40.一寸先の闇と光
※ 文章の終わりにイメージイラストがあります。
――モール達の始末は滞りなく。
刺すように冷えた夜気を震わせて届いた言葉。その内容にルイスの全身が、凍り付いたように強張る。それに反し、彼の鼓動は煩いほどに早鐘を打ち、その速度を徐々に上げていく。
しかし、そんな彼の存在に気付いていない二人は、それに構うこともなく口を開いた。
「鍵は?」
「こちらに」
その単語に、ルイスは木々の合間から、そっと二人を盗み見る。そんな彼が見たのは、満月の光を受けてキラリと光る銀色の鍵。それはほんの少し前に、彼が目にしたものと酷似していた。リオンからそれを借り受けるリックの姿が、ルイスの脳裏を過る。
そして、それを凝視していた彼の視界に入ったのはそれだけではなかった。ルイスに向けられた背はそのままだが、物を手渡すため互いを振り返った二人の横顔が彼の瞳に映る。
片方は冷え冷えとした紫の目を持つ中性的な顔立ちの少年。それはルイスの隊に入って間もない年下の騎士、グレッグだった。
それに対するもう一人は、青みがかった灰色の目とモノクルが光る中老の神官。ルイスに謹慎を申し渡した際と変わらない、神経質そうな目を細めた彼――ロウ副神官長は、グレッグに問いかけた。
「証拠はどうした?」
「焼き捨てました」
「そうか。お前にしては上出来だ」
感情の篭もらない坦々とした返答に、彼は藍鼠色の目と口元に弧を描く。それに相対するグレッグは、黙って聞くのみで微動だにしない。
だが、副神官長はそれを気に留めた様子もなく、銀色に輝く満月を見上げて言った。
「あとは月巫女さえ、余計な思想なぞ持たず、役割を果たすことのみ考えてくれればいいのだが」
普段、月巫女様と呼んでいた彼のその言葉に、ルイスの眉が顰められる。しかし、徐に振り返るグレッグの様子に、彼は再び木の影に身を隠し、息を潜めた。
「どうした?」
「いえ、何か感じた気がしたのですが、気のせいだったようです」
首を左右に振る彼に、副神官長の眉根が寄り、額の皺が僅かに深まる。
「お前はあとの二人のように気配を感じ取れないのか?」
「殺気があれば感じ取ることは可能です。しかし、殺気のない相手の気配に関しては、私を含め、ほとんどの騎士が難しいです。それができるのは、騎士団内でもせいぜい団長とあの二人くらいです」
その返答に、副神官長の口から僅かに苛立ちを帯びたため息がこぼれ落ちる。そんな彼の様子に、グレッグは表情を窺うようにおずおずと切り出した。
「時にアルバート様。余計な思想とは具体的にはどのようなものですか?」
「知れたこと。あの小娘が、小娘であるが故に抱く感情全てだ」
「感情全て、ですか……?」
副神官長――アルバートの言葉に、グレッグの紫紺の瞳が戸惑いに揺れる。それを見たアルバートは狂信的な笑みを浮かべて言った。
「お前は建物の土台に、感情が必要だと思うか?」
「それは、思いませんが……」
「それと同じことよ。国の礎となる歯車に感情など不要なのだ」
そう言った彼は、両腕を大きく開いて、小さな広場の中央に大仰な仕草で歩を進める。そして、その手を恭しく望月へ掲げると、うっとりと酔いしれた様子で言った。
「あの小娘は紛れもなく、月神があの方のために遣わした御使いだ。あの方が作る理想の国の礎となるために遣わされたものなのだ。だというのに……」
そこまで言ったところで、アルバートの顔が醜悪なものへと歪んでいく。その顔を月から隠すかのように、俯き片手で顔を覆った彼は、苛立ちを露わに言った。
「護衛騎士など、使い捨ての駒に過ぎないモノのために、その身を他人の血で穢すなど……。このままではいつか、純潔と共に巫女の力すら失いかねん。全く頭の痛い話だ」
忌々しげに紡がれたその言葉に、ルイスは唇を噛みしめ、両手を固く握りしめる。そんな彼の拳は、皮膚や爪が薄ら白むほど、怒りできつく握りしめられていた。
そんな中、グレッグが静かに、アルバートの演説に似た話に割り込む。
「もし彼女がそうなった場合は、どうなさるおつもりなのですか?」
「最悪、その身を以て国の盾となってもらう。神の愛娘とも呼ばれる月巫女。そして、空位となっている先見の巫女は、魔神を崇めるヴォラスにとって、この世で最も忌むべき存在だからな」
彼のその言葉に、怒りで血が上っていたルイスの顔から、血の気が引いていく。それは、今にもザァッと音が聞こえてきそうなほどの勢いだった。
そんな彼の脳裏を過ったのはリオンと共に笑うエマの姿。そんな二人の姿は次の瞬間、赤で塗り潰され、ひび割れる。そのイメージを振り払うようにルイスは頭を振った。
それを知る由もないアルバートは滔々と語る。
「あくまでも最終手段ではあるがな。あの祈りの力は国のために必要不可欠なものだ。だからこそ、それを防ぐためにお前をあそこにねじ込んだんだ。剣を習わせてやった分、しっかり働いてもらわなくては困る」
「期待に沿えるよう努力いたします」
グレッグの返答にアルバートが満足げに頷く一方で、ルイスの口からホッと安堵の息が小さく漏れる。だが、あとに続けられた言葉に、その安堵も呆気なく崩れ去る。
「では、早速次だが。お前は隙を見てこれを月巫女に飲ませるんだ」
「これは何ですか?」
「忘却水だ。ただし、何も混ぜていない原液だがな」
「忘却水の原液……」
ルイスがそっと窺い見れば、白磁の小さな小瓶を、困惑した様子で手にするグレッグの姿があった。その白磁の小瓶の蓋は、赤いシーリングワックスで厳重に封をされている。それを見たルイスの端正な眉が顰められる。
当惑気味なグレッグの視線が、小瓶とアルバートの間を往復する。そんな彼にアルバートは、僅かに呆れを滲ませながら言った。
「本来は特定の記憶を消すために用いられるものだが、原液を飲ませる場合は、全ての記憶に作用するのだよ」
「全て、ですか?」
「ああ。今までの記憶は全て消え、白紙と化す。まるで無垢な赤子のようにな」
その言葉にルイスは、口元を手で抑え、木陰に身を隠す。太い幹に背を預け、俯いた彼の顔は、今にも吐きそうなほどに真っ青だった。その間も二人の会話は続く。
「それには一人分の量、だいたい匙二杯分が入っている。だが、一気に飲ませるな。それを数滴ずつ飲ませ、じわじわと消していくのだ」
「しかし、少しずつとは言え、記憶を失っていけば、隊長たちが異変に気付くのでは……?」
「そのときは全員理由をつけて遠くへ飛ばし、始末するまでのことよ。あの下賎の輩同様にな。そうして、全て真っ白になったあの小娘に、再教育を施せばこちらのものだ」
クツクツと嗤うアルバートの顔に、罪悪感の色などは一切ない。しかし、落ち着かない様子で彷徨う紫水晶に、彼は興味深げな様子で言った。
「しかし、お前があれこれ口を出すとは珍しいこともあるものだな。月巫女に絆されでもしたか?」
「いえ、そんなことは……」
「それもそうか。月巫女の祈りのおかげで命を拾い、それがなかったが故に姉を亡くしたお前には愚問だったな」
その言葉にルイスは、ハッとした様子で振り返り、木陰からそっとグレッグの顔を見つめる。俯きがちな彼の成熟しきっていないその顔に、もう少し幼い顔立ちの少年の顔が薄らと重なる。そんな彼の脳裏を過るのは、リックの声。
――グレッグはもしかしたら、昔オレたちと会ってるかも。リオンが月巫女として祈り場に立つようになった頃だから六年、いや、あと数ヶ月で七年かな。オレたちが間に合わなくてほぼ全滅した村のこと、覚えてない?
それに対し、身を潜めたルイスの顔に浮かぶのは、悲しみの色が混ざった怒り。『忌々しい公爵がしゃしゃり出てさえ来なければ……』と錆びた声が苛立たしげに悪態を並べ立てる中、ルイスの右手が音もなく腰の左へと伸びる。
冷え切った光を目に宿し、剣の柄を握り締めたとき、彼の視界に入るものがあった。それは、はらりと肩から垂れた彼のマフラー。音もなく風に揺れるそれに合わせ、金糸で象られた歪な三日月と【L to L】の文字がはためく。
それを目にした瞬間、ハッとした彼の瞳にいつもの光が戻る。そして、落ち着けるように小さく深呼吸をすると、彼は柄にかけた手を離した。
「何にせよ、今回もいい働きを期待しているぞ。いざという時も、な」
「はい」
そんな会話で締めくくり、グレッグとアルバートは来たとき同様、周囲を気にしながらも闇の中へと姿を消した。それを見送り、しばらく息を潜めていたルイスは、隠し通路の扉があるだろう場所へ移動すると、三回手の甲で叩く。
そうして、金属音と共に再び隠し通路の入り口が姿を見せ、リックがルイスを見上げる。つい先ほどまで飄々としていたその顔は、微かに青ざめ、眉を顰めている。リックの背後には、階段下で両手をギュッと握りしめ、唇まで真っ青にさせて俯くリオンの姿。
そんな二人の様子に、ルイスは眉尻を下げて言った。
「聞こえないわけ、ないよな……」
「ごめん。さすがにこれはオレも予想してなかった」
申し訳なさそうに眉を寄せるリックに、ルイスは軽く肩を叩くと、通路の中へ体を滑り込ませ、リオンの元へと降りていく。その背後では、リックが扉を閉め、施錠する音が通路に響く。
固く合わされたリオンの手を、ルイスがそっと解かせれば、彼女は震える声でやっと言葉を発した。
「モールって私の部屋でルイスが捕まえた人、だよね?」
「……そうだ」
「その人を始末ってどういうこと? あの声にアルバートって、副神官長さまでしょ? それに一緒にいたもう一人の声って、グレッグじゃないの?」
矢継ぎ早に投げかけられた問いに、彼は眉を寄せ、口を真一文字に結ぶ。迷いの色が浮かぶ翠緑色の瞳を、瑠璃色の瞳が見上げる。僅かに不安の色を宿しながらも、真っ直ぐ見上げてくる彼女の目に、ルイスは小さく息をついた。
「モールは数日前、牢の中で何者かに殺されたんだ」
「え……?」
彼が告げた言葉に、リオンの瞳が瞠目する。そんな彼女の反応を見つつ、ルイスは頭を掻きながら続けた。
「オレが内々に犯人を調べていたんだけどな。こんな形で犯人が判明するとは思わなかったし、ましてや、それがグレッグとは……」
「どうして副神官長さまとグレッグが?」
「恐らくにはなるが、あのときモールを神殿内に手引きしたのが二人。あの様子だと副神官長が主犯で、実行はグレッグだったんだろう」
「そんな……」
彼の言葉に、リオンの視線が揺らぎ、足下へ落ちていく。ルイスはそんな彼女をそっと胸に抱き寄せ、労るように優しく撫でた。
そこへ、何かがコツンと落ちる音が響く。その音に、ルイスはハッとした様子で慌てて彼女の体を引き離し、背後をそーっと振り返った。そこには、二人に対し中途半端に背を向けたリック。彼は申し訳なさそうに苦笑いを浮かべながら、顔の前に片手を立てていた。
そんな彼の様子に、頬を赤らめたルイスの口から、わざとらしい咳払いがこぼれ落ちる。そうして、素知らぬ顔でリックに近付くと、彼は今後について相談を始めたのだった。
時間にして僅か数分。その間を使い、二人が話のすり合わせを終える頃、ルイスのマントがくいっと後ろへ引っ張られる。その感覚にルイスが振り返れば、マントの裾を掴んだリオンが、躊躇いがちに口を開いた。
「ねぇ、ルイス。気になることはいろいろあるんだけど、一つだけどうしてもわからないことがあるの」
「なんだ?」
「ジュンケツって何?」
「……え」
リオンの言葉に、騎士二人の声が綺麗に揃う。微かに濁点を伴い響く口調まで全て、だ。彼らは目を見開くと、互いに相棒を見やる。リックがルイスを促すように見つめるも、顔を真っ赤にしたルイスがギョッとした様子で首を横に振り、困り顔で見返す。そんな彼の様子に、小さくため息を漏らしつつ、リックはリオンに問いかけた。
「えーっと、リオン。エマからは恋が成就した巫女のその後の話って聞いてないの?」
「好きな人と両想いになったら、巫女は神殿の外へ出ることになってるっていうのは聞いたよ?」
「どうしてそうするかは?」
それに対し、リオンはフルフルと首を左右に振る。否定を返す彼女に、リックは頭を掻くと、困り顔でルイスを振り返り言った。
「ここから先は、エマが一番適任なんだろうけど、さすがにオレから話すのはあれだから、あとはお前に任せた」
「ちょっ……!?」
「とりあえず、戻りながらの方がいいだろうし、道中説明よろしく」
有無を言わさずに言い切ると、リックはルイスの返答を待たず、手持ちランプを片手に歩き出す。唯一の灯りを持つ彼と距離が少し開くだけで、リオンとルイスの背後から深い闇が迫る。
それに対し、ルイスは彼女の手を取ると、微かに慌てた様子でリックの背を追いかけ始めた。そんなルイスをじっと見上げつつ、リオンは手を引かれるままに歩を進める。そうして、やや間を置くと、言葉を探すように『あー……』と声を上げたルイスが、顔を赤くして言った。
「巫女はその……副神官長が言ってたように、純潔を失うと祈りの力を失うんだそうだ。これはリオンだけじゃなく、エマや他の巫女にも同様のことが言えるらしい」
「そうなの?」
「オレたちは少なくてもそう聞いてる。神殿の騎士は、オレたち二人を含め、巫女が望まずそうなることを防ぐためにいるんだ」
リックの灯りを頼りに、足下を注意深く確認しながら、リオンをエスコートしつつルイスは静かに続ける。
「だが、恋が成就して関係が深まれば、オレたちが守る守らないに関わらず、いずれ純潔は失われる。それで昔から、男と想いを交わした巫女は、神殿を出る決まりになっている、とも聞いてる」
「私もそれ失うの?」
間髪入れずに投げかけられたその言葉に、ルイスはギクリと肩を強張らせ、うっと小さく唸る。チラリと窺うように振り返れば、真っ直ぐ寄せられていたリオンの瞳とかち合う。
彼の視線は瑠璃色の瞳から下がり、桜色の艶やかな唇で一瞬止まる。それがそのまま、さらに下へと向かいかけたところで、ハッとした様子でルイスは慌てて顔を前に戻す。その顔は、今にも火を噴きそうなほど真っ赤に染まっていた。
「そ、その……。そうならないよう善処する。少なくても今は……」
「ルイスが何かするの?」
「ま、まぁ……」
湯気が見えそうなほど、顔を朱に染めて口籠もる彼に、リオンは不思議そうに首を傾げる。そんな彼女に、ルイスは半ばヤケクソ気味に振り返り言った。
「と、とりあえず! オレたちと一緒にいる分には心配しなくて大丈夫だ!」
「そうなの?」
「そうなの! あ……」
ルイスは強めの語気で、リオンの台詞をそのまま反芻すると、思わずと言った様子で口元に手を当てる。恥ずかしげに顔を逸らす彼に対し、リオンはぽかんと呆気に取られた様子で目を瞬かせた。
進む足音こそ響けども、二人の間には微妙な静寂が流れる。しかし、それも長くは続かず、小さく噴き出す声が沈黙を破る。その声に対し、ルイスが真っ赤な顔でキッと睨めつけた先に居たのは、プルプルと肩を震わせながら口元を隠すリックの姿。
羞恥などいろんなものが混ざったルイスの視線に気付くと、リックは振り返り、涙ぐみながら尋ねた。
「話、終わった?」
「おかげさまでだいたい終わったよ、この薄情者」
ぶすっとした様子で返すルイスに、リオンは不満げに彼を見上げる。そんな二人の様子に、リックの碧眼が呆気に取られた様子で瞬く。次いで、その顔にニヤリと笑みを浮かべた彼は、いつもと変わらぬ調子で口を開いた。
「二人の恋路に関する話に、オレが首突っ込むのは野暮ってもんでしょ? オレ、馬に蹴られたくないし」
彼の言葉に、ルイスの顔の赤みが増す。金魚のようにパクパクと口を開閉させたものの、言葉に詰まった彼はそのまま黙り込む。その横ではリオンも、彼につられるように頬を染め、視線を彷徨わせていた
初々しい反応を見せながらも、握り締めた互いの手は離れない。そんな二人の様子に、リックは目を細めて言った。
「こんな時に言うのもあれだけど。二人が落ち着くところに落ち着いたことだけは、本当によかったとオレは思うよ」
そう言って、彼は再び前を向き、二人の先を照らしながら進む。そんな彼の言葉に、リオンとルイスは互いを窺うように顔を見合わせると、照れくさそうに微笑みあった。
そうして、互いに頷き合うと、僅かに駆けるように足を速め、暗闇を照らす一寸先の光に向かい、歩を進めたのだった。




