23.祝祭
※ 文章の終わりにイメージイラストがあります。
太陽が中天へともう間もなく到達しようかという頃。ルイスは非常に居心地悪そうに、神殿の祈り場にある祭壇に立っていた。彼の右斜め前には、緊張しているのか深呼吸を繰り返しているリオンの姿もある。
そんな彼女を尻目に、彼がぐるりと背後に視線を巡らせれば、祭壇にはリオンの他、白地に金で豪奢な装飾を施したローブを身に纏った神官長。その他、浅葱色のローブを纏った神官と紫を基調とした紋袴に千早を纏った巫女が約十名ずつ。彼らは各々小さな鈴がいくつも付いた神具を片手に待機している。
その少し後ろ――祭壇の下には、祈り場が浅黄色と紅白で埋め尽くされんばかりの、神官と巫女の姿。彼らはすでに両膝をついて、両手を組み祈りのポーズを取っていた。
そこからさらに遙か後方を見れば、グレンの黒髪とリックの金髪が目に入る。そんな彼らの後ろや左右の扉近くには普段と変わらない軍服を纏った騎士がずらりと並んでいた。
それらを目にしたルイスが、若干気圧されたように口元を引き攣らせていると、彼の左脇腹をコツンと肘で突く者がいた。彼がその刺激にハッとしたように振り返れば、そこには真顔のエマ。彼が自分を認識したことに気付くと、エマは無言で前を向くよう目線で促し、そんな彼女の行動にルイスは慌てて居住まいを正したのだった。
そうして、中天に差し掛かった陽の光がたっぷり祭壇に注がれると、神官長の進行とリオンの行動に合わせて、儀式は厳かに始まった。時には月神への礼拝を行い、時にはリオンの所作を見守る時間が続いていく。
そんな中、リオンは彼女の前に置かれていた、鈴のついた神具を右手に取った。それは他の神官が持つものとは異なり、形状が剣のようになっているのが印象的なものだった。
リオンはその神具を、右回りに円を描くように五回シャンシャンと鳴らすと、それを胸の前に持ってきて両手に持ち替え、天へ向けるように祈りの詩を奏で始めた。それに合わせて、ルイスの背後にいる祭壇上の巫女や神官たちも神具を鳴らしながら詩を音に乗せていく。
それはルイスが今まで護衛の折りに、祈り場の外で聞いた満月の詩と何ら変わらない。だがそれでも彼は、それまで感じたことのなかった言葉で言い表せないものを肌で感じ取り、ゾクッと体を微かに震わせた。そんな不思議な感覚に彼は目を瞬かせると、その目に畏れの色を浮かべながら、詩の中心となっているリオンをじっと見つめたのだった。
そんな中、一瞬、殺気を感じたルイスはちらりと右手側にある扉の外へと探るように視線を向けた。その先には騎士達と、祈り場を囲む木々しか見えない。が、視線こそ外さないまま、ルイスは右手を剣の柄へ置いて、そっと音もなくリオンの右側へ移動すると、彼女を背に隠すように立った。そんな彼の行動に、ちょうどそこを巡回していたグレンが気付くや否や、そこにいた騎士達にすぐさま指示を出している姿がルイスの視界に入る。すると、相手は分が悪いと踏んだのか、それまで感じていた殺気は霧散し、ルイスはホッと息をついて元の位置へと戻った。
そんな彼の行動の間も、リオンを含め、目を閉じて祈りを捧げている神官や巫女が気付くことはなく、一心不乱に祈りの詩を紡いでいた。唯一、巫女でありつつも、リオンと彼の補佐として一部始終を見て、安堵したように胸を撫で下ろしたエマを除いて……。
そうして、祈り場での神事を何事もなく終えると、休憩のためリオンと共にルイスは神殿の応接室の一つへとやってきた。一緒にやってきたエマは、両腕を左右に広げて立つリオンの衣装に問題がないか、確認に余念がない。そんな中、祈り場を出てから合流したリックはソファーに座るルイスの後ろに回ると、背もたれに寄りかかりつつ彼に問いかけた。
「儀式を間近で見た感想はどうだった?」
「……そうだな。予想以上というか何というか……。正直、祈りの力なんて眉唾物だと思ってたんだが……」
「が……?」
「何だろうな。上手く言えないけど、祈りの詩の間、何か得体の知れない大きな力が渦巻くような感じがして、終わったら空気のように溶けて広がる感じがしたんだよな……」
そんなルイスの言葉にリックが目を瞬かせていると、ちょうど衣装の確認を終えたリオンとエマもまたソファーに腰かけ、二人の会話へと自然に混ざった。
「それを感じられたのなら、ルイス様、意外と神官の素質あるかもしれませんね?」
「やめてくれ。昨日みたいな面倒を習慣的になんてオレはごめんだ」
「ていうか、ルイス。眉唾物ってちょっと酷くない? 私も他の人も毎日、この国に生きる人の幸せを思って月神様に祈りを捧げてるのに」
エマの言葉に額を押さえて唸ったルイスに、リオンは口を尖らせながら不満げにそう言うと、じとーっと彼を睨み付けた。そんな彼女に、ルイスは苦笑しながら言った。
「悪い悪い。外に居たときも騎士団入ってからも、特別何かを感じたことなかったから、言われてもピンと来なかったというか……。あ、でも感謝はしてたぞ?」
「ホントに~?」
「本当に、だ。わざわざ家を出て神殿に入って、国のために祈りを捧げてる人の気持ちまで疑うつもりはないし、それは尊敬に値するものだと思ってるからな」
真顔でルイスがそう答えれば、リオンは目を瞬かせたあと、もじもじとした様子で視線を彷徨わせながら問いかけた。
「じゃ、じゃあ、私のことも尊敬してくれてる……?」
「当たり前だろ。今更何を言ってるんだ」
「今更も何も、ルイスがそんなこと言ってくれたことなんて一度もなかったけど?」
「……そ、そうだったか……?」
呆れ顔で返すリオンの言葉に、ルイスが気まずそうに視線を逸らせば、彼の背後からくつくつと楽しげな笑い声が聞こえてきた。その声に、ルイスがじろりと振り返り様に睨めば、リックは苦笑しながら言った。
「ごめんごめん。でもお前、いつも心で思ってることあんま口に出さないのに、それをリオンに察しろっていうのは、さすがにちょっと無理あるって」
「それはリオンじゃなくたって難しいと思うわ、リック様。というか、ルイス様って、本当にそういう朴念仁なところが玉に瑕よね」
「……お前ら、最近、オレに対して容赦なくなってないか?」
「え、別に長い付き合いだし? 階級の件気にしなかったらいつもこんなもんでしょ」
「あら、私は別にルイス様だけじゃなく、リオンにだって容赦ないわよ?」
悪びれた様子なく片やあっけらかんと、片やニッコリいい笑みを浮かべて返すリックとエマに、ルイスはがっくりと頭を垂れた。そんな彼らのやりとりを、リオンは少々呆気にとられた様子で見ていたのだが、堪えきれなくなったのか、小さく噴き出し笑い出した。そんな彼女の笑いにキョトンと目を瞬かせた三人だったが、目を合わせた三人にもそれは徐々に移り、気付けば四人で笑いあったのだった。
そんなたわいもない話をしつつ、徐々に休憩時間の終わりが近付くと、ルイスとリックは片マントの下にある剣の確認を始め、エマはリオンの化粧を直し始めた。そんな中、コンコンとノックの音が響く。
ルイスとリックは一瞬目配せ合うと、リックはリオンの傍へ、ルイスは扉へと移動した。そうして、ルイスが扉を開ければ、そこに居たのはグレンだった。
「ルイスか。先ほど陛下が筆頭近衛騎士のダニエルと共に到着になられたんだが、十分休めたか?」
「ええ、問題ないです」
「わかった。なら、月巫女様の準備が整い次第、中央ホールへ移動を頼んだぞ」
「承知いたしました」
そう言ってルイスが敬礼と共に返事をすれば、グレンは一つ頷き、部屋の奥にいるリオンへ一礼すると踵を返し、元来た道を戻っていった。それを見送ると、ルイスはドアを閉めつつ振り返り言った。
「……だそうだけど、あとどのくらいかかりそうだ?」
「あとはヴェールを被せるだけだから、すぐ済むわ」
そう答えたエマの腕の中には、こんもりと膨らんだ月白の薄い布。それを広げると、金糸で縁取られた長いヴェールが姿を現す。それを見たルイスは、リオンの顔を隠すようにヴェールをかけ、薔薇のコサージュで固定していくエマを眺めながら言った。
「そのドレスの襟や裾もそうだけど、引きずるほど長いとリオンも補助するお前も大変そうだな……」
「まぁね。とは言え、ヴェールは魔除けとしての役目があるから、こればっかりは大勢の前に出るときには外せないのよ」
「だから大変って言ったじゃない」
ルイスの言葉に、リオンがふんすと鼻息を荒くしつつ見上げれば、彼は呆れ顔で言った。
「いや、オレはコルセットが苦しいとか、薄手で寒いとかしか聞いてないぞ?」
「あ、あれ? そうだっけ?」
「そうだよ」
『おっかしいなぁ』とリオンが目を瞬かせて首を傾げるのに対し、ルイスが小さく息をついていると、横からエマが申し訳なさそうに口を挟んだ。
「えーと、とりあえず、支度は終わったのだけど……」
「え? あ、ごめん、ありがとう、エマ。国王様もお待ちだろうし、行こう?」
そう言って、リオンはレースでできたフィンガーレスの手袋をはめた左手をルイスの方に伸ばした。それに対しルイスもまたごく自然に、白い手袋をはめた右手でその手を取った。そして、彼女の手を取るや否や、彼女の手が微かに震えていることに気付いた彼は、目を瞬かせてリオンの顔を見た。が、それでも彼の前でにこにこと微笑むリオンの表情は崩れない。
そんな彼女なりの強がりに、ルイスは左手を握る右手に僅かに力を込めながら、真っ直ぐリオンを見つめると、安心させるように微かに微笑みを浮かべて言った。
「必ず守る。お前も、オレ自身も。だからオレとリックを信じろ」
そんな彼の言葉にリオンは微かに瞠目すれば、ルイスの翠緑色の瞳を戸惑ったように見つめたあと、エマの隣に立つリックを振り返った。そんな彼女にリックが、いつもの笑顔で頷き返せば、リオンは再びルイスを見て、作り笑いではない微笑みを浮かべて言った。
「約束、だからね?」
「ああ」
少し力を込めて握り返された彼女の右手に震えはもうない。それに安堵した笑みを浮かべると、ルイスは彼女をグレンに指定された場所までエスコートしたのだった。
ホールに四人が辿り着けば、そこにはグレンと神官長の他、二人の男性の姿があった。一人は菫色を基調とした絢爛な衣装と王冠を身につけた金髪に菫色の瞳の中年の男性。もう一人は、ルイスやリックの軍服に似た衣装と空色の片マントを身につけ、金髪の男性の隣に控えるように立つ赤茶色の髪に空色の瞳の壮年の男性。
彼らの姿を見つけるや否や、リオンは真っ直ぐに金髪の男性の前に進み、ドレスの裾を軽くつまむと腰を折って頭を下げた。
「お久しぶりでございます、国王陛下」
「昨年の祝祭以来だな、月巫女殿。ご健勝であったかね?」
「ええ。陛下もお変わりなさそうで安心いたしました」
そんな挨拶を交わしつつ、他愛もない話へと発展し始めると、少し離れた場所に立っていたルイスとリックの元へ、赤茶色の髪の男性が右手を挙げながら近付いてきた。
「よ、二人とも久しぶりだな」
「お久しぶりです、ハワード隊長」
二人が敬礼をすれば、彼――ダニエル=ハワードは左眉の傷を掻きながら苦笑して言った。
「あー、堅苦しいのはなしなし。楽にしてくれ。昔はともかく、今じゃ筆頭近衛騎士と護衛騎士、階級的には同じなんだから気にするなよ」
「先輩に対してはいくら階級が同じとはいえ、それなりに気にするものだと思いますが……。その豪胆な性格はお変わりなさそうですね」
「そういうお前の生真面目っぷりもな」
そう言って、ダニエルはがっしりとした腕をルイスの肩に回すと小声で言った。
「な、式典が終わったらあとで久々に手合わせと行こうぜ」
「……オレはともかく、あなたは国王陛下の護衛でそんな暇ないと思うんですが……」
「なぁに、お前がリックを頼るように、オレも自分の部下にその間を頼めばいい話だ」
にっと歯を見せながら笑みを浮かべるダニエルに、ルイスは小さく息をつくと苦笑しながら言った。
「わかりました。お付き合いしますよ」
「そう来なくっちゃな。あ、ルイスが終わったら、お前もだからな、リック」
「え、オレもですか?」
「当たり前だ。後輩の力量チェックは大事だろ?」
そんなダニエルの言葉に、リックもまた肩を落とすと早々に抵抗することを諦め白旗をあげたのだった。
そうして、小声で交わされた騎士達の話もまとまった頃、式典の時刻を告げる鐘の音がゆっくりと三回鳴り響く。その音に、それまで各々思うままに過ごしていた全員は顔を上げると、それぞれ動き始めた。
ダニエルは国王の左斜め後ろに、ルイスはリオンの左斜め後ろ、リックは反対の右斜め後ろへ。エマはリオンが体の向きを変えるのに合わせて補助を済ませると、ルイスやリックの後ろへと下がった。そして、それぞれホールの外にある三つあるバルコニーの前に並び立つ。リオンたちは一番左端、国王たちは中央、神官長とグレンは右端の窓の前という具合だ。
そんな中、まずは国王がダニエルを付き従えて中央のバルコニーへと歩を進めていく。そうして、彼がバルコニーに姿を現した瞬間、外に集まった民衆から歓声が上がる。
その歓声にリオンは少々顔を強張らせつつ、神官長たちとタイミングを合わせれば、ルイスとリックを背後に連れてバルコニーへと足を踏み出した。開け放たれた大窓から数歩進んだ三人が、石造りの手すり越しに見たもの。それは、神殿内で一番大きく開けた広場とそこから門へと続く道、さらには開かれた門の外までも埋め尽くさんばかりの人の姿だった。
それにはリオンだけではなく、一瞬ルイスとリックも向けられる視線の多さに口元を引き攣らせた。が、二人はすぐさま顔を引き締めると、腰の剣を引き抜いて正眼に構えた。彼らの内心など露も知らない民達の歓声は、そんな騎士たちの揃った動きにすらどんどん高まっていく。
が、それぞれ国王たちが静かに立っていると、最高潮に達するかと思われたその歓声は徐々に形を顰め、いつしか静まり返れば、国王が厳かに話し始めた。
「今年も無事、月巫女と多くの神職者により神事は成った。そんな今日という日をみなとまた迎えられたことに感謝を。さぁ、今年もまたこの良き日をみなで祝おう」
そんな簡潔な挨拶ではあったが、言葉が終わるのを合図に再び民衆から歓声が上がる。そんな彼らに、国王やリオン、神官長たちは笑顔で、時には手を振り応えたのだった。その間、彼らの護衛として後ろに立つ騎士達は全員、剣を正眼に構えたまま微動だにすることなく、彼らの五感をフル動員して、警戒をしていた。
大気すらも震えそうなほどの歓声の中、ルイスがそれに気付いたのは、本当にたまたまだった。
彼が気付いたもの。それは、リオンとルイスがちょうど一直線になる形で向けられていたからこそ気付けた、極々僅かな殺気。感じた先を見れば、遠くの木の葉の陰から反射した複数の小さな光が彼の視界に入る。それに気付くや否や、ルイスはリオンの前に出ようと足を踏み出した。
が、その瞬間、突風が真正面から吹き付け、彼が目を守るように手を翳した一瞬の間に、彼女へ向けられたそれは無情にも放たれていた。突風が追い風になったことで急速に近付くそれに、間に合わないと悟ったルイスは咄嗟に剣を投げ捨てると、リオンへと手を伸ばし、無意識にそれを口にした。
「リオン!」
その声にリオンが目を見開いたその数瞬後、その場には肉を突き破る音と共に真紅が舞い散り、明るく楽しげだった歓声は戸惑いへ、そして瞬く間に悲鳴と恐怖の混乱へと変わっていったのだった。




