1.再会と始まり
そこは波の音だけが静かにさざめく小さな丘の上。晴れ渡る海沿いの道をたくさんの白い小さな花が縁取り、柔らかな風にその花弁を散らしていく。
獣道のような細い坂道を、目深にフードを被った白いローブ姿の人間が一人、やや息を乱しながら登っていく。さほど難なく辿り着いたのは、見晴らしの良い丘の小さな広場だ。
来た道を背に、奥には鬱蒼とした森。草花と大地が広がる他は、左手にある海に面した崖の際に小さな石碑が鎮座しているだけで、人の気配は他にない。
久しく誰もそこを訪れることがなかったのか、石碑には草の蔦が巻き付いている。ローブを纏ったその人は、少し荒れ気味な細い指でそっと蔦を避けた。そうして現れたのは、うっかりすると見落としそうなほどに小さな窪みに埋め込まれたエメラルドグリーンの宝石。
太陽の日差しを受けて輝くその宝石を見つけたその人は、息を詰めて見つめた。かすかに震えながら伸ばされた華奢な掌が、そっと宝石を撫でる。
「久しぶりだね、ルイス……」
そう呟く声は少し高く、透明感のある声だった。そんな美しい声に誘われるかのように、一陣の風がフードをふわりと背中へと落とす。そこに現れたのは深い海のような青藍色の長い髪。風にゆったりと靡くその髪を飾るのは、三日月を象った金色の髪飾り。
「あれから、今日でちょうど五年……」
――生きて……幸せに……。
彼女の脳裏に響く声は、彼女のものとは異なった低いテノールの声。
「あなたを思い出すと、最初に思い出すのはいつもあなたが最期にくれた言葉なんだ。私が文句を言える立場ではないけれど、それでもやっぱり思っちゃうよ。もう一度、あなたに逢いたいって」
そう呟き俯いた彼女の瑠璃色の瞳から、涙が溢れ零れ落ちる。そしてそれは、彼女の腕の中にある剣の柄に埋め込まれたエメラルドに静かに降り注いだ。
***
「お初お目にかかります、月巫女様。この度、あなたの護衛騎士を拝命いたしました、ルイス=クリフェードと申します」
厳かに名乗りを上げ、跪き頭を垂れているのは、翠緑色のマントと群青色の軍服を纏った鳶色の髪の青年だ。伏せた顔を隠すように、男性にしてはやや長めの髪がサラリと落ちる。そんな彼のすぐ左手横には簡素な鞘に納まっているのは少々細身のロングソード。その柄には半球形に形取ったエメラルドが填められている。
一方で、跪く若い騎士の目の前には、白と桜色を基調とした装束を身に纏った少女が一人佇んでいた。後ろの大きな窓から差し込む太陽の光を浴び、どこか神聖な雰囲気を醸し出す少女は、小首を傾げながら問いかけた。
「ルイス……とおっしゃいましたね。お歳はいくつですか?」
「今年で二十一になります」
そう言って、騎士――ルイスが簡潔明瞭に答えれば、少女は金糸で刺繍の施された絨毯の上を真っ直ぐに進む。青藍色の髪とそれを飾る半透明のヴェールをゆったりとなびかせながら、彼の目と鼻の先まで来ると、彼女は立ち止まって言った。
「では、顔をお上げになってください。五つも年下の私に跪くこともないでしょう?」
そう言って、しゃがみ込んだ彼女が彼を覗き込めば、そこにあったのは、驚きに満ちた深い翠緑色の瞳。彼女の行動に目を瞬かせながら、彼は思わずといった様子で伏せていた顔をあげて言った。
「し、しかし、月巫女様。私はこれからあなたにお仕えし、御身の身辺をお守りする護衛騎士で……」
「リオン」
「え?」
彼女が発した単語に、ルイスの瞳が困惑した様子で瞬く。そんな彼に、『月巫女』と呼ばれた彼女は静かに告げた。
「私の名前はリオン=レスターシャです」
「はい。それはもちろん存知上げております、が……?」
話の関連性が見えていない様子のルイスが戸惑い気味に返事をすると、リオンはにっこり微笑んで言った。
「では、リオンと呼んでください。私は月巫女という名ではありませんから」
そんな年若い主の言葉に、騎士はただただ驚きと困惑に目を丸くする。
その様子に口元を隠して苦笑を浮かべたのは、場の端に控え立つ黒髪の女子。リオンと同年代と思しき彼女が身に纏うのは、周囲の巫女とはやや異なる装束だ。巫女と思しき彼女の周囲にいる年嵩のいった神官や巫女たちは、彼女と対照的に盛大なため息を洩らす。
これが、リオンとルイス、二人の出会いだった。
***
バサッと音を立てて、白いローブを脱ぎ捨てたリオンの纏うのは、薄い水色の布地でできたワンピースと菫色のショール。両肩の留め具には、彼女の瞳と同じ瑠璃色の宝石が太陽の光を受けて輝いた。
「あのときのルイスの顔、ホント、間の抜けた顔だったよね……。内々の儀式とは言え、素で答えてたし」
そう言って、リオンはクスクスと笑みを零した。しかし、その瞳から流れ落ちる涙の勢いは最初よりも緩やかにはなったものの、止まる気配は一向に見えない。
「ねぇ、ルイス。久しぶりなんだし、昔の話をしよう。出会ってから五年前の今日までの、私たちの話を――」
長い髪を柔らかな風に遊ばせながら、彼女はそう言って微笑み、薄紅色の花びらが舞う中、静かに独り語りを始めたのだった。
――穢れることを許されず
外界を知らずに育った月巫女が願ったのは自由
巫女を穢れから守る騎士は
そんな巫女の願いを叶えたいと願った
全ての始まりはそんな些細な願い
これはそんな二人の始まりから終わりを描く
甘くも切ない恋と成長の物語
その終わりの先に待つ希望を彼女はまだ知らない――
ここまでお読みくださりありがとうございます。
シリアス度高めの物語になりますが、好みに合いそうでしたら、お付き合いいただけますと幸いです<(_ _)>
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※ 基本の流れはほとんど変わりませんが、オフ本化のために章ごとにのんびり改稿作業を進めています(現在2章まで改稿済みです)