38.鍵の在処
※ 文章の終わりにイメージイラストがあります。
もう間もなく日が中天に差し掛かろうかという頃のこと。長閑な日差しが差し込む執務室には三人の騎士の姿があった。温もりのある日差しとは裏腹に、そこには重苦しい空気が漂っていた。
「――というわけで、団長。隠し通路の鍵の複製の有無とその持ち主について、教えていただけないですか?」
リックの言葉に対し、執務机に座るグレンは唖然とした様子で瞠目する。そんな彼に対し、ルイスがリックの隣から口を挟んだ。
「団長?」
「え? ああ、悪い。記憶がないというのは不便でならんな、全く……」
小さくため息をついたグレンは、僅かに逡巡した後、二人を射るように見つめ言った。
「わかっているとは思うが、隠し通路もその鍵も本来は極秘事項だ。よって他言無用、というのはいいな?」
「はい」
口を揃えて返事をした二人に、グレンは満足げに頷く。そして、徐に軍服の襟元から、鎖に通した古びた金の鍵と銀の鍵を取り出すと、首から外して見せながら語った。
「金の鍵が原本で、銀の鍵が複製だ。複製は全部で四本。内三本はそれぞれ、国王陛下、神官長殿、月巫女様が所持している。ここにあるもう一本は、先見の巫女にお渡しする鍵だ」
「では、エマに?」
「いや。オレとしては、把握している以上、本来は渡しておきたいところではある。だが、エマ殿が神官長殿にも伏せている現状を考えると、な。それは得策じゃないだろう」
グレンは首を左右に振ったあと、難しい顔で銀の鍵を見つめながら続けた。
「この鍵の存在を知る者は少ない。だが、これがオレの手元にないと知れたら、その持ち主が先見の巫女だと知らせるようなものだ」
「ですが、それでは彼女の身の安全が……」
「わかってる。先見の巫女は能力の特性上、月巫女様と同様に狙われる存在で、オレたちが守るべき存在だ。だが、それと気付かれさえしなければ狙われることもない」
「彼女を守るためにあえて守らない、と?」
「そうだ」
そう答え、鍵を懐へとしまい込んだグレンの顔に浮かぶのは、やるせなさに満ちた沈痛な面持ち。それを見たルイスは二の句が継げず、その口は何も発しないまま閉ざされる。そんな二人のやりとりのあと、リックはグレンに対し、窺うように口を開いた。
「団長。私達と鍵の持ち主の他に、隠し通路の存在を知る者はいますか?」
「本来はいないはずだ。やたらと教えてしまっては危険が増すだけだからな。だからこそ、護衛のお前たちにも伝えていなかった、んだがなぁ……」
そこまで言って頭を掻いたグレンは、ため息混じりに言葉を続ける。
「過去のオレがそうしたように、何かの目的のために信用のおける者に打ち明ける可能性はある。だとしてもその確認を取るのは、現場を押さえない限り不可能に近いだろうな」
「では、陛下と神官長様の鍵の所在について確認するのはどうでしょうか?」
「盗まれたにせよ、貸し与えたにせよ、使われた鍵が本来持つべき者の手元にない可能性がある、ということか?」
頷き返したリックに対し、グレンはギシッと音を立てて椅子の背にもたれ、しばし黙考した。やや間を置くと、彼は閉じていた目を開いて告げた。
「陛下へ謁見予定は当分ないから難しいが、神官長殿に対しては一考する余地はありそうだな。だが、原物の確認が取れることは期待するなよ?」
「わかりました」
綺麗に揃った二つ返事に対し、グレンは机に寄りかかりながら両手を組んで発した。
「それと二点、オレの方からもお前達に伝えておくことがある」
「なんでしょうか?」
「一つ目はユルゲンに盛られた毒の話だ。恐らく下剤の原料となっているセンナというものを何かに混ぜ込まれたんだろう、とのことだ」
「毒ではなく、ですか?」
下剤という言葉に、拍子抜けした様子でルイスの目が瞬く。隣に立つリックと言えば、それを訳知り顔で聞き考え込んでいる。そんな対照的な反応を返す二人に、グレンは言った。
「パチル殿が言うには、薬とは量と使い方を間違えば毒になるもの、だそうだ」
「薬が毒に、ですか?」
「もしや、下剤を過剰に盛られた結果、副作用も重なり食中毒のような状態になった。……ということですか?」
「そういうことらしい。リック、よく知って……ああ、そういえば、お前は薬師の家の出だったな」
納得顔のグレンに対し、リックの顔に肯定を示す笑みが浮かぶ。そんな二人の会話に、ルイスは訝しげに首を傾げ、リックに問いかけた。
「薬って飲み過ぎるとそうなるものなのか?」
「薬の種類や人によって影響の出方は違うけど、時と場合によっては死ぬこともあるよ。特にセンナを使った下剤は数滴程度で効果があるんだ。だから、元気な人にそれを過剰に使ったんだとしたら、かなりキツいはずだよ」
「そうだったのか……」
淀みないリックの返答に、ルイスは僅かに顔色を失い口元を引き攣らせる。返事の内容にしばし考え込んだ後、ルイスは納得したように頷くと、グレンを真顔で振り返った。
「話を遮り申し訳ありません。もう一つの話もお願いします」
「……禁書庫へ月巫女様の立ち入りが原則禁止、というのが先ほど決まったそうだ」
奥歯に物が挟まったように告げた彼に、ルイスとリックが互いに顔を見合わせる。そんな二人にグレンは目を伏せて続けた。
「約束しておいてすまない。オレのところに連絡が来たときには、すでにどうすることもできなかった」
「いえ。ちなみに、私達の出入りは問題ないんでしょうか?」
「そこについては言及されていない。恐らく月巫女様に聖典を見られないようにするためだけの措置だろう」
「それなら問題ないです。……だよな?」
不敵な笑みを浮かべてルイスがそう言って振り返れば、戸惑いに目を瞬かせる碧眼と目が合う。彼の視線を追うように、グレンの真紅の目も向けられれば、リックは苦笑いを浮かべながら肯定の意を示したのだった。
それから四半刻後、グレンの執務室を後にした二人の姿は屯所の石廊にあった。そんな中、リックは自分の隣を歩くルイスを振り返った。
「お前さ、ずいぶん簡単に言ってくれたけど、オレの休みは一体どうなるわけ?」
不満げに目を細め問い質す彼に対し、ルイスの顔に不敵な笑みが浮かぶ。
「『支えてこその副官』なんだろ?」
「うっわー。今このタイミングでそれ言う?」
リックの口から、げんなりとした色を帯びた言葉が零れ落ちていく。しかし、翠緑色の瞳が揺らぐことはなく、笑みとは裏腹に真っ直ぐ彼を見据えている。そんなからかいの色が一切ない双眸に、リックは小さく肩を竦めながら言った。
「全く、仕方ないなぁ。頼りにならない上官殿は、事が済んだらしっかり副官を労ってよね」
「まぁ、今回含め、いろいろ助けられてるしな。落ち着いたら何でも好きなもの奢る。それでいいか?」
ルイスの応諾に、リックは足を止めて相棒の顔をマジマジと見つめる。しかし、同様に足を止めて首を傾げたルイスの様子を見るや、彼はニヤリと笑みを浮かべて言い放った。
「へぇ、気前いいねぇ。『何でも』なんて」
やや不穏な雰囲気を伴いながら告げられたそれに、ルイスの顔が微かに引き攣る。その顔色を微かに青褪めさせながら、恐る恐ると言った様子で彼はリックに問いかけた。
「オイ、ちょっと待て。お前、オレに一体何を奢らせるつもりだ?」
「さてさて、何がいいかなぁ。滅多にこんな機会ないし、王室御用達のレストランでコース料理とかいいかもねぇ」
「……冗談だよな? そんなもの給金何ヶ月分飛んで行くと思って……」
冷や汗を流し、当惑気味に言い募るルイスの手をすり抜け、リックはスタスタと歩き出す。頭の後ろで手を組みながら歩く彼は、鼻歌交じりに言った。
「『何でも』奢ってくれるんでしょ? 楽しみだなぁ」
「楽しみだな、じゃないっ!」
「とりあえず、そろそろ小休憩の時間だし、オレ行くからあとよろしく~」
「あ、ちょっと待て、リック! 話はまだ……!」
慌てふためいた様子のルイスの声が廊下に響く中、リックは素知らぬ顔で屯所を後にしたのだった。
***
一方、その頃。リオンはと言えば、自室の机に向かい、折り目のついた羊皮紙を眺めていた。乾いた音を立てて二枚目を読み始める彼女の顔には、嬉しそうな笑みが浮かんでいる。
そんな彼女の様子に、傍に控えていたグレッグは、胡桃色の髪を揺らしながら首を傾げた。
「月巫女様、何をご覧になっているのですか?」
彼の言葉に、リオンは羊皮紙から顔を上げると、楽しげに彼を見上げながら笑みを浮かべて言った。
「お義父様からの手紙を読み返してるんです」
「随分とたくさんあるように見受けられますが、これら全てがそうなんですか?」
紫紺の瞳に映るリオンの机の上には、金の装飾が施された両手に乗るサイズの箱。その箱には溢れんばかりの封筒が山をなしている。グレッグの質問に対し、リオンは首をゆるゆると振り答えた。
「全部がお義父様からというわけではないの。陛下から賜ったものもあるし。これは神官長様が遠出なさった際に送ってくださったもの……」
神官長から貰ったという手紙を片手に、リオンの言葉が不意に止まる。『月巫女様?』とグレッグの呼び声に、ハッとした様子で瑠璃色の瞳が瞬く。
「どうかなさいましたか?」
「あ、いいえ。少し懐かしくて昔を思い返していただけです」
「昔、ですか……。月巫女様は昔のことをどのくらい覚えていらっしゃいますか?」
「え?」
唐突な問いかけに、リオンはキョトンとした様子で首を傾げながらグレッグを見上げる。そんな彼女に、グレッグは無表情で淡々とした様子で言った。
「例えば、あなたが月巫女としての役割を担い始めた頃に出会った子供とか……」
「それって……」
彼の言葉に、リオンが口を開こうとした矢先、扉を三回ノックする音が響く。それに対し、グレッグが来訪者の名を確認しつつ、扉へと向かったことで、その会話は途切れた。
そして、交代のためにやってきたリックの姿を認めると、グレッグはリオンに一言断った上で、部屋を後にした。残されたのは、体を伸ばしながら欠伸をするリックと、考え込む様子で扉を見つめるリオンの二人だけ。
そんな中、僅かに涙のにじんだ目を擦りながら、リックはのんびりとした様子で問いかけた。
「リオン、どうかした?」
「リック……。私、もしかしたら前にグレッグに会ったことがあるのかもしれない」
「え?」
リオンが告げた言葉に、眠たげだった碧眼が驚きで瞬き覚醒する。そんなリックに彼女は物語った。
「ついさっき言われたの。私が月巫女の役割を担うようになった頃に会った子供を覚えてないかって……」
「それって、リオンが半成人迎えた頃ってことだよね?」
彼女の言葉にリックは顎に手を添え、空を見上げながらしばし考え込んだ。そうして、僅かに間を置くと、ハッとした様子で呟いた。
「まさか、あのときの?」
「リック、何か知ってるの?」
「確信はないけど。もしかしたら、グレッグはルイスとオレとも会ってる。……かもしれない」
「どこで?」
間髪おかずに投げられた疑問に、リックは一瞬言葉を濁らせる。しばし視線を彷徨わせると、彼はリオンを窺い見て静かに告げた。
「野盗に攻め滅ぼされた村で。オレの考えてる通りなら、その村唯一の生き残りのはずだよ。確か、そう。リオンの十の誕生日の前日、彼以外の住人が皆殺しにされたんだ」
「もしかしてお姉さんはそのときに……」
「名前だけじゃなく、姉が居たのも同じ、か。オレの知ってる子とはだいぶ雰囲気違うけど、やっぱり同一人物なのかも……」
眉を寄せたリックは難しい顔で頭を掻き、その口からは小さなため息が零れ落ちる。そして、訝しげな様子でリオンを見ると、彼は問いかけた。
「それにしても、なんだってそんな話になったの?」
「あ、お義父様の手紙を読み返して……って、そうだよ、リック! 手紙!」
「え?」
急に腕を掴んで言い募るリオンに、彼は目を白黒させて戸惑いがちに首を傾げる。そんな彼の手を一旦離すと、リオンは一通の封筒を彼に見せながらしゃべり立てた。
「これ! 私が聖典を読んで見覚えがあると思った字、この手紙の神官長様の字とそっくりなの!」
リックはその言葉に驚き目を見開きつつ、差し出された封筒を受け取った。そうして、手の中にある封筒の宛名の字を見つめると、やや間を置いて真顔で言った。
「確かに似てる気はするけど……。リオン、この手紙少し借りてもいい?」
「それは構わないけど、どうするの?」
キョトンとした様子で首を傾げるリオンに、リックは封筒をひらりと掲げて答えた。
「確認は何事も必要だからね。聖典の字と一致するか、オレの方で調べてみるよ」
「わかった」
そう言って頷いたリオンだったが、ハッとした様子で口を噤み、両手を合わせて握りしめる。一拍置き、意を決した様子でリックを見上げると、彼女は口を開いた。
「ね、ねぇ、リック。私が言っておいてなんだけど、もしも、もしもだよ? 神官長様の字と一致したら、どうなるの?」
そんな彼女の言葉に、リックは『うーん』と唸りながら、腕を組んで言った。
「オレの一存で決まる話ではないけど、たぶん原典を探すことになるかな。改ざんの有無とか確認しないことには何ともだからね」
「そう……」
リックの言葉に、リオンの口から小さくホッとした様子で息が零れる。それでもなお、瑠璃の双眸を揺らす彼女に、リックは苦笑いを浮かべて尋ねた。
「神官長たちが関わってないといいなって思ってる?」
「本音を言えばそう思ってるよ。忘却水のことだってあるのに、その上さらになんて……」
「もしかしたら、リオンの不自由に繋がる改ざんをした可能性もあるのに?」
「それは……」
淡々とした様子で告げられた言葉に、リオンは言葉を濁す。しかし、僅かに逡巡こそしたものの、彼女はリックを真っ直ぐ見上げて続けた。
「それでも、小さい頃から一緒に過ごしてきた方々だから、私は信じたい」
視線を逸らすことなく告げたリオンに対し、リックは『そっか』と言って笑みを浮かべた。そうして、軽く頭を下げて彼は続けた。
「ごめん、意地の悪いこと言った」
「ううん。リックは私のこと心配して言ってくれたんでしょ?」
首を傾げるリオンに、リックは眉尻を下げて笑みを浮かべた。そんな彼の反応を見た彼女は、『ありがと』と微笑むと視線を僅かに落として語った。
「私ね、グレッグとどうしていきたいか、ここ数日考えてて思ったことがあるの」
「どんな?」
「疑うのにはそれなりの理由があるけど、信じるのに理由っているのかなって」
「それは……」
言い淀むリックを見上げ、リオンは柔らかく微笑んで言った。
「きっと二人は止めるだろうなって思うけど、私は神官長様たちもグレッグも信じたい。悪い人とは思えないから」
「その結果、リオンが傷付くかもしれないよ?」
「うん、一応覚悟はしてる。でも、ルイスもリックもいるし、エマもいる。辛いことがあったとしても、三人がいるならきっと私は大丈夫だから」
そう言って、穏やかに微笑む彼女に、リックは呆気に取られた様子で碧眼を瞬かせた。そうして一呼吸置くと、彼はその顔に笑みを浮かべ、リオンの青藍色の頭を優しく撫でたのだった。




