嫉妬
ある年のある冬の終わりの日のことだ。
とある青年が逮捕された。
その青年が逮捕されたのは、彼の自宅。
その、奇妙な形をしたイスの上だった。
まるでその青年を守護するように、あるいは包み込むようにして、人の腕が青年を後ろから抱きしめる。そんな、人間の腕でできた、奇妙奇怪極まりないイスだった。
(なんだ、これは……)
報告があって、その逮捕後の現場へと突入した騎士の一人が、その部屋の異様さを目に映して、吐きそうになる不快感を抑えた。
部屋には、性別不明の人間の腕で作られた椅子の他に、状態が異常にきれいに保存された複数体のミイラがあった。
ミイラ、と言うにはいささか綺麗すぎて、まるで生きているかのように見えるのがまた気持ち悪い。
そう。
青年は殺人鬼だったのだ。
王国どころか、世界中に指名手配されるほどの誘拐犯……当初はそう思われていたのだが、蓋を開ければびっくり、彼は殺人鬼だった。
事件の発端は、とある少年の疾走事件だ。
少年は孤児院で生まれ育った、ごく普通の子供だった。友達の数も多く、皆から慕われていた――と、孤児院を経営するマザーは語っている。
そんな少年が疾走する事件が起きてから、不審なほどに多く行方不明が発生するようになった。
最初は小さな子供だった。
はじめのうちは単なる行方不明として処理されていたが、その頻度が上がり、件数が増え、子供だけではなく大人の人間までもが次々と行方を眩ませていったことから、もしや誘拐なのではとの話が持ち上がり、これを事件として、犯人の捜索が開始されたのだった。
それから数年間、その疾走事件はランダムに発生し続けた。
あるときは数日、あるときは数カ月という間をおいて、人が次々と世界中から消えてなくなる。
人々は集団神隠し事件と呼ぶようになり、恐怖し、対策本部が建てられた。
多くの警邏が街中国中を闊歩して、まるで魔物でも現れたかのような――いや、彼は本当に魔物なのかもしれないが――、そんな厳戒態勢が長く続いた。
そのようにして、ようやくのことでこの誘拐魔もとい、殺人鬼の捕縛に成功したのだった。
取調室にて、殺人鬼はこう語っていた。
「なぜ、あんな恐ろしいことをした?」
「……皆が僕を見ないからだよ。
僕だけを見ていればいいものを、皆僕から目を逸らして、どこかへ行ってしまうんだ……。
だから、殺した」
そんな鬼の言葉が理解できなかった尋問官は、再び質問を重ねた。
「分からないな。
なぜ殺す?」
「言ったじゃないか、皆が僕から目を逸らすからだよ。
皆楽しそうなのに、僕は楽しくない。
そんなのズルいじゃないか」
「……ズルい?」
理解できない。
いや、そもそもこんな頭の狂った殺人鬼の言うことなんて、誰も理解できやしないのかもしれない。
だが、尋問官は思わず尋ね返していた。
彼がなぜ、それをズルいと感じたのか、知りたかったのだ。
「そうだよ、皆ズルいんだ。
僕が遊んでいたのに、横から掻っ攫って奪って、僕から遠ざける。
そいつもそいつでアイツについて行って、僕のことなんか見向きもしないでどこかへ行ってしまう。
そんなの、耐えられないだろ?」
鬼を縛る縄が、ぎりぎりと悲鳴を上げる。
パイプ椅子が軋んで、うなだれた彼の前髪が、鬼の表情を隠した。
時に、尋問という仕事をしていると、様々な人を見る。
だがどれも皆同じように、その表情はどこか共通点があり、くすんで見えている。
汚れた顔、とでも言うのだろうか。
瘴気を放っているとでも言えばいいか。
とにかく、そう言う人たちには共通して同じ雰囲気があった。
言葉にするなら、それは後悔の気配とでも言うのだろうか。
だが、彼が今見ている鬼の態度からは、そんなものは微塵もにじみ出ては来なかった。
後悔というものはもっとサラサラとしているものだが、彼の放つその瘴気は、どこかドロドロと粘ついた、重くのしかかるような、そんな感じがするのだ。
「……」
このとき尋問官は、その彼から感じる違和感というものの在処が、もしかしたら彼の生い立ちにあるのではと考えていた。
多くの犯罪は、計画的なもの――つまり確信犯であることは少なく、多くは突発的な感情の昂ぶりに寄るものだ。
ゆえに、ほとんどの犯罪者が共通して持つ気配は後悔であり、後悔するからこそ彼らは罪の重さに押しつぶされるのだ。
だが、後悔の無い罪人というのは、決してその罪の重さに気が付かない。
なぜなら後悔していないからこそ、もし〜しなければ、などという自責の念が生まれることはないからだ。
確信犯だって、計画を遂行した後に後悔することだってあるのだから、もうこうなってしまえば狂っているとしか言い様がない。
だから彼から感じるドロドロとした気配は、おそらくそういった後天性のものではなく、生来のものである可能性が高いと判断したのだ。
尋問官はそんな様子の鬼にジッと視線を合わせると、質問を重ねた。
「お前の生い立ちについて、聞かせてくれるか」
尋問官が尋ねると、鬼にはバッと空を切るように顔を持ち上げた。
その勢いのせいか、また縄が撓み、パイプ椅子が軋んだ。
「聞いてくれるのか!?」
「あぁ、聞きたい」
その目はどこからギラギラとした輝きを持っていて、しかしその中に幼さを残しているように感じられた。
鬼は尋問官の返事を聞くと姿勢を正して、嬉しそうな表情をしながら話しだした。
――曰く、彼の生まれはごく一般的な家庭だった。
どこにでもある家庭。
両親がいて、弟がいる。妹がいる。
そんな、一見すれば豊かとまではいかなくとも、幸せな家庭の中にいた長男坊として、彼は生まれた。
だが、彼はどこか不満を感じていた。
その不満は、兄弟のいる家庭ならばどこにでもある、ありふれた不満だった。
下の子におもちゃを貸す、食べ物を分けてあげる、親からの愛を受ける。
あまりにも当たり前な、そんなことが彼にとっては不満だった。
ここまでは、よくあることだ。
幼少期に感じるこういった不満は、誰にでもあるもので、それは仕方がないものとして受け入れ、誰もが気にしなくなるものだった。
しかし彼の人生の場合は、そうも行かなかったらしい。
彼は周りの人間よりも異常に、その不満が強かった。
強すぎたのだ。
そして、その不満があまりにも強すぎたがために、彼は一度、暴走を起こした。
「嬉しかったんだ。
これでずっと、僕だけを見ていてくれると思った。
僕から奪っていく存在がいなければ、そう思うだけで僕は幸せになれたんだ」
それが、彼にとってはじめての犯罪。
「記録、見つかりました。
確かに彼は以前、弟妹を殺害した前科があります」
補佐官の言葉に、尋問官は戦慄を覚えた。
鬼の考えはつまりこういうことだ。
自分が親から受けていた愛情が、弟や妹の存在のせいで減った。ならばその原因である弟妹の存在を断てばいい。そうすれば親から向けられる愛情は、自分だけになる――と。
(狂ってるな)
思わず、眉をしかめる。
「でも、幸せにはならなかったんだ」
鬼は、こちらの反応を嬉しそうに眺めながら、話を再開した。
弟と妹を殺した彼は、一度少年院へと拘留された。
彼は両親から貰えると信じていた愛情は微塵もなく、代わりに与えられたそれは怒りだった。
恨めしい眼差しが鬼を射抜いた。
しかし鬼には、その目の理由がわからなかった。
理解できなかった鬼はひたすら考えた。
だが答えは出なかった。
出なかった答えは、やがて怒りへと変わった。
なぜ、僕を愛さない。
なぜ、僕にそんな目を向ける。
僕はただ愛してほしいだけなのに。
僕はただあなたがほしいだけなのに。
どうして皆はそんな目で僕を見るの?
どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして――どうして!!
そうやって疑問が怒りに変わってしまった彼は、その怒りをぶつけるように、親を殺害した。
院でできた友人も同じだった。
友人にもやはり友人がいたり、新しく友人ができたりする。
それを知るたびに彼は不満を覚え、殺意を抱く。
やがてその不満は直接殺意に結びつくようになり、彼は皆から愛される者というものを見ると、どうしようもなく殺意が湧くのだった。
「それに、死んだら誰の所にも行かない。
ずっと僕のそばにいてくれる。
だからずっと愛し続けてあげられるし、愛し続けてくれる。
それに気がついたときは衝撃的だった……!
人をミイラにするのは簡単じゃなかったけど、何回も何回も重ねていくうちに、キレイに作れるようになったんだよ……!」
狂気だ、と尋問官は感じた。
もはやそれは、彼の言う不満は狂気とも呼べるほどに狂ったものだった。
歪んだ愛情、それゆえに行為に対する後悔という念が欠落していたのだ。
「人の体で家具を作る発想を思いついたときも、天啓だと思ったんだ」
やがて彼の話は、現場で見つかったいくつもの気味の悪い家具の話へと移った。
「家具にしちゃえば、ずっと触れていられる。
ずっと愛を感じていられる。
素敵だと思わないか?」
「言うまいと思っていたがやはり言おう。
お前は狂ってる」
思わず、尋問官の口からそんな言葉が吐露された。
いや、言わずにはいられなかった。
怒りを多少含んだその声音は震え、まるでグラスが細かく震わせるような嬉々とした雰囲気を醸し出す鬼に、彼は憤怒と困惑を感じ、戦慄していた。
「それは本望だ!
狂ってこそ美術家というものは映えるのだから」
嬉々として皮肉を受け入れる鬼に、尋問官は頭を抱えた。
「美術家……ねぇ」
あれが美術品だと言うのか。
冗談じゃない。
はぁ、と溜め息をつく。
その眉間には一層皺が刻まれており、目には人を見下す特有の輝きが、チラチラと瞬いていた。
鬼は、その変化を見逃さなかった。
いや、正しくは見逃せなかったのだ。彼が先天的に持つその性質が、彼のその反応を許さなかった。
「お前も僕を馬鹿にするのか……?」
がらり、と鬼の雰囲気が変わる音が聞こえるようだった。
パイプ椅子が軋み、縄がギチギチと音を立てている。
静かな空間が一層冷え込み、重たくなる。
そんな不可思議な重圧が、そこにいた二人を圧迫した。
「いつもそうだ。
皆僕を理解しない……!
理解しようとしてくれない……!
僕は君たちのことが好きなのに、君たちはちっとも僕に愛をくれないじゃないか……!」
言葉にならない怒りが、その場を渦巻いているようだ。
消えない光か、晴れない闇か。
その両端が混沌として混じり合っているかのような、魔物のような気配が、尋問官の口を噤ませた。
しばらくそんな気配を振りまいていた鬼だったが、やがて落ち着いたのか、数倍にも膨れ上がったかのように錯覚していた彼の体躯は、もとの青年の様子を取り戻していた。
彼は考えた。
この鬼の不満の正体が嫉妬にあることには間違いない。
それが変質して、怒りに変わったのだ。
嫉妬の種が、理解できないという肥料で、疑問という水を与えられて育ち、憤怒の木を育て、やがて狂気という実をつける。
その木は醜く、実は不味い。
他人からはそう映るのだが、本人にはその木はとても美しく、その実は甘美に感じるのだろう。
これは煙草に似ている。
吸わない人間から見ればただの毒ガスだ。
己の寿命を縮め、財産を散らすとんだ毒だ。
だが、吸っている本人からすれば、必要なものという認識になる。
彼にとって、嫉妬は煙草だった。
いや、嫉妬ではなく、くれなかった愛情だろうか。
一種の禁断症状、とでも言うべきなのか。
そうやって壊れた彼の肺は、真っ黒な嫉妬に脅かされている。
彼はまっすぐに鬼の目を見つめると、質問とも取れないその問いに、こう返した。
「それは我儘というものだ。
お前が愛しているからといって、他人がお前を愛していると考えるのは、すこし傲慢すぎやしないかな?」
「……傲慢?」
彼はゆっくりと、尋ねるようにして繰り返した。
嫉妬の種が憤怒という木を生やし、狂気の実をつける。
その狂気はやがて傲慢に変わる。
――いや、傲慢だったからこそ、嫉妬が芽生えたと言うべきか。
どちらにしろその傲慢と嫉妬は、彼が相手から愛されるために動く行為を、怠惰にも省略してしまった。
それが今回の狂気に繋がっているのだ。
その狂気はやがて歪んだ色欲になり、人間イスなどという奇怪な家具を作るに至った。
理解はできるが共感はできない。
きっと共感できる者というのは、きっと同じ銘柄の煙草でも加えているに違いない。
「お前は一度でも、愛される努力をしたか?」
「したさ。
けど代わりに向けられたのは――」
「そこが傲慢だと言っているんだ」
「……ッ!」
ガチン!とパイプ椅子が悲鳴を上げた。
下手をすれば椅子が壊れかねない勢いで、鬼は後ろ手に縛られた椅子ごと立ち上がり、身を乗り出す。
「お前に何がわかる!?
お前に僕の苦しみの何がわかるんだ!?
わからない……わからないだろ……?
お前らは理解してくれない、しようともしない!だからわからない!
お前たちが何を考えてるか僕は知りたいのに!
ただ僕だけを見て、僕だけに尽くして、僕に愛して、愛されるだけでいいのに!
何考えてるか知りたいのに!
どうしてお前らはいつもいつも遠ざかるんだよ!?
……僕は……ただ愛してほしいだけなのに……」
急に静かになる。
嵐が過ぎたあとの凪のような、いや、嵐の前の静けさのような凪に、彼はまた戻る。
「それが傲慢なんだよ」
その質問に、尋問官は短くこたえた。
「お前がやり方を模索する行為を怠惰にも省略した。
そのツケがお前の今を作っている」
「……」
俯く鬼の表情は伺えなかったが、自然と何を考えているかは分かる気がした。
しばらくして、鬼は口を開いた。
「僕は……どうするべきだったんだ?」
しかし、その問いに尋問官は答えるつもりはなかった。
答えてしまえば、また彼は正解を模索する行為を怠惰にも省略しようとするからだ。
これは、この鬼の試練なのだ。
時に、自分を見つめ直すという行為は、新たな発見を与えてくれる。
それによって、自分は新たな一歩を歩み出すことができる。
鬼は今、閉じこもっていた檻を破ろうと、内側からかけた鍵を探しているのだ。
暫くして、鬼は両肩を震わせた。
泣いているのか、小さな嗚咽が鼓膜に響く。
いつの間にか、鬼を縛っていた縄は消え、纏っていた雰囲気はサラサラとしたものに変わっていた。
彼はようやく、人になったのだ。
尋問官は、そう感じた。
これは、とある年の冬の終わりの出来事だ。
雪が溶けて、新たな世界が照らし出す、そんな暖かな冬の終わりの――。