48.巫女の出生
※ 文章の終わりにイメージイラストがあります。
リオンとルイスがカーティスの家へ向かう頃。一方、神殿の医務室では戸惑う声が響く。
「月巫女さまと隊長が行方不明……?」
そう発したのは、枕を支えに上半身を起こしたグレッグだ。肩甲骨辺りまである長い胡桃色の髪を下ろした彼は、ガーゼが貼られた頬をひきつらせて絶句した。
それは、彼同様にベッドの住人と化しているオルコット隊の騎士たちも同様だ。その場にいた騎士たちの中で唯一落ち着いているのは、彼らの前に立つグレンだけだった。
そんな中、口を開いたのは飴色の髪の騎士――ハリーだ。
「戦いの跡などは?」
「ない」
「ということは、月巫女さまがご自分の意思で、或いはルイスさんが……?」
「その線が高いだろうな」
否定もせず、グレンは淡々と告げる。彼の様子に、グレッグ以外の騎士全員が訝しげに眉を寄せるも、言葉を発するものはいない。静かに耳を傾ける彼らに、グレンは続けた。
「明日、捜索範囲を聖都まで拡げるが、それでも見つからないようであれば、捜索隊を編成し、範囲を拡大する予定だ」
「そう、ですか……」
ハリーが絞り出した返事以外の声はなく、それぞれが思案顔で考え込む。そんな彼らと、そして毛布をきつく握りしめて俯いたグレッグを一瞥し、グレンは告げた。
「万が一のため、捜索範囲拡大の際はオレも陣頭指揮のために出る。ネルソン隊とオルセン隊を残して行くつもりだが、いざと言うときはハリー、頼めるか?」
「勿論です。オレを含め、オルコット隊の大半は毒による後遺症もありませんので、お任せください」
「頼んだ。オレからの話は以上だ。引き続きお前たちは回復に努めるように」
一人を除き、ベッド上で騎士たちが略式の敬礼で応じる。承服しなかった一人――グレッグは、体を前のめりにさせながら口を開いた。
「団長、私も……!」
「グレッグ、お前も待機だ」
「何故ですか!?」
納得行かない様子で声を荒げるグレッグに対して、ハリーが口を開こうとする。しかし、それを片手で制したグレンは落ち着いた様子で言った。
「パチル殿から、お前が満足に戦える状態まで、もう数日かかると聞いた。よって、お前は事が済むまでオルコット隊と行動を共にするように」
暗に告げられた戦力外通告に、グレッグは悔しげな顔を隠しもせず、ぎりっと唇を噛んだ。毛布をきつく握りしめた彼が俯き、振り絞るように吐き出したのは、一つの問いかけ。
「ディオス副官は、どうされてるんですか?」
「アイツは今地下牢だ」
何の感情も帯びずに返ってきた答えには、グレッグだけではなく、他の騎士たちも目を見張る。息を呑んだ彼らの耳に、淡々としたグレンの言葉が響く。
「ルイスとの付き合いも長く、二人に最も近しい人間だ。それを知る神官たちの間では、共犯ではないかという噂も流れている。本人は知らないの一点張りだが、それで周囲は納得しないだろう」
彼の言い回しに、グレッグは恐る恐るといった様子で問いかけた。
「団長は、信じているんですか?」
「立場上、明言は避ける。だが、理由もなく不誠実を働く二人でない。誰が何と言おうとも、それだけは信じている」
そう断言したグレンに対し、やや間を置いてグレッグが返したのは、了承を伝える敬礼だった。
グレンが退室すると、ハリーを始めとしたオルコット隊の動ける者たちは、医官と共に機能訓練室へと向かう。そうして、グレッグと、未だ目覚めぬエマ、他数名の騎士と医官だけが医務室に残された。
そんな中、グレッグは苛立たしげに窓の外を見上げる。広がるのは青みを帯び始めた木々と春の青空。水色の空に漂う雲を見つめ、彼は小さく呟いた。
「どこまで愚かなんだ、あの人は……」
それは本当に微かで、彼以外の耳に届かず、消えていったのだった。
***
その頃、リオンとルイスはと言えば、こじんまりとした三角屋根の古びた建屋――カーティスの自宅にいた。ローブを脱ぎ、がたつく椅子に腰かけたリオンが見守る中、ベッドの端に腰かけたカーティスがシャツを脱ぐ。
そこには治りかけの痣や生傷などが数知れず、リオンは目を見開き口元に手を当てた。間近で見ていたルイスは、眉を顰めつつ、桶の水中にある麻の布を絞りながら言った。
「この怪我、昨日今日だけじゃないようだが……。まさかさっきのは日常茶飯事なのか?」
彼の問いに、カーティスは力なく苦笑を浮かべる。言葉こそないものの、それは沈黙の肯定。そんな彼の傷口に、固く絞った布をそっと当てて汚れを落としながら、ルイスは口を開いた。
「不躾でなんだが、他所に移らないのか?」
「いや、いいんだ。これは私に与えられた月神さまの罰だから」
「月神さまの……罰?」
戸惑うリオンの声と、訝しむ翠緑色の視線が家主へと向かう。そんな二人にカーティスは、時折染みる痛みに顔を顰めつつ言った。
「私は昔、月巫女さまが生まれた村に住んでいたんだ」
彼の言葉に二人の目が大きく見開かれる。ルイスはハッとした様子で、止まっていた手を動かす。それを受けつつ、彼はどこか遠くを見つめるように続けた。
「こことは違って店なんて一つしかない小さな漁村だった。みんなで漁をし、畑を耕して生活していたんだ。唯一、腕のいい医者が一人居たことが、村の自慢で誇りだった」
「だった……?」
「私たちは己の保身から、その誇りを自ら踏みにじって、何もかも失った。その罰が現状さ」
そう言って、カーティスは眉尻を下げて苦笑いを浮かべる。そんな彼に対し、やや間を置いて、リオンが問いかけた。
「一体何が……?」
「しょうもない懺悔になるが、それでも構わないかい?」
彼の問いかけに、迷いなくリオンの首が縦に振られる。彼の小豆色の瞳が、包帯を手にしたルイスへと向くが、それに対して返るのも同じもの。
そんな二人の反応に、カーティスは包帯を巻かれながら、やや視線を落とし、静かに語り始めた。
「月巫女さまはな、その医者の娘としてお生まれになったんだ。彼も彼の妻も、村のみんなから慕われていたし、私もその夫婦と親しかった。月巫女さまがお生まれになったとき、それとは知らずともみなその誕生を祝ったものだ。だが……」
そこで言い淀んだ彼は、眉根を寄せ、思い詰めた様子で続けた。
「灰色の目の神官さまが神殿から来て、その娘が月巫女さまだとわかってから、全てが狂ったんだ。村のみんなも、私も……」
「狂った、とは?」
固く両手を握りしめ、緊張気味に問いかけたリオンに彼は言った。
「私たちは『娘が神殿に行けば民がみな幸せになれる』と神官さまから聞いた。そして、あろうことか、その医者夫婦に迫ったのだよ。『子ならまたもうければいい、国のために神殿へ差し出せ』と」
その言葉に瑠璃色の瞳が凍りつく。ルイスの包帯を巻く手も一瞬止まりかける。そんな二人の反応に、カーティスは『愚かだろう?』と自嘲気味に笑みを浮かべた。
「医者夫婦は頑として受け入れなかったよ。今にして思えば、当然の話だ。医者の妻は体が弱く、最初のお産すら乗り切れるかどうかだったというのに、二人目など……。だが、自分たちのことしか目が行かなかった私たちは、彼らにきつく当たった。そして、いつまでも頷かない二人に、私たちはますます苛立ちを募らせていったんだ」
包帯を巻き終えたルイスに礼を言うと、彼はシャツに袖を通し、居ずまいを正して続けた。
「そんなある日のことだったよ。彼の妻が殺され、月巫女さまが姿を消したのは……」
「殺、された……?」
「ああ。誰が殺したのかはわからない。だが、当代の月巫女さまが二人の娘ならば、連れて行ったのは恐らく神官さまだったんだろう、と私は思っている」
彼の告げた言葉に、二人は息を呑む。目を見開いた二人に、彼は淡々と語り続ける。
「自宅に帰ってそれを見つけた医者は怒り狂い、月巫女さまを探しに行こうとした。だが、それを私たちは阻み、五年もの間、彼を村の奥に閉じ込めた」
「……五年後、その医者は……?」
やや緊張した声音で問いかけたのはルイスだ。
「酷い嵐の日、彼を閉じ込めていた木の檻が落雷で燃え、そこには何も残っていなかった。そのすぐあと、村が野盗に襲われ、みんな散り散りになったのもあって、彼に関しては鎮魂の儀もできず終いだ」
「そう、ですか……」
緩く首を横に振るカーティスに、翠緑色の瞳が彼女をチラリと振り返る。やや顔色を失いつつある彼女の両手は、きつく握りしめられ白くなっていた。
そんな彼女からカーティスに目を戻せば、ルイスは彼を真っ直ぐ見つめて問いかけた。
「では、あなたは月巫女さまのご両親に対する咎で、月神さまが罰として現状をもたらした、と?」
彼のその問いに返されたのは無言の首肯。頷いた彼は自身の両手を見つめて言った。
「今も時折、彼の夢を見るんだ。『謝るのなら今すぐ妻と娘を返してくれ』と叫ぶ彼を、ね」
今にも泣き出しそうな様子で、男は震える両手を握りしめる。そんな彼にルイスはかける言葉を探すも、音にはならず、沈黙が漂う。
そんな中、カーティスは苦笑を浮かべて言った。
「すまない、こんな話、するべきではなかったね」
「いえ。聞きたいと申し出たのはオレたちの方ですから……。ちなみにですが、その夫婦の名は、何と言うんですか?」
「ライルとアンナだ。二人とも春のように暖かな人でな、フローレスの家名を体現したような夫婦だったよ」
彼の口から飛び出した名前に、リオンとルイスの双貌が大きく見開かれる。驚きを隠せずにいる二人に、カーティスは不思議そうに目を瞬かせた。
目を白黒させて戸惑う彼に、リオンはやや掠れた震え声で問いかけた。
「その二人のお姿は、どのようだったのですか?」
「ライルはお嬢さんと似た青い目に栗毛の偉丈夫。アンナは空色の目に海のような青い……」
そこまで言ったところでカーティスの言葉が途切れる。彼の目が凝視するのはリオンの顔。それが意味するところに、ルイスは目を細めると、やや低めの声音で口を開いた。
「彼女の顔に何か?」
「い、いや……。不躾に申し訳ない」
ハッとした様子でカーティスはルイスを振り返り、彼の目から逃げるように視線を逸らす。リオンに謝罪を告げる彼を、ルイスが思案顔で見つめる中、彼女はさらに問いかけた。
「最後に、もう一つだけ聞いてもいいですか?」
「はい」
「あなたは月巫女……さまを恨んではいないのですか?」
「え……?」
彼女の言葉に、心底戸惑った様子でカーティスは目を瞬かせる。そんな彼に、リオンはやや視線を落とし気味に言った。
「月巫女さまがもっと早く祈りを捧げていたら、村が襲われることも、故郷を追われることもなかったかもしれない。そうは思わないのですか?」
「……いいえ」
静かに返ってきた言葉に、ゆるゆるとリオンの顔があげられる。不安げに眉尻を下げた彼女の前で、カーティスは両膝を床につけしゃがみ込む。両手を胸の前で合わせ、祈るように彼女を見上げて彼は言った。
「むしろ私は、月巫女さまに申し訳なかったと謝りたい。生まれたばかりのその身に、身勝手な私たちの願いを押し付けてしまったことを。そして、叶うのならば、二人の分まで幸せになってほしい。そう心から願っております」
真っ直ぐな言葉を受けた瑠璃色の瞳が大きく揺れる。次いで彼女はカーティスの両手に自身の両手をそっと重ねた。そして、透明な雫を静かに溢しながら、小さく『ありがとう』とだけ告げたのだった。
四半刻と経たず、ローブを着込んだルイスとリオンに、カーティスは火打石を鳴らし、切り火を切って言った。
「道中お気をつけください。お二人に月神さまのご加護がございますよう、祈っております」
「ありがとうございます。カーティスさんもお身体お大事になさってください」
ロングスカートの裾を摘まんで、頭を下げたリオンの隣で、ルイスがじっとカーティスを見つめる。その視線に対し、彼は微笑み、しっかりと頷き返す。それを見たルイスは深々と頭を下げた後、リオンと共に彼の家を後にしたのだった。
街に点在する店や露天商で、必要な食糧や水袋などを買い込んだ二人が最後に向かったのは、街の中心部。そこには、大きな木製の掲示板があり、ルイスはリオンを伴い、そこへ真っ直ぐ向かった。
そこには、誰か宛のメモや、探し人やペットの似せ絵がところ狭しと貼られている。そんな中、やや空いた隅の方に、メッセージカードを一枚、彼は鋲で固定した。
無地の白いメッセージカードに書かれたのは次のような文章だ。
「ラルドからネットへ
た3あ2さ4か2は1な1さ2
な2さ2か4あ2や3だ4
は2ま2た3か2た2は4
ここで待つ」
それで用事は済んだのか、彼はリオンの手を引き、街の外――正確には黒馬が待つ馬小屋へ向かい歩きだした。そんな彼に引かれつつ、リオンはそっと問いかけた。
「ねぇ、ルークス。さっき貼ったのは何?」
「あとからここに来るだろう人への伝言」
「ちんぷんかんぷんなのに?」
「理屈がわかればそう難しくもない暗号だし、意味を正確に理解できるのは一人だけだから、あれでいいんだよ」
じっと請うように、瑠璃の双貌が彼を睨めつけるが、彼はニヤリと笑うばかりで答えない。少なくとも、今答える気がない様子の彼に、彼女は小さく息をついた。
「私だけわからないのシャクだから、あとでちゃんと教えてね?」
「わかったよ」
そんな会話を交わしつつ、二人は街を後にしたのだった。
***
それから約一刻ほど経ち、空を宵闇が覆い始める頃。薄暗い森の街道から少しも離れた獣道を、二人を乗せた黒馬が駆けていく。
無言が続く中、リオンは背後にいる彼を振り返り、問いかけた。
「ねぇ、ルイス。ルイスとリックの前に私を守ってくれてた人が、私の本当のお父様……だったのかな?」
彼女の問いに、ルイスはやや考え込むも、さほど間を置かずに言った。
「前任者のライル=フローレスと同一人物なのか、同姓同名の別人なのかはわからない。せめて容姿だけでも思い出せたらとは思うが……」
頭を掻きながら、彼は難しげな顔で唸る。そんな彼のローブを握り、彼女はすがるように見つめた。
「でも同じなら、生きてるかも……しれないんだよね?」
「リックが逃がした後の足取りはわからないが、可能性はある。それに……」
「それに?」
「実の父親だとしたら、お前を浚おうとした理由も想像がつく気がする」
彼の言葉に、彼女は訝しげな顔で首を傾げる。『どういうことか』と言わんばかりに見つめる彼女に、ルイスは言った。
「エマから聞いた記憶と合わせた推測になるが。たぶん月神の花嫁の件を知って、お前をどうにか逃がそうとしたんじゃないか、と思う。騎士としてではなく、父親として」
「……そっか。そうだと、いいな」
そう言って泣きそうな顔で、彼女は星空を見上げる。そこへ彼女の視界を横切るように、薄紅色の花弁が舞う。
「あ、桜……」
「そういえば、さっきの街でも咲いてたな。……何か気になるのか?」
切なげな様子で、花弁が消えた方を見つめる彼女に、ルイスは眉を寄せる。気遣わしげな彼に、彼女は視線を落として言った。
「グレッグとのお花見の約束、叶うのかなって……」
彼女が告げた言葉に、翠緑色の瞳が瞠目する。彼は目を瞬かせながら、呆気に取られた様子で口を開いた。
「お前の中でまだ生きてたんだな、それ」
「グレッグは嫌がるかもしれないし、迷惑かもしれないけど。今の私がグレッグのためにできそうなこと、それくらいしか思い浮かばなくて……」
そう言って、力なく笑うリオンに対し、彼はしばし黙考して言った。
「アイツがしてきたこと全ては把握してないが、それでもかなり厳しいと思うぞ?」
「それでも私、諦めたくない」
「なら納得できるところまで頑張れ。オレもできることは手伝う」
彼の言葉に目を見開くも、彼女はふわりと破顔し『ありがとう』と返した。その後、ぽすっと背中をルイスの胸に預ければ、彼女は再び空を見上げ、ポツリと口を開いた。
「グレッグ、怪我の具合良くなってるといいなぁ。エマも、そろそろ目を覚ましてるといいんだけど」
「……そうだな」
残してきた者たちへそれぞれが想いを馳せる二人を乗せ、黒馬は夜の街道をひたすら西へと駆けて行ったのだった。
暗号文のヒント:オスト語のひらがなは、日本語の50音順と同じです。




