13.深まる謎
※ 文章の最後にイメージイラストがあります。
あくる日、シンシンとした寒さが身に染みる早朝のこと。東の空が徐々に白み始め、ようやく陽が微かに顔を覗かせようかという時間帯。
騎士団の宿舎にある一室には、ランプの明かりを頼りに何かを書き留めているルイスの姿があった。普段身につけている群青の軍服ではなく、黒のガウンを身に纏っている。そんな彼の足下には火の消えかかった陶製の西洋火鉢があり、それが辛うじてその部屋の寒さを和らげていた。
ルイスが使っていない方の机には乱雑に積み上げられた書類の山。それは一月ほど前に彼の主が訪れた際に見たときと変わらないか、少し増えたくらいだった。
そんな中、ペンを置いたルイスは肩を回し軽く体を伸ばした。そして、大きく欠伸をして曇りがちな窓の外にある、石造りの神殿を見つめた。僅かな間そうしたあと、彼は『支度するか』とタオルを片手に自室を後にしたのだった。
その半刻後、いつもどおりキッチリと軍服を着込み、身支度を整えたルイスは、屯所の一室にて直立不動の姿勢をとっていた。そんな彼の胸に、普段首から提げているペンダントはない。
「屯所の見学の一件以降は特に問題なさそうだな」
そう言ったのは、黒塗りの机を挟んでルイスに相対している騎士団団長グレン=ヤヌス。彼の手元には、ルイスが預けたであろう書類の束があった。
「しかし、模擬戦の勝敗で遠征隊を決めるというのはさすがにどうかと思うぞ?」
「あくまで私とリックは推しているだけですので、最終判断は団長にお任せいたします」
「全くお前は……。まぁいいだろう。過程はともかく、一考の余地があるのも確かだからな」
「では、私はこれで……」
「って、おいおい。報告したら終わりなのか? 昨日の礼もある。少しくらいゆっくりしていったらどうだ?」
敬礼後くるりと踵を返そうとしたルイスにグレンが苦笑しながら問いかける。ルイスが訝しげな顔で振り返れば、彼がくいっと親指で指し示したのは、ちょうどいい具合にフラスコに落ちきり、芳しい香りを立てている珈琲。それを見たルイスは軽く息をついて向き直り言った。
「私は元々書類を机に置いたらそのまま神殿に行くつもりでした。リックとの交代時間ももう間もなくなので、今はできればご遠慮願いたいのですが……?」
「多少の誤差については、お前とリックが目を瞑れば問題ないだろう? 昨日はリックもだいぶ遅刻したようだしな」
「騎士団長が自ら規律を乱す発言をなさるのはどうかと思いますが?」
「オレとしてはこんなときでもなければなかなかお前とゆっくり話もできないし、何よりこの量を一人で飲むには、冷めて風味が落ちてしまうから手伝ってほしいんだが?」
「……はぁ、わかりました。ではお言葉に甘えて一杯だけご相伴に預かります」
今度こそ大きく嘆息し、現在リオンの護衛についているであろう同僚に、ルイスは心の中で謝罪の言葉を呟いた。そんな彼の様子にグレンは満足げに笑顔を浮かべ、手ずから珈琲をカップに注ぎ、室内の一角にある応接用のテーブルへと運んだのだった。
ルイスは『失礼します』と一言断ると、革張りのソファーへと腰を下ろし、グレンもまた彼の正面へと腰かけ、各々カップを傾けた。そしてルイスは一口珈琲を飲むと、複雑そうな顔で言った。
「いつものことながら美味しいです。が、なんというか……、二杯注いでちょうどサイフォンが空になる点に、非常に作為的なものを感じるのは気のせいでしょうか?」
「気のせいだろう。オレは単に仕事前に一杯飲みたかっただけだからな」
「そもそも、普段こんな時間に起きていらっしゃいませんよね?」
「まぁ、細かいことは気にするな」
『これでも食え』と言わんばかりに、ずいっと焼き菓子の入った陶器の器を出されれば、ルイスは小さく息をつきつつ、一つをつまんで食べた。しかし食べ終えると、眉を寄せ難しい顔をして問いかけた。
「団長。つかぬことを伺いますが、これ、ここの料理番が作ったものでもなければ、街の店で買ったものでもないですよね?」
「もらい物だがどうかしたか?」
「どうかしたかって……。女性から頂いたものでは?」
「ああ」
「『ああ』……ではなくですね。これは、その女性が、貴方に、食べて欲しいとわざわざ作ったものでしょう? それを私が頂いていいものじゃないと思うのですが?」
語気を強めつつ、口元を引き攣らせながらルイスが言い募るも、グレンは不思議そうに首を傾げて言った。
「いや、しかし、美味しいものは分け合った方がいいだろう?」
「……確かに美味しかったですし、そのお考えも大変ご立派かと存じます。しかし、このように高価な砂糖を多分に使った菓子を贈られた相手のお気持ちを考えると、さすがに気が引けます」
「そうか?」
「少なくても私はそうなんです。ですので、残りは団長が責任を持って召し上がってください」
そう言って、陶器の器をずいっとグレンの方へと返せば、返されたグレンは苦笑しながら言った。
「本当に頑固過ぎるほどに生真面目だな、お前は」
「今更何を仰るかと思えば……。だからこそ月巫女様の護衛に抜擢したと仰ったのは貴方でしょうに」
「それはそれ、これはこれ、だ」
「……団長、仰ってることがめちゃくちゃになっていませんか……?」
呆れを滲ませ、じと目でルイスが見やれば、グレンは腕を組んで言った。
「お前がいつまでも態度を崩さないからだろう」
「なんですか、その暴論。ここは騎士団団長の執務室で、貴方は団長、私は貴方の下についている一騎士。態度を崩す理由が一向に見当たりません」
キッパリと言い放つルイスに、グレンはもはや諦めたように肩を竦めて見せた。が、それはほんの一瞬で、すぐに居住まいを正すと、珈琲をほぼ飲み終えカップを揺らしているルイスを真っ直ぐ見つめた。雰囲気が変わったことを察したルイスは、『前置きが長いです』とため息交じりに溢しつつ、カップをソーサーに戻して姿勢を正した。それを見たグレンは、周囲に人の気配がないことを確認した上で声を顰めて言った。
「数ヶ月前に話した前任者の件だがな、ほぼ黒とオレは見た」
「……根拠を伺っても?」
「忘却水を仕入れる量や回数が多くなっているにも関わらず、在庫があまりにも少なすぎる。古くなったから入れ替えているという回答ではあったが、その割に未使用で廃棄されたはずの物がどれだけ探しても見つからない。特級指定の薬にも関わらず、だ。しかも、それらを始めた時期がお前の着任した頃と被っている、という点だな。いずれも証拠と言うには不十分で、偶然という可能性がないわけではないが、それにしてはあまりに腑に落ちない点が多すぎる」
「そう、ですか……」
視線を落とすルイスの目には、驚きの感情はなく、ただただ落胆と静かな怒りが滲んでいた。
「団長、忘却水が使われた量として、どのくらいの人数分が消費されたと推測されますか?」
「廃棄されたとされている量が正しい物であるならばという前提だが、少なくとも騎士団だけではなく神殿内の籍を置く全ての人数に使用しても足りる量だ」
「やはり……」
「何かあったのか?」
ルイスは『たいしたことではないんですが』と前置きした上で、グレンの目を真っ直ぐ見て言った。
「月巫女様や彼女の侍女であるエマの口から前任者に関する話が全く一度も出てきたことがないのです。エマはまだしも、私やリックの生活に関心を持って、屯所まで訪れた月巫女様にしては不自然なほどに……」
「話しにくい話題という認識から聞かないだけ、ということはないのか?」
「彼女は良くも悪くも、ご自身の身近な人間には割と率直に物を言う方です。半年程度しか就いていないリックと私に興味を持つお方が、六年の間護衛をしていた彼について元気にしているかどうかすらも気にしないというのは、些か違和感を覚えます」
「……つまり、月巫女様さえも……。いや、むしろ、前任者の存在や記憶そのものを消去するためだとしたら、忘却水を飲ませる優先順位が最も高いお方、ということか……」
ルイスからもたらされた情報に、グレンは思わずテーブルの上で組んだ手に額を当てて唸った。そんな彼にルイスはさらに真顔で続けた。
「あと、団長にお尋ねしたいのですが、神官方が月巫女様に外界の話をされたりする可能性はあり得ますか?」
「ないとは言い切れないが、月巫女様に直接関われる神職者が侍女殿を除けばみな高位の神官であることを考えるなら、可能性は限りなく低いだろう。だが、どうしてそんなことを?」
「報告書には神官方の目もあるため記載いたしませんでしたが、月巫女様は誰かに外のことを聞いたことがあるそうです。その相手のことは全く思い出せないそうですが……」
「……お前はまさか、その相手というのが……」
「前任者だった可能性があるかと」
「いや、しかし、前任者に関して覚えておられるかの確認はともかく、それに関しては覚えておられるのだろう?」
そう問いかけたグレンに、ルイスは首を左右に振って言った。
「あれは良くも悪くも、薬に溶けたもの……主に使用されているのは髪のようですが……その持ち主に結びつきの強い記憶にしか効力を発揮しません。もしも彼女の中で、外へと向ける想いと彼の存在が必ずしも関連強いものでなかった場合、一方は消えても、もう一方は朧気であっても消えることはありません」
「何だって?」
「そもそも、飲んだ者にとって溶けたものの持ち主を強く連想させる何かがあれば、思いがけず思い出すこともあるんです。あれの性質は、特定の人に関する記憶にただ固い蓋をするだけのもので、完全な忘却手段ではありません」
「そんなことは初耳だが、どうしてお前はそんなこと……。まさか……」
目を瞠るグレンに、ルイスは苦笑しつつ頷いて言葉を続けた。
「私自身の実体験です。ですから、この分析が絶対とは言えません。が、彼女が忘却水を飲まされている可能性がある現状、そちらの可能性もあり得ると私は思っています」
「そう、か……」
「ただ、それだけですと、何故団長だけでなく、私を含めた当時月を持たなかった騎士までという点が説明できないので、忘却水が使われるに至るほどの何かが他にあったのかもしれませんが……」
「そうだな……。しかし、全く何とも雲を掴むような事案だな……」
音を立てて背もたれに寄りかかったグレンは、何とも言い難い表情で天井を見上げた。
それからしばらくの間、無言の重い空気が執務室に立ちこめる。が、そんな中、ルイスはポツリとこぼすように口を開いた。
「団長、私は最近思うのです。月巫女様が国や民の幸せを月神へ祈るなら、月巫女様の幸せは一体誰が祈るのだろうか、と」
「……月巫女様には月神と神殿がついている、と何も気付かなかった頃のオレなら答えていただろうな」
眉を寄せて視線を逸らすグレンに、ルイスは拳を握りしめて言った。
「私には、今の月巫女様が幸せだとは到底思えません。人として当然の知識を得ることも行動も制限され、ただ軟禁しているのと変わらないではないですか」
「ルイス……」
「こんなのは人柱と同じじゃないか。神官にとって月巫女の力やそれに伴う利権ってのはそんなにも大事なものなんですか? 人の尊厳や願い、記憶を歪めてでも必要なものですか?」
口調に少々素が出始めているが、ルイスは高ぶる感情のあまりそれにすら気付いていない。そんな彼にグレンは努めて冷静に言った。
「お前の言い分はわかる。だが、確証と言えるだけの証拠もない現状ではどうすることもできない。そして、彼女の祈りによる月神の加護……いやもしかしたら彼女の存在そのものか。それがあるからこそ、今は他国と国境付近での諍い程度で済んでいるのも事実だ。それも、わかるな?」
「それは……」
「オレも出来うることはする。だから、今は耐えてくれ。オレはお前に剣を向けたくはない」
その言葉に、ルイスがハッとした様子で顔を上げた。
「前任者が何をしたのか現状では確認する術もないし、わからない。しかし、制約を侵すものだったとしたら、今もなおそれは大罪に値するものだ。それが護衛の騎士ともなれば、内容次第でオレは動かざるを得なくなる」
「……申し訳ありません。失言でした」
「構わない。どうせ私しか聞いていないことだしな。だが、酷なことを言うようだが、くれぐれも冷静さだけは欠いてくれるなよ?」
「はい」
その目には憤りこそまだ浮かべども、態度と口調から冷静さを取り戻した様子のルイスを見て、グレンは安堵したように息をついた。
「要件は以上だ」
「承知いたしました。それでは、今度こそ私はこれで失礼いたします」
「頼んだぞ」
踵を返したルイスの背中に、念を押すようにかけられた言葉。それに対し、僅かに間はあったものの、ルイスは小さく頷きながら言った。
「……当然です、任務ですから。珈琲ご馳走様でした」
そう告げれば、彼はグレンの執務室を今度こそ後にしたのだった。
まだ太陽が昇りきらぬ中、屯所を後にし神殿へと向かう途中で、ルイスは一度屯所の方を振り返った。その先にあるのは、微かに明かりが漏れる団長の執務室と、窓の奥に見える真紅の背中。
「貴方が居たからこそ、今のオレが居る……。だけど……」
ぎゅっと拳を握りしめるルイスの中で、希うような誓いと、彼の芯とも呼ぶべき古い誓いがそれぞれに込められた感情と共にせめぎ合う。
「いや……。いつか、どちらかを選ぶ日が来たとしても、オレが選ぶべき道はずっと昔から決まりきっていることだ」
誰に向けるでもなく、それは彼自身に言い聞かせるかのように呟くと、思考を振り払うかのように顔を左右に振り、今度こそ彼は神殿へと真っ直ぐ急ぎ足で向かって行った。




