8.フラグの行方
※ 文章の最後にイメージイラストがあります。
神殿のやや北東にあるロの字形のレンガ造りの城――それが神聖国オストの騎士団の屯所だ。中心にある大きな中庭は騎士たちの訓練場となっており、芝生の中央には白い石で組まれた武舞台がある。
古い修復痕をいくつも残すその武舞台には今、三人の騎士が立っていた。内二人は、刃を潰した模造剣を片手に向き合うルイスと黒茶頭の騎士、残るもう一人は紅白の旗を手に両者の間に立つ赤毛の騎士だ。バラの隊章を胸に光らせる黒茶頭の騎士は、剣先を真っ直ぐルイスに向けて声を張り上げた。
「さぁ、クリフェード隊長、覚悟はいいか!?」
「あー……また今度改めませんか、ネルソン隊長」
「貴様、ここに来て怖じ気づいたのか!?」
秋風にポニーテールを靡かせながら、くわっと挑発する男――ハージェス=ネルソンに対し、ルイスの口から大きなため息が零れ落ちる。そんな彼の脳裏を過るのは、屯所に到着してしばらくした時のことだった。
***
リオン、リックと共に屯所へやってきたルイスは、見張り兼受付を担当する騎士たちの協力を得て、こっそり屯所内に入った。武器庫に食堂と、人気の少ない場所から順に回るところまでは順調だった。――訓練を終えた騎士たちと非番の騎士たちに前後を挟まれ、回避しきれずに遭遇するまでは。
ルイスとリックが揃っていることもあり、私服姿にも拘わらずリオンの正体は即座に露呈し、あれよあれよと言う間に騒ぎが屯所内に広まる。
どうにかその場を去ろうとした三人だったが、時既に遅し。屯所内にいた騎士たちに珍獣よろしく囲まれ、完全に身動きが取れなくなってしまったのだった。
そんな彼らからリオンを隠すように立ったルイスは、淡々と告げた。
「今日の月巫女さまの目的は屯所の見学であって、交流じゃない。騒がせて申し訳ないが散会してくれ。以上」
ルイスの言葉に、騎士たちから非難と不満の声が沸き上がる。後方のリックと共に、リオンを間に挟んで護衛をする中、騎士の誰かが声を上げた。
「クリフェード隊ばっかり女の子……じゃない、月巫女さまのお傍で任務とかうらやま……いや、ずるいぞ! 少しくらい話をさせてくれてもいいだろ!」
「そうだそうだ! いっそ護衛騎士の座をかけて勝負しろ!」
「それは団長が視察から戻ったあとで、団長に直接言ってくれ」
仲間たちの言葉に目を据わらせたルイスがぴしゃりと告げれば、文句の嵐がぴたりと止む。そんな彼らにリックが苦笑し、ルイスも呆れ混じりにホッと胸を撫で下ろしたときだった。
「勝負……。そういえば、ルイスたちは騎士さまの中で、どのくらいお強いのですか?」
何気ないリオンの一言に、辺りはシンと静まり返り、その場の騎士全員が硬直する。それはさながら、嵐の前の静けさを彷彿とさせるものだった。
そんな中、口元を引きつらせ、微かに顔色を失ったルイスが振り返る。だが、火種を投げ入れた本人はキョトンと小首を傾げるばかりだ。そんな彼女の様子に、騎士たちの目が怪しく、かつ爛々と光る。そこで声を上げたのが、ネルソンだった。
「月巫女さまはクリフェード隊長の強さにご興味がおありですか!?」
「え、ええ……」
迫る勢いに戸惑いながらも頷き返すリオンに、ネルソンの口が弧を描く。
「ちょっと待って下さい。ネルソン隊長、一体何を……」
「では、月巫女さまの御前にて実際にご覧に入れましょう!」
「え、いいのですか……?」
ルイスの制止もむなしく、大仰に告げられる言葉と期待が滲むリオンの返事に、騎士たちから吠えるような歓声が上がる。それを宥めようとするルイスの隙を突き、リオンの手を取ったネルソンは恭しく頭を垂れた。
「もちろんですとも、月巫女さま。その際、クリフェード隊長に勝った暁には、よろしければ私共に祝福の栄誉をお与えいただけませんか?」
「どさくさに紛れて何してんですかっ!?」
ネルソンの行動にルイスは目の険しさを一割ほど増しつつ、半ば強引に引き剥がす。そんな中、リオンはと言えば、突然の行動に目を白黒させるばかりだ。
「それは構いませんが……」
「ご快諾賜りありがたく存じます」
「おお――!!」
屯所中に響く騎士たちの雄叫びに、リオンの肩がビクリと跳ねる。彼らの反応に目を瞬かせた彼女は、ややあってハッとすると、そろりと護衛騎士たちを窺う。『もしかして、まずかった……?』と問いたげな視線に、ルイスはこめかみを押さえ、リックは苦笑と共に小さく息をつく。沸き立つ仲間たちをチラリとみた彼らは、同時に首を左右に振り、口を揃えて告げた。
「申し訳ありません。こうなってはもう完全に手遅れです」
***
そうして、今に至る。
やる気に満ちたネルソンとは対称的に、ルイスはげんなりと呟いた。
「負けたら最悪、オレの首飛ぶんじゃないのか、これ」
小さくボヤいた彼の脳裏を過るのは、『必要以上の接触・会話は避けるように』という神官長からの指示だ。半ばリオン自身によって反故にされつつある指示と、負けた場合、その後どうなるかを想像した彼の口元が引き攣る。しかし、腹を括るように首を左右に振ると、彼もまた相手を真っ直ぐ見据えて剣を構えたのだった。
審判の合図と共に試合を開始すると、二人の騎士は同時に一瞬で距離を詰め、躊躇うことなく模造剣を振るう。時折火花を散らしながら、一合二合と硬質な音を奏で、互いにあの手この手で攻防戦を繰り広げていく。
その最中、急遽設置された小さな天幕がルイスの視界の隅に映る。天幕の入り口脇には、剣の柄に手を置いて立つリック。彼の斜め後ろ――天幕の中には、椅子に腰かけてルイスを見つめるリオンの姿もある。一見すると申し訳なさげな顔をしているものの、好奇心を隠せずにいる瑠璃色の瞳に、彼は襲いくる剣を躱しながら嘆息を洩らした。
ふと天幕の後方を見れば、大地に沈む騎士数名と、奥の物陰から天幕を窺う仲間たちの姿。その状況を受けて二人に視線を戻すも、リオンが気付いた様子はなく、一瞬目の合ったリックだけがルイスに意味深な笑みを返した。
「オレがこっちにいる間にお近づきになろうとしたのか、全く……」
「隙あり!」
彼が大きくため息をついた瞬間、好機とばかりにネルソンは剣を振り下ろす。それをルイスは、危なげなく剣で受け止めた。
「だいたい、交流が目的じゃないって言ってるのに、なんでこんな面倒事に……」
「勝負の最中に何をブツブツ言っているんだ! 真面目にやらないか!」
憤慨した様子で投げかけられた言葉に、ルイスの眉間に深いしわが刻み込まれ、頬にもピキッと怒筋が浮かび上がる。
「わかりました。では、ご所望どおり真面目にやりましょう。私も全力で諸々発散させて頂きますよ」
「え?」
目を据わらせながら笑顔で宣言したルイスは、すっと腕の力を抜いて重心を移動させる。重くのしかかっていた剣は勢いと力をそのままに、あらぬ方向へと向かう。
剣に引っ張られ、体勢を崩すネルソンの胴、腕、足へとルイスの剣が容赦なく叩き込まれていく。怒濤の攻めにより剣を弾かれ、片膝をついたネルソンの喉元に剣先を突きつけられると、程なくして試合終了の合図が訓練場に響いたのだった。
ルイスが剣を引けば、立ち上がったネルソンは、打ち付けられた脇腹を押さえた。
「いてて……。相変わらず容赦がないな、お前は」
「……ほう? 月巫女さまを巻き込んでまで無理矢理茶番に付き合わせた上、真面目にやれと言いながら手加減しろとでも?」
「えっ……。あ、いや、その……」
笑顔とは裏腹にドスの利いた低い声と、ルイスの纏う怒気を孕んだ不穏な空気。それらにようやく気付いたのか、ネルソンは顔を青ざめさせて視線を泳がせる。そんな彼にルイスは、笑顔のまま追い打ちをかけるように言った。
「そういえば、私に勝てたら月巫女さまの祝福がどうなどと仰ってましたが、あなた方が負けたときのことを決めてませんでしたね?」
「いや、それは別になくても……」
「ああ、団長が北部遠征に出す隊を決めあぐねていると前に仰ってましたね。せっかくですし、私の方からはネルソン隊を推薦しておこうと思います」
ニッコリ微笑んで告げる彼の言葉に、顔を引き攣らせていたネルソンは、ギョッと目を剥いた。
「ちょっと待て、これから本格的に雪が積もる時期だろ! いくら何でもそれは割に合わないぞ!? ディオス副官からも何か言ってくれ!」
助けを求めたネルソンが視線を送った先に居たのは、リオンの傍に控えているリックだ。急に話を振られ目を瞬かせた彼は、ちらっとルイスを見たあと、にっこりいい笑顔をネルソンに向けた。
「あれは無理ですね。止められる気がしないので諦めてください」
「ちょっ……!?」
「ああ、極寒の遠征じゃ不服ですか? でしたら、ノトスとの国境にある南部警備への応援……」
「い、いや! 喜んで北の遠征に名乗りを上げよう!」
もはや悪魔の笑顔とも呼べそうなドス黒い笑みを浮かべたルイスに、ネルソンは皆まで言わせる前に慌てて宣言する。そんな彼に、ルイスは呆れた様子で息をつくと、行列を成している残りの騎士たちに向かって言った。
「まだやりたい者がいるなら、時間も惜しいから全員まとめて掛かってこい。まとめて全員遠征に推薦してやる」
もはや笑顔の仮面もかなぐり捨てた彼の言葉に、行列を成していた騎士の大半は勢いよく首を左右に振る。その反応に、ルイスは『不甲斐ない』とぼやき、眉を顰めた。
そんな中、数名の騎士が一歩前へと進み出れば、虚を突かれた翠緑玉の双眸が瞬く。彼らの胸に光るバラの隊章に、ルイスはどこか嬉しげにニヤリと笑う。
「ネルソン隊が五人か。いいだろう、さっさと始めるぞ」
気圧され緊張に顔を強張らせるも、五人は引くことなく武舞台に上がる。そうして、北部遠征がほぼ確定しているネルソン隊の騎士との試合が幕を開けたのだった。
試合の内容は元より、そのやりとりの大半は当然リオンの耳にも届いていた。彼女の目の前では、五人で攻める騎士たちの剣を絶妙にいなしながら、的確に相手の急所へ剣を叩き込んで行くルイスの姿がある。それをほぅと感心した様子で見つめながら、彼女はポツリと呟いた。
「ルイスの戦うところ初めて見ましたけど、あんなに強かったんですね……」
「護衛任務の場合、有事の際は今のような多対一の戦いを要求されることもあり得ますからね。月巫女さまの護衛ともなれば、あのくらいは最低限こなせないと務まらないのです」
「では、リックも?」
興味を隠す気のない瑠璃の眼差しに、リックは僅かに瞠目しながらも穏やかに微笑む。
「隊長ほどではありませんが、彼の副官の名に恥じない程度には」
「そうなんですね」
二人が話しているうちに、最後まで立っていた胡桃色の髪の小柄な騎士も剣を弾かれ、目の前の試合はルイスの一人勝ちで終わったのだった。
乱れた息を整えながら、模造剣の鋒を下げてリオンの元へとやってくると、ルイスは小さく頭を下げた。
「お待たせして申し訳ありません。それでは参りましょうか」
「いいえ。ルイスやいつも守って下さっている騎士さまたちの戦うお姿を拝見できて、とても有意義でした」
そう返したリオンは、椅子から立ち上がると、まだ武舞台に残る騎士やその奥に騎士たちを見た。
「みなさまも、お忙しい中、私のためにお時間を割いてくださり、ありがとうございました」
巫女姫らしい笑顔と共に一礼すれば、一拍置いて再び歓喜の雄叫びが上がり、瑠璃の瞳が瞬く。リオンが顔を上げれば、今にも押し掛けそうな勢いで諸手を挙げる騎士たちの姿。そっとルイスを窺い見れば、顔に大量の怒筋を浮かべる彼の中で、何かがブチンと切れる音をリオンは聞いた気がした。
「お前ら……、もういい加減空気読め!」
怒鳴り声と共に、ルイスは振り返りざま、手にしていた模造剣を投擲する。風を切り、一直線に飛んでいったそれは、小気味良い音を立ててネルソンの額に柄頭をぶつけた後、そのまま大地へ転がったのだった。




