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49.聖典の真実

※ 文章を終わりに、イメージイラストがあります。

 夜も更け、藍色の空を彩る星の光が、よりいっそう輝く頃。寝静まり返った神殿に、微かな祈りの歌声が響く。


 そんな神殿とは打って代わり、騎士団の屯所では起きているものが多く、灯りが煌々としていた。そのうちの一つ、騎士団長の執務室には、グレンをはじめ、三人の騎士の姿があった。


「というわけで、敷地内全て隈なく捜索いたしましたが、月巫女さまとルイスの姿はありませんでした」


 そう告げたのは、山吹色のマントを身につけた赤毛の騎士だ。がたいのいい年若い騎士の横に立つのは、銀髪をオールバックにした騎士。下ろした一部の前髪から覗く、天色の垂れ目がグレンを真っ直ぐ見つめる。やや年を感じさせる渋みのある声が、彼の口から響く。


「厩舎を確認した者の話によると、ルイスの愛馬のシャンディが、鞍ごと居なくなっていたそうだ」

「そうか」


 難しい顔で俯き、額を両手の甲にあてたグレンの表情は見えない。しかし、やや間を置いて顔を上げた彼は、真顔で二人の騎士に告げた。


「アイザック、テオ、二人とも遅くまでご苦労だった。今日はもう休んでくれ。明日は念のため聖都を頼む。それでも見つからない場合は、翌日、オレと共に捜索隊として同行を頼みたい」

「承知いたしました」


 敬礼と共に返事をした二人の騎士は、一礼するとその場を後にした。


 残されたグレンは地図と睨み合い、思案顔を浮かべる。そんな中、日付の変更を告げる鐘の音が、柱時計から響く。その音に、彼はハッとした様子で机脇の小包を掴み、足早に執務室を後にした。


 グレンが向かった先、それは屯所横にある地下牢だった。鉄の扉を外から錠で閉じたそこは、祝祭の直前、彼がモールを尋問する際に使った部屋だった。


 錠を外し、グレンが体を滑り込ませれば、まず目についたのは数々の拷問器具。ランプの灯りに照らされたそれらに囲まれた部屋の中心、そこには金髪の騎士――リックの姿があった。


 拘束されることもなく、羊皮紙が散らばった床に胡座をかき、考え込むように腕を組んで、彼は唸っている。ガチャンという音に、彼は伏せていた顔を上げ、グレンを振り替えった。


「あ、団長お疲れ様です」

「差し入れだ」

「ありがとうございます」


 小包を受け取ったリックが取り出したのは、珈琲の香りが微かに漂う水筒と照りのある鶏肉と野菜のサンドイッチが二つ。それらを見た彼の腹が、空腹を訴え鳴く。『いただきます』と手を合わせれば、彼は迷わずそれを口にした。


 そうして、差し入れに舌鼓を打つ彼に、グレンは申し訳なさそうに告げた。


「不自由を強いてすまないな」

「いえいえ。元はといえば、こんな方法考えついたのはルイスですし。全てが終わったら、アイツの給金使い果たすくらいの高級料理でも奢って貰いますから」


 軟禁されているにも拘わらず、リックは飄々とした笑みで返す。そんな彼にグレンは、苦笑いを浮かべた後、自身も床に座り込む。そして、リックの足下に広げられた古びた本を見つめ、静かに問いかけた。


「聖典の解読はどうだ?」

「何とか八割方ほど終わりました。月神の加護と月の剣に関するもの、他にも色々とあるんですが……」

「どうした?」


 言葉を濁す部下に、真紅の瞳が訝しげに細められる。そんな彼に、リックはやや逡巡して言った。


「いえ。ある意味、神官長たちの方針は正しかったのかもしれないな、と……」

「どういうことだ?」


 グレンが怪訝そうな顔で問えば、リックは一枚の羊皮紙を差し出しながら言った。


「自分たちが知っている月巫女の祈りの力は、表面的なもので、実際はもっと強く、感情の大きな揺れ――殊更強い怒りで発現していたそうです。そして、それは命を削るため、大昔の月巫女は非常に短命で、成人を迎える前に月神さまの元へ召されていたようです」

「なん、だと……」


 真紅の瞳を大きく見開いた彼は、差し出された羊皮紙を受け取り、そこに書かれた文字を追う。さらに追加で羊皮紙を何枚か拾いまとめながら、リックは続ける。


「昔は国のためと、死ぬまで力を使わせていたようですが、通常の祈りだけでも莫大な恩恵を得られるとわかってからは、保護する方向へと変わっていったようですね」


 追加で差し出された羊皮紙にも目を通せば、グレンは愕然とした様子で問いかけた。


「まさか、神官長たちは、月巫女さまの感情の起伏を最小限に抑えるために、知識や行動に制限をかけたと?」

「恐らく、ですが」


 真顔で返すリックに、グレンは言葉を詰まらせる。そんな彼に、リックは続けて言った。


「そして、保護に切り替わってから、判明したことが一つ」

「なんだ?」

「月巫女はみな二十歳を迎えると、例外なくその力の一切を失うようです」


 彼の言葉に、真紅の瞳が驚愕で彩られる。唖然としていたグレンは、呆けていた顔を引き締め、口を開いた。


「それは間違いないんだな?」

「はい。力を失った後は、月神の花嫁として神殿に残った方もいれば、神殿を出た方もいたようですが、全員力を失っていたようです」

「月神の花嫁になるのは必須じゃない、か」


 ほんの僅かに見えた可能性に、グレンの顔が微かに笑みを象る。そんな彼に、リックはやや言いにくそうに言った。


「ただ、どうしても見えて来ないことが一つだけ。どれだけ考えても動機がわからないんです。何故、保護しようとしている月巫女を襲わせるような真似をするのか……」

「確かにそうだな」


 リックの言葉に、グレンは顎に手を当て黙考する。しかし、数拍の後、彼は頭をガシガシ掻いて言った。


「こればかりは捕えて聞かないことにはわからないな」

「では……?」

「餌を蒔く」


 グレンの抽象的な言葉に、碧眼が微かに見開かれる。だが、それはほんの一瞬で、リックはしっかりと頷き返したのだった。


***


 翌朝。リオンとルイスは、森の中にある木造の簡素な平屋にいた。一間のみのそこには、木の長椅子とテーブル、暖炉以外なく、二人の他に人の姿はない。


 干し肉を挟んだパンを、黙々と食べるリオンの前には、地図を広げて見つめるルイス。そんな彼に、リオンは最後の欠片を飲み込んで問いかけた。


「ねぇ、ルイスはこの辺り詳しいの? この作業小屋のことも最初から知ってたみたいだけど……」

「護衛騎士になる前はあちこち行ってたから、それなりにな」


 やや生返事気味に返された答えに、彼女はしばし考え込む。その後、彼の名を呼び、翠緑玉と目が合えば、彼女はルイスを真っ直ぐ見つめて言った。


「この近くに、人の手があまり入ってない川とかない、かな?」

「それならここから少し進んだところにあるが……どうかしたのか?」

「清めの水を汲みたいのと、あと簡単にだけど祈りを捧げたいの」


 彼女の言葉に、ルイスは虚を突かれた様子で目を瞬かせる。だが、それは僅かのことで、彼は納得した様子で言った。


「昨日はもともと休息日だったが、今日は何もなければ祈り場に立ってたはずだからか」

「うん。祈り場じゃないし、国の中心でもない。十分に清められるわけでもないけど」


 そこで一度区切れば、やや俯きがちだった顔を上げ、両手を握り合わせて彼女は言った。


「でも、グレッグの言うような力が私にあるのなら、できることをしたいの。……難しい、かな?」

「もし誰か来たら止める。それでもいいか?」


 彼の問いに返ってきたのは首肯。それを受ければ、彼は手早く荷物を纏め、彼女を連れて小屋を後にした。


 馬で四半刻(しはんとき)とかからずについたのは、獣道沿いに走る細い小川だった。


「ここなら、主要な街道から少し外れてるから、人の手はあまり入ってないはずだ」

「ありがとう」


 そう言うや、リオンは袖を肘上まで捲れば、留め具で固定し、空の水袋を持って川辺にしゃがみこむ。右手を水の中に差し入れれば、満足げに頷き、水袋を満たす。


 水袋がいっぱいになれば、両腕を肘辺りまで沈め、そのまま掬い上げた水で、彼女は口を漱ぐ。それを終えれば、上半身を起こし、濡れたままの手を合わせ、空に向けて祈りの詩を紡ぎ始めた。


 決して大きくはない透明感のある歌声が、朝の空気を微かに震わせる。するとそれまで聞こえていた鳥の鳴き声が、ピタリと止む。まるで歌の邪魔をするまいと言わんばかりだ。


 そんな中、ルイスの耳朶を打つのは、彼女の歌声の他、水のせせらぎと葉を揺らす微かな音のみ。それに目を閉じて耳を傾けていた彼だったが、不意にその目を開けば、彼女の肩を叩いて言った。


「リオン、悪いがここまでだ」


 小声で告げられた言葉、そして真剣な彼の表情を見たリオンは、頷くと水袋を手に立ち上がる。そんな彼女を手早く愛馬に乗せれば、ルイスはその後ろに飛び乗り、黒馬を駆った。


 そうして、彼らがその場を離れて間もなく、茂みを掻き分ける音が響く。そこから顔を覗かせたのは、腰に直刀を差した二人の男だった。やや小柄な男が首を傾げつつ口を開く。


「おかしいな。確かに声が聞こえたはずなんだが……」

「もしかしてあれか?」


 もう一人のひょろりとした男が指した方向には、獣道を駆ける黒馬と手綱を握ったルイスの後ろ姿。すでに遠のきつつある彼らの姿を見て、小柄な男の口から舌打ちが漏れる。


「ちっ。あの遠さじゃ追い付けないか。せっかくの食糧が……」

「どちらにせよ、そろそろ出発の時間だ。行くぞ」


 そんな会話を交わし、二人が元来た道を辿った先にいたのは、およそ中隊規模の男たち。彼らが身に纏うのは、紺色の軽装に毛皮のマント。その腕には緋色の生地に三日月が刻まれた腕章、マントには複十字と蛇の文様が刻まれている。


 彼らと二人の男が合流すれば、間もなくその集団はルイスたちがやってきた方向、東に向かい行軍を始めたのだった。


***


 時を同じくして、神殿の祈り場では、巫女と神官たちがざわめいていた。そんな中、祭壇中心で唖然としている蜂蜜色の髪の巫女に、一人の巫女が声をかけた。


「ミリー今のって……」

「ええ。月巫女さまのお力、だったと思う」

「やっぱり、ミリーもそう思うのね」


 彼女――ミリーの言葉に、桃色の髪の巫女は頷きながら言葉を続けた。


「普段ほどでもなく、短かったけれど、それでも祈りを紡ぐ余裕があるのなら、浚われたわけではない、のかな……?」

「たぶん違うと思う。だって、彼は月巫女さまをその身を挺してお守りした方だもの。何か事情があったんじゃないかしら。近頃、物騒なことが続いているし……」


 そこまで言ったところで、ハッと目を見開いてミリーは辺りを見回した。彼女が見たのは、いつの間にかシンと静まり返り、二人の会話に注視する神職者たちの目。それらにやや尻込みをしつつも、彼女は意を決した様子で口を開いた。


「私がそう信じたいだけかもしれない。それでも私達にできるのは、月神さまへ祈ることだけ。ならば、私たちは祈りを捧げるのが一番いいのではないかと思うの。国のために、そして、お二人が無事神殿へ戻って来られるように」


 微かに震える彼女の声が、祈り場に響き消える。そんな彼女の言葉に対し、静まり返った中から、一つの声が上がる。


「私はミリーの意見に賛成だわ。月巫女さまが、外でも祈りを捧げてるのは、みんなだって感じたでしょう? ならば、私たちは私たちの役目を全うすべきよ」

「ソフィア……」


 ミリーに声をかけた巫女――ソフィアは、露草色の目を細め、しっかりと頷き返す。そんな二人の様子に感化されたのか、同意を示す声が徐々に広がっていく。中には納得は行かない様子の者もいたが、己の役目を全うすることに関して、異を唱える者はいなかった。


 そうして、ほんの僅か前までざわめき立っていた祈り場に、祈りの歌声が響き出す。その様に、祈り場の外で成り行きを見守っていた騎士たちは、ホッと息をつき、その声に耳を傾けたのだった。


 神殿に響くその歌声は、中央にある執務室にも微かな旋律となって響く。そんな中、執務机越しに無言で相対していたのはグレンとアルバートだ。その沈黙を破ったのは、やや困惑した様子のアルバートだった。


「月巫女さまの捜索に、騎士団長が直々に出向くと?」

「ええ。今回の不始末は私の監督不行き届きでもありますし、あれの腕は確かですので」


 淡々と返された言葉に、彼は目線を下げてしばし考え込む。やや間を置いて、再び真紅の瞳を見返せば、目を眇めて問いかけた。


「いつ出立を?」

「聖都に行かせた者達の報告次第にはなりますが、早ければ明日にも」

「……承知した。神官長には私から伝えよう」

「よろしくお願いいたします」


 そう言って、グレンは一礼すると踵を返し、執務室を後にした。それを見送れば、一人残されたアルバートの口は、にやりと弧を描いたのだった。


***


「ダメ、止めてっ!」


 そんな叫び声と共に、がばりと起き上がったのはエマだ。荒い呼吸を繰り返す彼女の頬を、大粒の汗が伝う。


 そこへやってきたのは、彼女の叫び声を聞き付けた若い医官。起きている彼女を見るや否や、彼は慌てて駆けていく。


 医官の反応に訝しむ彼女が窓の外を見れば、太陽がもう間もなく中天にかかろうとしていた。それを見、自身の纏う病衣と消毒薬の匂いに、彼女が眉根を寄せたときだった。


「おお、エマ殿。よかった、目を覚まされたんじゃな」

「パチル様……?」


 間仕切りカーテンを開けて入ってきたのは、気を失う前、彼女が守ろうとしていた白髪の老医官。困惑げに見上げる彼女に、パチルは言った。


「襲われて倒れてから、お前さんはずっと眠り続けておったんじゃよ」

「え……。私、どのくらい眠っていたんですか?」

「だいたい七日ほどかの」

「そんなにですか!?」


 彼が告げた事実に、エマの口から素っ頓狂な声があがる。それに対し、彼女は慌てて自身の口を両手で覆う。その手を外せば、彼女は恐る恐る問いかけた。


「月巫女さまのお世話は今誰が……?」

「それなんじゃが……」


 パチルが告げたのは、彼女が倒れてからあった出来事で、彼の知りうる全てだ。事のあらましを聞き終えた彼女の琥珀色の瞳が、戸惑い揺れる。


「嘘、ですよね? 月巫女さまとルイス様が行方不明なんて……」

「残念ながら事実じゃ。クリフェード卿が(かどわ)かしたのではないか、そんな噂も流れておってな。ディオス卿は共犯の疑いで地下牢に捕らえられているそうじゃ」

「そんな……」


 顔色を失くす彼女の様子に、鈍色の瞳が痛ましげに細められる。そんな中、ハッとした様子で、彼女はパチルを見上げて問いかけた。


「ヤヌス団長は今どちらに?」

「団長殿なら、隊を率いて直々に二人を捜索に行くそうでな。今、出立の準備を……って、その体でどこに行くつもりじゃ!」


 彼が泡を食った様子で声をあげた先で、急に立ち上がった彼女の体がフラリと傾く。すんでのところで若い医官が支え、事なきを得た彼女は、ベッドに腰かけ直す。血の気の失せた顔で、彼女はパチルを見上げて言った。


「伝えなきゃいけないことがあるんです」

「ここに来てもらう訳にはいかんのかね?」

「それは……」


 彼の指摘に対し、エマの琥珀色の瞳が彷徨い揺れる。口ごもる彼女の様子に、パチルは小さく息をついて言った。


「やれやれ、儂としてはもう少し自分の体を省みてほしいんじゃがのぅ……」


 ため息交じりに告げられた言葉に、エマは気まずげに視線を落とす。思い詰めた様子で、両手を握りしめる彼女を見て、パチルは顎に手を当てて言った。


「そうさのう……。無茶をしないのならば、半刻くらいは許可を出しても構わんが」

「本当ですかっ!?」


 思いがけない言葉に、ガバッとエマの顔が上がる。喜色を浮かべた彼女に、パチルは真顔で告げた。


「ただし、条件を達成できたらの話じゃ」

「条件、ですか?」

「そうじゃ」


 彼の言葉に、エマがごくりと息を呑む。緊張した面持ちで身構える彼女に、彼は好々爺然とした笑みを浮かべて言った。


「しっかりとご飯を食べること」

「え……」


 彼の言葉に、意表を突かれた様子で目を瞬かせれば、彼女は恐る恐る問いかけた。


「それだけ、ですか?」

「それだけとは心外じゃな。水分は注射で補っておったが、七日も食べていない状態なんじゃぞ? そんな状態で動こうものなら倒れに行くようなものじゃ」


 彼の言葉に呼応するかのように、彼女の腹の虫が盛大に鳴く。顔を真っ赤に染め、お腹を押さえた彼女に、彼はからりと笑いながら言った。


「結構結構。今準備をさせとるところじゃ。それまで辛抱してもらえるかの?」


 そんな問いかけに、エマは消え入りそうな声で『よろしくお願いします』と答えたのだった。


挿絵(By みてみん)

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