28.新たな護衛騎士
※ 文章の終わりにイメージイラストがあります。
「クリフェード隊長」
カウンターテノールの声に呼ばれ、ルイスは左手にある書類から顔を上げた。そんな彼の目の前にいるのは、緊張した面持ちで紫紺の瞳を真っ直ぐルイスに向ける青年……と呼ぶにはまだ幼さの残る騎士。ともすれば女性と間違われそうな顔立ちをしている彼に、ルイスは微笑みを浮かべて返事をした。
「どうした、グレッグ?」
「あ、あのっ! 月巫女様ってどんなお方ですかっ?」
「え……?」
胡桃色のポニーテールを揺らしながら、意を決したように告げられたその内容に、ルイスは戸惑ったように目を瞬かせた。すると、グレッグと呼ばれた騎士は、ルイスの反応に対し、頬を染めて慌てて両手を前に出しながら言った。
「あ、いえ、その……。明日からリック先輩の補佐に入ると伺ったので、それならば月巫女様について知っておきたいと思いまして……」
「ああ、なるほどな。で、どんなことが知りたいんだ?」
「知ってること全部知りたいです!」
期待に満ちた紫紺の瞳を向けられたルイスは、少々口元を引き攣らせてたじろいだ。身を乗り出し気味なグレッグに対し、ルイスは一呼吸置くと、微かに苦笑いを浮かべながら羽ペンを持った右手を前に出して言った。
「あー……とりあえず、今の書類整理が一段落ついてからで構わないか?」
「あ、はいっ! もちろんです!」
そう返事をした年若い小柄な騎士は、ルイスの向かいにある黒革張りのソファーに身を沈めると、横に置いてあった紺色のハードカバーの本を読み始めた。所狭しと書類が山積みにされた応接テーブル越しにそれを見たルイスは、グレッグに気付かれないよう小さく息をついて目を閉じた。そんな彼の瞼の裏を過るのは、昨日から今朝にかけての出来事だった。
***
「え、私の隊に新人を、ですか?」
そう尋ねたのは、グレンの執務室に軍服を纏って立つルイス。そんな彼の前には、机越しに対面しているグレンの姿があった。彼は戸惑いを露わにしているルイスに、真顔で言った。
「そうだ。病室から戻って早々悪いが、お前が謹慎の間、リック一人に任せるわけにもいかないし、オレではさすがにフォローしきれないからな。それにこれは、月巫女様の身を案じた神官長殿たっての希望だ。こちらとしては、護衛騎士の体制を二人から三人に増やせるなら乗らない理由がない」
「しかし、新人……ということは、少なくとも騎士見習いから昇格したばかりということですよね?」
「ああ。お前が護衛騎士に就いた直後にネルソン隊に配属された者だ」
「ネルソン隊……」
その単語に、ルイスはげんなりとした様子で眉間に微かに皺を刻んだ。そんな彼にグレンは微かに苦笑しながら言った。
「まぁ、お前も一度は手合わせしたことあるはずだ。月巫女様の訪問の時に居ただろう? 他の騎士に比べて小柄なのが一人」
「そう言われてみれば、あまり見かけた記憶のない騎士がいましたね。剣の腕もネルソン隊長と引けを取らないか、あるいは……」
「模擬戦でネルソンには何度か勝ってる。戦績としては、今の時点でおよそ六割と言ったところか」
グレンの言った言葉にルイスの翠緑色の瞳が微かに見開かれる。が、そんなルイスの様子を知ってか知らでか、グレンはそのまま続けた。
「名前はグレッグ=サンチェス。去年十四で騎士見習いとして入団したばかりだ」
「一年であの卒業試験をクリアしたんですか?」
「ああ。元々、他所で剣術を嗜んでいたようでな。入団試験を担当していた騎士が言うには、他を一切寄せ付けないほどの腕前だったそうだ。入団試験の結果だけを見たらどこかの誰かのようだろう?」
そう言ってニッと笑みを浮かべたグレンの真紅の視線を受けたルイスは、目を閉じ、すまし顔で言った。
「最後のだけは何のことかわかりかねますが、実力があるということはよくわかりました。それで、グレッグはいつからリックの補佐に就かせる予定なんでしょうか?」
「明後日だ」
「……つまり、明日一日で最低限の対応ができるように指導をしろ、ということでよろしいでしょうか?」
「そうだ。あ、剣の方は他のヤツと試合をさせてそれで指導してやってくれ」
「わかりました」
「で、ついでなんだが……」
グレンが気まずそうに言葉を濁せば、ルイスは訝しげな顔をしつつ、上司である彼の言葉の続きをじっと待った。そうして、待つこと数秒。コホンと一つ咳払いをしたグレンは、頬を掻きながら言った。
「謹慎中、ここでオレの事務処理の手伝いをしてくれないか? 臨時の団長補佐ということで」
「……事務処理、ですか?」
グレンの言葉にルイスはパチパチと目を瞬かせた。そして、そろりとグレンから視線を横へずらせば、応接セットのテーブルやソファーに山積みされている書類が彼の視界に入る。それは自室にあるリックの机の惨状よりも遙かに酷い有様だった。
「団長、まさかとは思いますが、そこの書類の山のことじゃないですよね?」
「そのまさか、だ」
「……少々拝見させてください」
グレンの苦笑いを見たルイスは、一言断ると応接テーブルに近付き、そこにある書類を一枚すくい上げた。そうして、その書類の内容にざっくり目を通すと、じと目でグレンを振り返り言った。
「団長。これらの書類はどれも団長の決裁が必要なものとお見受けするのですが、一体私にどの程度の処理をさせるおつもりなんでしょうか?」
「オレの代わりに全部やってく……」
「却下です。お断りです。臨時の団長補佐に大事な決裁を任せるなんて……。ただでさえ、今の私は謹慎中の身なんですよ?」
そう言ってルイスは、左手で額を抑えて呆れかえった様子で嘆息した。そんな彼にグレンは、納得いかない様子で顎に手をあてて言った。
「謹慎中とはいえ、お前が今まで騎士団で積み重ねてきた信頼が揺らぐほどのものではないし、神官長殿達に露見しなければ問題ないと思うがなぁ……」
「バレないと本気でお思いですか? 決裁書類には団長直筆のサインが必要なのに、他人の私が書いたら一発でバレるでしょう?!」
「お前ならオレの筆跡真似られるだろう?」
「それはまぁ、真似できないことはないですが……。って、本気で仰ってます?」
「いつだってオレは本気だ」
真顔でそう言い切ったグレンに、ルイスは長嘆息したあと、グレンを真っ直ぐ見て言った。
「尚更たち悪いです。急ぎ決裁が必要なものとそうじゃないものを分けたり、意見を添える程度のことなら喜んで承りますが、署名の代筆はご容赦いただきたいです。私では責任を負いかねます」
「何を言うんだ。もちろん責任を負うのはオレに決まってるだろう」
「だからお断りなんです。私は貴方の足を無用に引っ張るためにここにいるわけではありません」
そう言って、真顔でじっと見つめるルイスに、今度はグレンが小さく息をついた。
「全く、そこまでオレに気を遣わなくても構わないんだぞ? 団長っていうのは、団員を指揮して、時にはその責任を負うためにいるんだ」
「それでも、一時とは言え、ひら騎士扱いになっている騎士にやらせることではないかと……」
「よし、わかった。じゃあ、神官長殿を説得できたらいいんだな?」
グレンが納得顔で頷き宣言すれば、ルイスは左手を左右に振ってじと目で言った。
「いやいや、なんでそうなるんですか……。というか、団長、それはさすがに無理がありすぎます」
「何事もやってみないことにはわからんだろう? よし、そうと決まれば善は急げだ。あ、お前は今日まで病欠扱いだから、もう部屋に戻って休んで構わないぞ」
「ちょ、団長、まっ……!!」
サッと立ち上がり、ドアに向かいつつルイスに指示を出したグレンは、ルイスの制止にも歩を緩めずにそのまま執務室を後にした。そして、そこには唖然とした様子で取り残されたルイスの大きなため息が一つ零れ落ちたのだった。
そうして、迎えた翌朝――それは僅か一刻ほど前のこと。武舞台の端に立ち、連絡事項について話をしているグレンの左斜め後ろで、ルイスは真顔でその話に耳を傾け立っていた。ルイスの左隣には、彼よりも頭半個分ほど小柄なグレッグの姿もあった。そんな三人の前には、朝礼のために集まり、直立不動で静聴している騎士団の団員がズラリと勢揃いしていた。
「というわけで、ルイスが今日から限定的に復帰する。戦闘訓練等はパチル殿の許可が下りるまで禁止だ。もしも、何食わぬ顔で参加しようとしたら止めろよ?」
にやりと笑みを浮かべながら付け足された言葉に、ルイスは心外だと言わんばかりの顔でグレンを見た。が、顔を戻したルイスの目に入ったのは、グレンの言葉に頷きつつ、生温かな視線を向けてくる仲間達の苦笑だった。その事実にルイスは不満げに口元を引きつらせたが、そんなことに構わずグレンは続けた。
「謹慎が解けるまでは、ルイスの穴を埋めるために、グレッグは本日付でクリフェード隊に異動。明日にはリックの補佐に入ってもらうことになる。それと同期間、ルイスには臨時で団長補佐として、オレの雑務を担当してもらう。よって、今日からオレ宛の書類関係は全部ルイスに回すように」
「え……?」
「以上だ。質問あるやつはいるか? ないな? よし、なら今日もそれぞれ頼んだぞ」
目を白黒させているルイスを置き去りに、半ば強引なグレンの言葉でその場はお開きとなった。そして、団員が散ると、振り返ったグレンはルイスに向かって爽やかな笑顔で言った。
「お前の署名で大丈夫なように許可は全力でもぎ取ってきたから、あとは頼んだぞ」
そんなグレンの言葉に、ルイスは唖然とした様子で言葉を失ったのだった。
***
そうして、現在。目を開けたルイスの目の前には書類の山が二つこんもりと出来上がっている。一つはグレンが元々溜め込んでいた書類。もう一つは、朝の話を受けた団員達が持ち込んだ書類。それらはほぼ同じくらいの山となっていて、ルイスはその量に微かにげんなりとした様子で息をつくと、微かな声量で呟いた。
「一体何をどうしたら、騎士団長の署名の代筆を謹慎中の騎士にさせる許可なんて下りるんだかな……」
「え? 何か言いました?」
「いや、悪い。独り言だから気にしないでくれ」
本から顔を上げたグレッグにそう問いかけられれば、ルイスは苦笑しながら返し、読書に戻った部下の様子を見ると、再度手元の書類へと視線を落とした。その後の執務室には、ルイスが羽ペンで紙を擦る音と、グレッグが頁を捲る音だけが淡々と響き、時間はゆっくりと過ぎていった。
そうして、日がもう間もなく頂点に達しようかという頃合いに、パタンと本を閉じる音が響き、ルイスは目を走らせていた書類から顔を上げた。その先には、閉じた本を片手にルイスの様子をじっと静かに窺うグレッグ。そんな彼に、ルイスはペンを置きながら尋ねた。
「聖典はそれで全部読み終わったのか?」
「はい。一通り読み終えました」
「そうか。ならもうすぐ昼だし、その前に休憩がてらさっきの件について少し話すか」
「はい!」
ルイスの言葉に、グレッグは目をキラキラさせて姿勢を正し、懐から羊皮紙と羽ペンを取り出した。そんな彼の反応に、ルイスは苦笑しつつ口を開いた。
「まず、交代についてだが、食事等での短時間交代は朝昼晩あるものと思ってくれ。長時間の護衛交代は朝、月巫女様が目覚める前に済ませること。あとは万が一、護衛中に交代以外でどうしても離れざるを得ない場合は、必ず巡回の騎士にその場を任せること」
「はい」
「自室に月巫女様だけ、もしくは居てもエマだけの場合は、基本部屋の扉の前で待機・警戒。人と会う際は必ず月巫女様のすぐ隣に控えていること。エマが夜下がったあとは、翌朝彼女が支度を手伝いに来るまでの間、月巫女様の部屋への入室は特別な理由がない限りは原則なし。とりあえず、最低限押さえてほしいのはこのくらいだが、他に何かあるか?」
「月巫女様はどのようなお方なんですか?」
「どんな……」
グレッグの質問に、ルイスは顎に手を当ててしばし目を閉じてると、『そうだなぁ』と考え込んだ後、天井を見上げながら答えた。
「好奇心旺盛で行動力のあるお方、かな。あと、人をとても大切にされる方だ」
「さすがは月巫女様、噂に違わぬ素敵なお方なんですね!」
「そうだな……」
グレッグの言葉に、ルイスは微かに目線を明後日の方向に向けながら空笑いを浮かべた。そうして、彼の気がほんの僅かばかり緩んでいたそのときだった。
「ちなみに、隊長はどうしてそんなお方の名前を呼ぶなんて愚行をなさったんですか?」
「……え?」
「あれ? 違うんですか? 名を呼ぶという無礼を働いたため謹慎処分になったと聞いていたんですが……」
「いや、それは事実だが……」
「では何故ですか?」
ニコニコと微笑みながらも、何故か執拗に問いかけてくるグレッグに、ルイスは微かに眉を寄せて言った。
「何故も何も、僅かな時間が命取りの状況下で、呼びかけに対し人が一番反応するのは自分の名前だからだ。たくさんの声が飛び交っているような状況では特にな」
「公爵様を含め誰も名を呼ぶことは許されていないというのに、ですか?」
「それでも、だ。月巫女様も名前を持つ一人の人間に変わりはない」
「隊長は変なことを仰るんですね。月巫女様は月神様のモノだというのに……」
クスクスと笑うグレッグの口元は三日月を描いており、それまで見せていた年相応のあどけない笑みはとうに消え失せていた。そんな微かに不気味さを宿した彼の笑みに、ルイスはあからさまに眉を寄せて言った。
「月巫女様が月神様からの大事な預かり人であることは同意するが、一人の人間に変わりないことも事実だ」
「ただの人間が興味本位で近付いて、ましてや穢していい存在でないこともまた事実だと僕は思いますよ」
「オレの血に触れたことを言っているのなら、それは月巫女様と神官長様の間でもう決着がついている話だ」
「本当にそうでしょうか?」
「……何が言いたい?」
微かに剣呑な光を宿した翠緑色の瞳が放つ視線に対し、柔らかな笑みを浮かべたままの紫紺の瞳はそれを難なく受け止めた。そうして、グレッグは一呼吸置くと、ルイスの様子に臆することもなく言った。
「いえ。まるで隊長は月巫女様に人間であってほしいかのような口ぶりでしたので、横恋慕でもしたいのかと思いまして」
「何を馬鹿なことを……。そんなの考えることそのものが不敬だろう」
「ええ、そうですね」
呆れたようにため息をつくルイスを見ても尚、グレッグは微笑みを崩さなかった。そんな彼に、ルイスは嘆息して言った。
「お前がオレに関する噂に対してどんな疑念を抱いていようが、任務に支障をきたさないなら構わない。だがな、横恋慕なんて言葉を使うことは月巫女様に対しても失礼だ。間違っても月巫女様にそんな言葉は使うな」
「確かにそうですね。失礼しました、以後気をつけます」
「……で? 他に知っておきたいことはあるのか?」
「いえ、大丈夫です! あとは自分の目で見て、耳で聞いて知っていこうと思います」
不気味な笑みから一転、再びあどけない笑みを浮かべて答えるグレッグに、ルイスは戸惑ったように瞠目した。が、口元を引きつらせながらも、平静を装って言った。
「そうか。なら、昼行ってきて構わないぞ。午後はネルソン隊と合同訓練の予定になっているから、訓練場に集合だ。あと、昼行くついでに読み終わった聖典を図書館に返しておいてくれるか?」
「わかりました。ところで隊長はお昼に行かないんですか?」
「オレはもう少し書類を片付けてから向かう」
「そうですか。では、お先に失礼します」
そう言うと、グレッグは元気よく敬礼をし、執務室を後にした。廊下に響く軽快な足音が遠のくと、ルイスはぐったりとした様子でソファーに体を沈み込ませ、詰まっていた息を吐き出すように嘆息した。
「月巫女としてのリオンの崇拝者、か……。何もなければいいが、さすがにのんびり構えてるわけにはいかなそうだな……」
そうして、微かにまだ熱を帯びている額に腕を当てたルイスは静かに目を閉じ、グレンが所用から戻るまでの僅かの間、浅い眠りへと落ちていったのだった。




