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11.共犯

※ 文章の最後にイメージイラストがあります。

「リック様、一つお伺いしたいのですが、……いいですか?」


 空もすっかり高くなり、乾いた冷たい風が吹く季節に差し掛かったある日の昼下がり。それを発したのはどんよりとした空気を纏って俯いているエマ。そんな彼女に声をかけられたのはリオンの隣に立つリック。彼は苦笑しながら返した。


「どうぞ」

「昼前に着替えを終えて下がったときにはルイス様が付いていたはずなんですけど、どうして今はリック様なんでしょうか?」

「元々今日は私の当番だったんですが、うっかり盛大に寝坊したからですね」


 さほど悪びれた様子もなく平然と返すリックに、エマはがっくりと応接用のテーブルに突っ伏した。そんな彼女の隣では、その部屋の主でもあるリオンが二人の間で、シニヨンを飾る瑠璃色のリボンを揺らしながら、オロオロと忙しなく見回している。それを知ってか知らでか、エマはむくりと体を起こすと絶望的な笑みを浮かべて言った。


「寝坊なんて、騎士様でもそんなことがあるものなのね……。いえ、人間ですものね……。ふふ、リオン、ごめんなさい。私はここまでみたいだわ」

「ちょ、ちょっと待ってエマ、落ち着いて! ね?」

「大丈夫。落ち着いてるわ。リック様が今回の件を神官様に報告したら私は即解任で、神殿から実家に強制送還されるのよ」

「まぁ……、主を呼び捨て・敬語なしともなると、本来であれば不敬罪当たりで罰則ものですかね」

「…………数分前の迂闊な私を全力で張り倒して止めたいわ……」


 苦笑を深めるリックに、うなだれているエマを見て、リオンはこうなったそもそもの発端について思い返していた。


***


 朝の務めを終えると、リオンはエマの手を借りて髪を結い上げ、紺色のシンプルなドレスとチェック柄の緑色のストールへと着替えた。それから、次の公務までの空き時間、彼女は私室の窓辺で読書をしていた。そして、遡ること数分前、着替えのあとずっと席を外していたエマが伝言を携えて部屋を訪れたのだが……。


「失礼するわ、リオン。予定していた侯爵様との面会の件だけど、先方の都合で延期になったから、今日このあとは自由でいいそう、よ……」


 ノックと共にドアを開け、閉める音がするや否や告げられた内容に、リオンはぱちりと目を瞬かせながら膝元の本から顔を上げた。が、不自然な語尾と目を見開くエマの視線を辿ると、彼女は不思議そうに首を傾げた。視線先にあったのは、見慣れ始めた翠緑玉ではなく、青碧玉の瞳。困惑した笑みとは裏腹に、窓から差し込む陽の光で金色の髪と月と剣を模したペンダントの意匠が、少々眩しいくらいにキラキラと輝いている。


 それを見つめること数秒。リオンはようやく何が起きたのか把握し、徐々に口元を引き攣らせながらぎこちなく振り返った。そんな彼女が振り向いた先では、ちょうどエマが真っ青な顔で頭を抱えてその場に蹲ったのだった――。


***


そうして、狼狽したエマを見たリオンとリックが、慌てて二人がかりで宥めてソファーに座らせ、冒頭に至る。


「ねぇ、リック。処罰って、私が望んだことだと言ったらどうにかならないですか?」

「いえ、それには及びません。私が報告しなければいい話ですし」

「え?」


 悲観的な連想をしたエマの言葉を肯定していた人物からの思いがけない言葉に、リオンとエマが驚き声をあげた。そんな二人に対し、リックは苦笑を深めながら言った。


「先ほどのお二人の様子からの推測になりますが。うちの隊長も黙認の上で普段から協力していたのではないですか? 例えば、誰かが来る気配がしたら月巫女様に前もって声をかけるとか、他者が部屋の中に居るときにエマが来たときは隊長がドアを先んじて開けていたとか。そんなところかと推測いたしますが、いかがでしょう?」

「そのとおり、ですけど……。でも、リックはそれでいいんですか?」

「ええ、私は隊長の判断に倣うまでですから、ご安心ください」


 にっこりと人好きのする笑みを浮かべたリックを見て、顔を見合わせたリオンとエマはほっとしたように大きく長く息をついた。


「私軽く十年くらい寿命が縮んだ気がするわ……」

「私が寝過ごしたばかりに申し訳ありません」

「いえ。元はといえば、ルイス様の対応に頼ってばかりで、ちゃんと確認をしなかった私の落ち度ですから」


 そんな会話をリックとエマが繰り広げる中、リオンは口元に手を当てて黙り込んでいた。数秒ほどそうしていると、一つ頷いた上で、隣に立っているリックを真顔で見上げて言った。


「リックはルイスの判断に倣うんですよね?」

「え? まぁ、はい。概ねそうですね。副官ですし」

「じゃあ、リックも私のこと名前で……あ、もちろん呼び捨てで。あと、口調も敬語をやめてほしいんですけど、ダメですか?」

「……え?」


 キョトンとした顔でリオンの言葉を聞いていたリックは、パチパチと目を瞬かせた。リオンの隣では、エマもまた目を白黒させて事の成り行きを見守っている。そうして、少し間を置いたことで言われたことを理解したのか、リックは恐る恐るといった様子で口を開いた。


「今の言い方からすると、隊長も月巫女様のことを名前で呼んで、敬語を使わずに話している、ということでしょうか?」

「ルイスとエマ、私だけのとき限定ですけど、二人には少し前からお願いして、そうしてもらってるんです」

「お願い、ですか」

「お願いです。それにリックにも共犯になってもらったらみんな楽でしょう?」


 楽しげに物騒なことを宣うリオンに、リックはしばし唖然としていたが、小さく吹き出せば、口元に笑みを浮かべて言った。


「共犯ですか。それ面白そうでいいですね、わかりました。エマもその方が心穏やかでしょうし、承ります」

「敬語は禁止」

「あ、ごめん、つい癖で。わかったよ、リオン。これでいい?」

「うん!」


 砕けたリックの口調にリオンは満足げに笑みを浮かべ、数瞬後、苦笑しながらポツリと溢した。


「というか、こんなにあっさり頷いてくれるなら、もっと早くに言えばよかったな……」

「あれ、思いつきじゃなかったんだ?」

「違いますー。ずっと言おうと思ってたし、屯所でルイスを待ってたときも本当に言おうとしたお願いはそれだし。ただ……」

「ただ?」

「……なんだかリックにもお願いするのは、ちょっとだけ畏れ多い気がして言いにくかっただけだもん」


 口を尖らせながらそう告げたリオンの言葉に、リックの肩が一瞬だけピクリと強張るも、彼はそれを二人に感じさせることなく、自然と肩を竦めさせて苦笑しながら言った。


「最高位の巫女から畏れ多いって言われるとか、それこそ畏れ多い話だよ」

「まぁ、ちゃんとした理由は私もよくはわかってないけど、でもほら、守ってくれる護衛騎士だし、意地悪なルイスと違うから緊張したのかも?」

「うーん。護衛騎士って言っても、正式な護衛騎士はルイスだけで、オレはあくまでもルイスの補佐だから、そんな肩肘張る必要ないんだけどなぁ」

「え、そうだったの?」

「そうだったの。だから謁見の間での顔合わせのとき、オレ居なかったでしょ?」

「それは確かにそうだけど……」


 そこまで話したところで、リオンが俯き肩をぷるぷると震わせた。そんな彼女の様子にリックが訝しげに首を傾げると、彼女は低い声で呟いた。


「聞いてたのは二人のはずなのにおかしいなと思ってたんだよ。まさか補佐だから正式な護衛騎士じゃないとか……。やってることは時間の長さを除けば二人とも同じなのにおかしくない? ていうか、顔合わせに立ち会わせなかったのが、正式な護衛騎士じゃないからとか、そんなの誰が決めたの? 神官長様?」

「えーっと、リオン? ちょっと落ち着こう? ね?」

「そうだよ。あのとき、全部取り仕切ってたの神官長さまじゃない。うん、私決めた。ちょっと、神官長様に抗議しに行ってくる!」

「待って待って!! その勢いで乗り込んで、何を話すつもり?!」

「何って、リックから聞いた話と、リックの待遇改善要求に決まってるじゃない! リックだって護衛騎士なんだから、扱いはルイスと同じであるべきだよ」

「いやいや、普通、従者は主にこんな話しないから! むしろ、今度はオレが不敬罪とかで首飛びかねないから!」


 勢いよく立ち上がり扉に向かうリオンの前を、慌てた様子で通せんぼするように塞いだリックが言い募れば、『首飛び』の一言でリオンはハッとしたようにその動きを止めた。


「そう、だよね。いつも主従として一線を引いてたからこそ、今の今までそんな話しなかったんだもんね……。ごめんなさい」

「謝らなくてもいいし、その気持ちだけで十分だよ。オレはリオンの従者の一人でよかったって思ってるから気にしないで」


 しょんぼりと肩を落とすリオンに、リックは彼女の肩をポンポンと慰めるように撫でて、そっと彼女を元いたソファーまでエスコートすると、彼もまた彼女の隣という定位置に戻った。そんな二人の様子を今まで目を白黒させたりしながらもじーっと黙って見ていたエマは、唖然とした様子で呟いた。


「リック様って、ずいぶん順応性高いのね……。いろいろびっくりだわ」

「まぁ、オレは別にルイスほど真面目じゃないしね。主のお願いっていう大義名分もあるし、周りにさえ気を配れば、あとは肩肘張らずに話せるのって楽でいいかなって」

「まぁ、否定はしないわ……。というか、ルイス様まで呼び捨てでいいの? 階級だって隊長と副官って聞いたけど?」

「ルイスとオレは隊長・副官の前に同期だから、公の場以外ではいつもこんなだよ。あ、エマもオレのこと呼び捨てで構わないから」

「なるほどね。呼び方の提案については、ルイス様にも言われたけど、気持ちだけ受け取って置くわ。二人のように気配が読めるわけでもないし、区別つけないでいるとさっきのように露見する危険が今以上に高い気がするし」


 そう言ってエマが肩を竦めつつ苦笑すれば、リックは目を瞬かせて尋ねた。


「確かにそのとおりかもしれないけど、それでよくリオンの『お願い』聞くことにしたね?」

「……むしろ、私は何年もずっと断ってたんだけどね……。まさか、ルイス様が一月ちょっとであっさり陥落されるとは思わなくて……」

「あれ、意外。エマが先じゃないんだ?」

「当たり前じゃない。一応、これでもリオンが淑女として覚えるべき礼節やその他の教育担当なんだから」

「でも、結局はエマも陥落した訳だけど、ルイスが陥落したのとどう関係が?」

「ルイスが承諾したら、エマもお願い聞いてくれるって言ってくれたの」

「あー……なるほど」


 エマの隣に座り直したリオンから思わぬ答えが返ってきて、リックが何とも言い難い顔でエマを見れば、彼女は両手を合わせたところに額を当ててうなだれていた。


「……何も言わないでちょうだい。規則を重んじる方だって聞いてたから、大丈夫だろうと思ってたのよ」

「まぁ、それは妥当な評価だよ、うん。実際、アイツの場合、ここ最近の行動の方が異例続きで、基本的に規則が軍服着て歩いてるようなヤツだし。運が悪かったとしか言えないな」

「ホントにそう思うわ……。でも、ふーん……。最近の行動は異例続きなのね。それって原因は同じなのかしら?」


 うなだれていたエマだったが、いいことを聞いたと言わんばかりに、顔を上げると意味深な笑みを浮かべた。そんな彼女にリックはニヤリと笑いながら言った。


「オレが見る限り原因は同じ気がするなぁ。もうかれこれ十年以上の付き合いになるけど、筋金入りの生真面目仕事人間っていうのがアイツの代名詞だったんだ。プライベートで地を見せるようになるまで、オレでも数年かかるくらいの堅物だったんだよ。それがまさか、条件なしで主の無茶ぶりを承諾するなんて、槍が降ってもおかしくないくらいだよ」

「え、条件ならあったよ? 二人のときだけって」


 あっけらかんと告げられた言葉に、リックは一瞬固まり、口元を引き攣らせながら、彼女を見て尋ねた。


「リオン、ちょっと待って。それ、エマにも打ち明けたらダメなやつじゃ……?」

「ええっと……、それはその……」


 リックの問いにリオンが視線を逸らして言葉を濁すと、嘆息したエマが代わりに口を開いた。


「そうね……。あれは、ルイス様にとっても不運な事故だったと思うわ……」

「ちなみにそのときのルイスの反応詳しく」

「声は出さなかったし一瞬だったけど、端的に言って『ギャー、何さらっとバラしてるんだ―!』と言わんばかりの真っ青な顔だったわ。リオンの後ろに居なかったら、さすがに顔には出さなかったのかもしれないけど……。でも、そうね。今思えばあれがリオンの言葉を裏付ける決定的な証拠になった気がするわ……」

「あー……うん、なんか想像ついた」


 リックから向けられた苦笑いを含んだ視線、そしてエマの遠い目と言葉に、リオンは視線を彷徨わせたものの、眉尻を下げて困ったように笑いながら言った。


「え、えへへ……。ほ、ほら、ずっと叶わなかったことが叶うってわかったら、ついうっかり先走っちゃうことってあるじゃない? あ、でも、あとでルイスには謝ったし、ちゃんと反省はしたよ?!」

「いやいや、ここでまたオレにバラしたらダメだよね?」

「さっきも言ったように思いつきじゃないし、今回は先にルイスにも確認したから平気! 私が直接お願いして、リック個人が了解したならいいって」


 困り顔から一転し、得意げな顔で胸を張るリオンに、リックは苦笑しながら言った。


「なるほど。さすがに成長したってことだね」

「リック、それどういう意味かな?!」

「その代わり、他にはもう絶対に言うなって何度も何度も念押されてたけどね」

「もうエマまで!」


 訳知り顔で頷くリックと呆れ顔のエマの言葉に、リオンは顔を真っ赤にして眉を寄せ、口を尖らせた。そんな不満です不機嫌ですと言わんばかりの主の様子に、二人は顔を見合わせて苦笑した。


 それから二人が、ふてくされている主に何とか機嫌を直してもらうために、あれやこれやとご機嫌取りに奔走したのは言うまでもない。



挿絵(By みてみん)

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― 新着の感想 ―
[一言] 話の分かる男、リック! おっちょこちょいなエマといった所でしょうか(笑) 言葉遣いのやりとりで大事になってしまうというのも 随分と大げさな感じもしますけど、謎は深まるばかり。
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