で記録から名を抹消されたが、オレは正真正銘、フォルティス=クリフェードとセシリア=クリフェードの一人息子だよ」
「……ただの同姓じゃ、なかったんだ」
悄然とした様子で呟いたリオンは、はたとした様子で言った。
「でも、待って。ルイス、前に家族は生きてるって……」
「オレの育ての親とその親は生きてるからな。……そう睨まなくても、ちゃんと順を追って説明する」
眉根を寄せて口を尖らせた彼女に前を向かせると、彼は手を動かしながら続けた。
「両親が殺された十五年前の緋月の夜。その日はオレの六つの誕生日でな。オレの我が侭で海沿いのある村に、星を見に行った帰りの道のことだったんだ」
「まさかルイスもその場に居たの……?」
「そうだ」
淡々とした言葉に、彼女は胸の前で両手を握りしめ、微かに震える声で問いかけた。
「ルイスは子供だったから見逃してもらえたの……?」
「いや。ヤツらの手口は女子供も皆殺し。当然オレも殺されるはずだった」
「でも、今ルイスはここにいるじゃない」
彼女の疑問に対し、やや重苦しい間を置いた後、彼はタオルを肩にかけ、脇に置いた櫛に手を伸ばしながら言った。
「母を目の前で殺されて半狂乱に陥ったオレは、そばにあった父の剣でヤツらを斬り殺し、生き延びたんだ。ただ一人、首領だけは顔に傷を負わせただけで逃げられたけどな」
「その頃からもう剣を習ってたの?」
その問いに、彼は『いや』と否定を返す。
「遊びの延長程度で木剣を握ったことはあったが、真剣を握ったのも振るったのも、その時が初めてだ」
「それで大人に勝てるものなの?」
「普通はない。オレの場合は、たまたま剣の才能に恵まれてたらしい。我を忘れてたから薄らとしか覚えてないけどな」
かける言葉を探しあぐねる様子の彼女に対し、湿り気のある髪を櫛で梳きながら彼は言った。
「まぁ、そんな訳で、オレが主犯の顔を見ていること、領主の家紋が入った馬車への襲撃。それらを鑑みた母方の叔父は、オレが狙われることを危惧し、クリフェード家からオレの名を抹消して、自分の養子にしたんだ」
「でも、名前は?」
「叔父の家名を名乗ると色々面倒があるからミドルまで名乗ってる」
リオンは無言で振り返り、苦笑する彼をじっと見つめる。無言ながら雄弁に問いかける眼差しに、彼は真っ直ぐ見つめ返しそれを口にした。
「オレの今の本当の名は、ルイス=クリフェード=ヤヌス。養父はお前もよく知ってる騎士団長――グレン=ヤヌスだよ」
紡がれた真名、それと合わせて飛び出した名に、瑠璃の双眸が大きく見開かれる。しばし言葉を失った後、彼女はやや戸惑った様子で反芻するように口を開いた。
「団長さんが、ルイスの叔父様で養父? でも、髪は? それに目だって全然……」
「じい様含めヤヌス侯爵家の人間は黒髪なのに、ってことだろ? 例に漏れずオレの母も黒髪だったが、オレが母から譲り受けたのは目で、髪色は父親譲りなんだ」
「そう、だったんだ……」
唖然とした様子のリオンに対し、彼は申し訳なさそうに苦笑いを浮かべる。伏せ目がちな彼女を促し、前を向かせれば、彼は黙って青藍色の髪を梳かす。そんな彼に、彼女は前を向いたまま問いかけた。
「どうして団長さんの息子って隠してたの?」
「侯爵家の跡取りで、最年少で騎士団長に昇り詰めた男が、二十と五になってまだ独身。そこに突然十になる息子がいるなんて知れてみろ。詮索と好奇に晒されるのがオチだ」
「それは、確かに……?」
首を傾げつつ、まだ納得しきってはいない様子で彼女は同意を示す。粗方真っ直ぐに梳き終われば、彼は櫛を彼女に差し出しながら言った。
「それでなくても、オレの存在そのものがヤヌス家にとっては醜聞の元だからな。騎士団では伏せてる方が逆に都合よかったんだよ」
「どういうこと……?」
櫛を受け取りつつ、そう問いかけた彼女を解放し、彼は焚き火の方へと体をぐるりと向ける。それを追うように、リオンもその隣へと座り直す。じっと見つめる瑠璃の視線を受けつつ、彼は薪を追加で焼べながらポツリポツリと語った。
「オレの両親はいわゆる恋愛結婚なんだが。母には元々婚約者がいてな……。半ば駆け落ち同然で家名を捨てて、父に嫁いだらしい」
「かけおち?」
「あー……。端的に言うと、許されない相手と結婚する、みたいなものかな」
「許されない相手と結婚……。じゃあ、私もかけおちをしたら、ルイスと結婚できるの?」
微かに喜色の滲んだ声で告げられた内容に、ルイスは眉根を寄せて彼女を見つめる。小さく息をついたあと、彼は真顔で言った。
「できると言えばできる。ただ、当時のヤヌス家はその婚約者の家と相当揉めに揉めたって話なんだが。公爵様に迷惑をかけてでもそれを望むか?」
「うっ、それは……。できればしたくない、かな」
彼の問いかけに、彼女は意気消沈した様子で首を横に振る。そんな彼女の答えにホッと胸を撫で下ろした様子で言った。
「そういう類いの婚姻の末、生まれたのがオレだ。引き取られるまでの過程を調べられる分にはまだいい。だが、出生にまつわる話まで探られると、ヤヌス家に面倒をかけることになりかねない。だから伏せてるんだ」
ルイスの話に彼女は納得した様子で頷いたものの、訝しげな顔で首を傾げる。僅かに考え込む素振りを見せたあと、彼女は問いかけた。
「じゃあ、なんでルイスはそこまでして騎士になろうと思ったの?」
何気ない問いかけに、彼の全身が強張る。だが、それはほんの一瞬のことで、彼は薪を無言で投げ入れた。パチパチと爆ぜる火を黙って見つめる彼の目に、昏い影が落ちる。彼の様子に、リオンが口を開こうとしたそのとき、彼は静かに言った。
「捕り逃した男を捕まえるため。最悪、オレの手で殺すためだ」
告げられた言葉に、瑠璃色の瞳が大きく見開かれて凍り付く。
――ルイス、怖い顔してる。
響いた声にルイスはハッとした様子で、隣を振り返る。不安げに見つめるリオンの顔見て、彼は苦笑いを浮かべながら言った。
「悪い。怖がらせるつもりはなかったんだが……」
「え……? どうしてルイスが謝るの?」
「いや、怖い顔してるってお前が……」
「私そんなこと言ってないよ?」
戸惑った様子で返す彼女に、今度はルイスが困惑を見せる。そんな彼に、彼女はやや視線を落として言った。
「私の方こそ、考えなしに聞いてごめんなさい」
「い、いや。オレの方こそ、あまり褒められた理由じゃなくて悪い」
頭を掻いて言う彼に、リオンは勢いよく顔を左右に振る。互いに顔を逸らした二人の間に、気まずい空気が漂う。二人とも押し黙る中、薪が崩れる音が響く。それをきっかけに沈黙を破ったのは、リオンの方だった。
「聞いてもよかったら、なんだけど。その目的は、どうなったの?」
「それならつい先日、思わぬ形で叶ったよ」
「え?」
間髪入れずに返ってきた言葉と内容に、瑠璃が瞬く。そんな彼女を振り返りながら、彼は微かに苦笑を浮かべて言った。
「グレッグが始末したと言っていたモールって男がいただろ? その男がオレの仇だったんだ」
「……目的が叶ったなら、どうしてルイスはまだ苦しそうなの?」
――それが叶ったら、ルイスは元気になる?
リオンの言葉に重なるように、似た声がルイスの脳裏に響く。それと共に襲い来る頭痛に、彼は微かに顔を顰め、こめかみを抑えた。
気遣わしげな声で名を呼んだ彼女に、彼は『何でもない』と返す。しかし、治まる気配がないどころか、増していく頭痛に小さく息をつきながら、彼は平然とした様子を見せて言った。
「本当に望んでいたのは、両親への心からの謝罪だったからじゃないか、と思ってる」
「……本当に? 本心から思ってる?」
眉根を寄せ、彼の心意を見透かそうとするかのように、瑠璃の双眸が彼の瞳を真っ直ぐ見つめる。そんな彼女の言葉と視線に、彼は面食らった様子を見せ、そっと視線を逸らした。
迷いの色を浮かべる彼に、彼女はにじり寄る。詰め寄られつつある彼は、困った様子で彼女を見返す。『聞いても面白くないぞ』と言いたげな顔を浮かべる彼に対し、『大丈夫』と言わんばかりに彼女は頷く。
しばしの無言のやりとりを経て、ルイスは大きく嘆息すると、視線を逸らしながらポツリと口を開いた。
「本心ではあるんだが……」
「だが?」
「モール以上に、オレがオレ自身を未だに許せずにいたはず、なんだよ」
「ルイス、自身……?」
彼の言葉は予想外だったのか、リオンの瞳が困惑げに瞬く。言葉を詰まらせた彼女に対し、彼は炎を見つめながら無表情で言った。
「あの日、オレが我が侭なんか言わなければ、少なくてもあの場所で襲われることはなかったからな」
「でもそれはルイスのせいじゃないでしょ?」
「そう、だな……。今はそう思えてる自分がいるんだよ、不思議なことに」
肩を軽く竦めて見せれば、彼は自嘲気味に笑いながら続ける。
「昔はそんな『もしも』を考えては、元巫女だった母の言うことを素直に聞かなかったオレの罪だと、そう思っていたんだ。だからこそ、オレの手で仇をと、オレは幸せを望んだりしてはダメだと……」
彼の独白に、彼女は泣きそうな顔を見せる。そして、彼の手を両手でそっと握って問いかけた。
「今は許せたの?」
「……わからない。変化するに至った経緯が思い出せないんだ」
「じゃあ、どうしたら、ルイスのそれはなくなるの?」
――どうしたら、ルイスは笑ってくれる?
再び彼女の言葉に重なるように、彼の脳裏に言葉が響く。先刻よりもより鮮明に、朧気な人の姿を伴って、だ。それを知らない彼女はなおも続ける。
「私はルイスに笑っててほしい」
――私は、ルイスの笑ってる顔が見たい。
ほぼほぼ重なった言葉に、彼の脳裏で少しずつ人物像からモヤが晴れていく。徐々に鮮明になっていく相手の華奢な体と、頬にかかる髪の色に翠緑色の瞳が見開かれる。それと共に彼を強烈な頭痛が襲い、痛みに彼は小さく呻き声をあげた。
その段階になってようやく、リオンは彼の異変に気付いた。
「ルイス、どうしたの……?」
気遣わしげに問いかける彼女を、ルイスは痛みに顔を顰めつつ、戸惑いの色を浮かべ振り返る。生乾きの濡れた青藍色の髪が、彼の脳裏に浮かぶ人物像と重なっていく。
――ルイスは幸せになっていいの。それでもっといっぱい笑って?
濡れ鼠状態で右手を差し出しながら、泣きそうな顔で微笑む彼女の瞳の色は、瑠璃色。
脳裏を過った姿にしばし固まった彼の顔に、不安げな様子で彼女の右手が伸ばされる。その手を取った彼は、彼女の華奢な体を引き寄せギュッと抱きしめた。
彼の突然の抱擁に戸惑ったのはリオンだ。彼女があたふたしながら彼の名を呼べば、ルイスはくぐもった声で言った。
「やっと少しだけ思い出せた」
「え?」
目を瞬かせる彼女に、彼は続けて言った。
「オレが今のように思えたのは、お前のおかげだったんだ」
「わた、し……?」
彼の言葉に、彼女は困惑げに首を傾げる。だが真意を問う前に、ぐったりとした彼の全体重が彼女の肩にかかる。焦った様子で彼の名を呼ぶ彼女に対し、ルイスは荒い呼吸を繰り返しながら言った。
「心配、するな」
「心配するなって言われても……」
彼女が見たのは、彼の横顔と首筋を伝い落ちていく脂汗だ。それを見て不安げに抱きしめ返した彼女に、ルイスは襲い来る頭痛に顔を顰めながら、努めて冷静に言った。
「恐らく、忘却水で抑えられてた記憶を思い出した反動が出てるだけで、少し眠れば大丈夫、だ……」
「少しってどのくらい……?」
そう問いかけるも、彼からの返事はない。それに彼女は顔を強張らせつつ、彼の顔を覗き込む。
脂汗を滲ませた彼の両目は閉ざされ、耳を澄ませばその口から微かに寝息が聞こえる。何度か彼の名を呼び、その背を軽く叩くも、彼が目を覚ます気配はない。
「ど、どうしよう……」
そんな途方に暮れるリオンの声は、爆ぜる火の音と共に洞窟の空気を揺らし、溶けて消えていったのだった。




