ヴォイスハピネス~伝えたいコトバ~
俺は白天ゆうじ。これは仮名であって本名は別だ。白天を題材にした書籍がロングセラーになったからペンネームがそれになっただけだ。安直でも売れればいいんだ。
売れに売れた小説。昼間は本屋でサイン会、講演会、その他。色々駆けまわる日々を送っていた。そうすると、それまで書くことで得られていた幸福は下がる一方で、忙しさと引き換えに書く意欲と閃きも失っていくことを感じていた。
とある日の本屋。何の感動も得られなくなった俺のサイン会に、それまで出会ったことの無い女性がサインを求めて並んでいた。並ぶほどでもない俺の価値。それでも、並んでいた彼女。それが出会いの始まり。
意欲も閃きも生まれなくとも、書いて行かなければ生きていけない。その程度の人間だ。そんな俺のサイン会には、日に日に人も求めなくなる。それでも彼女はそこに立っていた。
時間が来るまで、作家の俺は客の入りと様子を眺めることの出来るスペースにいることが出来た。俺は彼女が俺の本を手に取って、嬉しそうな笑顔を浮かべている姿を見るのが好きだった。
何度もサインを求めに来てくれているのに、俺だけが「ありがとう」としか声をかけていなかった。彼女の声が聞きたい。もはや彼女だけが俺の客であり、夢でもあった。そして――本を手にした彼女に声をかけた。
「ありがとう。俺なんかの本を読んでくれて」
ずっと笑顔を見せていた彼女の表情が、明らかに暗くなるのを感じた。
「う、あ……ああ……う」
「キミ、もしかして言葉が?」
そういうと、首を縦に振りながらメモに文字を書き始めた。携帯電話では無く、何枚ものメモ紙で彼女は言葉のやり取りを始めていた。
「どうしてそんな悲しいことを言い出すの? わたしはあなたの本が好き。沢山の喜びが詰まっているよ? ゆうじの言葉は素敵です」
俺もメモ紙に文字を書いて、彼女に伝えていた。
「キミらが言うほど、いい言葉を書けなくなった。だからこの有様なんだ」
「あなたの想いは大好き。想いが詰まった言葉を書けるなんていいじゃない!」
「い、いや、でも……」
「自然に出た言葉があなたの言葉。そこが好き」
声では無い、文字の言葉は直で来るものがあった。途端に照れくさくなり、最後の客でもある彼女へのサインをさっさとカバーに書いて、引き揚げようとした。
服を強く引っ張られながら、彼女の口元は「行かないで」と動いているように見えた。それでも、照れの方が上回った。バックヤードに無理やりにでも戻る俺を追いかけるように、慌てた彼女はその場で転び額が赤くなっていた。
「ご、ごめん、えと、消毒を……」
またメモ紙にサラサラと書いたその言葉は、「気にしないで」だった。そういうわけにはいかない。彼女の額に絆創膏を貼って、処置をした。
嬉しそうに微笑む彼女は頭を下げて帰っていった。数日、数か月と日だけは淡々と過ぎて行く。こんな俺に、本屋からのサイン会は開かれなくなっていた。当然だろう……書きたいものが書けないのだから。
そう言えば彼女の名前をメモ紙で聞くのを忘れていた。どこから来て、どこに住んでいるのか。ふと、思い出したように浮かんでいた。そんな時、たまたま何かの番組を眺めていたのだが、とある父子家庭で外傷的ショックを受けた子供が、その日から言葉を失ったと言っていた。
幼すぎた子供は目に飛び込んできた何らかの衝撃を受けきれず、声を出せなくなるほどの衝撃を抱えてしまったということらしかった。もしかして、彼女がそうなのだろうか。
そうだとしたら、そんな境遇の彼女にネガティブな事を伝えた俺が余りにちっぽけで、伝えたいコトバはきっと、俺にしか出来ないことだと自分の中で奮闘した。
そうして、俺は再びロングセラーに返り咲いた。言葉失いの彼女に出会ってから5年が経っていた。そして、あの頃よりも長いサイン待ちの列が出来ていたその日。
「はい、次の方、どうぞ」
俺の手元には俺の本と、一枚のメモ紙と、そしてか細くもはっきりとした言葉が確かに聞こえて来て、顔を見上げたそこには、満面の笑顔の彼女が立っていた。
「ありがとう。わたしもあなたに伝えたいコトバがあるの。あなたの想いは奇跡を生んだって」
「――あ」
瞬間、俺と彼女の間には幸せが訪れていた。声と文字のコトバには想いが伝わるものだったんだ、と。




